プフィッツナー(1869−1949)
ロシア帝国モスクワに生まれ、幼くしてドイツに移り住んだプフィッツナーは年少より音楽的才能を示し、ドイツ的伝統を引き継ぐ最後のロマン派作曲家としてオペラや歌曲、カンタータ等を作曲し、音楽院の教授職も歴任した。フランクフルトのホッホ音楽院教授時代には、若きクレンペラーに指揮、ピアノ、作曲を教えている。
若いころはかのマーラーの取り巻きの一人で、1905年にマーラー指揮のヴィーン歌劇場にて自作の歌劇「愛の園のバラ」が上演されている。マーラーと共に、屋外カフェでのスナップ写真にも写っている。
しかし「それとは別」に、プフィッツナーはドイツ伝統主義であり、ユダヤ至上主義排斥者であった。1930年代後半から40年代前半にかけては、その思想をナチス政権に利用され、ドイツ国内ではリヒャルト・シュトラウスに次ぐ名声を得た。戦後は、当然訴追された。
が、老プフィッツナー自身はナチス協力者というほどではなく、むしろナチスに反発して自作の演奏を禁止されたほどだった。また、党員でもなかったため無罪となった。
最晩年は金銭的に困窮し、ウィーンフィルが作品を委嘱して援助をした。家も戦災で失い、養老院にいたが、脳卒中を起こし49年に80歳で亡くなっている。
プフィッツナーはドイツ伝統主義に則り、新ウィーン楽派、ドビュッシーやストラヴィンスキー等パリ楽派、プロコフィエフ等の同時代の新音楽、又はそれらの影響下にある音楽を飽くことなく攻撃・排斥した。しかし、彼自身の作品には、旋律線や和声に新時代の感覚があり、ただの古典のエピゴーネンというわけではない。歌劇と歌曲(ピアノ伴奏、オーケストラ伴奏、カンタータ等多数)に本領を発揮し、器楽作品は少ない。その中で、交響曲を3曲、残している。そのうち、2曲は小規模だ。
交響曲(1932)
元々弦楽四重奏曲第2番(初期の番号無しを含めると3番)(1925)だったものを、作者がオーケストラ編曲したもの。古典的な4楽章制で、演奏時間は約35分。嬰ハ短調ということもあってか、この時代特有の、仄くらー〜い頽廃的な感じがよく出ている。そういう意味で、なんだかんだとプフィッツナーもちゃんと同時代の空気を読み、影響を受けているのだと思う。
第1楽章冒頭、木管による愁いを帯びたアンサンブルから、すぐに弦楽がそれを引き取って、無限旋律めいた息の長い展開が始まる。ハッキリとした長い旋律線と、それを彩る多彩かつ堅実な和声は、プフィッツナーの特色をよく表していると思う。弦楽器にホルンや他の金管も加わって盛り上がった後、管楽器のソロから弦楽にも動きが出てくる。第1楽章の後半はよく動く旋律を中心に激しく展開し、やがてティンパニも登場する。小休止から、旋律展開・主題労作の頂点を迎え、また緩やかに下降してゆく。豪快な対位法も現れつつ、展開は終結へ向かって次第に収束する。コーダで冒頭の雰囲気へ戻り、穏やかながら愁いは消え、少し晴れやかな音調となるが、終結は暗闇の中へ静かに落ちて行く。演奏時間は約12分。
第2楽章は、約5分ほどの短いスケルツォ。急迫感のあるスケルツォ主題が登場し、弦楽を主体として金切り声のように高音でキリキリと進む。トリオ部は木管を主体として、ボソボソと囁き声のような展開をする。そのなかに弦楽が割って入ってきて、管楽器と対話を行う。やがて管楽器が主体となり、勇ましい主題に移って、弦楽と激しくもつれ合う。最後はシンバルも鳴って、突き刺さるようなフィナーレとなるも、終結はあっさりと牧歌的な装いだ。
第3楽章は緩徐楽章。古典的な規模で、8分ほどである。美しいが、やはり暗く物憂い音調を崩さない。弦楽合奏を主体にして、ホルンやクラリネット等がそれを支える。旋律は牧歌的だが、マーラー流の暗く陰惨なメルヘンが根底にあるように聴こえる。中間部よりオーボエのソロが始まり、それがまた奇妙な半音階進行で、美しくも不気味さを演出。それを他の木管や弦楽が受け取るのだが、だんだん緊張感を増して行き、旋律を金管が高らかに引き継いでから、ユラユラと半音進行で旋律が浮遊して、アタッカで終楽章へ。
第4楽章フィナーレ。演奏時間は10分ほど。ティンパニを従え、弦楽が目まぐるしく走り回って主題を奏でる中、管楽器が加わって野太く劇的に展開して行く。打楽器も入り、派手ではないが、狭い音域を駆け回る確固たる堅実な旋律が次々に現れ、プフィッツナーの旋律の手腕を遺憾なく発揮してゆく。が、展開は唐突で、形式的にはけっこう自由に展開する。まさに「霊感の作曲家」たる所以か。後半には木管の鳥の声のようなソロも現れ、当曲の牧歌的雰囲気の名残を示す。それが弦楽に移り、明るく朗らかな田園の音調をしばし奏でる。そこからコーダに移り、大きくテーマが広がって、穏やかな気分のまま、終結する。
小交響曲(1939)
4楽章制、演奏時間は約20分。トロンボーンとチューバ無しの2管編制に、ハープと、打楽器が少々。本当に古典的かつロマン的な、小規模の交響曲である。初演は作曲の同年にかのフルトヴェングラー/ベルリンフィルハーモニカーであった。
1楽章は、簡易なソナタ形式。7分ほど。なんとも美麗かつ愁いを帯びた主題が弦楽で現れ、クラリネットやオーボエで小展開した後、1分半ほどで新たにオーボエが同様の性格の第2主題を奏でる。展開部は第1主題から始まり、深刻さを増しつつ、すぐさま牧歌的な響きに移ろう。どれもこれも小規模なので、穏やかでゆったりした楽想でも推移が目まぐるしい。この両主題を複雑に処理する平和的な音調がしばし続き、展開を続けてゆく。
すると、明確な終結部がなく、トランペットがいきなり鳴り響く。アタッカで? 第2楽章へ至る。
2楽章は3分ほどの短いスケルツォ。ABA'形式三部形式であり、これも簡易だが、けして単純じゃないところに作曲者の腕前が見てとれる。警笛めいたトランペットのソロが主題を発し、弦楽の刻みが緊迫感を演出する。シンバルも鳴って、スケルツォ主題が続く。そのリズムに乗って中間部はチェロが朗々と新主題を奏でて、ハープも彩りを添える。終始トランペットの主題が緊張感を与え続ける。冒頭が変形して戻ってきて、クラリネットが終結を表す。
3楽章はプフィッツナー得意の、情感的な緩徐楽章。6分程度のアダージョ。二部形式とのこと。たっぷりと弦楽が旋律を歌うが、やはりどこか愁いを帯びる。弦楽に続いてクラリネットが愁いを引き継ぎつつ、息の長い旋律を歌う。オーボエやホルンも参加し、弦楽と旋律をコラボを歌い続ける。後半はさらに憂鬱感が増して、フルートのソロなどは、まさにマーラーの後期交響曲の色を失っていない。そしてまたアタッカで? 空気が変わって第4楽章へ。
4楽章フィナーレは4分ほどの、軽やかでいて、堅実な造り。フルートと弦により、いきなり晴れやかなお花畑が登場する。このウキウキ感を出すために、いままでの愁いは存在していたのだろうか? と、思いきや、トランペットのソロが登場した辺りから、やっぱり元の空気に戻り始める。オーボエが主題を受け継ぎ、元気を取り戻す。シンバルも鳴ってハッピー! そしてそのハッピー感を残したまま、サッと終わる。オシャレ。
(第2)交響曲(1940)
3曲目だが、事実上の2番として扱われているようである。3楽章制で、演奏時間は15〜17分ほど。
まずハ調なので、響きが明るい。この時期、ナチス政権バリバリだったのだが、プフィッツナー自身は音楽院の要職を得て、名実共に充実していた。その影響下にあるのだろうか。
1楽章、いきなりホルンがパパーンと主題提示。それを受け、他の楽器も第一主題を小展開する。1分ほどでもう、愁いを帯びた第2主題が木管と弦楽で示される。やっぱり、プフィッツナーは、どんなに明るくとも愁いを帯びるのである。両主題が軽く展開され、展開部は穏やかに進む。展開部の中程で、第一主題のファンファーレから盛り上がる部分もあるが、全体に静謐な印象だ。そして明確な終結部無しで、暗い雰囲気のままアタッカで次の楽章へ。全体で、7分ほどの楽章。
第2楽章は5分ほどの短いものだが、しっかりとしたアダージョ。オーボエの(やっぱり)愁いを帯びた旋律が茫洋と鳴り渡り、プフィッツナーの歌心を味わえる。弦楽がそれを受け取って、世界を広げてゆく。次に現れるオーボエは、少し明るさを取り戻している。日が差してきた。……と、思いきや、また少し暗くなって……いきなりシンバルと共に速くなって、劇的な展開となる。YouTubeで参考演奏を聴いたのだが、これ、トラックの切り方、合ってるのか?(笑)
そしてプレストの最終楽章、演奏時間はやはり5分ほど。ここもアタッカで進められる。明るく雄々しい主題が進みながらも、突如として速度が落ちて牧歌的な雰囲気にもなる。そして弦楽のフガートを経て、激しく動機の展開する部分へ。ここら辺の主題の扱い方は、かなりの技巧派で無いと無理だと思う。プフィッツナー、大変な実力者であったのは間違いないだろう。そして第一楽章冒頭の主題も華々しく戻ってきて、豪快に盛り上がって堂々たるフィナーレとなる。
演奏時間的には短いながら、かなり充実した内容をもっている。
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