多田栄一(1950− )
肥後一郎の項でも書いたが、作曲家で音大卒組と非音大組とをあえて分けてみて、その結果音大へ行くとか行かないとかは本人が行きたいか行きたくないかにのみおそらく意味があることで、帰結するところとしての作曲家としてはまるで意味をなさぬことであるとしたわけだが、この多田や林光や、作曲ではないが岩城のように、音大を中退する組というもの少なからず存在する。
しかしここで誤解してはならないのは、別に彼らは成績や素行が悪くて中退に至ったのでは(たぶん)ないだろう。いや、二重の誤解がある。成績や素行というのは、マジメな学生という意味では、たぶん、おそるべき悪さだったのかもしれないが、音楽家としては、まったく悪くなかったのだろう。
年表を見るに、多田は14歳で保科洋に師事し、20歳で芸大を中退。その後、すぐ、松村禎三へ師事している。彼もまた、肥後や吉松の同門ということになる。(ここではじめてわたしは、けっこう松村禎三も優秀な弟子が多いのだなあ、と気付いた。)
さておき、多田は交響曲を3曲書いてあるようだ。調べたが、詳しいデータは無かった。2004年現在で、何曲あるかは、残念ながら分からない。
保科へ師事したものらしく、いっとう最初が、1979年の「吹奏楽のための交響曲」。このようなタイトルの音楽は師の保科のものを含め、外国人あたりでいくらでもあるが、多田のはネットで検索してもまるで出てこないところを見ると、初演されてそれっきりという可能性は大きい。経緯もどのような曲かも分からない。聴いてみたい。
そして1982年に交響曲第1番を作曲している。これはオーケストラ。吹奏楽のための〜が1番ではないというのがミソだ。20世紀にたくさんシンフォニーを書いたアメリカのパーケシィティやロシアのミャスコフスキーの中には、番号付の交響曲で、もとから吹奏楽のための作品がある。ドイツのヒンデミットにもバンドのための交響曲があるが、ヒンデミットの例だと、かれの5曲の交響曲はぜんぶ番号付きではない。そして、1985年、多田は交響曲第2番を作曲している。吹奏楽の交響曲は番号を与えず、オーケストラのみ与えている。そのこととじっさいに音になっている第2を聴いて察するに、吹奏楽のための交響曲は形態としての交響曲では無かったのかもしれない。(ストラヴィンスキーの管楽器のための交響曲のように。)
第2交響曲(1985)
3つの楽章で構成され、各章には副題がついている。
大海原
青
奔流
無調と調性との合間のような、たゆとう響きが非常に魅力的に聴こえる。ロマン的な標題の割に、響きは厳しい。
作曲者の弁によると、1楽章「大海原」は3つの主旋律が互いに発展しながら進み、最後はカタストロフに到るという音楽的展開。ソナタ形式のようでもあるが、それとは異なる。現代曲らしく刺すようなアタックが強烈だが、旋律そのものは、けっこう鄙びたものだ。海のもつ神秘さを、現しているようにも思える。イメージとしては、海といっても、わたしは、プランクトンたちの生活をミクロ的な視点で観察しているような、無機的な透明なものを思い浮かべた。
2楽章「青」は、緩徐楽章で、2台のハープと弦楽合奏による。対話、慰め合い、譲り合い、そのような発想の音楽ということである。静かで繊細で、ときに厳しい対話を、聴く。
3楽章「奔流」はアレグロ楽章。現在では滅多に交響曲などで聴けなくなった「交響的アレグロ」の再現を、狙ったものだという。その価値を再認識するために。
序奏と思われる緊張力の部分を経て、松村流「増殖」技法がここでも使われているのだろうか、木管の動機がさまざまな楽器で受け継がれつつ、アレグロのテンポでじわじわと力を蓄えたり放出したりしながら、突き進んでゆく。中間部にフルートのソロによる心地よい遅滞を含め、再び流れだし、行きつくところまで行く。まさに奔流!! オーケストラの醍醐味ここにありッ!
16分間も、この奔流は続きます。うーん、スゴイ。
YouTubeで試聴できます。
前のページ
表紙へ