瀧沼 亮(1998− )
Twitterにて、本人より紹介を頂いた。アマチュアでも、DTM作曲組というか、完全に自由に音楽を作るグループに入るタイプの作品である。まさに、アマチュアならではの活動といえるだろう。当企画においても、2023年執筆現在、土井田誠、小川俊克、佐郷康典(敬称略)と、日本人のアマチュアDTM交響曲作家を既に何人か紹介しているところである。また新たに、その列に1人加わったことになる。
本人によると、既に交響曲を5番まで作っているが、自分で発表できるレベルと思っているのは、この1番のみであるという。(あと5番の第1楽章が公開されているが割愛する)
第1交響曲「ノートル・ダムの日記」(2020)
3楽章制で、30分ほどの曲。音楽詩でもあるっぽい。多々、引用が含まれているが、ポップスの私の知らない曲の引用も多く、そのへんは知らない曲なのでよく分からない。著作権的には、著作権者が決めることなので何とも言えないが、非営利な趣味の範囲内での使用というレベルだろうとは思う。が、なんであろうと改編そのものを許可しない場合もあるので、注意が必要だ。
全体には、形式や展開、旋律というより音響そのものを聴くタイプの、音響的交響曲と言える。しかし、実験音楽というほど過激でもない。
第1楽章は冒頭の鐘とハープによる導入から、不安を煽る響きがしばらく続く。このあたりは、いかにも佐村河内(新垣)スタイルを想起させる。が、特段、影響がどうのではないだろう。不協和の長音で、まるで催眠めいて響きが迫ってくる。6分半程から、ガムランめいた音調で耳になじむ旋律が現れるが、何かの引用なのかどうか。それはすぐに終わり、まだ長音がひたすら続く。そのなかで、また長音の奥に様々な幻影が浮かび上がる。9分をすぎたころに、儚げなハープの響きで終結する。
第2楽章は、一転してメロディアスだ。これも、何らかの引用なのだろう。ちょっとDTMの何の音源なのかよく分からないが、鐘と、ハープと、金属打楽器系に聴こえる音をバックに、様々な旋律がアイヴズめいて重なってくる。この楽章でも、中心的な長音を軸というか横糸として、その周囲を様々な音の破片が飛び交って舞っている印象がする。16分過ぎからファンファーレのような光り輝く金管が現れて、周囲を照らしつける。不協和音がそれを押しつぶさんと盛り上がるが、やがて光の洪水があふれ返り、全てを包みこむ。……だが、最後に警告が現れる。そこから、マーチ調の展開がややしばらく続く。このへんも、何かの引用だと思われる。おそらくアタッカで第3楽章へ続く。
どこから第3楽章なのかよく分からないのだが、いきなり美しく青きドナウが現れる。これは私にも分かる、分かるぞw ドナウは何度も分断、他の曲に乱入され、まさにペトリューシュカの最終場面か、ショスタコーヴィチの4番のごとき乱雑さである。そして残り5分で現れるのは、第九の終楽章の合唱部分だ。そこにまたも他の曲が乱入し、乱痴気騒ぎ。パーティ・ミュージックのような楽しさがあり、最後に第九の終結部が現れて大団円である。
ちょっと長いのだが、コラージュ曲としても、好きな人は楽しめるのではないだろうか。
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