佐郷康典(1963− )


 土井田誠小川俊克、そしてこの佐郷康典(敬称略)と、アマチュア作家の方より、続けざまに自作交響曲の紹介をいただいている。また、既に私の方から発見したいわゆる日曜作曲家では、若い世代で関康久稲熊匠がいる。もっとも日曜作曲家というカテゴリーも微妙なものがあり、マーラーだって本業は指揮者で、作曲は「日曜作曲家」だった。

 本サイトの日本人交響曲の項では、アマチュアであろうとも作者が交響曲と名付け発表しているものを鋭意とりあげているが、自己紹介も増えてきた気がする。こんな(それこそ素人の)場末サイトでよければ、時間の許す限り、紹介して行きたい。

 さて、佐郷は紹介されて驚いた。かなり古くより、凄い数の制作を行っている。1996年を皮切りに、2021年の最新作まで15曲あり、しかもヴォリュームも凄い。ナクソスかマルコ・ポーロレーベルの、イギリスやアメリカあたりのマイナー交響曲作家の作品集を想起させる。あるいは旧ソ連の作曲家か。

 アマチュアとはいえ、日本でこれほど交響曲を書き上げた人は、リストだけならノルドストームこと野沢秀通がいる。そういえば、野沢もアマチュアであった。

 もはや、交響曲を量産するというのは、アマチュアだけに許された贅沢なのかもしれない。 


第1交響曲(1996/2017)

 4楽章制で、演奏時間は約40分という大曲。新古典的、ロマン派風の作品で、中庸な部分もあるが、盛り上がりもあって聴きやすい。

 第1楽章は、牧歌的かつ詩的な序奏から既に魅力的な優しさに満ちている。全体で12分ほど。現代的な和声を少し醸し出しながらも、序奏主題がゆったりと発展してゆく。4分ほどで、マーラーの1番の引用と言って良いだろう主題が、金管で現れる。そこからテンポアップし、再びマーラーの、3番の引用。いや、これはパロディかもしれない。マーラーと言えば、パロディ作家の一面もあるが、そのマーラーのさらにパロディという面白さがある。そこからはゆっくりと一元的に推移し、特段の発展等は見られない。コーダの前にティンパニのトレモロによる緊張があるが、爆発的な伽藍の形成は無く、静かに終結する。

 第2楽章は、5分ほどの無骨かつ哀調あるスケルツォ。こちらはブルックナー流。あるいはマーラーの6番の流れだが、あれほど複雑ではない。スケルツォ主題を色々と魅力的に展開しつつ、トリオでは7拍子の朗らかな音調となる。ハープから、ティンパニが荒々しいリズムを刻むスケルツォに戻る。

 第3楽章は、緩徐楽章である。10分ほど。前半は、やや焦燥感がある、やはりマーラーを思わせる息の長い美しい旋律がたっぷりと小展開しながら聴かれる。後半は雰囲気を変えて、夜の音楽。ハープと弦のしっとりとした哀調感と切なさは、独特だ。

 第4楽章、明るく勇壮で、セオリー通り。こちらも10分ほど。ロンド形式。打楽器も軽快に、祝祭的なA主題を盛り上げる。A主題(祝祭主題)をしばし展開しつつ、経過部から主題展開に入る。5分ほどで、音調を変えて勇ましいB主題。またマーラーっぽい音調も出てくるが、うまく合っている。C主題も現れ、少し展開した後、Aへ戻る。A A' B B' C A'' コーダ という感じか。最後は、ティンパニとチャイムも派手に大団円。

 全体に、初期の久石譲を思わせる音調になっていると感じるが、引用のアイデアも含めて、けっこう面白い響きに仕上がっていると思った。個人的には、2楽章が好き。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。


第2交響曲(1997/2018)

 2番は6楽章制で25分ほどと、交響組曲的な作り。作者の解説によると、1番を制作した際の断片を再利用し、新たに作曲した部分も加えて、2番としたそうである。

 なお、4・5・6楽章は続けて演奏され、大きく4楽章制とも、とることができる。

 第1楽章は5分ほど。劇的な冒頭から、深刻に推移してゆく。第1主題はベートーヴェン的な雰囲気を残しつつ、勇壮かつ悲壮的に進む。鈴の音と共に非常に短く展開され、第2主題はエキゾチックなものに。すぐに第1主題を主に扱う展開部へ。再現部無しで、終結してしまう。

 第2楽章も、5分ほどのもの。緩徐楽章というより、メヌエット(あるいは間奏曲)に近いか。朗らかな楽曲で、やさしい旋律に支えられて、ゲーム音楽風の音調を形作ってゆく。ハープが豪華。

 第3楽章は短く、2分半ほどの速い楽章。やはりベートーヴェン的性格を有する舞曲。3部形式。トリオは深刻で神秘的な響き。

 第4・5・6楽章はアタッカで進められる。3つの楽章を合わせて10分ほど。第4楽章は、暗く重苦しい。あるいは、ダンジョンでも進んでいるかのような雰囲気。そして、突如として明るく勇壮な響きに。第5楽章か? ダンジョンで戦闘が始まったようだ。ちょっとマーラー(1番4楽章)っぽい雰囲気も垣間見せつつ、静寂な部分に。そのまま、葬送の鐘の音と共に、アンダンテほどの終楽章へ。ゆっくりと息の長い主題が盛り上がって、晴れやかな気分で幕を閉じる。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。


第3交響曲「滅亡」(1998/2017)

 初めての、副題あるいは標題付の交響曲。その副題が「滅亡」とは尋常ではない。作者によると、破壊的な音調の曲を作ろうと思っていた矢先「構想中に奥尻島の津波災害、作曲中に阪神淡路大震災が起こり」と、ある。その後、「その悲惨、非情な映像が脳裏に焼きついてしまったため、単に破壊的なイメージだけではなく、その光景や何かしらの力、あるいはそこにさらされた人々の感情を表現出来たら」といい、元からのイメージに現実の災害の悲劇が加わり、災害、破壊そして祈りという全体的な音調を決定づけている。

 編制的には、作者で初の3管編制であるばかりではなく、演奏時間も5楽章制、60分と大きくなっている。

 第1楽章「廃墟」 いきなり17分ほどの規模の大きな楽章。まるでショスタコーヴィチを想起させる規模だが、全体にラメントあるいはレントの楽章で、激しいアレグロは特にない。重苦しい低音による旋律から始まり、既に廃墟が「そこ」にあることが示唆される。もしくは、廃墟の予兆か。その主要主題が、しばし取り扱われる。3分ほどより現れる、第1主題の派生ともとれる静謐な短い旋律が、第2主題か。両主題を扱いながら、真ん中の9分ごろより、大きくアーチ状の頂点を形成、ハルトマンの1楽章制の交響曲にも似た構成となる。そこから、何度か小さな頂点を加えつつ楽章の終わりへ向けて進み、14分半ころより打楽器の連打と金管の荒々しい叫び。祈りの主題が現れ、再現部となり第1主題も悲痛に鳴り響く。ハープから第1主題がコラールめいて扱われて、静かに終わりを迎える。

 第2楽章「炎勢」 6分ほどの、スケルツォ相当のアレグロ、プレスト楽章。ショスタコ風の速い音楽は、第2楽章に現れた。焦燥感のある激しい音調。タイトル通りと受け取ると、燃え盛る炎の迫ってくる、炎熱の楽章である。上下に激しく動く弦に、突き刺すような打楽器と管楽器。中間部から主要主題と弦楽のパッセージが入れ代わり立ち代わりで交錯する。最後は弱音で緊張感を増しながら、強音の一撃で終結。

 第3楽章「葬送」 15分もある緩徐楽章だが、緩徐というわりに重く、苦しい葬列の音楽。バスドラの一撃は、かのマーラー10番を想起させる。やがてファゴットを含む低音木管により、葬送のテーマが吹奏される。そこから高弦が派生を引き継いで、切々と主題を展開。葬送の行進となって、悲しみを耐えて鬱々と進む。ここでも、ちょうど1楽章同様に中間地点で大きく盛り上がって伽藍を築く。全体に、ベートーヴェン3番2楽章の性格が強い。あれほど勇壮な雰囲気は無く、情緒的なのは、作者が日本人たる所以か。終結部に向けて静かに納まって行って、ここも弱音で終わる。

 第4楽章「破壊神」 一転してホルスト的性格へ。変拍子により、大いなる災害の荒御霊(あらみたま)的性格を描いてゆく。激しいリズムを軸に、オルガン的な響きが分厚く覆い被さってくる。これより30年後、まさに映画シン・ゴジラで奏でられるような緊張感ある響きだ。この響きを90年代当時に描いていたのだから、凄い。後半ではスネアドラムも刻まれ、木琴と相まって焦燥感を演出する。狂乱を迎えながら、唐突に遮断される。

 第5楽章「絶望」 最終楽章も15分ほどある。まさに、マーラー1番4楽章的性格の冒頭の緊張感。それはすぐさまテンポを落とし、悲痛のテーマと言える主題がしばし流れるが、3分ほどで慰霊のテーマともとれる実に情緒ある、切なくも美しいテーマが現れる。旋律の動き方がなんとも日本の民謡っぽくもあり、子守歌っぽくもあり、魅力的である。第2テーマをしばしマーラー9番4楽章のイディオムっぽい動きで小展開し、繰り返しながら慰霊は続く。第2テーマの展開は長く、さらに日本的となる。打楽器も加わり、ここも大きく盛り上がってドーム状の伽藍を形成する。ここで、第3番の3つの緩徐楽章は、形式的にみな同じ形であると分かる。そこからは第1・第3楽章と同じく、終結へ向けて音調・音色共に鎮まってゆき、ここも静謐へ向けて闇の向こうへ消えてゆく。

 大規模な緩急緩急緩の5部構成は、実にマーラー的だが、マーラーほど複雑ではない、あっさりした構成が魅力。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。


第4交響曲「OKINAWA」(2000/2007)

 4番も標題というか、副題がある。沖縄だ。しかし、沖縄の様々な情景や歴史的な状況を直接的に描いているというより、発想の元というほどの意味である根源的標題というほうが正しい気がした。

 4楽章制で、約40分。かなりの規模がある。40分の交響曲というのは、珍しくないとはいえ、やはり大曲の部類に入る。聴衆に40分間も聴いてもらうというのは、凄いことだと思う。 まして実演だと椅子へ座らせてノンストップなわけだし、それだけの拘束を与えるだけの価値を有しているという自信や覚悟が無いと、とても書けないし発表できないだろう。アマチュアとはいえ形として完成させ、作品を発表しているというのは、素晴らしいことである。

 第1楽章は10分ほど。沖縄音階を加工した序奏から、主部アレグロへ。これも沖縄音階より派生しているが、無調っぽい進行をするのが面白い。テンポが上がり、戦隊物の曲のようになる。カッコイイ。その中に浮かび上がる、これは完全に沖縄音階とリズム。アレグロが発展、展開しながら進み、ティンパニの連打からドラの一撃で終結する。沖縄復帰の年の不安と、将来へのエネルギーが示されているという。

 第2楽章は緩徐楽章。13分ほどと、最大の楽章。こちらは、分かりやすく沖縄節全開。民族打楽器である三板(サンバ)を模した拍子木も心地よい。どこか哀調ある旋律につながり、まさに、沖縄の夕日を水平線に観る思いだ。切々とした音調が持続して、ヴォカリーズの女性合唱が入り、次第に神秘的な響きとなる。ドラが陰々と響き、中間部でティンパニの打撃と共に頂点を築くドーム形式。冒頭に戻り、再び拍子木が鳴る。穏やかな曲調が現れ、ゆったりとした気分で眠りにつく。ひめゆりの乙女たちへの鎮魂歌である。

 第3楽章は、沖縄民謡から引用によるスケルツォ。全曲中最も短く7分ほど。熱気ある沖縄の町の、夜のイメージとのこと。激しく楽しい踊りの主題と、トリオは一瞬の静寂と神妙な祈りの歌。スケルツォへ戻り、ノンストップで突き進むかのような快活さを見せる。

 第4楽章は、明るい沖縄の未来とのことである。8分ほどのフィナーレ楽章。拍子木へ乗って、ゆったりとした沖縄音階による序奏が現れる。ティンパニの導入を経て、主部アレグロへ。シロフォンも小気味良く、様々な沖縄風の旋律が荒れては消える。後半部へゆくに連れて盛り上がり、終結部は大きく広がって、まるで広大な海原を仰ぎ見るよう。大きな決意を持っているかのように、ティンパニ連打と金管の咆哮で終結する。

 プロのオーケストラ等の作品でも、いわゆる「沖縄もの」は多い。技術的な面では流石にプロに軍配が上がるが、アプローチの仕方で負けていないと思った。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。


第5交響曲(2003)

 5楽章制。55分程にもなる。3番と似た構成だが、緩急が逆で、急緩急緩急となる。これまでといっぷう変わった音調を持ち、重厚な響きながら第1楽章はコミカルな雰囲気すら漂わせる。また、作者初の「オルガン付」でもある。が、特段目立つソロがあるわけではなく、オーケストラの中音域を印象的に支えるといった使い方だ。やはり5番というので、些少は意識したそうである。

 第1楽章、11分ほど。ティンパニの連打から、ちょっと不思議な感じの主旋律がいきなり現れる。まるで、調子っ外れの軍歌だ。そこから山本リンダみたいな音調で進むが、この雄々しい進軍はアイロニーに満ちている。オルガンの響きはどこか不気味で、不協和音が不穏な空気を演出する。低音のソロから第2主題だろうか。やや民謡調な主題をしばし小展開させ、本格的展開部へ。第1主題が戻り、自由に扱われる。緊迫感を増し、打楽器も多数加わってカリカチュアのような行進は続く。ハープソロから、第2主題展開開始。弱音で推移するが、緊張感は失わない。展開部最後は第1楽章展開が戻って、激しく突進しながら短い終結部を迎える。

 第2楽章は13分ほどの緩徐楽章。弱い低音部より始まり、弦楽でひっそりとテーマが奏された後、ハープのきれいな旋律から、じんわりと主題展開して、次第に盛り上がってゆくが、微妙に音調がズレで不気味さを醸してゆくあたり、これまでとは異なる意欲を感じる。主要テーマを幾度も展開し、戻りを繰り返して、盛り上がりを見せつつも、最後は闇へ消える。

 マーラー流にシンメトリーの中心を飾る第3楽章、スケルツォ楽章は、無骨なブルックナー流。5分ほど。舞踊主題がここも異形に変化し、不気味に推移して、荒々しい煉獄を見せる。トリオは一転して優雅な花畑だが、見せかけだ。どんどん風景が歪んで、さらに荒々しい死の舞踏が現れる。再びトリオへ進むが、音調が変化しているのも良い。スケルツォを短くリピートし、終結する。

 2回目の緩徐楽章である第4楽章。13分少々。弱音の弦楽の重ね合いを序奏のように扱い、切々と感情を訴えてくる。時折感情が爆発し、また静謐な雰囲気へ戻る。息の長い旋律を弱音で紡ぎながら、乙女の嘆息めいて、かすかな風鳴りのように響く。中間部でオルガンが轟きだし、祈りが再び訪れる。佐郷の緩徐楽章で得意のドーム形式を形作り、大きく高く視点が上がってゆく。16分音符の動きは、マーラー9番4楽章の流儀へ素直に従っている。後半分は趣を変え、管楽器が主体となり、ラストで強烈な爆発が一瞬、起き……。ハープの余韻で再び静寂の中へ消えてゆく。

 第5楽章は10分ほどのフィナーレ。民族的打音の打楽器の連打が弱音からジワジワと肥大化してゆく不思議な冒頭から、哀調ある行進調のアレグロが始まる。トライアングル連打の警鐘も鳴り響き、長い持続音から第2主題へ。これもアレグロだが、雰囲気を変えて来る。しばし第2主題が小展開し、オルガンにも引き継がれ、第1楽章のちょっと不思議な主題も乱入してくる。それらが入り交じってカオスとなり、緊張感ある経過部へ。オーケストラとオルガンが交錯し、長い展開部が続く。ちょっと間延びする部分も無くはないが、それが味であるとも言える。再び警鐘の鐘というかベルを模すトライアングルも鳴り、コーダに入って盛り上がりながらティンパニの連打と和音で終結する。

 まさにマーラーの5番・7番と似た構成で、うまく楽章を配置している。曲自体は吉松隆流に、複雑な構造よりも表面的な効果を重視し、派手に仕上がっている。やはり、第1楽章が面白かった。

作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。


第6交響曲(2004)

 6番も、4楽章制、55分になる大曲である。この規模の大曲を年1のペースで作る創作力、創作意欲というのは、純粋に凄いと思う。感心する。

 第1楽章、17分ほどと、これまでで最も規模が大きい楽章である。というのも、4分ほどで提示部の反復があり、それを除くと13分ほどと、これまでの楽章と同規模となる。なお、提示部の反復を行うのは、これまでで初めてとのこと。グロッケンシュピールの軽やかな雰囲気も手伝い、独特の楽しげな第1主題が踊る。雰囲気としては、マーラーの4番かベートーヴェンの6番かというところだが、とにかく主題の性格は明るく朗らかと言える。その第1主題が経過部・小展開を経て進み、同じく朗らかで伸びやかな第2主題が登場。少し不気味な音調に推移して、第1主題と対比する。そこから冒頭へリピートし、両主題の再提示を経て、鈴が鳴り響いてから展開部となる。第1主題をしばらく料理し、面白く展開する。ドラの連打なども面白い。主題は大きく発展して、第2主題の変奏も巻きこんで盛り上がる。そして、ティンパニのトレモロから一気にトーンダウン。再現部へ。提示部とは微妙に異なっており、再現部が第2展開部も兼ねる形式。第2主題も同じく、小展開が行われる。音調は明るく舞い上がり、再び鈴、そして鐘? も鳴って天国的雰囲気を演出。コーダで第1主題旋律を高らかに歌って、オスティナートとして執拗に繰り返しつつ、その推進力を保ったまま終結する。

 第2楽章も、14分ほどと規模が大きい。緩徐楽章となっている。冒頭より序奏無く、歌謡的な旋律が現れる。対旋律と伴奏の違いは曖昧だが、中間部との絡みも良い。しばらく穏やかに推移し、ハープのソロとなる。それへ乗って、オーボエ(かな?)の哀調なる第2主題。ここは、調も変わり一気に懐古的な、切ない音調となる。第2楽章は編制が縮小され、室内楽的な響きで全体が構成されている。第1主題へ戻って音調が明るくなり、すぐにまた哀調となる。中間部からじわじわと盛り上がって、後半にかけて厚さと高さを増してゆく。12分ほどで頂点を迎え、ゆっくりかつ切々と納まって、静かな終結に到る。

 第3楽章はメヌエットで、10分ほどとこれもメヌエットにしては規模が大きい。4/5拍子で、トリオは3拍子となる。メヌエットらしい朗らかな音調で主旋律が現れるが、5拍子なので、少し不思議な感じ。チャイコーフスキィ6番第2楽章の先例に準拠している、と考えて良いだろう。もちろん、曲調は全然異なるが。ピチカートとファゴットの、童話的世界を感じさせる経過部の後、トリオへ進む。トリオ冒頭は、完全にマーラー9番第2楽章のオマージュとなっており、荒々しい響きに支配される。大きく展開してから、後半はギャロップのような展開となり、面白い。さらにカオス的な展開からメヌエット主題が現れ、崩れ方はいや増す。そして冒頭へ。規模が大きいのは、トリオ分の展開が長く、大きいため。コーダも愛らしく、最後はまるで幻想的なバレエ音楽のようになる。

 第4楽章は早いフィナーレで、ソナタ形式。1楽章と同様、提示部にリピートがあり、14分ほどの楽章。朴訥な民謡風の主題でスタートし、しばし経過する。バロック風でもあり、ソ連リアリズム音楽風でもあり、印象的だ。小展開を経て、1分半ほどで盛り上がりの頂点を迎える。続いて、息が長くエキゾチックな第2主題が登場する。壮大に展開し、低音部による短いコーダからリピートされる。リピートは、展開部に木琴が加わるなど、変化が見られる。続く展開部は、速度を変えずに激しく燃えあがる。第1主題を凄まじい勢いで展開し、第2主題展開へバトンタッチ。狭い空間を疾走していて、急に広大な空間に出て眼前が開けたような雰囲気を味わわせてくれる音調となる。そして唐突に第1楽章の主題も鈴と共に登場し、循環形式っぽくもなりつつ、再現部へ。両主題を再現しながら小展開し、コーダでもうひと暴れ。打楽器もドカドカ鳴り、最後まで勢いを落とさずに駆け抜ける。実に爽快だ。

 全体に軽いタッチながらも、軽妙洒脱な変化があり藝が細かい。第4楽章が好き。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。


第7交響曲(2005)

 作者によると、第7はこれまでのドイツロマン派、あるいはソ連社会主義リアリズム路線と作風が異なり、言わばシベリウス路線となる。編制も2管に縮小、打楽器もティンパニのみ。4楽章制で、演奏時間は約35分と半分になっている。

 第1楽章は12分ほどのアダージョで、全曲中最も規模が大きい。オーボエの繊細な響き。フレージングの難しい、息の長い旋律線。電子音ではなく、ぜひ実演で味わいたい部分だ。弦を支えに木管やホルンに受け継がれ、佐郷好みのマーラー9番動機も密かに使用される。いったん盛り上がってから、次の展開へ。時折牙を見せる、不穏な空気感も良い。ハープが導き手となって、弦楽によるレクイエム的な音響へ。そこから鄙びた木管が復活し、音調が変わって明るくなる。ティンパニも轟いて、大いなる喜びを賛美する。壮大に金管が鳴り響いて、後半はゆるやかな歌の世界を垣間見せるも、すぐにホルンが不安を打ち出す。それを受けて、音調は複雑に変化し、推移する。ハープが終始重要で、全体を引き締め、誘導する。最後に、再び静寂が訪れて、光の奥へ旋律は淡く融けてゆくのである。

 第2楽章は5分ほどのワルツ。交響曲にワルツ楽章は確かにあまり例がないが、元祖はかのベルリオーズの幻想交響曲であり、チャイコーフスキィの5番で踏襲され、数少ない実用例が超メジャー曲なので意外と耳にしていると思う。ホルンと弦楽の導きにより、明るいワルツ主題。ここも、電子演奏ではなく実演で聴きたいところだ。ワルツ独特の弾み車のようなグルーヴ感は、やはり実演(ただし、ワルツをちゃんと演奏できるうまいオケ)でないと難しい。ハープコンチェルティーノかというほど、ハープがここでも活躍。中間部は、実用的な踊りというより、シンフォニックにワルツ主題が展開。いったん暗く沈みこんでから、後半にワルツ部が戻って、幸福感に包まれ終わる。

 第3楽章は短いプレストで、6分ほど。中低音の短い導入後、弦楽によるさらなる導入主題。ティンパニの一打と共に、金管で主要主題が現れる。英雄的戦闘的な進行をし、ティンパニが連打される。中間部は一転して、ハープ主導による第1楽章の雰囲気を取り戻す。それは一瞬の邂逅で終わり、ティンパニより主要主題が再開。後半に向けて展開し、金管による咆哮まで高まる。興奮覚めやらぬまま、一気に終結。異色な7番の中で、この楽章の性格は、これまでの諸曲に近い。

 第4楽章は、10分ほどのラルゴ。7番は、緩急急緩という面白い構成となっている。弦楽を主体として、管打楽器の使用は押さえられている。ハープを縦軸として、弦楽が横へ横へ無限旋律のような長い響きを紡いでゆく手法を採る。主旋律と、低音の木管とのからみも立体的で良い。中程で、ハープの連打を転換点に管楽器主体となり、少しの間、ソロ楽器の掛け合いとなる。緊張感ある鋭い和音動機を経て、静と動を交互に揺らぎ、彷徨いながら、終結無く、この楽章は霧の奥へ消えてゆき、全曲を閉じる。

 2007年にアマオケで、第2楽章のみ実演されている。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。

 また、当曲は作者のYouTubeもあるので同じく参照されたい。


第8交響曲「陰旋法」(2006)

 副題というか、表題に「陰旋法」とある。これは単に、陰旋法を使用して制作しましたよ、というほどのものと捉えるのが正しいのだろう。

 陰旋法とは日本の伝統的な五音音階のひとつで、陽旋法と陰旋法がある。陽旋法は民謡などに使用され、田舎節ともいう反面、陰旋法は箏曲や三味線に用いられ、都節という。

 従って、8番は佐郷には珍しく日本風だ。旋律線が得意な佐郷が、どう、陰旋法を扱うのか、聴く前に作者解説を読んだ時点で楽しみであった。

 4楽章制で、演奏時間は7番からまた少し伸びて、40分ほど。ただし、第3楽章と4楽章がアタッカで、つなげて演奏される。作者によると、第1・2楽章と第3・4楽章は、かなり趣がちがう。
 
 第1楽章は13分ほど。序奏とコーダの着いた3部形式というが、序奏付一元ソナタ形式と考えて良いと思う。序奏は、弦楽とハープによる、弱音のアダージョ。既に、旋法的旋律をしている。……ような気がする。いや、たぶん、している。ティンパニから雰囲気が変わり、緊迫感を有しながら徐々に速度を上げる。と、やおら五音階を使用した童唄風の主題が登場する。主題を様々な調子に展開しながら、ティンパニで今度は急激にテンポを落とし、続けてティンパニを締太鼓のように扱って夜桜舞う夢幻の世界へ。雛祭りの歌を思わせる旋律が、雰囲気に良く合っている。8分ほどで再び盛り上がりを見せ、第2展開部。音調を様々に変化させながら激しくアレグロで突き進み、派手で大きく盛り上がるコーダでは、逆に民謡風を感じさせない。

 第2楽章、12分半ほどの緩徐楽章。具体に大分の民謡「宇目の唄喧嘩」が、第1主題で扱われる。オーボエや他の木管より弦楽へ推移し、圧倒的に鄙びた調子を特徴づける。それから、第1主題の派生のような第2主題が弦楽で現れる。伴奏のピチカートとの絡みも素朴で良い。オスティナート様に繰り返しながらじわじわと展開しつつ盛り上がってゆき、5分ほどでティンパニも轟いて頂点を迎え、再びオーボエによる、どちらかというと日本民謡というより、古い教会音楽のような響きとなって終結する。そこから、第1主題が戻ってくる。すぐに第2主題へ至り、同じように繰り返しながら展開して盛り上がって、こちらもティンパニで2度目の頂点となる。いったん音量を下げ、再び第2主題を扱い、ティンパニの轟くコーダへ突入。金管も朗々と鳴り響いて、ハープのソロで終結する。

 第3楽章は、趣を変えたスケルツォ。6分ほど。5拍子。ピチカートから静かにスタートし、突然の強奏でインパクトを与えてくる。一気に盛り上がって推進力のある主題が現れる。民族的ではなく、陰旋法でも無い。ちょっとセンチメンタルで、まさに「哀しみが疾走する」タイプの、いつもの佐郷節と言えよう。中間部で、ティンパニソロを導き手とし、音調がより深刻なものとなる。そのまま経過を続け、どんどん疾走感を増して盛り上がって行き、頂点でテンポが落ちると、アタッカで4楽章となる。

 第4楽章はテンポを落とし、アンダンテほどで8分ていど。3楽章から引き続き、テンポが落ちると第4楽章。シベ2的雰囲気、あるいは千と千尋か。一気に大海原へ出たような爽快感や開放感が魅力的だ。朗らかな、これも佐郷節のゆったりとした明るくてどこか鄙びた旋律が、どこまでも広がってゆく。いったん低音部のみとなって落ちつくと、音調を変えて哀しみが浮かんでくる。主題が戻って、展開して行きながら穏やかな世界を形作ってゆく。ハープが重要な役割を果たし、彩りを添える。平明な書法ながら、色彩感は強い。ラストへ向けてもう一度主題が鳴り響いて、コーダへ。ティンパニも踊りながら、金管が輝かしく高らかに鳴り渡って、ティンパニのソロで場を締めつつ大団円。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。

 また、当曲は作者のYouTubeもあるので同じく参照されたい。


第9交響曲(2008)

 再びマーラー・ブルックナー路線へ戻った。大規模な楽章を持ち、4楽章制で約56分。それでも56分というべきか、やはり長いというべきか。

 第1楽章、アダージョ。演奏時間は、約18分におよぶ。作者によると、主題の明確な区別のない「ソナタ形式の亜流」のようなもの。無限旋律の、ワーグナー形式のようなものか。あるいは、マーラーの9番第1楽章の形式か。囁くようなトレモロと朝の鐘から始まり、オーボエ(?)により、静かに主題が明示され、それが弦楽へ引き継がれる。主題は、すぐさま展開を始める。アダージョの主題そのものの息が長いので、展開も実に壮大でおおらかだ。明るい音調で金管も伸びやかに鳴り渡り、やがて1つ目の頂点を迎える。そこから、通常ならば第2主題が現れる段だが、第2展開部ともいうべき部分へ。三連符が連なり、再び大きく山を形作って2つめの頂点となる。そして、テンポがやや上がってアンダンテほどとなり、主題がさらに展開される。ちょうど、中間部で静かになって鐘が鳴り……楽章は後半部へ突入。主題の派生はまだ続き、川の流れるがごとく連なる。たゆとう流れが第3の展開部となって、13分ほどから3つ目の頂点となる。まさに川の流れであると同時に、海原のうねりであって、寄せては引き、引いては寄せる。その大きなうねりが最後に押し寄せ、幸福感に包まれて、最後は鐘だけが残る。

 第1楽章完成後、約10か月後に完成したという第2楽章。約9分ほど。その間、劇伴の曲を書いていたそうだ。ワルツ〜スケルツォ〜ワルツの三部形式。7番に引き続き、ワルツが聴かれる。チャイコーフスキィも想起させる穏やかで明るいワルツ主題が愛らしく回り、その中にも、不思議な音調が混じる。唐突にワルツが途切れ、一転して緊迫した調子のスケルツォ。ティンパニも轟いて、5拍子でギクシャクした更新を演出する。スケルツォは短く、5分ほどでワルツが戻る。ただし、かなり展開されてワルツというより3拍子の交響的断章というべきか。最初のワルツ主題も顔を出しつつ、展開が長く続いて、最後数秒で終結部に到り、いかにもワルツ的な終結となる。

 第3楽章も緩徐楽章で、演奏時間は18分に及ぶ。作者の解説によると、冒頭の言による無調風の響きは、マーラー10番第1楽章冒頭へのオマージュであるといえる……とのことである。確かに、雰囲気といい、音調といい、まさにマーラー10番アダージョや、ブルックナー9番第3楽章冒頭を想起させるが、すぐに佐郷らしい哀調ある澄んだ淡い旋律が現れ、マーラーやブルックナー的な「濃さ」の世界とは一線を画す。その意味で、佐郷はまさに日本の作曲家……と云えるだろう。不協和音も現れ、不思議な浮遊感を積み重ねて行き、たっぷりと無限旋律的な動きを見せる。3分をすぎたころより、明るい音調となって、より澄みきった空気感を表現。息の長い盛り上がりで、金管やティンパニも轟き渡り、大きく発展して頂点を成す。それが唐突に途切れ、哀調感たっぷりの部分へ。弦楽による叙情的なアダージョがしばし続き、時折管楽器もアクセントで入ってくる。後半部には管楽器のソロも現れ、室内楽的な手法となる。14分ほどからのファゴット(だと思う)の高弦への絡みが、なんとも切ない。15分過ぎより冒頭の音調に戻りつつ、最後は吐息めいた旋律群が連続し、切なく歌い続けて、ピチカートで終結する。

 第4楽章は、10分ほどのアレグロによるロンドフィナーレ。なんと、ティンパニ奏者2人7台によるコンチェルティーノめいた饗宴がある。冒頭から、ティンパニの激しい連打と、楔のように打ちちこまれる一打。勇壮なA主題が、まず疾走を開始。逆行形のような展開を見せながら進み、悲壮感の漂うB主題へ。B主題も盛り上がりながら展開し、ティンパニソリが戻りA'主題へ。展開されたA'主題による推移の後、テンポを落として中間部であるC主題が現れる。悲歌のような、佐郷得意の哀調感のある叙情的な風が吹き抜ける。その中に、7分ほどより突如として8番のような民謡風の旋律の一節が現れる。そして、ティンパニのソリ。それを導入に、三度冒頭のティンパニソリの変奏からA''主題が登場。楽章は頂点を迎える。ティンパニ乱打もあり、全オーケストラが疾走しまくる。短いコーダを迎えて、爽やかで明るい終結となる。

 この楽章は、かなりカッコイイ。私はアマオケや吹奏楽で打楽器をやっていたので、打楽器好きにはたまらない。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。

 また、当曲は作者のYouTubeもあるので同じく参照されたい。 


第10交響曲(2009)

 続く、10番と11番はまた趣が変わり、どちらも演奏時間は25分ほど。ただし、10番は5楽章制で、11番は単一楽章である。

 しかも、10番はソプラノソロによる独唱が入っている。歌詞は全てリルケによる。DTM演奏でどう表現しているのかと思ったら、どうも、ソプラノだけ実在の歌手で別録りし、重ねているっぽい。

 第1楽章は5分。短くも激しい序奏から、切ない調子のオーケストラ。静かになり、ティンパにソロから勇壮な旋律へ受け継がれる。2分半ほどより、リルケが歌われる。かなり短いので、詩の一節か? 高音が伸び、ほとんどスキャットのようになっている箇所も。劇的な音調を移ろい、短い終結で結ばれる。

 第2楽章も5分きっかり。短い緩徐楽章。3部形式。ホルンを導き手に、弦楽が佐郷節の切ない調子で、気高くも叙情的な主題を放つ。主題が小展開しつつ、ティンパニの連打より大きく盛り上がって、金管も咆哮。大きなうねりを作り、揺れ動く。そして再び波が納まり、音調はより霧深い深遠な水の世界へ向かう。佐郷得意のドーム式緩徐楽章であり、短いが、その特徴が良く現れた佳品。

 第3楽章、4分ほど。ソプラノ入り。ピチカートの伴奏に木管が鄙びた主題を奏でる冒頭から、主題を弦楽が受け取り、2分ころよりソプラノがリルケを歌う。やはり、かなり高い音域を推移し、不思議な、幻想的な音調を保つ。その旋律を金管が受け取って間奏となり、その後、後半が歌われる。揺らめく波紋のような、風を受ける風紋のような、たゆとう雰囲気が面白い。

 第4楽章。ワルツ。5分半。ファゴットによるおどけた感じの音調が、楽章全体をイメージづける。オルゴールによる、どこか幻想的で、哀調があり、不気味な調子のワルツを思い起こさせる。中間部は大きな拍子となって、ゆったりと哀しみの歌が奏でられる。何かを訴えるような、切ない響き。そこから後半に至り、ワルツが復活する。ワルツは歪みを見せながらも盛り上がり、勢いを失わずに終結する。

 第5楽章にもソプラノが入る。4分半ほどの終楽章。低音が重々しく地の呻きを放ち、ここでも全体を貫く悲劇的かつ悲痛な音調が現れる。序奏を経て、リルケが歌われる。ハルマゲドンの日に、音もなく天使が下りてきて、人間を全て滅ぼすような美しさがある。あるいは、巨神兵による火の七日間か。音楽も激しくなり、ソプラノと対比する。最後に明るく転調し、救いが訪れる。

 全体に、交響曲というより交響組曲という作り。あるいは、オーケストラ伴奏付歌曲集の合間に間奏曲の入った形式。しかし、作者が交響曲と言えば、交響曲なのである。音調が幻想的で、かつ哀しみに満ちている中で、ソプラノの絶唱が印象的。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。

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第11交響曲(2010)

 同じほどの演奏時間だが、多楽章制の10番とうって代わって、単一楽章制となっている。

 三部形式というか、3つの部分に別れる。聴いた感じだけで言うと、第3部分が大きく全体の半分ほどを占める。

 冒頭は弱音のレントかアダージョ。調感の定まらぬ、模糊とした響きの中から、弦楽の悲鳴のような主題が登場する。苦悩と絶望、悲嘆に暮れる、なんとも重々しい響きがしばらく続く。ハープの響きも暗く、黄泉の川を泳ぐ白鳥である。弦楽により主題が繰り返されながら小展開し、5分ほどで金管が入り、音が厚くなる。ティンパニの絶望の太鼓に続き、トランペットの哀しみのひと吹き。嘆きの中で、ティンパニのソロ。金管も加わり、次第に魂の鼓舞として力強くなり、やおら、9分ほどより激しい戦いの意志を生ずる。

 ここから第2部となって、アレグロで雄々しい進撃調。A主題の後、B主題へ移って勇気を持って突き進む。が、全体に哀調が漂うのは佐郷節である。ティンパニやハープも激しい悲壮感のある進撃はしばし続くが、12分すぎでやおらトーンダウン。13分ほどから、第3の部分へ。

 一気に清浄感のある幻想的音調となり、鄙びた民謡調の主題が一瞬、現れてから、息の長い緩徐部へ。響きは、少しずつ悲壮や哀調から遠ざかり、明るく清らかなものへと進む。金管のコラール風の部分から、テンポを上げて木管の愛らしい田舎の歌。弦楽が受け取り、幸福感あふれるハープをバックに経過する。ところが17分ころより、またも響きは暗く切なくなってゆく。作者は、こういう響きや展開が好きなんだろうなあ。

 20分過ぎころよりまた明るくなってきて、今度こそ本当に厚い雲が晴れて日が差す。大きな広がりを見せ、金管も幅いっぱいに壮大なドームを形成する。そこからいったん、鎮まって祈りの静謐さとなり、ハープが慰撫の歌を歌って、魂は救済され浄化される。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。

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第12交響曲(2012)

 下記の15番が完成するまで佐郷の交響曲作品の中で、最大であった12番。4楽章制ながら、各楽章の規模が大きく、演奏時間はついに1時間を越え、約66分に到る。編制も3管に打楽器多数ということで、拡大されている。形式的にも、第3主題まであるソナタ形式などが採用され、マーラー・ブルックナー路線を継承する。

 第1楽章は約18分で、第3主題まで提示される。マーラーの3番なども第1楽章だけで演奏時間は30分を要するが、あれも第3主題まであり、ブルックナーの8番なども同様である。それらは3つの主題を律儀に大展開するので30分にも及ぶわけだが、佐郷の場合はそれほどではなく、展開部では第1主題を主に扱う。

 不気味なファンファーレと共に低音が蠢き、怪獣の出現のような冒頭。この激しい響きが、第1主題。小経過から低音木管の独白となり、旋法っぽい民族的で穏やかな第2主題となる。第2主題の経過部はやや長く、やがて第2主題の派生ともとれる虚無的な響きとなって第3主題へ。虚ろな鐘も鳴り、諸行無常。5分ほどでティンパニと共に展開部がスタートし、怪獣登場の第1主題が取り扱われる。変奏を続けながら行進曲調にもなり、スネアドラムも激しい突進となる。そして、ちょうど楽章の中間でいったん落ち着き、第1主題の第2展開部とも言える部分が開始される。そこから、(たぶん)第3主題〜さらに第2主題の展開となる。やや長い静かな経過部を経て、鐘がひっそりと鳴り響き、低音の大地の蠢きから第1主題が第3の展開を迎える。怒りの日の断片のような動機を見せつつも、コーダも終結も何も無く、ひっそりと暗闇に消えてしまう。

 第2楽章も規模が大きく、約20分。自由形式に近い。まず穏やかでやさしい主題に、佐郷が好きなマーラー9番4楽章の主要動機を模した(ような)動機がからむ。5分ほどでテンポが上がり、音調も明るくなって、やや田園調に推移しつつ光が差してくる。それがティンパニも加えて大きく発展して、いったん落ちつき、再び穏やかながらどこか哀調のある佐郷得意の鄙びた美しい旋律が現れる。その主題を発展・展開させながら、再び大きく、じわじわと盛り上がってゆく。その後、また音調が変わり、完全に自作第8番「陰旋法」を彷彿とさせる日本旋法の世界へ。子守歌か。やはり哀調漂うのは、実に佐郷的だ。それも気がつけば主題が変化しており、静謐で清浄感のある世界へ移行している。それがホルンのシグナルよりまた世界が変わり、悲劇的とも言える最後を迎える。何にせよ、楽章全体を覆い尽くすこの寂寥感と哀調は、佐郷の音色を決定的に特徴づけている。

 第3楽章は、10分ほどのスケルツォ楽章。諧謔的な冒頭から、ニヒルなスケルツォ主題が登場する。ティンパニとハープが、重要な役割をする。チェレスタも印象的に活躍し、室内楽的な書法が聴こえてくる。大きな編制で室内楽的書法というと、やはりマーラーやショスタコーヴィチの系統につながるだろう。3分ほどより、リズムを交錯させる強奏のアクセントが入って、その強奏が支配する展開となる。激しい響きが轟き、緊迫した音調となってゆく。それがトーンダウンして、おどけてアイロニーに満ちたスケルツォへ戻る。コーダでは、自作の「劇伴で使用した「人形のダンス」の旋律を使っています。」とのこと。確かに、どこかぎこちない、吊り人形のワルツといったイメージがある。最後の、発条(ゼンマイ)が切れたようなチェレスタのソロは、とても印象的で素敵な演出だ。

 第4楽章も、これまでに例のない規模の大きさで、17分ほどある。梵鐘のような、ボーン……という音が二度、鳴り、陰鬱な音調で終楽章がスタートする。さらに梵鐘は続き、弦楽がレクイエムを奏で始める。しばらくその絶望的な響きが続くが、3分ころより次第に光が当たってきて、視界と希望が開けてくる。そのまま、またしばらく緩徐楽章として推移し、少しずつ少しずつ明るくなってゆく。なってゆくが、トランペットの悲歌などが突然、現れるあたり、やはり作者の感性の中心はそういうところにあるんだろうな、と強く感じる。

 と、そこから一転して、ティンパニの勇壮なアレグロとなる。まさに何かの戦闘シーンの音楽のようなだが、勇壮かつ悲壮感がたっぷりとあり、まさにラスボスへ挑む進撃の歌であるが、13分ほどでまたも一転して静謐な調子となって、再び悲歌が聴かれる。その悲歌をたっぷりと歌った後、コーダへ向けて少しずつ音調を上げ、最後は勇壮にして勝利の喜びに満ちて終結する。

 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。

 また、当曲は作者のYouTubeもあるので同じく参照されたい。


第13交響曲(2015)

 4楽章制、演奏時間は約55分ほどと、再びやや縮小されている。特筆されるのは、全楽章が3拍子なこと。まるでシューベルトの未完成だ。ご存じの通り、未完成は未完成なので第4楽章は知るよしも無いが、第1・第2楽章は3拍子、第3楽章も残っている冒頭を参照するとスケルツォで3拍子だったという。

 佐郷も解説で触れているが、日本人は3拍子が苦手、という話は、特に吹奏楽やアマオケで楽器をやっている人なら、指揮者やトレーナーに言われた事があるだろう。と、いうのも、実際に3拍子を演奏すると、日本人は本当にドヘタなのだ。プロですら、ただ演奏してますよ、といった感じで、まるで動きのない(グルーヴィーでない)ボンクラな演奏をするオケすらある。まして、アマチュアが。ワルツなどは、特に苦手だろう。

 具体的にどうなるかというと、ワルツは 1、2、3 1、2、3 というリズムを、2、3 2、3 と、1拍目を最も強く(というか、勢い良く)鳴らし、2、3はスーッと流すようにしないと、とても踊れるものではないところ、日本人は律儀に 1、2、3! 1、2、3! と全拍ガチガチに演奏するのだ。

 ちなみに、楽譜にはそう(1拍目を勢い良く、あとは流して全体に流れるようなノリで)演奏しろなどと、いちいち書いてない。ヨーロッパ人は、何も言われなくてもそう演奏するのが当たり前だし、何も書いてなくても自然にそう演奏するから。つまり、作曲家はそう演奏されるのを前提にただ3拍子を書いている。

 私が教わった説によると、日本人は日本語の音節が2拍なので、民謡などの伝統音楽の音楽感覚が2拍子、4拍子で、3拍子というのはあり得ない。俳句や和歌は文字数が奇数だが、最初の5字の後ろに必ずウン(音楽で言う休符)が入り、全体で偶数音節になる。

 ところが、ヨーロッパのラテン語系統の言語は、音節が3拍なので、2拍子4拍子の曲もあるが、3拍子、6/8拍子の曲も多く、かつ自然に演奏できる(あるいは歌える)、というのである。

 例 I love you. 日本語カナ表記 アイ ラヴ ユー(2拍音節) 英語発音を無理にカナ表記 アァイ ラァヴ ユゥー(3拍音節)

 本当かどうかは知らないが、わりとそれっぽいな、と思っている。

 前置きが長くなったが、佐郷はそんなわけで、日本人としてあえて全楽章を3拍子で作ってみた、という、かなり面白い試みをしている。

 ちなみに、日本人の交響曲に3楽章制が多いのは、これもまた日本人の伝統的感覚として、序破急、あるいは、守破離、の感性が働いているから、だと思っている。フランク以来のフランス交響曲も3楽章制が伝統(4楽章の交響曲ももちろんある)だが、あれは第2楽章に緩徐部とスケルツォ相当の速い部分が合体している構造で、完全にスケルツォ楽章を欠く場合が多い日本交響曲の3楽章制と、根本的に異なる。

 第1楽章、ソナタ形式、演奏時間は約16分。息の長い序奏から、次第に主題が浮かび上がってきて、1分半ほとで軽やかな足どりの第1主題が登場する。経過部へ入り、ハープの音色も愛らしく移ろいながら、5分ほどよりアクセントの強いリズミックな主題が登場する。第2主題か。ハープが常に、システマティックかつソロイスティックに鳴り響くのも特徴的だ。展開部ではリズムが強調され、順に主題が扱われる。展開部後半はやや単調な進み方をする気がしなくもないが、ここは、3拍子というテンポの扱いが難しい曲作りの挑戦の素直な結果だろう。明るい雰囲気は最後まで持続され、再現部から華々しいコーダへ至り、オスティナートのように動機を繰り返して唐突に終結する。

 第2楽章、幅の大きなテンポの3拍子、緩徐楽章。演奏時間は19分に及ぶ。茫洋とした和音の中から、切なさに満ち満ちた旋律群が浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。ソロイスティックな響きが続き、孤独感が増す。5分ほどで、日本旋法的な響きに入ってゆくが、寂寥感やどこか不気味さすら感じさせる陰影は続いて、第1楽章の明るさと対比を成す。8分ほどで、ティンパニの連打と共にその主題は幕を閉じ、再び冒頭の雰囲気が戻る。掠れ掠れの弦楽の、夜に歌う響きは、何を訴えているものか。その主題も大きく展開して盛り上がり、ティンパニも轟いて頂点を築いてゆく。金管が哀調あるコラールを奏しながら、半音進行に近い奇妙な主題が現れる。それも納まると、次なる主題は、やや安らぎに包まれる。最後の主題は、3拍子をたっぷりと使った歌で、ハープも朗らかな印象を与えながらゆっくりと歌い継ぎ、静かに静かに、とても丁寧に弱音となって、祈りの中で朝を迎えるようにして、消えてゆく。

 第3楽章はスケルツォ、3拍子。11分ほど。3楽章も雰囲気がガラリと変わり、昭和歌謡のオープニングのような導入部。UFO!? スケルツォというより、不気味なメヌエット。サバトの饗宴か。しばらく踊りが続き、怪異達は興奮して盛り上がるが、中間部でテンポが落ち、引き延ばされた主題をじっくりと料理してゆく。中間部も大きく、かつ緊張感と切迫感をもって迫ってきて、その頂点で冒頭が戻ってくるが、まったく同じではなく、展開されている。主題が縦横に走り回り、特徴的で純粋にカッコイイ。この疾走感、しかもミステリアスでサスペンスな音調は流石だ。ここでも、スピードが落ちて、ふいに消えてしまう。

 そして第4楽章はワルツ。3拍子。8分ほど。ここまで、ワルツ楽章を何度か書いてきた佐郷が、満を持して3拍子に支配された交響曲の終楽章に、ワルツを持ってきた。冒頭より明るくストリートオルガンめいて、朗らかなワルツ主題。従って、13番は明暗暗明という構成になる。打楽器やハープも華やかにしばし祝祭的な雰囲気に包まれて円舞は続き、主題を繰り返しながら平和な音調で推移する。そして6分ころよりファンファーレめいた主題に導かれ、ハッピーエンドに向けて曲は一気に進んで行き、大団円となる。

 全楽章3拍子ということだったが、2楽章などは大きく拍をとってあまり3拍子を強調していないし、他の楽章も演出を変えてうまく響きに変化をもたせ、それほど違和感は無かったため、試みは成功したと評価できる。

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第14交響曲「KAGUYA」(2016/2020)

 解説によると、当初は交響詩として構想をしていたが、楽想が大きくなったものか、楽章制にし、交響曲とした……とのことである。楽章制の規模の大きな交響詩というと、ツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」などが思い浮かぶ。マーラーの第1交響曲も、当初は5楽章制の交響詩「巨人」だった。

 さて本作は3楽章制で演奏時間は50分と、相変わらずの規模の大きさが際立つ。標題性があり、ストーリーに沿っているためか、スケルツォに相当する楽章を欠く日本的な3楽章制になっている。

 第1楽章は17分に及ぶ。アダージョ・コンマエストーソ。「かぐや姫の発見と成長を表して」いる。笙を模しているという冒頭の弦楽に、拍子木が鳴る。やがて静かに浮かんでくる主題は、かぐや姫の主題だろうか。4分ほどでその主題がいよいよ大きく姿を現し、かぐや姫の登場となる。旋法的な姫の主題が展開を始め、楽器を増やして、速度も上がってゆく。8分ほどで、姫の主題の派生にも聴こえる第2主題が現れる。いや、それとも姫主題の第2展開部か。そうなると、今楽章は主題が1つの一元ソナタ形式ということになる。それから閑寂な部分に入り、しばし月見の夜となる。その部分が本当にじっくりと展開して行き、ハープの愛らしい伴奏に乗って、かぐや姫主題の変奏により、実に日本的な世界が描かれ、再び閑寂の中で消える。

 第2楽章はレント。「かぐや姫の成長後と月からの知らせが来るまで」を、描いている。演奏時間は約15分。緩徐楽章。アダージョの第1楽章も殆ど緩徐楽章のようなものだったので、音楽の性格的には、静静と続くことになる。ホルンのシグナル的な動機〜ハープの導きから、実に日本的でもの悲しい旋律が紡ぎだされる。既に、かぐや姫の別れの顛末を予見しているかのようである。その悲壮的な主題が大きく膨らみ、5分ほどでバスドラのみとなる。そこから、またも冒頭の笙の主題が現れ、かぐや姫が登場。しばし、物憂げに佇む姫の様子が続く。その孤独さが、ひしひしと伝わってくるような響き。10分をすぎたころ、感情が爆発して、衝撃的な別れの告白が成される。月から、迎えが来たのである。

 第3楽章はヴィバーチェ、演奏時間は約18分。「帰還への抵抗と月への帰還」とのこと。リズミックな刻みがしばらく続き、切迫感のあるアレグロ主題が登場する。5分ほどで疾走が止まり、静寂となる。重々しい響きがあって、太鼓連打から神秘的な世界が広がる。そこから眼前が開けて、壮大にして重厚、悲劇の幕開けとなる。かぐや主題も現れ、ついに姫は月へ帰ることへ同意する決意表明である。美しい場面がしばし続くが、やはり寂寥感と悲愴感はぬぐえない。楽章後半は、時間をたっぷりとかけて、クライマックスへ向かって突き進んでゆく。そして、ついにかぐや姫は安らかな心持ちで、天へ帰ってゆくのである。

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第15交響曲(2021)

 佐郷の交響曲作品の中で最大であった12番を超え、演奏時間はとうとうマーラーに匹敵する85分となった。規模の大きな4楽章制で、佐郷スタイルを崩さぬ正統な造り。

 マーラー、ショスタコ、ホルストなどオーケストラの名手名曲のエコーが無いといえばウソになる。だが、それがなんだ、という強さもあり、なにより、カッコイイ。好きなことを好きなだけ、やる。同人活動の原点にして最大の魅力である。

 第1楽章は、第3主題まである大規模なソナタ形式。演奏時間は約20分。これまでの佐郷スタイルを踏襲し、息の長いフレージングの大きな主題はあまり複雑に絡んだり大げさに展開したりはせず、チャイコーフスキィにも似た、主題の並列といった趣を見せているように感じる。

 激しく、かつ運命動機、戦闘動機的な悲壮感のある冒頭から、アレグロによる速い第1主題。提示部内で小展開をしつつ、勢いを失わずに推移してゆく。打楽器も鋭い。開始より4分半程でテンポが落ち、第2主題が現れる。緩徐主題というほどでもなく、アンダンテほどだが、明るく調子が変わりハープも鳴ってメルヘンの世界感を表す。だが、それも1分程でまた緊張感のある世界に一変する。ここが第3主題か。エキゾチックな動機に展開し、(おそらく)「怒りの日」の断片が聴こえてきた気がすると、すぐにまた雰囲気の異なる、最高に緊迫した部分へ。ここからが展開部だと思われるが、以降は、延々とまさに戦闘の音楽となる。戦いの神の戦闘リズムに乗って、戦場を勇者が駆けめぐる。しばし激しい戦いは続き、いったんテンポが落ちてから、音調を変えて、さらに継続する。そのまま、長く激しい音調は続くが、やがて終わりを迎える。再現部に入り、第1、第2主題も現れつつ、緊迫感を一気に増して行き、短いコーダで序奏のリズムを再現しつつ、最後まで勇壮に幕を閉じる。

 第2楽章は、16分ほどの、ロンド形式による大規模なスケルツォ楽章。深刻な短い序奏の後、A主題によるシリアスな部分がまず現れる。1楽章と共通する打楽器の焦燥感あるリズムに煽られて、どんどん突き進む。続いてB主題による朗らかな音調。これは、1楽章の第2主題に関係あるかどうか。速度があるので、雰囲気が異なる。また、哀調も感じられる。そこからA、B主題の展開が現れ、トリオ部に到る。ゆっくりと進んで、清冽な印象を残す部分であり、穏やかな音調となる。そこに、運命のリズムが帰って来て、A主題が展開して戻ってくる。続いて、打楽器の導きにより、どこか諧謔的かつコミカルな進行となる。そこに大きく、平和的な主題が重なって、壮大な響きを生む。A、B主題が戻ってきて、小展開しつつ続いて行くが、やがてどんどんと音量が小さくなってゆき、スケルツォ楽章にしては珍しく、そのの消えるようにして終結する。

 第3楽章は緩徐楽章で、最も演奏時間が大きく約25分。佐郷の大本領である(と思っている)壮大なフレーズがたっぷりと味わえるもの。2楽章のラストからそのまま続くような、静寂にして詩的な世界から、波紋のようにテーマが流れてくる。弦楽を主体にした長い瞑想的なフレージングに耳を傾けていると、まさに心が洗われる。動きは木管に受け継がれ、中音域にも動きが現れる。無限旋律がジワジワと広がってゆき、流れて来ては去って行く。茫洋としていつつ、クッキリと浮き立つ旋律の数々に、身を任せる。

 が、10分ほど過ぎたあたりでティンパニの轟きから音調が変わり、劇的な展開に。複雑に展開し、不吉な音が鳴り響くが、それはすぐに落ち着いて、再び平和な響きが戻ってくる。長い旋律が次々に現れ、引き継がれ、少しずつ調と趣を変えながら続いて行く。そして特徴的なハープのソロからまた雰囲気が変わり、オリエンタリックで、怪しいものに。そして、最後に感情が大爆発して、巨大なうねりとなる。そこから最後の流れが現れて、滔々と音楽の川を紡いで行く。最後に、清浄の鐘の音を合図に音調が明るくなり、壮大な天上へと導く。そしてハープの独白を合図に、楽章は閉じられる。

 第4楽章はソナタ形式のフィナーレ。演奏時間は約23分。マーラー6番のオマージュともとれる冒頭から、一瞬、「怒りの日」(たぶん)の断片が聴こえ、悲壮感に溢れる主題が堂々と現れる。第1主題は提示部内ですぐさま展開され、しばらく推移する。オーケストラがどんどん厚みを増し、開始7分ほどから、1楽章を彷彿とさせる行進曲調となる。音楽はさらに緊迫感を増して突き進み、巨大な(今度は間違いなく)「怒りの日」が轟々と鳴り渡る。そして、2つの主題が入り交じって展開して行く。運命動機リズムも再現され、重なって行く。10分すぎあたりで一端、納まり、第2展開部のような部分へ至る。1楽章の主題も再現され、循環する。そこから響きは平静を取り戻しつつ、緊張感は失われない。経過部の後、行進は立ち止まって、鐘が「怒りの日」の変奏を打つ。不気味なコラールが鳴り響き……再び最後の行進が始まる。そして打楽器の連打と共に、壮大なフィナーレが待っている……と思わせておいて、再び鐘やピチカート等による「怒りの日」の変奏主題が囁かれ……不穏のまま終わる。

 個人的には、佐郷のこれまでの作品の中でも、最も練りこまれた、深みのある響きがすると感じた。


 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。

 また、当曲は作者のYouTubeもあるので同じく参照されたい。


第16交響曲(2022)

 順調に創作を続けている佐郷であるが、さっそく第16番完成の報をいただいた。この創作力、そして継続力は、敬服に値するだろう。

 16番は新古典風になり、4楽章制で演奏時間は約30分。これまでのナンバーだと7番に近いか。古典的としつつ、楽風は佐郷節を変えておらず、ロマン派の味が色濃くあり、古典派後期からロマン派初期っぽいテイストと、佐郷節との融合が最大の魅力である。

 第1楽章、短い導入音からワルツっぽい第1主題。しばらくその主題を時に勇壮、時に平安にたっぷりと展開しつつ推移し、そのままコーダへ向かい、終結する。このことにより、一元ソナタ形式、あるいは序破急形式めいた、日本的な様相を形作っていると判断できる。全体に三拍子の雄々しい音調が、ベートーヴェンの3番にも似た雰囲気を演出しているが、英雄ほどドラマティックではなく、ライトな曲風が実に古典的と言える。

 第2楽章は緩徐楽章。佐郷の緩徐楽章は美しい旋律がひたすら鳴り続けて、時にそれだけで20分以上にもなることがあるが、ここでは9分ほど。そもそも交響曲の緩徐楽章といっても、本当はそれくらいで、マーラーやブルックナーが「やりすぎ」なのだ。また佐郷の緩徐楽章は、常に祈りである。祈りの音楽が、ここでも集中して展開される。八分音符による上下する旋律が細かく動くことによって、バロック的な雰囲気を出している。後半ではティンパニやホルンも活躍し、一気にロマン派に近くなる。また、暗闇の中で蠢く苦悶の声のような終結部は、現代の苦悩を表しているかのようだ。

 第3楽章、4分ほどのスケルツォ相当楽章。重いのだが、それを無理に軽々と演奏するような独特のワルツ主題がドスドスと飛び回り、トリオではそれがやや軽く、朗らかになる。それを夢のように通りすぎ、再びスケルツォが戻るも、絶妙に小展開しつつ、すぐに終結を迎える。

 第4楽章フィナーレ。いきなり、実に古典的な音調によるアレグロ主題が舞い踊る。(たぶん)第1楽章の主題も変形されて登場し、アレグロ主題と混合して元気よく展開する。一気呵成に推移し、ダレる部分が無く、最後まで突っ走るのが実に爽快だ。

 新古典派というのは「古典の皮をかぶったゲンダイオンガク」のことであり、その意味では、その意図の少ない(と、自分には聴こえた)当曲はシンプルに新古典風、初期ロマン派風というべきものなのだろう。その中にも、作者のオリジナルが刻印されているのが見逃せない。


 作者の個人サイトに、MIDI音源があるので参照されたい。

 また、当曲は作者のYouTubeもあるので同じく参照されたい。


 全体に一元的な構造で対旋律はほぼ無く、主旋律・平易な音調重視の、現代の基準に照らし合わせるとサントラ系交響曲に近い。一部例外はあるが、全曲を通してやや長く、構成的に間延びする部分が無いわけではないし、オーケストレーションや音響設定的にもやや単調で、やはりアマチュア(というより、DTM作家の特徴かもしれない)の壁をけして破るものではないが、反面、とても素直な、順当な形式や音調を好む、好感を持てる曲が並んでいると感じている。楽想の多彩さは特筆すべきであるし、なにより魅力なのは旋律線と、その楽想の豊か、そして創造の確かさ、継続の力だろう。

 また、主要な楽章を覆う寂寥感、哀調感、無常観が、たまらなく印象的であり、作者の好みなのか、無意識なのかは分からないが、佐郷の大きな特徴と言える。明るく華やかな調子の部分にも、どこか寂しげな、孤独な感覚がつきまとう。芥川也寸志にも共通する響きである。人によっては、おそらく「悲しそうな曲ばかり」という印象を持つかもしれない。だが、マイナー系の響きが好きな人(私だが)には、とても魅力的に聴こえるだろうし、ひとつの固定されたオリジナルとして強みがある。






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