6/24

 札幌交響楽団の第490回定期演奏会でストラヴィンスキー他を聴いてきました。マーラーもそうだがストラヴィンスキーも実演で聴くと意外な音色が耳に飛び込んできてうれしい。

 高関健/札幌交響楽団/清水和音Pf

 シューベルト:ロザムンデより間奏曲第3番(岩城宏之追悼)
 ストラヴィンスキー:バレー「ミューズを率いるアポロ」
 ラヴェル:ピアノ協奏曲
 ストラヴィンスキー:バレー「ペトリューシュカ」(1947)

 冒頭、先日亡くなった札響桂冠指揮者・岩城宏之を偲んでシューベルトをやる。初めて聴く曲だが、岩城が生前にアンコールピースとしてよく演奏していたとのこと。美しい歌にあふれた佳曲でした。

 私が直に岩城の指揮を聴いたのはもう10年ほども前、まだ札幌で勤めていた時代、手持ちの資料によると1997年7月15日(火)第393回定期演奏会にて本日と同じストラヴィンスキーのバレー3部作を一気に上演した。キタラがまだできたばかりで、演奏もホールに合わせて試行錯誤だったような気がする。それが最初で最後。先年の火の鳥全曲の演奏会が岩城の札響最後の演奏会となってしまったが、所用で行けなかったことが悔やまれる。

 さて演奏だが、1曲めはミューズを率いるアポロ。趣旨は分かるがこれは正直、
曲が悪い!!

 私はマーレリアーナーであるが、ストラヴィンスキーもストラヴィンスキニストといってよいほど超大好きで、たくさん聴いている。

 スキニストにとって、ストラヴィンスキーといえば3大バレーのみで語られるのがガマンならんというのは共通の想い。

 いわゆる新古典主義時代の曲こそ地味にストラヴィンスキーのメインといっても良いくらいなのだが、弦楽合奏で音色の変化に乏しいミューズは高名ではあろうが、面白いか面白くないかと云われれば、ぶっちゃけイマイチなのである。

 案の定、私の周囲の人たちはほぼ全員が頭を垂れていた。

 そもそもメインのペトリューシュカですら、帰りぎわ 「よく分からなかったけど雰囲気の良い曲だった」 とかオバサンズに云われていたほどなのだから、札幌の保守的な聴衆の啓蒙というのは良い企画だが、私ならもう少しウケをねらえそうな曲を選ぶ。(というかペトリューシュカも聴いたことないのか!!)

 例えば……やはり兵士の物語組曲、あるいはプルチネッラ組曲、また交響詩「ナイチンゲールの歌」も良い。せっかくならラヴェルではなくオールストラヴィンスキーにして、ピアノと吹奏楽のための協奏曲とかも珍しくて面白い。どうせミューズもペトリューシュカも分からないお客さんなら、それくらいマニアックでも変わらんだろ(笑)

 高関こだわりの対抗配置により音響的には面白く、ペトリューシュカは特に新鮮だった。

 ラヴェルはイマイチ合奏が甘く、せっかくのうまいピアノもノリが悪かった。まあ、アルゲリッチのようにはゆかんですよね。

 そのぶん、ペトリューシュカが良かった! ピアノにソリストの清水が入り、余裕の合わせ。トランペットも上手で、管がうまいと弦だって張り切る。札響はともすると線が細くナヨってしまう悪癖があるが、今日のペトは高関の指揮もノリとハリとキレがあって良かったせいか生で聴く醍醐味がありました!

 もうね、
29歳でこんな曲を書くストラヴィンスキーは天才中の大天才!!

PS
 ホールに展示されていた、岩城宏之追悼パネル展。
   

   ←ロビーコンサートも追悼演奏


6/23

CD雑記交響曲シリーズ第5弾

 フェルステル(1859−1951) 交響曲第4番「復活祭前夜」
 ハヌシュ(1915-2004) 交響曲第2番 ティンパニ、オルガン、ハープ、弦楽のための協奏的交響曲
 ドヴィアーシュ(1909-1978) 交響曲第2番

 ぜんぶチェコの作家です。

 フェルステルはどうも作曲家で2人いるらしく、

 アントン・フェルステルhttp://www9.plala.or.jp/dxc_opera/comp/f/foerster,a.html と
 ヨゼフ・ボアスラフ・フェルステルhttp://www9.plala.or.jp/dxc_opera/comp/f/foerster.html 

 ですが、こっちは後者。ナクソスでも新譜が出たので、これからメジャーになるかもしれません。私は前に買ったことがあり、そちらはチェコスプラフォン盤でスメターチェクの指揮。4番「復活祭前夜」は代表作らしく、ナクソスも同作の録音。作風は近代作家だがまったく古風で、真新しい響きは一切なし。正統的な純4楽章制で、アレグロ-スケルツォ-アダージョ-フィナーレという、いわゆる聴いて単純にカッコいい系のシンフォニーでしょう。40分と規模もあり聴いていて飽きず、特に4楽章はオルガンも入り、まずまず盛り上がる。素材のせいか、先日のフィビヒより、格調高いし、マーラーに傾倒していたというフェルステルの対位法的な書法も聴き応えあり。ただし楽想の割には展開に乏しく規模的にはやや不満。 
 
 ハヌシュとドヴィアーシュはチェコの現代作家で、「アンチェルの芸術シリーズ」 の一環。どんな由来の作曲家なのかサッパリなのでご勘弁。

 ちなみにハヌシュさんもチェコには作曲家として2人いるらしい(笑)
 ヤンのほうです。

 http://www9.plala.or.jp/dxc_opera/comp/h/hanus.html 
 http://www9.plala.or.jp/dxc_opera/comp/t/trnecek.html
 
 作風はまったくネオロマン風で、調性作家。併録のバレー組曲はブロードウェイ系。現代作家としてそういう懐古主義的な姿勢はどうよ、という意見もあろうが、いい仕事には変わりない。

 第2交響曲は祝祭的な雰囲気に支配され、フェルステルにもそういう意味では似ているが、牧歌的な響きも忘れずに、かつ現代的(というか近代的)な技法もさりげなく使われているもの。よくありがちな作風ではあるが、4楽章は鐘も鳴り、わりきった感じが好ましい。

 ティンパニ、オルガン、ハープ、弦楽のための協奏的交響曲はそれよりはかなり現代っぽく、特にアレグロ楽章(1楽章)におけるオルガンの半音階進行やティンパニの連打、弦楽のコセコセした扱いなどは日本でいうと芥川也寸志に似ており、ソ連音楽に傾倒したタイプなのだなあと思った。同じ社会主帰国だったからあたりまえなのだろうがチェコにもそういう作曲家がいたのだとちょっと感慨深くなった。2楽章の調性もよいが圧巻(?)は3楽章のフーガで、全楽器がひたすら高速でフーガを引きまくる迫力が面白い。弦楽を基礎に、ソロの3楽器がからむ楽しさ。しかしモノラルなもので音がつぶれ、けっこうメチャクチャに聴こえ、まあそれはそれで時代を感じさせてよかった。新録が出てほしい度が高いのはこっち。

 ドヴィアーシュの2番はアンチェル/チェコフィルが初演したらしいです。50分にもなる規模の大きな4楽章制の堂々たるシンフォニーで聴き応えがある。基本的には調性だがまあ適当に現代的な手法が入ってくるタイプで、なかなか良い。全体としてはハヌシュよりもさらにショスタコ、プリコ路線というべきか。1957年の曲なので、その影響が大きかったということだろうか。とくにスケルツォの代わりにプレストを使っているあたりが影響を伺わせる。しかしショスタコ・プロコって人たちは、いまさらながら凄かったのだと感じ入った。


6/18

 シベリアンタイガーレーベルによるテンシュテット秘蔵録音シリーズを聴く。しかし録音が悪すぎる! まるでFMエアチェックのテープを聴いているみたいだが、たぶんじっさいそうなのだろう。シベリアンタイガーはアメリカの超マニアによる個人レーベルらしいので、ゼイタクは云えないが。

 テンシュテット/ボストン響(すべてたぶんタングルウッド音楽祭)
 
 ヴェーバー:ピアノ協奏曲L1978 モーツァルト:クラリネット協奏曲L1979 シューベルト:第9(8)交響曲ぐれえとL1977 ベトーヴェン:第1ピアノ協奏曲L1980 ベートーヴェン:第7交響曲L1978 (ソリスト略w)
 
 ヴェーバーにPコンがあったとは不明ながら知らなかった。もともとコンチェルトやオペラに興味が無いからかヴェーバーはまるでチェック対象外の作曲家でして。古典的な外観が魅力だがテンシュテットの容赦ないロマン派なんだぞ攻撃にオケやソリストの懸命に付き従って非常に良い。録音の関係で★は4つ。しかしこの時期のボストンの客は必ず1楽章が終わったら拍手するのな(笑) そして、2楽章に鳥の声………!!(笑) これ、田園でもピーチクチュンチュン云ってたのは、録音じゃなくて本物だったんだ!!!

 併録のモーツァルトクラコンは録音がよく、大変な名演と思った。特にソロが良く、しかも面白いことにテンシュテットは伴奏が上手い。あんなメチャクチャに指揮をする指揮者が伴奏がうまいなんてちょっと信じられないくらいだが、コンチェルトの名指揮もたくさんメジャーレーベルで残っている。なにが上手いってソロとオケの間のかけあいが絶妙で、こら通の聴かせ方のような。表現としては、昔風のけっこう濃いいモーツァルトだが、暑苦しくなく、スカっとした演奏。健康系モーツァルト★5つ。

 ノッたテンシュテットの恐ろしさは、新世界とかのこういうド名曲で明らかにされる。このグレートの何がグレートかというのは難しい問題で、実は大して面白い曲ではなく、未完成のほうが遥かに芸術的なわけで、グレートに眠くなるという意味なら理解できるというもの。しかるにこのノリノリの解釈は! 未完成の対極としてのグレートだとしたら、こんな颯爽としたお祭りのようなグレートは無い! シューベルトの喜びの発露だったのでしょう。録音の関係で★4つ。

 ベートーヴェンはなんとPコン1番のみで1枚組! 2400円! 演奏は流石だったが、ややオケが重かったか。ソリストはヴェーバーと同じヒト。非常に盛り上がりつつも、古典派とロマン派の折衷様式を堪能できる。★5つ 7番は他の盤でもあったが、例に洩れず、演奏は良いが録音が悪い。★4つ。

 オマケで、VIBRATOのヴァーグナー。前に他レーベルでも出ていたやつ。ジークフリート牧歌 マイスタージンガー ヴァルキューレ第1幕

 しかしCDでオペラを聴く愉しみが今だに分からない。オペラ自体もよく分からないから尚更だ。まあ、演奏会形式というものがある以上、まったく否定はできないのだが。
 
 ジークフリート牧歌はしっとりとした演奏で叙情深く、ヴァーグナーの息子への想いがひしひしと伝わってくるよう。録音は悪いが、苦手なこの曲でもかなりよく聴けた。★5つ。
 
 マイスタージンガーは相変わらずの素晴らしさ。録音のみ残念。★4つ。

 ヴァルキューレ第1幕はおそらく演奏会形式。貴重で、好きな人は好きなのだろうが、録音が不鮮明で歌唱もかなり不明瞭。どうにも聴き続けられない。★3つ。


6/5

CD雑記交響曲シリーズ第4弾 

 エドムンド ラッブラ(1901−1986) 交響曲全集 1番−11番

 だれ、それ!? ということで、エゲレスの近代(というか現代)作曲家でつ。

 エルガー以降、RVW、バックス、バントック、アーノルドと、地味にエゲレスは交響曲大国です。しかし、RVWの影響か、その規模はあまり大きくなく、エルガーは別格としてこの中ではバックスがやや大きめかもしれませんが、ラッブラも当初はみな正統的な4楽章か3楽章制の30分程度の作品で、9番以降から合唱が入ったり単一楽章制だったりして独自の語法を探求しています。
  
 また王立音楽院で正式にホルストに作曲を指示しているためか、技法としてはもっとも構成力に長け、RVWより上手かも。

 作風は神秘的な和声を基調に近代的で刺激的な和声をエッセンスとして盛り込みつつ、たまに伝統的な民謡風の響きも入ってきて、打楽器や金管も活躍するがけして爆発はせずにノーブリーなエゲレス音楽の伝統を保っている………こんなとこでしょうかねえ。

 ちなみに交響曲作家というより、メインは合唱・宗教曲みたいです。だからか、シンフォニーにも旋法が多用されているとのことです。

 さて、肝心の交響曲だが、書法がもっともシッカリしているせいか、各曲個々は規模の割には満足な聴き応えがあるのだが、まとめて聴くといかにも代わり映えが無い。その割には純音楽に過ぎるため、面白くない。1番、2番はまだ若さゆえのハリキリがあるのだが、3−6番は本当になんか異様な落ち着きと渋さ。特別にこういう穏健な作風を愛する人以外は、あまりお勧めできない。RVWのようにすばらしい民謡旋律があるわけでもないし。(下手という意味ではない。) 

 7番と8番が、互いに3楽章制で、緩急緩の構成でやや独特の響きをしている。特に8番は某氏(知らない人)の追悼音楽らしく、美しさの中にも激しい悲しみが見て取れる。

 やはり完全に独自の語法を確立し、出来も良いと思われるのは9番−11番か。

 9番は合唱入り多楽章制(ただしアタッカと思われる。)のカンタータ風交響曲だが、なんという合唱の敬虔さ、神秘さ、ひたむきさなのだろうか。この合唱法は師のホルストの薫陶が大かと思われる。

 とはいえこの盛り上がりの無さもホルストの弟子っぽいというかなんというか(笑)

 10番と11番は共に15分ほどの1楽章制の音楽だが、晩年のものらしく透徹した魂の響きが素晴らしい。暗いというよりかシビアな音響がすごい。無駄を徹底的に排したわびさびに通じるものがあって嬉しい。

 というわけでラッブラの総括ですが、他の評によると1−7番くらいまで中庸という意見もあるが、それはそれとして、私は1、2番はなかなか面白い響きでした。3−6はさすがにマニアな好みによるが、7−8も内実があり、9番は神秘主義と祈りの感情が高次元でうまく一致して聴き応えがあって、最高傑作というカテゴリを設けるならば、10と11が文句なしといったところでしょうか。


5/31

 伊福部先生追悼で25弦箏によるサロメなどを聴きつつ、新譜でペッテションの第12交響曲を。

 cpoのペッテション全集で唯一未録音だったものが、ようやく発売となった12番。これでcpoの全集は完結となるだろう。(あとはヴァイオリンとヴィオラの大作協奏曲が出るかどうか。)

 他のナンバーも良いが、正直、似たような曲なので、格別のファン以外は、無理に全集をそろえる必要はないと思う。しかしcpoにせっかくそろっているのだから、その中からこれだけは聴いてほしいというのを選んでみると、 7番、8番、12番、そして裸足の歌、となるだろう。あとは、協奏曲もよければどうぞ、といったふうで、シンフォニーでは、9番、5番、6番、13番あたりも余裕があれば、という感じか。

 しかし12番は、これは唯一の合唱入りカンタータ風作品で、合唱部が異様に声部が分かれており、リズムも曖昧で、難解だと解説に合ったが、私としては他のナンバーより聴き易い。というのもやはり、ペッテションを聴くくらいの耳ならば他のゲンダイオンガクも少しは聴いていると仮定すると、この程度の旋律は難解の内には入らない。ちゃんと音楽している。そうなると、この緊張感や迫力を素直に楽しめば良いのではないか。

 伴奏が容赦なくペッテション節なのも、歌曲ではなく交響曲であると納得ゆく。マーラーの大地の歌みたいなのもで、歌入り交響曲で、伴奏が厚いのは歌曲ではない証拠だと思う。管弦楽と合唱が一体となる妙。さすがにcpoの新しい録音では、クリアーで、かつ、打楽器等も抑え気味ではあるが、悲痛な叫びや哀惜の感情も、素晴らしく表現されている。意外や合唱部はどちらかというと神秘的な響きで、管弦楽の悲痛な叫びを和らげる効果がある。それも面白い。

 しかもラストは讃歌のように盛り上がる!

 ペッテションにハマった人で、聴いたことのない方は必聴です。 


5/28

 おりしも在りし日のシノーポリの2番を教育TVで鑑賞しながら、バーンスタインのマーラーをいくつかまとめて聴いてみたことを書きます。

 バーンスタイン指揮/ヴィーンフィルとの4番、5番 NYフィルとの6番 パリ管との7番 ボストン響との9番

 DGの最終全集の3年前、1984年にに、同じボーイソプラノの兄ちゃんを使って、VPOでやっていた4番。演奏は文句無いが、ソプラノの兄ちゃん ヘタすぎ! 無調のゲンダイオンガクかと思っちゃったよ!  オケがうまいから★4つ。

 5番は1987年のプロムスだかなんだかに、ゲストで出たやつらしいです。これは前に知人よりコピーしてもらった物が正規盤として出たやつですが、これはなかなか良かった。なんだか知らないが、DGの演奏とはかのレーベルが恣意的にあんなドロドロにしてしまったとしか思えないくらいの、一体化した盛り上がり系の演奏。でも音質がやはりやや悪いので★4つ。

 6番は若いときのもので、モノラル録音。ソニークラシカルの旧録も1枚だったので、この時代は6番を早く演奏していた。さすがに音が悪く、しかもこのころのバーンスタインの6番はやたらセカセカして苦手です。まあまあうまいので★4つ。

 7番は秘蔵音源らしく、なんと晩年のパリ管!! しかも7番! フランスのオケのマーラーって、独特の音がするが、それがバーンスタインの指揮で、チグハグといえども、なんとも面白い味わいもある。85年のDGの7番は賛否両論の超ドロドロ演奏で、まるで妖怪物語だが、それとは似ても似つかない、けっこうハード系。やはり、こういう実例を聴くに連れ、あのドロドロはDGの捏造なのではないかという疑念は深まるばかり。音質悪く、★4つ。
 
 ボストン響との9番は、かのBPOとのガチンコライヴの3ヶ月前のものだそうです。オケのパワーは負けるのだが、自家薬籠中に手綱を操る様は見事。………と思っていたが、それは海賊を聴いてのこと。このメモリーズのものは、同じ音源なのかどうかは分からないが、なんとも、キレの無い、ボヘッ とした田舎臭い印象。なんででしょう。音も悪く、★は4つ。

 けっきょくみんな★4つ。バーンスタインの演奏は好きなほうだが、評価は難しい。

 シノーポリの日本公演は時間の関係で3楽章からの放映だったが、懐かしいヒゲヅラとメガネだった。メリハリの効いた演奏は、いまとなっては貴重なもの。あんまり好きな指揮者ではなかったが、惜しい人を亡くしたことには変わりない。


5/22

CD雑記交響曲シリーズ第3弾

 シュテインベルク(1883−1946) 第1、第2
 トゥビン(1905−1982) 第4「叙情的」、第9

 マクシミリアン シュテインベルク(シテインベルク)はリトアニア出身のロシアの作曲家で、ぺテルブルク音楽院に長く勤め、ショスタコーヴィチの師匠として高名なよう。またR=コルサコフの弟子で1歳ちがいのストラヴィンスキーとは同門。R=コルサコフの娘と結婚し、ストラヴィンスキーが師の娘の結婚式に小曲「花火」を献呈したときの結婚相手が、誰あろう彼。
 
 下のトゥビンと同じくヤルヴィの作品集を聴いたのだが、正確には初期作品集で、5番まである交響曲のうち1番と2番。作風はロシア・スラヴ系交響曲の王道を20世紀に残した最後の1人というもの。1・2番は若書きゆえの稚拙さは当然あるが、それをもって面白くないというのは甘い。

 彼が20代で既にこれほどの作品を書き上げていたという驚きが先で、同時期にまるで魅力のない交響曲ホ調が精一杯だったストラヴィンスキーと比べると、師匠が婿としてシュテインベルクを選んだとしても無理からぬことであり、シュテインベルクの才能と、ソビエト政府の厚遇にストラヴィンスキーがずーーっと嫉妬していたという逸話もうなずける。

 問題は後期作品なのだが、この作風のままで書法が熟達しているものであれば、悪くはないと思う。 

 ストラヴィンスキー先生は、シュテインベルクなどとは比較にならぬ20世紀の巨匠中の大巨匠という名声をもって、溜飲を下げて頂く外は無い。

 エドゥアルド トゥビンはエストニアの作曲家でショスタコーヴィチと同年代。歴史の中に翻弄された小国の中にもこういうすばらしい音楽家がいるというのは、感動的だ。交響曲は11曲もあり、立派なシンフォニスト、また数だけではなく質もなかなかのものがある。今回、札響で年明けに4番を演奏するというのでどんなもんか聴いてみた。

 まあ、骨太のシベリウスというか。シベリウスが森と泉の作曲家ならば、海の叙情があるというか。というわけで題名も叙情的という4番は、正統4楽章制で非常に盛り上がるよいものでした。それで11曲全部がそういった音楽となると、さすがに芸がないのだが、併録の9番が、2楽章制の、けっこう不協和音もある、重苦しい精神的な重荷を背負った系の音楽で、ヴァリエーションにも富んでいて面白い。これは、継続的に集めて聴こうと思う。同じくエストニア出身のヤルヴィ(親父)がライヴ録音でBISにて全集を作っている。


5/21

 キタエンコ/札幌交響楽団 モーツァルト:第36交響曲「リンツ」 ショスタコーヴィチ:第7交響曲「レニングラード」

 キタエンコって知らない人だったのだが、地味にカプリッチォでSACDによるショスタコ交響曲全集とか作ってるんだね! まあそれなりに聴かせてくれるだろうと期待。

 先日、スクロヴァチェフスキでモーツァルトを聴いた耳にとっちゃあ、さすがにキタエンコはまあフツーというところ。寝てる人多し。リンツってのも微妙な曲。趣向としては、生誕250年モーツァルトと生誕100周年ショスタコーヴィチの、同じハ調の交響曲、というものだったらしいが。凝りすぎだよ。(笑)

 さてショスタコ。しかし7番は長え〜〜!

 
とにかく長い! このひと言につきる!

 3楽章で具合が悪くなってきた。(笑) それは指揮やオケのせいではないと思う。曲の問題だ。招待された中高生とか拷問のように首を垂れていたし、せっかくの最後の盛り上がりに我慢できなくなってトイレに行った女の子、哀れ。(笑) 

 特に4楽章はひどい。アレグロ−モデラート−コーダ だが、モデラートが意味無く長い。管楽器を休ませているのだろうか? 私は聴き疲れしてしまって、「終わった〜〜!!」 という感動でしたが、他のお客にはウケが良かったようです。

 あと、スネアドラムの人は最初緊張のせいかガタガタしてて焦りましたが、途中から復活しました。(笑) やっぱり緊張するよなあ、アレ。(どこだか分かりますよねww)


5/10

 ショスタコーヴィチを2種類聴きました。

 スヴェトラーノフ/ソビエト国立響で7番 1978年ライヴ。
 シュウォーツ/シアトル響で バラード「ステパン・ラージンの処刑」 交響詩「10月革命」 5つの断章

 スヴェトラの伝説ライヴだかが正規で復刻。さすがに、やかましい演奏をしている。しかし思っていたより暴力的ではない。7番は好きか嫌いかと云われれば嫌いなほうで、特に4楽章がダメだ。2楽章は悪くない程度で、1楽章と3楽章だけが面白い音楽をしている。そもそもアレグロノントロッポの4楽章はどこがアレグロなのだろうか(笑) (それともショスタコ流の諧謔なのだろうか。) そして最大の難点はこのように巨大な交響曲に必要不可欠な楽章間における主題の緊密な連絡性というか構成を欠いていることで、マーラーやブルックナーの同規模の作品と比べると、まったくブカブカ響いているだけの張り子の印象を与える。つまりガワだけの中身の無い音楽という印象が強すぎる。スヴェトラーノフの演奏はさすがにそういう音楽に内側から圧をかけ、引き締めることに成功している。ラストのスヴェトラーノフクレッシェンドは相変わらず脳の血管がブチ切れる寸前で、日本のオケではこうはいかない。★5つ。

 本命はこちら。ナクソスの新譜で、ナクソスの存在価値ここにありといった素敵な盤。
 
 そもそも叙事詩「ステパン・ラージンの処刑」は録音が少なく、私も1967年録音の、プラハレーベルのスロヴァーク/スロヴァキアフィルのものしかなく、あまり良い印象を持ってなかったが、ナクソスを聴いて仰天、こんな面白い音楽だったくわ! と思い、プラハ盤を聴き直してみたが、録音が悪すぎて、やっぱりパッとしなかった。(笑)

 そもそも題材がマニアックで、ステパン・ラージン(ステンカ・ラージンともいう)とは、17世紀ロシアの農民戦争の指導者であり、裕福なコサック階級の出身だったがロシア帝国政府に対抗して農奴解放等を宣言して反乱を起こした。しかし自軍首脳部の裏切りと、西欧式の訓練を受けた政府軍に破れ、逮捕され、モスクワで処刑されたことを題材にしている。グラズノフも同じ題材で交響詩を作っているらしい。またこの乱は多くの民謡になって残っているという。

 晩年のショスタコがなぜそのような題材を選んだかも興味があるが、(ロシア帝国への対抗ということで革命前の英雄的行為とされたか?)音友の解説本にも出ていないこのマニア曲が実はバス独唱混声合唱管弦楽を駆使する30分のも大作で、社会主義リアリズム路線とはいえ、純粋に交響楽的面白さにあふれた、隠れた名曲だという点で、それを知らしめるナクソスの録音はとっても重要で貴重だと思う。特に合唱好きとティンパニ、タンバリン、打楽器好きは燃えまっせーッ! 断然★5つ。

 交響詩10月革命はまだ録音があるほうでしょう。ロシア革命は実は何回も行われて徐々にソビエトが確立されていった。日露戦争の後、1905年に第1次革命が行われ、その後、1912年までの7年間、実は皇帝は存在していて、小村寿太郎とポーツマスで交渉したウィッテが首相となり、改革が行われていたのだが、第1次バルカン戦争と第1次世界大戦で帝国はよけいな疲弊をし、1912年の2月革命でついに皇帝ニコライ2世が退位、臨時政府ができるが、10月革命においてボリシェビキが臨時政府を打倒し、レーニンが権力を掌握。翌1913年、世界初の社会主義国家、ロシア・ソビエト社会主義共和国が誕生する。
 
 革命ものとしては第2、第3、第11、第12交響曲が高名で、交響詩はイマイチマイナーだが、10数分の音楽で、革命歌が上手に使われて、これはこれでなかなか面白い交響作品といえる。あんまり聴いたことの無い曲ではあるが、ナクソスはまずまずアッケラカンと鳴らしていて音響として純粋に面白いと思った。★5つ。

 5つの断章は、1分2分の小品を並べたもので、まあ、こんなもん。★4つ。


5/7

 先日、札幌交響楽団の管打楽器奏者を中心に、トラを含めて総勢49人で編成された札響シンフォニックブラスの第3回演奏会があって、行ってきました。毎年よくなってゆきますね〜。相変わらず満席だったわ。

 1回目はこちらの5/2分 http://www.geocities.jp/kuki_kei/zakki3.htm
 2回目はこちらの4/29分 http://www.geocities.jp/kuki_kei/zakki7.htm

 を参照して下さい。

 尾高忠明/札響シンフォニックブラス及び札幌交響楽団 札幌市内の中学生共演

 第1部 札響スペシャルブラス
 中原達彦 「ファンファーレ」〜札響シンフォニックブラスのための祝典序曲
 山内雅弘 架空の伝説のための前奏曲(2006年度コンクール課題曲)
 木下牧子 パルセイション(2006年度コンクール課題曲)
 リード アルメニアンダンスパート1
 
 青少年と札響ブラスの共演
 ホルスト 吹奏楽のための第2組曲(札幌市内の中学生約50人と共演)

 第2部 札響−オーケストラの響き
 ムスルグスキー(ラヴェル編曲) 組曲「展覧会の絵」

 今年は指揮者もベテランだし、今まででいちばん出来が良かったです!! 尾高サンはブラスの指揮はやったことなかったそうですが、去年だかに芸大の吹奏楽団を指揮して、あれ、ブラスって面白いじゃん、みたいになったそうです。(笑)

 中原のファンファーレは初回に委嘱作としてやったものだが、2年ぶりに聴いたです。こなれた感じで良かったなあー。でも、ちょっとトチってたから、難しい曲なんですね。(笑)
 毎年おなじみの課題曲。私はコンクールはもう縁がないので、ふつうにオリジナル曲として聴く。まあまあ面白い。隣の席に高校の先生らしき人が座ってて、「うーん、なるほどなアー」 と尾高サンの指揮にそういう表現もありかとうなずいていた。でもアレはプロの表現力であって、コンクールでやっても点数低いような。パルセイションがリズム処理が面白かった。
 
 白眉はリードでしたね!! 私も何度か演奏したことがあるし、正直聴き飽きたといってよいリードの代表曲。アルメニア民謡のメドレー曲。
 
 
こんな格調高く、迫力があり、音楽的に完成されたアルメニアンがあろうとは!

 冒頭のファンファーレから音の圧力にド肝をぬかれ、次から次へとめくるめく音楽世界。これはそうか、組曲「アルメニアンダンス」だったか!! そりゃそうだよなー! それこそ、そういう表現があったか!! と、眼からウロコが5万枚!!

 そして最後の 「行け 行け」 が速いこと!! 

 
速すぎる!(笑) 尾高サン! ちょwwwノリすぎだよ!!

 びっくりしたなあー。しかも崩れねえし。(笑) ホントすごかった………。(少し崩れかけたけどwww)

 そして札幌市内の中学生が合流して、総勢100人近くでホルストの2組! 中学生上手だったよ! 尾高サンの指揮がまた見事! エルガーメダルの人ですからね。それがホルストの2組! それだけでも感動なのに、中学生たちも要所要所で札響ブラスメンバーと入れ代わったりして、100人全員で常に吹いている訳ではなく、音響バランスを保ちつつ、みんな真剣に演奏してた! 私はホルストの組曲で 「あんなの中学生がやる曲だ」 という発言を聴いたことがある。今にして思えば、吹奏楽界から足を洗おうと思った瞬間でもあった。

 もうこういう真摯な演奏を聴くと、そういう人も認識が変わると思う。そしてそういう演奏をしてくれた尾高サンと札響ブラスと中学生に感謝です!

 第2部はオーケストラの名人芸が楽しめるラヴェル大先生編曲の展覧会の絵。これも正直、聴き飽きた曲なんですよね。(笑) オーケストラには珍しいサックスやユーフォニウム等の管楽器のソロが多いので、吹奏楽の人にも楽しめるでしょうという意味合いです。カタコンプでちょっと落ちかけたのですが(笑)バーバヤガーで復活し、最後は大拍手!

 アンコールでも中学生が合流し、150人くらいで大マーチ!! ハルサイかマーラーみたいだったよ!! 曲目は香澄さんと札幌交響楽団打楽器奏者の真貝先生の情報によると去年のコンクール課題曲、南俊明作曲のマーチ「春風」だそうです。課題曲もああなるとまさにグランドシンフォニックマーチですね! あまりのすごさに笑っちまいました。って、弦楽は編曲したんだ。(笑)

 さ、来年も行こうっと。


5/5

 若杉/読響による伊福部:日本狂詩曲
 
 40年も前の1967年に有馬礼子がプロデューサーとして録音し、倉庫に死蔵されていたものが、復刻されたということです。CDの解説では、日本狂詩曲の初録音ではないかとあったが、その5年前の1962年に山田一男(当時和男)が東京交響楽団で録音している。

 演奏は、一昔前の演奏というのはこういうものかという点で、山田の旧録と一致している。つまり、打楽器はやや控えめ、テンポは遅め。もちろん2楽章の祭などもなかなか迫力があるが、新しい80年代以降の演奏のように狂乱というかまさにお祭騒ぎという雰囲気は無い。そして面白いのが、他の録音ではなかなか聴こえない部分の楽器がぴょーんと飛び出て鳴っている。トロンボーンとか。それが意外な効果を生んでいて、この曲を覚えるくらいに聴いている人は、なかなか新鮮だと思う。まあ良いか悪いかは、好き嫌いになってしまうだろうが。
 
 併録の有馬礼子の交響曲第1番「沖縄」は、交響曲のページに作りました。


5/4

 先日、札幌にN響や読響の定期ツアーに来日してるスクロヴァチェフスキがやってきまして、札響で聴いてきました。83なのに元気よねえ。

 親子で楽しむオーケストラと銘打って、何をしたかというと、ピーターと狼やハリー・ポッター組曲ではなく、

 シューベルト:未完成
 モーツァルト:第39交響曲
 モーツァルト:第41交響曲「ジュピター」

 
し ぶ す ぎ

 なんでも、N響や読響の定期と同じ演目を持って来ざるをえなかったということです。

 演奏はそりゃ良かったですよー〜。札響とは初顔合わせだったらしく、流れという点ではいまいち悪かった部分もありましたが、それでも、他の指揮者よりゃ、レベルが段違いでした。古典派といっても、あのカチッとした指揮ではなく、流麗というか、夢見心地な雰囲気というか、ふっくらとした艶やかさというか。うーん、とにかく良かった。ふだんモーツァルトなんか聴かない私がそう思ったのだから、古典ファンはすごく喜んでました。拍手が鳴りやまず、最後に巨匠がコンマスを連れて行ってしまって、良い雰囲気の中でおしまいになりました。

 思ったより親子も来てました。低学年児は途中で飽きてましたが、最後まで聴いてる子もいました。やれ頼もしや。


5/1

 CD雑記交響曲シリーズ第2弾

 エルガー(1857−1934) 第3交響曲(アンソニー=ペイン補筆版)
 マルタン(1890−1974) 交響曲
 エネスコ(1881−1955) 交響曲第1番 2番 3番
 (奏者割愛)

 これまたいろんな意味でマニアックなシリーズとなったが、エルガーから。
 
 エルガーの交響曲1・2番は何回か聴いてもよく分からなかったので、補筆完成版の3番もほっておいたのだが、聴いてみると意外にいい。(笑) あとで1・2番も聴きなおすときっと新たな音楽も聴こえてくるでしょう。その規模の大きさと反比例するような細かさがウリだとのことだが、3番も補筆の腕が良いのか、かなりゴージャスな響きに仕上がっていて、演奏もよい。

 マルタンはスイスの作家だそうで、しかもバリバリの現代作曲家。ストラヴィンスキーと同時代だが、さすがにスト先生と比べると見劣りする。交響曲は特に無調と半音進行の中間くらいで、いちおう楽章制だが、典型的な音色系交響曲でした。他の曲は、けっこうミヨーっぽい作品もあるみたいです。

 むしろルーマニアのエネスコのほうが面白い。作風は田舎くさい×(R.シュトラウス+ラヴェル)といったふうで、交響曲は番号が進むほどヴォリュームも上がり、特に3番は終楽章にヴォカリーズも入り、聴き応えがあったです。1番ではシュトラウス風のくっきりとした管弦楽法が目立ち、3番ではそれへラヴェル風の和声が加わるといった風情か。2番は中間。うーん、わかり易い。


4/28

 3/26に第3回定期を聴いた、札幌のアマチュア打楽器アンサンブル・クードゥバゲットのミニコンサートに足を運びました。平日でしたが、他の所用で急に夕方から札幌に行くことになり、たまたま日付が重なったので、聴いてみました。某星と女神のコーヒーショップの企画でした。

 会場は普通の○タバの2階で、ライヴハウスみたいな感じ。楽器との距離が非常に近く、コンサートホールとはまた違った響きで面白かったです。アコースティックなので、関係ないお客のしゃべりがやや気になりましたが、まあ、あんなもんでしょう。

 曲目は、司会があんまり聴こえなかったので良く分からなかったですが、定期の曲や、アンダーソン、モーツァルト、等、1時間ほどの演奏会でした。みなさん得意の打楽器があって、一口に打楽器といっても、木管楽器、金管楽器、弦楽器というカテゴリーと同類の幅があるんだなあ、と改めて感じ入った次第。

 もっともっと打楽器の魅力を広めたいなあと思い、こういう自らも楽しみつつ頑張っているアンサンブルがあると応援したいと思いますね〜。

出演者近影
   

   

   

 

 あと終演後会場近くでうまいイタリアンを食べて夜中に帰宅。養源郷であっさりと札幌の中華は極めてしまったので、次はイタリアンを探求中。
  
   

  めちゃウマかったです。


4/24

 今年はコンサートの当たり年です。 

 上半期だけで

 3/26 打楽器アンサンブル「クードゥバゲット」定期に続き
 4/23 真貝祐司カスタネットコンサート

 5/3 スクロヴァチェフスキ/札響 モーツアルト40番、シューベルト未完成
 5/6 尾高/札響ブラス 
 5/21 札響定期 キタエンコでレニングラード
 5/31 川上敦子Pf 伊福部昭追悼演奏会(東京)
 6/17 奥村智洋Vnコンサート (伊福部のVnソナタ)
 6/24 札響定期 高関でペトリューシュカ他
 7/2 井上/札響でカルミナブラーナ
 7/12 PMF 尾高/札響 武満徹演奏会
 7/15 PMF クライツベルク/PMFオーケストラ ショスタコ5番他
 7/22 PMF ゲッツェル/PMFオーケストラ バルトークオケコン他
 7/29 PMF ゲルギエフ/PMFオーケストラ ペトリューシュカ、チャイ5

 すげえ。。。
 
 23日は朝から井関楽器のスタインウェンホールにて札響打楽器奏者の真貝先生が講師となり、打楽器講習が行われ、私も参加しました。基礎講習など、20年ぶりぐらいだった。楽しかったです。カスタネット講習も行われ、フラメンコカスタネットの奏法を伝授されてきました。さらに、日本カスタネット協会にも入会しました。(笑)

 その後、真貝先生のカスタネットコンサートが行われました。既存の独奏曲の編曲ものです。なんと、ピアノやマリンバにカスタネットが入るという独創的なもの。
 カスパートは、真貝先生のアドリヴを譜面に起こしたものです。
 やはりショパンにカスタネットが珍しい発想で、しかも意外と合っており、非常に楽しかったです。
 
 プログラム
 カスタネット:真貝裕司
 ピアノ:野谷恵 向山千晴
 マリンバ:水谷明子
 ヴァイオリン:佐藤郁子
 
 ショパン:ポロネーズ短調 遺作(Ca Pf) 
 ショパン:ワルツ12番へ短調(Ca Pf)
 ファリャ:火祭りの踊り(Ca Pf)
 モンティ:チャルダッシュ(Vn Ca)
     人力車(Ma独奏)
 サラ・サーテ:チゴイネルワイゼン(Ca Pf)
 (休憩)
 リスト:嵐(Pf独奏)
 真貝裕司:お祝いのカスタネット(Ca独奏)
 チャイコフスキー:スペインの踊り(Ca Vn Ma Pf)
 ファリャ:スペインダンスbP(Vn Ma Pf)
 レクオーナ:マラゲーニャ(Ca Pf) 
 アンコール ワルトトイフェル:女学生のワルツ2番(Ca Vn Ma Pf)

 カスタネットという単純な楽器から、多彩な表現が引き出されていることがとても新鮮で感動し、面白かったです。

 出演者近影
 


4/19

 交響曲シリーズとは別で、ショスタコの14番を聴きました。CD-R盤です。
 
 ヤノフスキ/ベルリン放送響/ゲルネB/イソコフスキSです。

 2003年のライヴなのだが、しかし、怖い。旧ソ連の暴力的な狂気の演奏ともちがい、80年代の鉄のカーテンそのものというか、弦とかもう、冷えきっとる!! 歌唱はおそらく全編ドイツ語だと思います。新盤にしては、録音はあまり良くないが、補って余りあるこの緊張感。太鼓も地獄の荒野のシャレコウベが風に転がる音か、鈴が鳴る音か。歌唱も凄い迫力です。

 これだからあなどれねー、海賊。★5つ。


4/18

 いつか交響曲の項で取り上げようと思って買い込んだはいいが、長いもので3年以上もそのまんまのCD群を、とりあえずキリが無いので聴くだけ聴く事としました。

 ノルドグレン:交響曲第2番 4番
 フィビヒ:交響曲第1番 2番
 西村朗:室内交響曲第1番 2番 3番
 (演奏者は割愛)
 
 ノルドグレン(1944− )はフィンランドの現代作家で、舘野泉の友だち。日本に留学経験があり、小泉八雲のなんとかバラードというピアノ曲があるが、オケ曲も多いようだ。コンチェルトのCDがたくさんあるが、シンフォニーも7番かそこらまであるはず。
 初めて聴いたんですが、カオスというわけではないが、ふつうの音色型現代曲だった。(笑)
 単一楽章制だが、内部に4楽章を含んでいる場合もある。2番がたぶんそう。交響曲シリーズでとりあげるかは、微妙になった。
 
 フィビヒ(1850−1900)はドヴォルザークやヤナーチェクの後輩で、チェコの作家。
 民族系交響曲が好きな人ならば、充分に楽しめる。線の細いドヴォルザークという感じ。線が細いだけあってあんまり爆発しないので、やや物足りなくもある。
 正統的4楽章制交響曲です。

 西村(1953− )は実は、ドローンとした曲がドローンとしてて苦手なので、そのディスク数の割には聴いてないが、中に突然、リズミックな音楽があって、それは性に合っている。まあケチャとか巫楽とか、あとなんだ、ファゴット協奏曲とか、フルートと管打楽器のためのヘテロフォニー(だっけ?)とかは、面白い。
 いずみシンフォニエッタ大阪と云う室内楽団の委嘱シリーズで、日本の有名な室内楽団といえば紀尾井シンフォニエッタか、オーケストラ金沢かというところだが、大阪にもできたらしい。しかも、まずまずうまい。
 さて室内交響曲は、珍しく(?)リズミックな音楽が多く、とっても面白かった。室内楽という、編成の問題で、大管弦楽的な厚みのあるドローンが造りにくかったのかしら。
 3種類とも方向性を変えて作っているので、連作といっても、まったく別の音楽としても楽しめる。2003−2005年の最新作で、続きが期待できる。
 西村は抽象的なタイトルの息の長い曲より、こういう短いコンテンツを積み重ねた音楽のほうがぜんぜん好きです。

 ちなみにいま交響曲シリーズはマーラーの5番と6番を書いてます。COMING SOON!(笑)


4/14

 サードインパクトのようなジャケットは別にして、ロンドンフィル自主盤が好評のようで、続きがどんどん出るのがうれしい。テンシュテットの天地創造の全曲だよ〜。

 テンシュテット/ロンドンフィル/ロンドンフィル合唱団 ポップ/エヴァとガブリエル ジョンソン/ウリエル ルキオン/アダムとラファエル
 ハイドン:天地創造

 シンフォニーではオフザケモードのハイドン先生も、古今のオラトリオの基本中の基本「天地創造」では、大マジメというか。オラトリオというより、現代のすべての音楽の基礎がここにあるといってもいいでしょう。ここには既に、歌やオーケストラ表現の目を見張る完成形がある。

 テンシュテットの表現はしかし、この曲をいわゆる古典としては扱わない。あくまで造形美を意識した、古楽器を使ったようなあるいはそれを意識したような、後世の芸術として完成された表現というような、そういう美しい響きはしない。

 あくまで、汗くさく、生きていて、生々しく、音楽が躍動し、時に荒々しい。

 ハイドンっぽくないかもしれないが、当時の人々が、現代の我々が文献で知る生活ではなく、当時のふつうに生活していた人々が、こういう音楽を聴き、そして奏でていたのだろうという、ある意味異様にリアルな表現。

 彼のモーツァルトもハイドンも、シンフォニーも、そのように響く。ので、とうぜん、天地創造もそのように響いていた。

 他の指揮者で云うと、ベートーヴェンのようでもあるが、ドラマティック度というか、音楽の動きが自身のベートーヴェンに比べてまったく少ないので、テンシュテットはこれでも、ハイドンを演奏する為、淡々と指揮しているつもりなのだろう。

 そこがまた、なんとも面白い。★5つ。


4/8

 RVWとシベリウスの作品集を聴きました。

 シベリウスはヴァンスカ/ラハティ交響楽団で、第6、第7交響曲と、交響詩「タピオラ」という、後期3部作にしてシベリウスの最高傑作がまとめて聴けるというBISレーベルの優れもの。演奏は、ベルグルンドと比べると、まだ血が通っているというか、汗をかいているというか。けっこう温かみを感じるもので、とても良い演奏でした。6番とかも、印象が異なって聴こえた。春のシベリウスか。極北のような後期作品集にあって、とても聴き易くしている。特にタピオラの激しさは、神話的世界を彷彿とさせ、この名曲の側面を伝えている。7番も自然な流れで良かった。とあるシベリウスのファンページで推薦度が高かったので買ってみたが、まさに推薦に足る盤だと思う。BIS-CD-864

 RVWのほうは、ゲヒルン………じゃなくってゲヌインというマイナーレーベルで、けっこうマニアックなプロ。指揮とソリストがヴィーンフィルのチューバ奏者ヒルガース。フランクフルト・ブランデンブルク州立管弦楽団という長い名前のオケで、海の歌、バスチューバ協奏曲、第5交響曲。です。
 
 海の歌は、先日のなにわ「オーケストラル」ウィンズのイギリス民謡組曲(吹奏楽曲です。)にも入っていた曲で、もともと4楽章制だったこの曲が、出版の際に第2楽章「海の歌」を除かれて3楽章になったとのこと。その後、独立して出たらしく、しかもオーケストラ版である。単純な三部形式の中にも素朴な音楽がしっかりとした技術で書かれていて、なかなか良い佳品。指揮もしっかりしています。

 チューバ協奏曲は、曲自体が数が少ない為、内容的にもこれが聖典であるらいです。ここではルイークを指揮に迎え、ヒルガースがチューバを自在に操る。13分ほどの小協奏曲で、しっかり3楽章制。軽やかに鳴り渡るチューバというものがこんなに楽しいとは思わなかったですねえ〜。

 そしてメインが第5。大戦中に書かれたこの曲はしかしショスタコのようなドハデな戦争交響曲ではなく、もっと人間の内面性を掘り下げたような、渋く陰湿な内容ではあるが、4楽章でやや希望がみられる。指揮は………まあまあ。(笑)


4/6

 なにわ「オーケストラル」ウィンズ2003-2005を一気に聴く。関西を中心に、ふだんオーケストラで演奏しているプロ管打楽器奏者を集めた吹奏楽団。これを参考に札響シンフォニックブラスが生まれたのかもしれない。

 なにわと札響ブラスとの大きな違いは3点。

 ○なにわは年に1回の臨時編成であるが、札響ブラスは同じ年に1回の企画でも札響の管打セクション(特殊楽器のエキストラは除く)である。

 ○なにわはいわゆるA編成で、クラリネットも10人体制の、50人編成だが、札響ブラスはクラ3〜4人の、B編というよりむしろイーストマンウィンドアンサンブル形式のすっきりバンド。

 ○なにわは全プログラムがオリジナル・編曲込みの吹奏楽曲で、吹奏楽全体の振興という企画であると推測できるが、札響ブラスは前半プロが吹奏楽オリジナル曲、後半は弦楽セクションが加わり、管打楽器の活躍するオーケストラ曲を演奏してオケに親しみをもってもらい、中高生のブラス愛好者を将来の札響のお客として取り込もうという野心的な試み。

 さて、なにわの演奏を聴いてみよう。

 札響ブラスでも感じたことだが、うまいとか云う以前に、非常に音が澄んでいる。これはすごい。とくになにわは大編成であの響きは驚異的だと思う。同じプロでも、東京佼成とか大阪市音とかともぜんぜんちがう、まさにオーケストラの管楽器の音です。これは、ふだん吹奏楽しか聴かない人にはかなり新鮮なのではないかと思われる。

 なにより、例えば同じトロンボーンでも、ジャズ、ポップス、いわゆる吹奏楽、室内楽、そして管弦楽では、求められる音質や音色がまるで異なる。管弦楽でいえば作曲家ごとにすら異なる。

 というわけで、とても綺麗な音質と、ていねいな合奏、そしてプロならではの迫力が加わり、メッチャ高レベルの合奏形態が実現されている!!

 しかし不満が無いわけではない。 

 まず指揮者だが、コンクール常連高の指導者が客演で振っている。聞こえはいいが、ガッコのセンセだ。ブレーンあたりが1枚からむと仕方のないことなのだろうが、なにが悲しゆうてこんな立派なバンドでコンクールの指揮を聴かにゃならんのかのう。 

 まあ思ったよりかは演奏が良かったのが救いだった。プロだからってサドとか来られたら台無しだろう。シエナとか聴くかぎり。(笑)

 あとは、編曲ものが多いことか。これは好き好きだが、編曲とは再創造の一種だと思っている私は、ただ編成を変えただけの曲なんか聴く時間がもったいないとすら思っている。じっさい、あんまり面白くない。聴いていて飽きたのも事実だった。

 あと、やっぱりカットかなあ。大栗なあ。指揮者と作曲者の思い入れがあるのかもしれないが、コンクールの演奏なんかどうでもいいんだよ〜〜。作者と相談したとか、そういう問題じゃーないでしょーが。

 あとはおおむね、良かったですねえ! 特に、ホルストなんか、イーストマンよりずっと良かったなあ。決定盤ですな! RVWの原曲版のイギリスも良かったし、ミヨーも意外に録音がないので、この演奏は推奨盤として良いかもしれない。
 
 邦人では、町田の曲が面白かったなあ。まあ、流行りっぽい響きではあったが。

 5月6日には第3回の札響ブラスがあるが、なんと今年は音楽監督の尾高さんの指揮でホルストの2組!! 後半は展覧会の絵!! これもなにわとの大きな違い! これが実に嬉しい。また今のところ、常に札響ブラスのための委嘱作(ファンファーレとか。)で幕を開けるのも良い。


4/2

 ストラヴィンスキーをいくつか聴きました。

 ナクソスの、ロバート・クラフト/フィルハーモニア管/ロンドン響のストラヴィンスキーシリーズの第5弾。なんとプルチネッラの原曲と、妖精の口づけの原曲。マニアックここに極まれり。しかしようやく、クラフトの指揮でまずまず面白いと思ったのがプルチネッラ。ううむ、こういうのが得意なのか。けど妖精の口づけでダウン。まあこの曲はもともとそんなにパッとしたものではないからなあ。長い上に(ストラヴィンスキーの諸曲の中で最長の音楽。)パッとしないんじゃ、どうもならんべや。というわけで、プル★4つ。妖精★3つ。

 春の祭典。ラトル/ナショナルユース管で、1977年、ラトル23歳のライヴ! ですって! ううむ、天才の棒の冴えることよ!! 合奏は粗いけど。(笑)
 まあ2部の後半など、いきなり打楽器と金管がよくここまで鳴るなという、ワカゾーの指揮によるワカゾーオケの青春大爆発ハルサイ。まあしかし、ハルサイの録音の中でも屈指の出来………というテロップほどではなかったかな………。録音も古いし、勢いだけだし。。。★4つでお願いします。
 
 同録の、ドラティ/ロイヤルフィルによる火の鳥全曲のライヴ1976年だそうです。ドラティは3大バレーでも火の鳥がいちばん好きなのだが、なんかこれはイマイチ。オケのせい? マーキュリーに録音のあったロンドン響よりさすがに合奏が甘いかな………なんて。きれいな演奏ですけどね! ★4つでいかがでしょう。

 最後が、SACDでロイヤルコンセルトヘボウの自主盤だったかな? ヤンソンスでペトリューシュカとラフマの交響的舞曲です。SACDって、地味にライヴじゃあんまり意味がないのかもしれない。2004/2005ライヴの、いいとこどり。すごい前評判が良かったような気がしたが、これも、なんかイマイチ………。うーん、なんでだろう。気分の問題でしょうか? すごいスコアをよくこまかくやさしく丁寧に鳴らした演奏だったが、優等生っぽかったかなあ。SACDなんで○4つ。

 クラフトはもう別にして(笑)けっきょく3大バレーを全部聴きましたが、なかなか、おおっ! という演奏には出会わなくなってきた。奇をてらえば良いというわけではありませんが、いまさらスコアをきれいに鳴らしただけもなんだかなー、という贅沢な(?)聴き方になってきたのだろうか。反省。


3/31

 北方の鼓動 http://www5.plala.or.jp/forests/

 釧路を拠点に活動されている北方の鼓動が昨年のH17年3月に行った結成5周年記念演奏会の模様を収めたCDが同年6月に発売され、それを最近入手した。

 本名徹次/オーケストラニッポニカによる早坂文雄・伊福部昭の諸曲でメインは池辺晋一郎編による 七人の侍 の映画音楽組曲である。

 当演奏会は私も行こうと思ったのだが、年度末で休みがとれず断念したもので、こうしてCDになっていたとはつゆ知らず、うれしい限りだった。特に、西村雄一郎、池辺晋一郎両氏によるレクチャーが重要で、マニア垂涎のお話が聴ける。黒澤と早坂の関係、作曲の経緯などがすばらしい。

 演目は下記のとおり

 本名徹次/オーケストラニッポニカ/波塚三恵子Pf

 早坂文雄:羅生門組曲
 早坂文雄/池辺晋一郎編曲:7人の侍ファンタジー
 伊福部昭:弦楽合奏のための日本組曲
 早坂文雄:ピアノ協奏曲第1番

 芥川也寸志が新交響楽団の定期で演奏するため、早くから羅生門の演奏会用編曲はあったのだが、7人の侍は侍のテーマがたまに録音があるくらいで、演奏会用組曲はついぞ無かった。しょうがないからビクターの、佐藤勝による新録音のサントラ盤を長く愛聴していた。

 そこで池辺による名編曲である。シーンによって編成がまるで異なるため、けっきょく2管に編曲してしまったとは池辺の言。その仕事が、映画の雰囲気を壊さず、さすがに良い。映画音楽に通じている人ならではだろう。

 16分ほどの曲だが、10数曲は使用されている。手元のサントラ盤と比較し、テーマを確認したい。(あくまで私の推測です。サントラに無いシーンの音楽は分かりません。映画を音楽も覚えるほど観た人、教えてくだされば幸いです。)

 1.野武士のテーマ(弓弦の音は割愛)
 2.侍のテーマ I
 3.浪人のテーマ
 4.菊千代のマンボ
 5.侍のテーマ II
 6.志乃のテーマ
 7.麦刈りのテーマ
 8.?
 9.夜討ちのテーマ
10.?
11.恋のテーマ
12.ラストシーン
13.野武士のテーマ(弓弦の音は割愛)
14.侍のテーマ III

 これらが、いわゆるメドレー形式で流れるのだが、中身が良いから単なるメドレーでも立派に交響組曲となっている。題名のファンタジーは、伊福部昭のSF交響ファンタジーと同じく、幻想曲というより、単なる自由な形式で羅列したもの、ていどの意味だろう。池辺は東京音大で伊福部の部下として教壇に立っていたので、関係が深かったようである。参考にしたのかもしれない。

 あとはなんといっても、ピアノ協奏曲の初録音! これは貴重で、ナクソスよりも早い。

 演奏の精度はまだ向上の余地があるとはいえ、このなんともいえぬ艶といいニュアンスといい、表現はナクソスより断然上。しかし、この曲は早坂のオーケストラ純音楽の中でも、もっとも映画音楽の雰囲気を残した曲だと思う。ラヴェルのピアノ協奏曲のスコアを傍らにおいて参考にしていたらしいが、高音の進行や管弦楽法の響きがよく似ていると思った。

 伊福部の日本組曲は原曲のピアノ組曲と管弦楽編曲の日本組曲の他は、この弦楽合奏版、ギターデュオ版、ギター合奏版、あと2面の25弦筝版があるはず。正直弦楽合奏って、微妙に迫力がないというか、打楽器的な表現が多用な音楽なので、どうしてもねえ。なんか横に流れがちです。

 でも、初演の東京音大弦楽アンサンブルのやつよりかは、ずっと良かった。雰囲気が良かった。

 しかし7人の侍なあ。早坂の最高傑作のひとつでしょうね。やはり、21世紀は映画音楽組曲です!! 今後の新しい音楽潮流として定着してゆくのではないか。
 
 その意味で、このような名編曲の実例ができたことは非常に喜ばしい。今後も、この事例にのっとり、バンバン往年の映画音楽の編曲をお頼み申し上げたい!!

 そしてナクソスの次の早坂は7人の侍ファンタジーと交響組曲ユーカラできまり!!

 ※
ユーカラは昔の書き方で、いまはユカラとかいうふうになってます。(ラが小さい。)


3/28

 ナクソスの日本人シリーズ最新作、大木正夫をようやく聴く。おおむね良好だがたまーにハズレのある邦人シリーズでも、これは屈指の作。交響曲第5番「広島」は交響曲の項へゆずり、ここでは併禄の日本狂詩曲を。

 大木といえば、私にとってはビクター復刻CDの、諸井三郎/交響曲第2番の併禄だった「夜の思想」のイメージだった。同曲の解説においても、大木の録音は現在のところこれのみ、とあったような気がするが、タイトルのとおりえらい暗く、瞑想的な雰囲気に支配された曲で、「暗い作曲家じゃのう」 と思っていた。しかも、戦後のリベラル思想の最右翼(最左翼!?)を行き、カンタータ「人間を返せ」である。

 しかし、ナクソスにお馴染みの片山サンの微に入り細を穿ちすぎて相変わらず凄すぎな(笑)解説によると、元々は国民音楽派の明瞭な作風であったらしい。夜の思想は尺八の渋い音色と構成を管弦楽に移したらしい。なーるへそ。

 そこで1935年の日本狂詩曲を聴いてみる。前解説においてすでに 「底抜けに明るい」 と云われてる。

 じっさい、明るいだけではなく、軽い、さらに、異様な興奮状態。まるでWBCのイチローのごとき躁でハッピーカーニバル。これは確かに狂詩曲だろう。でも奇想曲的でもあり、いやむしろ狂想曲のイメージも強い。もはや狂躁曲と云っても可かも。(奇想曲と狂想曲は同じカプリッチオなんだけど、掛け言葉ネタということで。。。)

 2管編成であるから、じっさいオケの動きも軽いのだが、全体で3部形式、2部に相当する部分がやや長い。また、やたらと打楽器が鳴り響き、ティンパニのソロが頻繁に登場し、2部と3部の間にはソリ打楽器アンサンブルまで登場!! こいつはすげえ、こんな音楽が戦前の大日本帝国に!! ブラヴォーー!!

 ………とはいうものの、やや楽想的に物足りなく感じたのも確かで、民謡を発展させた旋律は悪くはないが、発展と構成に乏しく、12分は少し長いかもしれない。まあ、この辺は好みになるでしょう。

 面白いのがこのお祭り騒ぎと打楽器乱舞が、伊福部の同名曲を意識しているのではないかという指摘。だとしたらたぶん第2楽章の「祭」に対抗しているのは明らかだが、あっちの重厚さとこっちの軽妙さ、どちらも比較の妙があり、非常に興味深い。

 日本人の音楽は、まったく同時期の外国作品に負けていない。ますます強く感じる。

 ナクソスがんばれ!! これからも期待しています。 


3/26

 本日は札幌まで、打楽器アンサンブルクードゥバゲットの第3回定期演奏会を聴きに行きました〜。

 私は正直、ふだんは(打楽器をやるくせに。) 「オーケストラの中の打楽器」 により燃える人間なので、打楽器アンサンブルというのはあまり聴かない。何枚かCDをもっているていどである。あと、どうも現代打楽器アンサンブルは吹奏楽連盟主催のアンサンブルコンクール臭くて苦手だ。

 そんなわけで、滅多に行かないのだが、お世話になっている札響の真貝センセが音楽顧問を務めているので、質も高いと思い、聴きに行きました。

 野本洋介:打楽器7重奏のための「ザ ビッグディッパー」
 仙波清彦:オレカマ
 フォード:ストゥーバーニック
 ベッカー:ムドラ(スネアドラムソロ 真貝裕司)
 山澤洋之:彩〜sai〜2台のマリンバと2人の打楽器奏者のための
 ファリャ:菅原淳編曲 はかなき人生より「スペイン舞曲bP」 火祭りの踊り
 ホルスト:菅原淳編曲 火星 木星

 いやー、思ってたよりお客さんもいたし、ぜんぜん面白かったです。オレカマという皮膜打楽器のみのリズム音楽も面白かったし、1台のマリンバを3人で叩くストゥーバーニックも珍しかった。ムドラはもっとスネアが阿修羅のように乱打する現代曲かと想ったら、幻想的な伴奏にのって基礎打ちの嵐!! でした。不思議な音色だったなあ。

 彩も面白かった。季節の花をイメージした曲なのだが、それはイマイチよく分からなかったが(夜桜、紫陽花、楓だそうです。)響きが純粋に面白かった。

 あと、ファリャの真貝センセのフラメンコ・カスタネットソロね! すごい、単純な楽器なのにあの表現力!! うーん、習いてえ。(笑)

 ホルストは12人の打楽器アンサンブルバージョンだが、知ってる曲だから耳もシビア。しかしよく合わせたなあ。お疲れさまでした。楽しかったです。また来年も行こう。行けたら。



3/24

 藤井さんの 音楽との対話 でブルックナーを考察しているが、マーラーとブルックナーを両方楽しめる人はちょっとすごいというか、感心する。まあ、それを云えば、ハイドンとモーツァルトとベートーヴェンだって、ぜんぜんちがうけど、アレはアレ、コレはコレでみんな楽しんでいるので、あまり深く考えることでは無いとは思うが。。。

 しかしブルックナーに関しては、ますます、私とは水と油の音楽だと感じる。前からよくわからない音楽だったが、慣れてきたせいもあって、まずまず聴けるようになったと思ってきた矢先、またよく分からなくなってきた。

 そもそも性格に起因するのかもしれないが、私はたいそう せっかち なのだなこれが。優柔不断な自分にいつもイライラしてるという自己矛盾を常に抱えている我輩は、矛盾の塊であるマーラーにはいたく共感するが、朴訥素朴なブルックナーは、特に緩徐楽章は、神経に悪い。(笑)

 ブルックナーを聴くと安らぐ、などと云う人とは、たぶん精神構造が根本から異なるのでしょう。

 いつもお世話になっている札幌のCD屋さんのT店員さんもブルックナーが大好きで、ヴァントの来日には泊り込んで東京で全日程を聴き倒し、感動で腰が抜け、幽体離脱して終演後は立てなくなり、いまはスクロヴァチェフスキのブルにハマっているのだが、その人が云うには、U野さんではなが、ブルックナーはどちらかというと考えたり、人生ドラマとかいうのではなく、全体に浸るように楽しむ、のだという。

 森林浴や温泉みたいなものなのだろうか。。。??

 そういう音楽は私にとってはシベリウスなのだが(Tさんはそういや、シべリスウスも大好きだ。)ブルックナーは浸るには長すぎねえ?(笑) 
 
 確かに、我輩は温泉も長湯はしないなあ。のぼせてしまう。

 と、いうわけで。前置きが長くなりましたが、テンシュテットのブル4なんですね。

 初出。テンシュテット/NDR ブルックナー4番。日本向マニア盤専門のレーベルKARN。ドイツのレーベルかと思ったら、製作がドイツで、レーベルはネパールだそうで。意味がわかんねえ。(笑) 大丈夫か、内乱おきてないか? 毛主義派ネパール共産党なんとかせえよ。

 テンシュテットはマーラー指揮者のイメージがあるが、実はブルックナーのほうが手がけるのが早かったばかりか、ブルで台頭してきたらしいです。(一番録音が多いと思うのはベトですが。)

 そのテンシュテットのブルは3、4、7、8とナンバーが限られているが、特に4と8は得意だったらしく録音は多いです。8は誰の指揮でも苦手なんですが、テンシュテットの4は本当に良い演奏で、ほとんど唯一 聴ける ブルックナーですが、やはり本質は外れていて、Tさんが試聴でいうには 暑苦しい 汗臭い 張り切りすぎ そんな感じで、1楽章でおなかいっぱいみたいで。(笑) そんなもんなのかなあ、と。でも、私にはそれが面白い。茫洋とした地平線の向こうまで連れて行かれる演奏は、耳がマヒしてくる。だから最後まで聴けない。ブロック構造もとらえきれないし、エネルギーの蓄積と解放も、その解放の瞬間まで待てない。

 まあ、それで良いなら良いじゃないかというお話もあるでしょうが。

 スコアを純然と鳴らす様相とはほど遠い、この凶暴で先鋭で、特濃で圧力鍋の中みたいなブルックナー。北ドイツ放送響も、仲が悪かったはずなのに、これがなぜかテンシュテットの棒に異様に反応するオケなものだから、よけい質が悪い。★5つ。音質はやや悪いです。ブルックナーも実はつきつめるとオーストリア音楽で、ドイツ音楽ではない、ということだろうか。

 私にクラシックをいろいろと教えてくれた大学の先生は、大のブル嫌いで、ブルックナーなんか素人作曲家だ、と、いたくご不満だったなあ。懐かし。

 ペッテションの7番。たぶんライヴ盤は初めてかも。コミッショナー/スウェーデン放送響です。 

 かなり情緒的に湿ったペッテションで、あんな演奏、コンサートで聴いたら、どうなるんだろう。でも、やはり7番はまだ聴き易いので、救われているか。札響でやらねえかなあ。2006年度の定期ではパヌフニクとかトゥビンとかやるんだよなあ。そういう方向に行くのだったら、ペッテションもお願い。


3/21

 レヴィ/アトランタ響でマーラーの6番です。

 テラークの綺麗な録音は、バスドラや中低音の細かい動きをとらえていて、相変わらず良かったです。このコンビではバーバーのすごく良い作品集があって愛聴しているのですが、この6番もかなり高水準のモノだと思います。音質が良いというのもありますが、なんかかゆいところの音をよく拾ってるんですよね。

 しかし演奏のほうはというと、これがまたアメちゃんらしいエンタメ演奏。(笑) まあそれはそれで面白いんですが、マーラーというわりには、やたらと明るくて、ちょっと違和感がありました。特に4楽章がニコニコしながら指揮を振っているみたいです。こっちまで盛り上がってノリノリでハイになるような6番。まあ、それもアリですかね? 憎めない演奏です。★4つ。

 ペッテションの室内楽作品集。
 
 ヴァイオリン協奏曲第1番はなんとも、弦楽四重奏とソロヴァイオリンのためのもの。第1第2ヴァイオリンとソロの区別がつかなく、どこがコンチェルトなのかよく分からないが(笑) 響きとしてはたいへん面白いもので、彼の室内楽分野もしくは協奏曲分野での代表作といえるでしょう。しかし初演のさいは 「腹痛」 「製材所」 とさんざんに評されたそうです。フーガも素敵にイッちゃってます。

 奥が深いねえ、ペッテション。ねえ。みなさんも聴いてみて下さいね。


3/19

 量が多いので、何度か聴いていました、岩城/東フィルによる黛敏郎のオペラ「金閣寺」。

 三島の原作も読んだことないし、なにより脚本がドイツ語だというので、特に聴欲もそそられなかったが、中古で売ってたので聴いてみました。

 2枚組だが、この1991年のライヴ録音では、多少の割愛がある。しかし脚本を読むに、確かに、岩城の指示なのだろうが、やや漫然と流れる部分かもしれない。

 さて内容であるが、どこだかの評で、ドイツ語が違和感があり、黛っぽく聴こえない、とあったような気がしたが、確かに、云われてみれば、そうだろう。しかしそれはドイツからの注文なのだから、ある意味しょうがない。初演は1976年。12音や音列では無いように聞こえるが、純粋な調性でも無く、旋律は半音進行が主体で、表現主義ってよく分からないが、そういうふうな響きかなあ。たまーに、お経とかジャズとかのシーンで黛らしい強烈なリズムが飛び出すが、そうか、全体的にセリフに合わせてリズムが曖昧なんだな。だから、黛っぽくないとか云われるのかどうか。

 お話もなんだか暗いもので、金閣寺が燃えるというか燃やす人間模様の心理変化ですね。さすが三島というか、深い内容。

 だから、正直、あんまり楽しくないですね。(笑) 面白くはありますが。楽しくないけど面白いんで★5つ。

 日本人のオペラというのも、けっこう数があるんですが。(団とか特に。)あんまり音源や映像はないような気がします。
 
 あと、不思議というか、面白かったのは、歌の前にほとんど必ず、小声でセリフの入りを指示する音が入っている。例えば、まず小声で 「ダスリーベン………」 すぐに歌が 「♪ダースリーーベーー〜〜ン………」 てな感じ。岩城が指揮しながら歌手に入りを指示しているのを、ぜんぶ拾ってしまったのだろうか??? ある意味、臨場感あふれて良かった。
 


3/16

 フランツ・ヴェルザー=メスト指揮/シャロン・アンサンブル カリッシュ(A)エルスナー(T)
 マーラー:交響曲「大地の歌」(室内楽編曲シェーンベルグ/完成リーン)

 この室内楽版大地の感想などをザッとサーフィンしたが、おおむねイイ!って人とヘン!って人と別れてたですが、わたしもどちらかというとヘン!でした。悪くはないですが、違和感はぬぐえない。

 いきなりピアノが出てきてヘン!とかそういう単純な感も確かにありますが、この曲の根本的なとらえ方の違いが極端な齟齬を生じさせているのかな、などと。

 ということは、大地を交響曲としてとらえているかどうか? でしょう。

 イイ!って人は、何がイイかというと、通常版では膨大な管弦楽に埋もれてしまう歌唱部が、室内楽版ではより鮮明に聴こえ、隠れていた主旋律が再発見できて良い、という感じでした。

 室内楽でより主旋律が鮮明にって………
あたりまえじゃん。(笑)

 前に聴いたピアノ伴奏版では、私もそう思いました。そして、たった1回ですが、実演の大地では、伴奏のあまりの音量と歌唱部の聴こえなさにビックリしたのも事実です。(CDではマスタリングで調整もできるでしょう。)

 そこで我輩は考えた。

 ピアノ版 → マーラーは大地を歌曲として作曲
 
 通常版 → マーラーは大地を交響曲として作曲

 通常版の歌唱パートは
管弦楽の一部というのが一聴瞭然。この曲は交響曲であり、歌曲ではない。歌が聴こえるか聴こえないかは、全体の響きの二の次なのではないか。
 
 とはいえ、せっかく歌詞にこだわったのに何を歌っているのかまるで分からないのも困るというので、大管弦楽なのに室内楽的な書法という、マーラー得意の矛盾が矛盾のまま矛盾として提示される。矛盾が問題になっていないのが相変わらずマーラーらしい。

 となると、このえらい中途半端な室内楽版。

 珍版としか聴こえない。

 つまり、シェーンベルクは何を考えて室内楽版を作ったのか意図がようわからん、というのが私の感想です。大地を歌曲としてとらえていたということの再確認か??? 演奏はうまいので★4つ。

 ペッテションの歌曲集を買いましたが、ソプラノとバリトンで裸足の歌という変わり種。しかし、こっちのほうが面白いという評を読んで期待したが、ぜんぷソプラノのほうが清浄感があって良かった。やっぱり人それぞれなのですね〜。


3/14

 マーラーが学生時代に編曲してブルックナーに褒められた、ブル3のピアノ連弾版を聴きました。

 うーん、冒頭の30秒で、思った。交響曲がピアノ曲に! 

 いえ、あたり前なんですが(笑)、云ってる意味分かります? なんというか、編曲うまいな、と。マーラー。そんだけです、はい。ブルックナー、本当に分からなくなってきた。

 何が良いのだろう、この音楽………。難しい問題だ。これは本当に難しくなってきた。ブルックナー。困った。
 
 気を取り直し、わしのペッテションコレクションもだいぶんそろってきて、いま手元にある4枚でほとんどいまCDになってるやつはコンプリートかと。めでたい。新譜でないかな。

 ヴェステルベルク/スウェーデン放送響 弦楽の為の協奏曲第3番から第2楽章「メスト」 第2交響曲

 ヴェステルベルク(ウェスターベルグ?)って人は、けっこうペッテションを録音してて、しかもスウェーディッシュソサエティー、カプリース、そしてBISと、レーベルがバラバラ。しかももっと名曲があるのに、なんか今回のとか、カンタータ「人の歌」とか、マイナーなものばかり録音している。マイナーな人のマイナーな曲って、救いようがないじゃん。(笑)
 
 どっちも初期の音楽で、既にペッテション節全開ではあるものの、気鬱な感じや、闘争的な激しさ、怨念うずまくドロドロ感、それらの合間に一瞬間だけ見える救いの音楽(← コレがたまらん!)、そういうのよりかは、純粋に響きがゲンダイしてると、そういう音楽です。ので、やはりどうも、聴き続けられない。特に2番なんて既に40分もあるのに。(笑)

 メストってのも、25分なんですが、1楽章と3楽章を合わせると60分になる超大曲で、弦楽合奏としては最大規模の音楽かと思います。まあ、そのー、なかなか難しい曲です。
 
 次のCDに期待しよう。www


3/10

 ショスタコーヴィチもだいぶん新譜は買わなくなってきていますが、どうしても気になるのをいくつか買ってみました。

 まずフェドセーエフのオラトリオ「森の歌」です。森の歌自体があんまり録音が無いんですが、有り難いことに、スヴェトラーノフと初演者のムラヴィンスキー(歌詞がスターリン賛美の当初のままよ〜!)のものがあって、あとはいらないんじゃないかというほどだが、アシュケナージのあんまり聴欲をさそわないのが1種あって(聴いてない。)、たぶんアシュケナージのが最新だと思うが、ここでフェドセーエフである。しかも1991年の、ソ連崩壊寸前の録音らしい。うむむ、貴重だ。他にも探せばあるんだろうが、たぶん聴かなくても良いのではないか。

 ムラヴィンスキーは1950年の、初演の翌年録音で、残念ながら音質がよくない。スヴェトラーノフのものは圧巻のひと言につきる演奏で、78年のライヴ。これもすごすぎて音が最後割れている。

 フェドセーエフ/モスクワ放送響は、もっとも音質が良い。しかもスタジオなので傷も無い。スタンダードな推奨盤と云えるかもしれない。管弦楽もうまいし、合唱の迫力もまずまずある。少年合唱は指揮者のアイデアで少女合唱に変更され、なんとも清らかな雰囲気がただよう。そもそもショスタコはスターリンは嫌いだがけしてレーニンは嫌いではなく、さらには生涯党員だった。つまり彼は反体制どころか、熱心な共産主義者だった………とは、解説書の弁だが、云われてみればそうかもしれない。それはそうとして、社会主義リアリズムの最高傑作なのがプロコフィエフの諸作よりむしろ私はこの森の歌だと思うのであります。★5つ。

 そしてロストロポーヴィチ/モスクワ室内管による14番。でましたヴィシネフスカヤとレシェティン。初演と同じメンバーだが、ロストロのほうが狂的なアブナサは後退して、もっと音楽的な構造美とかを洗い出しているように感じる。1973年のライヴであるが、録音は悪いです。

 ロストロはナショナル響との全集の一部を買って 「やる気があるのかこのハゲ!」 と思ってそれ以来禁忌してたが、さすが今回は奥さんをソリストに迎えてるだけあって気合はいっちょる。良い良い。★5つ。14番ベスト入れ替えました。

 併録の珍しい曲は、ブロークの詩による7つのロマンス で、ヴィシネフスカヤSop ロストロポーヴィチVc オイストラフVn ヴァインベルクPf とまるっきり初演者どころか初演の4日後の録音らしい。歌というより音階のついた詩の朗読という特異な書法により、また、旋律も調性から12音まで7つの歌の中にショスタコの軌跡がつめこまれている。伴奏は極限まで切り詰められた室内楽により、虚無的世界からメルヘンまで幅広い。ショスタコ最晩年の精神を見ることのできる貴重な演奏。★5つ。


3/5
 
 いささか邦人の曲を聴くのも疲れてきたので中休み。(笑) まだちょっとある………。

 ベルティーニ/ベルリンフィル マーラー:第1交響曲 ライヴ1985

 ケルン放送響とのやつが91年だからけっこう前の録音です。しかも、意外や、我輩、ベルリンフィルの1番って初めて聴いたです。さすがにウマイがピッチが高く、聴きづらい部分も無きにしも非ず。1楽章がたいへんに遅くて、各テーマを丁寧に鳴らし、情景描写に力を入れている。そもそも交響詩だった1番は極論すれば交響詩曲ともいうべきもの。マーラーがわざわざ単純明解にして失敗した構造をわざと単純のまま小細工せずにさらけだした指揮。やはりこの曲は耳で流し聴きできる演奏のほうが楽しいのかも。

 2、3楽章も良かったが、4楽章でしかし、やや漫然としてしまった。CDというのもあるでしょう。ライヴ会場なら良かったでしょうが。やはりこの曲は録音には向いてない。かも。

 でも全体としてやはり上手なので★5つ。

 さて、私家盤だが、池野成の映画音楽集というのを買いました。池野は伊福部の弟子の1人で、2004年に逝去されている。アシスタントとして伊福部の仕事に携わって、やはり仕事のうちで映画で劇伴をやり、200本にものぼるという。ただし、残念ながら純粋音楽の分野で作品が少なく、なかなか実力を知ることができないでいるらしい。その中で映画音楽集が出たのは、福音だろう。関係者様のご努力に敬意を表する。

 まあ、映画といっても私は映画ファンではないので、知ってる映画はひとつも無かった。50−60年代の、往年の日本映画。

 本人は映画の仕事を嫌がっていたらしいが、出来はなかなかのもの。同じ伊福部の弟子でも、芥川や黛のけっこう芸術映画というか、劇伴といえどもオカタイ書法にくらべ、伊福部の娯楽音楽の要素をよく継承しているというか。 

 なによりジャズやマンボが上手い。昔の映画のキャバレーのシーンだそうだが、今でも通じるモダンさであり、いやむしろ、当時のキューバティンバレスなどにこだわった音造りは、昨今の軽いノリだけのスカポンラテンとは一線を画している。重くて熱くて、汗くさい音がする。太陽の音だ。黛ともちがって、ふっきれている。

 そんな中に、能とかのイメージも割り込んできて、「しとやかな獣」 では能楽とジャズのコラボ!!(笑) それの作曲の動機も 「監督が能や狂言の本を渡してくれて、こういう音楽をやってほしいのかなあ、と思った」 という程度だから、面白い。

 管弦楽では、ラヴェルやストラヴィンスキーのリズム書法なども聴こえるが、低音楽器が面白い。伴奏ではなく(伴奏もあるが。)主旋律をやる。テーマが、元から低音であり、低音好きにはたまらぬ音だろう。ブーン、ババーン、バーンと息の長いトロンボーンや弦バスで、全音符が並んで大きなテーマをつくり、それを縮めたテーマを他の楽器が繰り返し、打楽器が細かく彩りをつけるという手法が、独特のもので、かなり面白かった。

 池野成。またここに1人、作品を発掘してゆくべき作曲家が見つかった。(邦人作曲家って、ホントに何人そういう人がいるんだろう。。。orz)


3/4

 師弟を聴く。というわけでもないが、たまたま新作を買ったので、松村禎三と吉松隆を聴いてみました。

 松村のオーケストラ曲最新作 「ゲッセマネの夜に」 は2002年のもので、2管編成。オーケストラアンサンブル金沢の委嘱による。アンサンブル金沢は小編成、つまり室内オーケストラと云っても良い編成なため、かなり薄い響き。しかもトロンボーン、ハープ、ピアノを欠いているため、松村にしてはなんとも異質な響きでもある。演奏は岩城宏之/オーケストラアンサンブル金沢。
 
 ゲッセマネは地名のようです。イエスがユダの裏切りによってとらえられるのがゲッセマネの岩屋というところだそうですよ。

 http://www.ijournal.org/IsraelTimes/holyplace/gethemane.htm

 http://www.pinky.ne.jp/~butapenn/easter1.html

 松村が作曲中にずって観ていた絵は、ユダがイエスの手にキスをするシーンの絵だそうです。それを合図に、人々はイエスを捕らえた。しかし作曲はその描写をするのではなく、イエスのユダを見つめる眼差しが、とても透徹していたので、透徹のエネルギーにあやかりたいと、そういう意味合いらしいです。

 松村のオーケストラ曲といえば大質量大管弦楽が常套だが、こういう響きはチェロ協奏曲あたりからも聴こえるような気がする。じわじわした湿った迫力より、むしろ、非常に空気が乾いている。当夜の緊張の様子が伝わってくる。ソロの扱いも繊細で、松村らしくないといえば簡単だが、芸術作品を注文に合わせて書ける作曲家は本物だと思う。情景描写ではなくユダとイエスの心理描写にまで発展した音楽の貫き通すエネルギーというのは、さすがによく表現できていて、すごいです〜。オーケストラも薄いとはいえ、ここぞという響きの圧力も、さすが。管弦楽の厚さと、響きの圧は、あんまり関係ないのだという見本かも。特に、ついに人々が ドッ… とイエスにつかまりかかり、やがて誰もいなくなったという静寂を彷彿とさせるラストは、すさまじい。★5つ。

 吉松は相変わらずの叙情性だが、しつこいぐらいに捻ってあるので、そういう意味ではまったくゲンダインオンガクだと思うようになってきた。皮肉だ。

 まずは舘野泉のために書かれた、左手のピアノの為の 「タピオラ幻景」 です。舘野さんは1997年の札幌における伊福部昭音楽祭で、颯爽とピアノとオーケストラの為の協奏風交響曲を弾いていたが、脳溢血になっておられたとはねー。とはいえ、正確には 左手だけでも弾ける 音楽だそうで、両手で引くとよりラクチンという程度らしい。だから、すげー難しい。曲は、シベリウスオタクの吉松が、とうぜん交響詩タピオラと同じくタピオ(森の神)とその神の住む地タピオラの幻象景色をピアノに落としたもの。全5楽章。
 
 舞曲集といっても良いだろうが、光のヴィネット 森のジーグ 水のパヴァーヌ 鳥たちのコンマ 風のトッカータ という副題付。
 
 森のジーグは特に拍子と調が交錯し、吉松特有のスケルツォが難度を高めている。鳥たちのコンマの点描風の音楽も相変わらず。しかしいずれも、独特の透明感と清浄感があって、良い音楽です。

 基本的に左手用の為、音符の数も限定され、その中で、いかにイマジネーションが広がるかという点では、ヨシマツワールドはまさに旋律重視で、よく合っている。そして5楽章のシンメトリー構成は、ピアノの為の交響曲といっても良いバランスを聴くものに与えている。また舘野の演奏が、頭の中にオーケストラの響きが映像のように浮かび上がってくるような、本当にすごいすばらしい演奏。教育のピアノ講座(チラッッとだけ見た。)でも先生が、プロコのピアノソナタ7番で 「常にオーケストラをイメージして、ここの低音はただガンガン弾くのではなく、コントラバスやトロンボーンをイメージして、バーンバーンと………」 と云っていたのを見てもお分かりのとおり、オーケストラを知っているピアニストのピアノは、オーケストラの音がするです。これ本当。

 感動しました。

 チシャねこ風パルティータはピアノと打楽器のデュオといういっぷう変わった編成のもの。演奏家が作曲家を刺激し、そのために曲が書かれるというのは古来よりよくある現象だが、現代においては編成が多様なので、やはり曲も多様となるのは面白いところ。そのうち、カホンとオーボエのためのソナタ、とか出てきそうでワクワクする。

 ピアノ:小柳美奈子 打楽器:山口多嘉子 の パドゥシャ というデュオの為の曲です。なんとはじめの献呈より機会を重ねるごとに曲数が増えていって、さいしょお祝い曲として1曲、次にリサイタル用に7曲、そして録音用に9曲と。(笑)

 プロローグ 猫ステップ 走れ、猫よ 夢猫のダンス ひげの思想 尻尾のワルツ 猫スクランブル ボス猫の行進 エピローグ 
 
 さりげなく ねこふんじゃった が入ってくるあたりも吉松らしいです。全体的に浮遊感とポップな感覚にあふれた、ネコ活劇とも云える軽いステップの楽しい音楽です。まあたしかにネコはめんこい。めいこいが、我輩はネコアレルギーなので、特に室内ネコがいる家ではクシャミが止まらなくなる。。。

 したがって、この曲も聴いていて可愛いが鼻がムズムズするような。(笑)

 同アルバムにある他のナンバー 4つの小さな夢の歌 プレイアデス舞曲集IIIa もけっこう良かったですよ。


2/26

 先日、定期としては24年ぶりの、札幌交響楽団オール武満徹プログラムに行ってきました。

 尾高/札響 武満:弦楽の為のレクイレム ア・ストリングアラウンドオータム トゥイルバイトワイライト ウォータードリーミング 波の盆
 廣狩亮Va エミリー・バイノンFl 

 さいしょ、時間ギリに行ってキタラの案内の人に案内してもらったら前から5番目! あれっ、こんな前の席を買ったっけ? と思ったが、もう時間がない。楽団員はよく見えたが、音はバイオリンが近すぎ。

 したっけキタラの人、間ちがえてやんの。(笑) 2階席の前から5番目だ! 音響のもっともいいSS席を買ったのに、A席に案内された! 前半プロはすごい損した気分だった。(笑)

 弦レクはもう覚えるくらい聴いているけど、不幸中の幸いか、前から5番目のA席で(笑) バイオリンの楽譜が見えた! ぜっっんぜん読めねえ!(笑)

 だいたい指揮がわかんねえ。尾高さんの。(◎ω◎;)

 そういやあ、チェロ弾きの友人が、前に所属していたオケで弦レクをやったことがあるが、これが複調ってやつか、と感嘆したそうですよ。チェロのパート内でも、複雑に別れていたとかなんとか。。。

 まあ武満の音楽はそういう 響きのグラデーション を生(き)のまま味わうものであるから、聴き手としてはこだわる必要もないのでしょうが。

 なにせ竹林に吹き渡る風、浜辺に打ちつける波の音をそのまま楽譜に起こしたらこのようになった、というのですから。

 ア・ストリングアラウンドオータムはビオラ協奏曲であるが、録音は小澤/サイトウキネンオーケストラと今井信子のがあるのみですね。たぶん。定期に行く前に何回もそれを聴いて予習したが、雰囲気はつかめた。オーケストラは秋の情景。独奏ビオラはその中を歩く人間………。廣狩さんは札響の首席奏者です。なんとも秋の寂しげな風景の中の儚げな佇まいが、よく表現できていました。良かった。

 トゥイルバイトワイライトは武満の中ではマイナーな曲ではあろうが、録音は意外や多い。しかも尾高さんも十八番のようです。Twill から Twilight へのこれまた光の移り変わりの情景、すなわちグラデーションが、管弦楽で示される。もう、千秋の演奏を聴くのだめ状態。ほわーんとして、空気の響きの中に身も心も融けてゆく感じでした。1階席だと、天井から音が降ってくるようでした。(天井に反響板があるから当たり前だが。)

 2階席では、それがまた跳ね返って、ホール全体を包み込む。なんともいえぬ至福よのう。

 ウォータードリーミングはフルート協奏曲で、コンセルトヘボウの首席奏者というバイノンが、なんとも綺麗な音色を奏でていた。アンコールはドビュッシーの小曲でした。このなんとも透明な音色の札響とフルート、さらに透明感が売りのキタラと、もう世界最強最高の武満徹です。

 波の盆はTV音楽からの組曲(続けて演奏される。)だが、武満が禁欲の中に隠し続けていた歌(旋律)が後年になって徐々に解放され、TV音楽という媒体を通して全開する作品。ドラマを知らないのでどのようなストーリーに付随する音楽なのかは分からないのだが、途中にはアイヴズ級にマーチなんかも入ってきて、面白い。

 正直、お客の入りは6割ほどだったが、みなが武満を共感して感銘した、すばらしい演奏会でした。 資料はこちら。


2/24

 松岡みやびHarp 黛敏郎:ハープのための六段

 邦人でハープの曲、あるいはハープを使った曲というとやはりハープ好きだった武満を思い浮かべるのだが黛の曲は知りませんでした。

 オケ聴きにとってハープというと我が祖国「ヴィシェフラト」冒頭の2台によるカデンツァだろうが、あの優雅な響きの足元で、まさに水面下の白鳥のように激しい動きがあることは、客席からはなかなか分からないように思う。女性ハーピストは大きなドレスで足元が隠れるのでなおさらだろう。

 グランドハープは半音を出すために足元のペダルを両足で踏んで操作するわけだが、それがかなり硬いペダルなため、すごい音がする。音けしのフェルトが古くなっているものなどはもう、騒音の域に達する。自動車のクラッチとはわけがちがう。

 以前、市民オケで、セミハープ協奏曲ともいえるブルッフのヴァイオリン協奏曲をやったとき、札響のエキストラのハープの先生に来てもらって、たまたまティンパニのすぐ側に座って、つぶさに観察することができたのだが、先生曰く 「うるさかったらごめんなさいね」 

 うるさい?? そんな大音量で演奏を??? などと思ったがそんなわけもなく、その時は意味が分からなかったのだが、練習が始まるとすぐに理解。

 花のワルツとはモノがちがう、その複雑な進行に、

 ポロロン、ポロロロン ガコッガコッ!
 
 ポロロロロン ガタンガタンガタン!!

 えっ、何の音? エッ!?

 みんな見る見る。(笑) ハープの事情を知ってる指揮の先生だけニヤニヤ。

 (先日の夕鶴のハープの先生も同じことを練習前に云ったが、今度はわしも知ってたもんね〜。)

 しかしあんなに音が鳴っても、意外と客席では聴こえないものなんですね。ドレスが防音になるから?

 話は長くなりましたが、六段の2楽章にはボディノックが、そして4楽章には、このペダル操作の音をわざと鳴らしてノイズを出しています!

 ピアノ等の特殊奏法に通じた黛ならではの発想だが、CDでは別段、そんなには聴こえないですが。(耳だけではボディノックと区別がつかない。)

 3楽章や4楽章には弦を異物で擦って、電子音のような音を出しているのも面白い。電子音楽を経験した者でないとできない音でしょう。ビヨ〜〜〜ン………。という音です。

 それがまた、ただ鳴っているだけではなく音楽として効果的なんですね。それがすごい。ハープでグリッサンドしてるのもなんとも。。。

 全体としては箏曲「六段」の旋律による変奏曲です。10分ほどの、非常に珍しく、面白い音楽でした。


2/19

 アシュケナージ/オランダ放送フィル レスピーギ:「ベルファゴール」序曲 「シバの女王ベルキス」組曲 交響的印象「教会のステンドグラス」

 オケ版ベルキスの新譜がなんと国内盤で出ました。というか、遅いだろう。日本でのみ知名度が高いのだろうから。

 なんといっても吹奏楽出身として、ベルキスはむしろローマの噴水あたりよりメジャーかも。アシュケナージのCDなんてまるで買う気無かったが、ベルキスならばまあしょうがない。

 オケ版はサイモン盤、飯守盤に続き3種類目で、前に注文した大植盤はまだ届いてない。(もう廃盤なのだろうか?)

 まあそのうちベルキスページなんかもつくりたいなあと思いつつ、聴いてみました。SACDなんですが、まあ大してSACDのメリットがある曲とも思えなかった。曲によるんだなあ。
 
 このあいだサンティの棒による 「イタリア音楽としてのレスピーギ」 に目覚めてしまったからには、ただでは聴けない。まあしょせんロシア風レスピーギで、それはそれで重々しくって豪快でいいなあ、なんて思っていたが、それでも無かった。(笑)

 なんとも大げさだが中身の無い演奏で、まあ、アシュケナージの本領発揮か。illiorz

 よく見てみたら、飯守盤とアシュケナージ盤はスタジオ録音だが、往年のサイモン盤は教会で録っている。そりゃ、ホールエコーが効きまくってなんともふくよかに聴こえるのは当然か。編成がちがうとも思っていたが。そうではないのだろう。

 アシュケナージもテンポ設定は変わってて面白かった(ソロモン王の入場がなんとマーチテンポ!)し、スコアにそってサイモン盤や飯守盤とちがって2曲と3曲目の順番がそのまま(つまり戦いの踊りが3曲目。)で、そうすると、大きな3楽章制の組曲みたいでちがう面白さもあった。しかしいかんせん、演奏がちょっと物足りない。

 それよりむしろ、教会のステンドグラスのほうが管弦楽がよく鳴っていて、面白かった。曲の内容としては、ベルキスのほうが楽しいのだけれど、オーケストレーションが見事。さすがリムスキー=コルサコフ流。シェヘラザードとか得意な指揮者は、こういう曲もよくできるのだと思う。

 しかしイタリア音楽として鳴らすのか、オーケストレーションを際立たせてロシア流(あるいはエンタメに徹底してハリウッド調に鳴らすか。)としたほうが面白い演奏になる曲だと思ったが、アシュケナージは残念ながらどっちつかずだったと思った。


2/16

 ビクターの日本合唱曲全集からの分売の中で、私が聴いている作曲家のものがいろいろと合ったので買ってみました。ついでに、ふだん聴かない人の曲もまじってました。

 まず武満徹。武満の合唱は他の現代作家と比べて、意外なほどシンプル。もちろん和声とかはかなり複雑なのだが、なんといっても中心に太い歌の旋律が立っているから、非常に分かり易い。もっともその旋律自体は、繊細極まりないのだけれども。

 混声合唱のためのうた は、前に別売りだったものを入試していたが、改めて聴いても、良かった。合唱ゆえの、もともとポップスだった旋律はやや不明瞭なところを我慢すれば、まったく良い音楽だと思った。簡単そうに聴こえて、しかし、実際に歌うと非常に高度らしい。

 風の馬 という、こちらはやや前衛的な音楽で、モンゴルの儀式を詩にしたものに曲をつけたらしい。大草原を吹き抜ける風をヴォカリーズが表していてい、なんとも心を天に持って行ってくれた。

 芥川也寸志の 混声合唱曲 お天道様・ねこ・プラタナス・ぼく という奇妙なタイトルの曲は、トルコの詩人による詩へ曲をつけたもので、詩の分かりやすいがシュールでシリアスな雰囲気によく合ったシュールでシリアスだが分かりやすい曲が印象的。

 湯浅譲二の 芭蕉の俳句によるプロジェクション は、芭蕉シリーズの1曲。10句からなり、第8曲にのみ、ヴィブラフォーンが鐘の音を模して入っている。しかしこの人は、合唱でもオーケストラと同じ手法で作曲するらしい。湯浅の管弦楽曲によくある乾いた弦楽の響きがそのまま高音の女声で登場したときはドキリとした。どの曲も透徹とした時をも凍らせるクールな響きに包まれており、寒々とする。

 高橋悠治の 道行 は文楽の音楽化。どうも作曲後、作者自身が 「なんでこんなものを作ったんだろう」 と思ったらしいが、確かに………。そのまんまじゃよ。もう少し、工夫が欲しかったか。

 松村禎三の 暁の讃歌 は混声合唱曲に特殊編成の伴奏がつくもの。オーボエダモーレ、ハープ、ピアノ、オルガン、チェロ、打楽器である。インドの聖典リグ・ヴェーダよりとられた詩がいやでも神秘的な度合いを増すが、伴奏が生々しい松村節。東方的旋律によるオスティナートや不協和音も荒々しく、始源の興奮を再現する。さすがの音楽だった。

 黛敏郎の声明 始段唄・散華 は、天台宗のお経によるオリジナル声明。まあようするにホントの声明だが、混声合唱でやるのがまた。涅槃交響曲の翌年の作曲で、音楽というよりかは、文化の再確認みたいなもの。

 八村義夫の THE OUTSIDER I 及び II は………八村先生、イッちゃッてます!!!(笑)

 日本の曲でここまでイッてるのは、そうは無い。ケージに勝てまっせーッ!

 野田暉行の 死者の書 はそろそろわけが分からなくなった自分を発見した。

 そして三善晃………変化嘆詠………三善先生、相変わらず恐いです。一休諸国物語図絵って………。ああ諸行無常。


2/15

 邦人の作品集がたまって聴き始めたころ、伊福部先生が亡くなったので、1週間ほどそのままだったが、また聴くのを再会した。手始めに団伊玖磨のCDを3種類ほど中古も含めて聴いてみたのだった。

 実は今年は団伊玖磨没後5周年で、武満徹は10周年。伊福部昭と3人で、5の倍数で没後記念が続くこととなった。因縁めいている。

 世界大戦争サントラ
 無伴奏合唱曲西海ラプソディー カンタータ西海讃歌
 無伴奏室内楽集

 団伊玖磨の映画音楽はその師匠の1人である山田耕筰の影響である歌謡性がかいま見えて、非常に楽しい。派手ではないが、しみじみとした良さがある。しかしこの世界大戦争となると、なんとも。怪獣は出てこないが、戦争のシーンなどはなかなか衝撃的だった。というわけで、オペラで云うと夕鶴の旋律性とひかりごけの衝撃の両方の特徴を持った、なかなか面白い音楽だった。

 団にはご当地ソングならぬご当地ものの曲がけっこうあって、LPでは交響詩「伊万里」とかあるらしい。
 西海ラプソディーは長崎県の佐世保市のご当地ソング。合唱って実はよく分からないのだけれども、なかなか面白い………。無伴奏混声合唱組曲。
 しかしどうしても人声の発音の不明瞭さが合唱のネックか。
 あと合唱の作曲法ってよく分からないんですが………同じフレーズを重ねるのってどうしても違和感がある。オスティナートってこと? ヘタな曲だったらマヌケでしょうがない。
 しかし団の手腕は、さらにポリリズムのようにしてタテにも重ねて、効果を出している。すごい。
 
 そして西海讃歌………!!
 10分ほどのカンタータですが、凄すぎ。(笑) 壮大すぎる! 大河ドラマの最終回みたいだよ〜!
 カッチョエエー。こりゃ北海道讃歌も大マジメに探さんといかんわ。負けてられん。
 
 さてこれだけ新譜の(といっても2004年。出てるの知らなかった。)晩年の無伴奏作品集。
 序破急こと西さんの解説もなかなか勉強になる。
 無伴奏のチェロソナタとヴァイオリンソナタがメインだが、思っていたよりかなり前衛的。
 
 オペラの歌謡性と交響曲の構築性を団の2柱とすると、その中間をたゆとうようにしている。無伴奏曲ってそもそもこういうものなのかもしれない。(ほとんど聴いたことない。)

 そういやバッハの無伴奏チェロソナタも、こんな無窮動的に延々と弾いているふうだったなあ。伴奏が無い上にソロだから、当たり前か。シブイ。


2/10

 http://www.dict-keyword.com/14/5939.htmlより

 「かつては開局当初からジャンクション音源として、アイヌ民族の伝承音楽をイメージした『ウポポ』(作曲:伊福部昭 )という曲を1日の放送の基点となる早朝5時と日曜日深夜(月曜未明)の放送終了時に演奏していた。また、ジャンクション時には各放送局ごとにコールサインを放送していた(周波数はコメントしていなかった)。」

 朝のHBCラジオでも伊福部先生のことにふれ、HBCの開始の放送音楽を伊福部昭が作曲したということで、なんとH14年2月まで50年間も流されていたそうです。朝の5時になんかラジオを聞いたことないので、知りませんでしたが、急遽、番組内で流してました。

 もちろん初めて聞きましたが、36秒の曲で、HBCの人はみんな「ウポポ」と呼んでいたそうですが正式な名称かどうかは知りません。

 ハープを伴奏に木管が比較的ゆっくりなテンポで、吉志舞の第1主題(ほかたくさん引用)のテーマが流れました。アイヌ古謡からとられたと説明あり。


2/9

 伊福部先生が死んじゃったよう………。

 まあ、ご長寿であったとはいえ、やはりまだ………納得ゆかない。一度でよいからお会いしてご挨拶したかった………こういうときほど地方に住む身を恨む。東京在住のファンに嫉妬すらする。

 そんなことを云っても始まらない。死なない人はいない。鳥取の酒が眼にしみる。

 買ってからずっと置いてあった(邦人作品だけで未聴がまた10枚以上たまっている。)のを引っ張りだした。

 野坂恵子25弦箏/伊福部昭:七ツのヴェールの踊り ヨカナーンの首級を得て、乱れるサロメ 古代日本旋法による踏歌

 25弦箏甲乙奏合によるヨカナーン〜は、ソロピアノの為の日本狂詩曲と同じく2004年の編曲作品で、伊福部先生の最後の仕事のひとつになるだろうと思われる。

 七ツのヴェールの踊りは、やはり箏でやるとすると、第3の踊りからがダントツにそれっぽくて面白い。原曲でのフルートソロまでの部分は、やはり西洋楽器のほうがピンとくるだろうが、動きが出て、しかも音階が東洋的な第3の踊りから、やおらそれっぽくなるのが非常に興味深い。第6の踊りの迫力も、管弦楽に匹敵する。

 これは、もしかしたらオーケストラより楽しいかもしれない。うーむ………さすがだ。すばらしい。この音楽はすごい!

 ヨカナーン〜は、なんとも切ないサロメの主題が、ボロンボロンとまるで中東の民族楽器のように響き、これもまた雰囲気が良い!

 中盤から盛り上がる部分においても、旋法がアジア的なので、まったく違和感が無い。これがすごい。西洋音楽を邦楽器で行う、どうしようもない違和感。それが無いのだから、これはすごいと云わずしてなんというのか。

 感動した。

 踏歌は云うまでもない。共通の旋律があるんですね。

 ぜんぶ★5つ。


2/6

 去年聴きに云ったPMFのもようを納めた非売品のCDを借りることができたので聴いた。(ついでにダビング。)

 サンティ/PMFオーケストラで、ロッシーニのウィリアムテル序曲と、レスピーギのローマ三部作。

 聴き直しても、あの日の感動が蘇る。CD雑記2005/7/30を参照。

 録音で聴くと、当日は軽いと感じた音が、瑞々しく清浄だと聴こえた。なんという清々しさ! これは、ただ若者のオケだから出てくる音なのだろうか? たまの音ミスはご愛嬌として、アンサンブルの確かさと、リズムのキレの良さ。音程の良さ。イタリア音楽をやるときの、ピッチカートひとつとってもドイツ音楽とは異なる音の感覚。それの徹底。それらが総合して、始めてこういう音楽が出てくるのでしょう。

 サンティ、ただのデブ巨匠ではないです。


2/1

 ベルティーニ/東京都交響楽団 マーラー:第9交響曲 第10交響曲よりアダージョ

 みなとみらいのライヴ録音。9番は、ベルティーニの日本での最後の演奏。

 しかし………。

 
奇跡だ!

 
都響に奇跡が起きた!!

 彼岸の音が聴こえる大地や9番は、6番あたりと比べても、日本のオケのほうがある種のアドバンテージがあるような気がする。軽いとか、薄いとか、それはあるけれども、もっと忘我の境地的な水平線の精神世界は、東洋の感覚だから。まあ、濃いい肉感的な9番も良いのだけれども。

 しかしこの9番にはまいった。

 
忘我、悶絶、幽体離脱、そして興奮の坩堝!

 こら立派だ! こら美しい!! おお、(しかもCDが。)2枚あるうううう〜〜〜〜ッ!!! ←夕鶴の聴きすぎ。

 これは日本人のコアなマーラー聴きにとって、まさにあり得ないほどの完璧さを備えた、稀有にして超絶の演奏ではあるまいか! ベルティーニのマーラーを究め尽くした棒を、
よくぞここまで拾ってくれました! 東京都響! ありがとうございます!!

 
石原都知事はいますぐ都響に特別補助金を与えるべし!!!

 財政難でカットしとる場合かーーーーーッッッ!!!
 
 テンポ的には速いというわけではないが、早く感じるこのテンポ感は、9番といえども生きる力、魂の力に満ち満ちている!

 1楽章での前へ前へと進む音楽は、たまらぬ生への執着、そして音楽の楽しさを伝えてくれる。

 2楽章の14分というのは、17分かける指揮者もいるほどの中で、速い。しかし、このくらいの速さでないと、この楽章は重すぎる。つまり、西洋のオケでは、重すぎる2楽章こそ、日本のオケの独壇場なのではないか!? それを見抜き、実践したベルティーニは
神か? 神なのか!? また指揮も良い! 3種類のスケルツォを、実に特徴づけて演奏して、飽きさせない! こらすごい。

 3楽章も凄かった! 速すぎても訳がわからなくなるこの楽章を、まさにテンポ感が生きていて、躍動し、遅すぎず、速すぎず、完璧に把握しているというか。少なくとも、私にとって、完全に完璧な解釈で、こらシャイーを超えた!

 4楽章も、お耽美でなく、泣き節でなく、ひとつひとつのフレーズをかみしめるようでいて、けして、抒情に逃げない。
 
 もう云うことないです。
 
 
☆☆☆☆☆ でもいいですが、☆で。マーラーベスト変えさせてください。


1/15

 ケーゲル/ライプツィヒ放送響 マーラー:大地の歌
 ソウクポーヴァAlt(Mez-Sop?) ゴルトベルクTenor 
 
 ケーゲル先生はまさに鉄のカーテンみたいな、鋼鉄の意思(意志)をもった演奏で好きなのだが、マーラーもそんな感じで、ショスタコっぽくやる。しかし、そして大地も、かなり強靱な意思に支配されたものだが、なんとも、冷たくない。だからといってたいていの大地を振る人がやる、暖かい演奏というでも無く、かなり、マーラー晩年の虚無的な暗黒を引き出している。

 もちろん、集中力が果てし無くすごいから、そういう芸当になるのだと思う。
 
 特に感じ入ったのはアルト(CDの表記ではメゾソプラノ)の人。この強力な声量で、滔々と歌いきる様は、なんとも強靱な意思を内に秘めていて、西洋的というか。大地に東洋の抒情を求めると、こういう歌では、表現が強すぎる。しかし考えても見ると、西洋人が作曲した音楽で、しかも東洋といっても日本よりはるかに自己主張の強い中国が題材。儚げな美しさを例えば6楽章に求めても、実はお門違いなのかもしれない。

 1楽章からテンポ感がとても素晴らしい。このどんどん前に行く勢いがないと、実は3拍子のこの曲、まったく重々しくて、泥酔状態となり、聴いてられない。
 3楽章も浮かれた調子が無いので、堅いという人もいるかもしれないが、この全体の表現では、これで最高のものでしょう。
 4楽章はちょっと録音がアレなのか、マイクが近いのか、マンドリンがやたらとボロンボロン響いて、奇妙です。面白いですが。打楽器も迫力ある。まさにドイツ音楽的東洋情緒。
 6楽章がやはり白眉で、ソークポーヴァという人の、艶やかとかそういうのではなく、どっしりとした、安定感のある、彼岸よりもむしろ彼岸というステージで歌う迦陵頻伽のごときか。そうなると、大地のもう1つのイメージとして中国的な極彩色の世界が目に浮かぶ。

 ベルティーニの、日本的な情緒で儚げを意識した繊細な表現にはソプラノが。ケーゲルのこういう肉厚的な響きを重視した西洋・中華的な世界には、アルトが合っているのかもしれない。マーラーの想定していたのは、実は後者なのだろう。

 そこを勘違いしてかどうかは分からないが、アルトで、繊細に、死に行くと指定があるからとそのようにやろうとすると、どーしても、アルトはくらーく陰鬱に落ち込んで行く。暗いのと、美しいのとはちがう。この曲は、あくまで人知を超える美しさがないと、盛り上がりに欠けるつまらない曲に聴こえると思います。

 アルトで歌うには、このような実は曲の特性と相反するような、強靱な意志と歌唱力が必要なのではないか? それをもって初めて、、6楽章なども、低音がゴウゴウと響きを解放し、管弦楽の妙をあらわにし、これが歌曲集などではなく真に交響曲なのだと気づかせてくれる。そういう仮定を示してくれた、たいへん意義のある演奏記録でした。★5つ。
 
 大地好きは、必聴の1枚でしょう。特にこれまでの大地指揮者のような響きや情緒に流れがちな演奏に厭きた人は、なにか発見できるかもしれません。

 1977年のライヴで、やや録音は悪いが、特に気になるほどでも無い。マーラーベスト変わってます。ついに大地でベスト5そろった。(いままでずっと4つだった。)


1/12

 クレンペラー/VPOでマーラー4番
 不気味社/豪快な三菱未来館(副題:豪快な日本の自然と日本人の夢 副副題:豪快なゴジラ対ガイガン)

 クレンペラーの4番も数が出てきました。4種類目、5種類目かな? 2番に次ぐ多さ。しかも、ヴィーンフィルです! 1955年のライヴ。
 この時代といえばですよ、ヴィーン響との2番や大地の、クール演奏がありますが、これも超クール! それをヴィーンフィルでやるギャップ! なんともいえぬ面白さです。
 さすがに録音は悪いが、当時としては最上級。ゴツゴツとしていて、それがワルターだったらむーんですが、クレンペラーの解釈なら逆に合っている。
 1楽章から、さすが、その対位法を明らかにしつつ、旋律のすべらかさはヴィーンフィルの特徴を遺憾なく発揮。素晴らしい解釈です。現代に通じるものです。これがアバドなら、さらにアナリーゼが透明でしょうが、そこは昔の指揮法なので、不透明というか、音楽が厚い。けしてガラス張りではなく、氷の彫刻ような立体感。
 特に、2楽章と3楽章が、そのアバドにも通じる対位法の際立たせ方といい、テンシュテットにも通じるヒネリといい、最高でした。★5つ。ステレオなら
!です。
 
 不気味社の同人CDの最新作。伊福部昭等の特撮音楽や、アニメソング、特撮ソングを、大まじめに男性合唱で歌ってしまうという企画。しかも合唱は東京混声合唱団ですからして、まさに大まじめ。大まじめにサリーちゃんとかウルトラマンセブンとか歌っている音楽的面白さ。遊びは本気でやらないと、大人なんだから、面白くない。
 
 さて、今回は大阪万博の三菱未来館のテーマ。これは伊福部が音楽担当。それを完全に男性合唱で。打楽器パートも、ボイスパーカッションで歌うというこだわり。その芸が嬉しい。
 しかも、ファンはご存じだが、三菱未来館の音楽より、ゴジラ対ガイガンに音楽が転用されている。
 その二重の面白さ。
 歌もうまいが、なにより編曲がうまい。仕事が、同人だからと手抜きや素人芸ではなく、まさに本物がここにある。
 遊びの隠しトラックも芸が細かいし、ジャケットや注意書きも、好きだなーこういうの。(笑) ガイナックスとか、エヴァンゲとかトップでこういうノリが好きだったけど、あれはオフザケが入っててねえ。それが面白いのだけれど、私はいやだった。まじめにやって、なおかつ、面白い。それが良いのですよ。

 このシリーズはぜひ、ずっと続けてほしいと思う。★5つ。ヘタなメジャー物よりずっとイイ仕事してるよ〜。


1/8

 大植/大阪フィルでマーラー6番 
 テンシュテット/ボストン響でブラムースのピアノ協奏曲1番他

 大植は2005年の最新ライヴで、SACDだが特別、音質が良いとは思わなかった。
 大植は指揮がとても上手で、よくアナリーゼもしてあり、大フィルも日本のオケとしてはかなりうまいが、やはりまだ朝比奈と比べてしまう。どうしても、あの集中力と熱気を比べてしまうと、録音のせいもあるかもしれないが、かなりよそよそしい。金管は弱く、ここぞと云うときに鳴らない。アクセント的には、鋭く突出するのだが、残念ながらマーラーの音楽は、木管もそうかもしれないがなにより金管が
常にフルパワーで鳴り響かないと、音楽的にどうのとか云う前に、「かっこわるい」 のだから始末に終えぬ。

 特に6番はその感情がストレートに表に出てくる作品で、5番や7番とは異なる。指輪物語のセオデン王の軍勢のように、怒濤の勢いで剣が振りかざされる様を金管群は雄々しく表現せねば、全体の迫力が失せる。ラッパ、ホルン、ボーンがヘナチョコやヘタッピでは、6番は少なくとも我輩はガックリ来るですが、みなさまはどうでしょ?

 全体に迫力がないから、細かい表現も小手先のごまかしにすら聴こえてくる。

 というわけで、悪くないが、特別に良くもないので、★4つ。3楽章(アンダンテ)がいちばん締まって良かった。逆にスケルツォはぬるくてダメだ。

 テンシュテットは音質は悪いが、さすがの指揮。ブラームスの音楽で3本の指に入ると思うピアノ協奏曲1番。似たような曲調でも交響曲の1番よりも私はずっと好きだ。
 ついて行くボストン響もすごいが、テンシュテットは魔法の杖のように表情豊かに指揮棒を振りかざす。ピアノもうまい。ガリック・オルセンという、まあ知らない人ですが。(笑)

 冒頭の迫力も、まるで第九のようなで、それがあってピアノの出だしの繊細さも際立つ。とにかく、芸が細かい。ブラームスの仕掛けたモザイクが、全て有機的につながる。ピアノから木管へ、木管から弦へ、弦からホルンへという細かなブラームス流の動機の受け渡しが、実に流れが良い。すげえ。
 
 音質が良かったら
だが、悪いので★5つ。

 ちなみにボストンの客は、豪快に1楽章が終わったら拍手。(笑)

 併録は、クリーヴランド管のオベロン序曲でした。それもまた、濃いい演奏で良かった。濃いってけっこう、西洋音楽の極意ですよね。まあ濃けりゃなんでもいいのかという問題もありますが………。曲にもよるでしょうし。


1/3

 2日は昼も夜も用事ができて呆気なく苦行は中止。(笑)
 
 でも今日は大雪をひたすら雪かきしてちがう意味で苦行ですた。。。

 テンシュテット/ミネソタ管 マーラー:第3 
 テンシュテット/SWR響 マーラー:第4

 年末に聴いたゲルギエフのマーラーの6番と同じ、怪しさ芬々の 日本市場向商品 限定盤 世界初出 のドイツのレーベルでテンシュテットによる秘蔵録音が出ました。

 3番は1981年のアメリカにおけるライヴ録音だそうです。音質はそれなりに悪いですが、まずまず聴けます。1楽章の最後で拍手が起きるのは、アメリカの客の愛嬌か。

 しかし、まさにアバドやギーレンの対極にあるテンシュテットの感情というよりむしろ本能で動く演奏。素晴らしい迫力。肉厚な、食べ応えたっぷりのステーキ。アメちゃんにウケるはずだわ。
 
 そうでいて、グチャグチャかというとそうでもないから不思議。ただ、汗だくなだけで。

 1楽章など打楽器、ホルン等、素晴らしく鋭い! 突き刺さるような激しさながら、テンポは動くが、けして崩れない。勢い万点の迫力ある演奏の筆頭各です。とにかく、表情が強すぎるので、そういう面白さを理解できない人には向かないでしょう。

 2楽章以降も、どちらかというと、旋律美や、ドラマティックさに主眼を置いたアプローチで、合唱や独唱も、濃い表現。美しいというより、まさにマーラーの猛り狂う荒々しさを全面に出したような。6楽章ですら、音楽のうねりがここまで表現された6楽章は見事というほかはない。ラストは、ショスタコの7番みたいでしたよ。(笑) 録音は悪いがその迫力と上手さで★5つ。
 
 マーラーは論理性と非論理性とがまさに神の領域で絶妙に配分されている破格の作曲家であるので、論理的なアプローチと非論理的なアプローチと、両方とも説得力があると思います。どちらが上とか、どちらが芸術的だとか、知的だとか、そういうくだらない決めつけは、せっかくの愉しみの幅を奪いかねないような気がします。

 4番はライヴではなさそうな、珍しいスタジオ録音かもしれませんが詳細は不明。録音年は1976年だそうです。ヘンシュラーです。
 (前に同音源が海賊で出ていたときの表記は、詳細不明のライヴでした。)
 まあ放送音源なのでしょう。

 1楽章の鈴から何かがちがう! 音響は深いですが、かなりクリアーな音だし、なによりノイズもないし、しかもテンシュテットが対位法を強調し、しかも、ボストンのライヴよりずっと落ち着いている!!(笑)

 ふつうそうなるとテンシュテットはやる気無しモードにすぐ入って、まったくつまんないんですが、これは集中力が持続し続けている! 

 鈴はシャンシャンというよりカシャカシャという不思議な音。それがまた、うらぶれていて、凄く合っている。展開部からの濃い表現も良い。
 2楽章は、超対位法ヴァイオリン&ホルンでは、ホルンが6くらい。管弦楽のバランスも良いです。2楽章の最後に、ティンパニ等打楽器の不気味なソロがありますが、先日のアバドはひっそりと、テンシュテットは(音量は変えないが。)ドガドガ。こういう対比って面白いですね。あとテンシュテットが好きなのは、最後のチェロがゴイッゴイッと唸る箇所を強調すること。適当に感情にまかせてできる指揮ではありません。(でも強調する理由は特になく、本能ではあるんだろうなあ。)

 3楽章は、アバドのような恣意的な格差をつけるのではなく、クレンペラーのようなあくまで形式としての差異を示すのでもなく、演出でありながらつなぎの自然な流れの良さが際立つ。アバドがドラマ、クレンペラーが報道番組とすると、テンシュテットはまさに紀行番組というか。自然の持つ悲しみや美しさが、ここぞと現れる。このたっぷりとした音楽は、3楽章のフィナーレとしての性格を如実に示している。弦楽の美しさもすごい。さすがですね。
 
 4楽章はパロディーフィナーレであり、フィナーレとは名ばかりです。4番は4楽章から聴いて行くというアバドの解説に合ったが、それは作曲順がそうなってるだけで妥当ではない。
 時折現れる異常な速さといい、裏返ったホルンや変な裏ヴァイオリンの際出せ方といい、テンシュテットは分かっています。ソプラノの人は、正統派で、立派に歌えば歌うほどマーラーのふざけた意図が分かるというもの。殺される牛のテーマをそれっぽく出す部分も良い。
 最後に拍手でもあればライヴでしょうが、無いしカットしたようにも聴こえず、スタジオかもしれません。分かりません。

 とにかく、これは目を見張る超弩級の演奏であることには変わりないですね! 
! にしたいと思います! 2006年は明けから当たりが続くなあ。よかよか。

 あとオマケの子どもの魔法の角笛から3曲も、戦くような歌といい、管弦楽といい、艶やかで、メルヒェンにあふれ、最高に面白いさすがの演奏でした。テンシュテットの子ども全曲はそもそも名盤ですよ。


1/1

 正月の三日間でマーラーを3枚ずつ9枚聴くという苦行(?)を課してみました。わざわざ課す必要性はまるでないんですが。(笑)

 ナガノ/ベルリン響 第8(SACD)
 ギーレン/SWR 第10クック実用版
 アバド/ベルリンフィル 第4
 
 今年は8番で開けました。
 SACDはだいぶん慣れてきました。しかし音質は相変わらず格段に良い。でも、昔の録音をただSACDにするはあまり意味がないように思えますね。

 ナガノの8番はテンポを大めにとって、まさに豊穣の液体がよく流れる様を表していました。そうです、この音楽は流れが寸断されるととたんに澱んだ聴くに耐えないものになる。またその器が小さいと、とても窮屈なものになる。意外に難しい。
 
 最新盤(だと思う。)の録音も良いし、1部の迫力は、私が聴いた中では最高のもの。とはいえ、うるさいだけでも無い。2部も、歌唱部の描き分けもよく聴こえる。その代わり合唱は渾然一体となって、聴くものを包んでくれる。金管や打楽器も良い。これは普遍的な名盤としての価値は充分にあるでしょう。スタンダード盤といえば聞こえが悪いだろうか。○5つ。

 ナガノは嘆きの歌の全曲初演版でも、素晴らしい解釈の演奏を聴かせていたから、こういうの向いてるのかな?

 ギーレンはウワサのもの。1楽章は、ギーレンならばこれくらいは当たり前という程度に素晴らしいものだが、白眉は2楽章以降。ここからの譜面の読みが、ギーレンはさすがの手腕。2楽章がこんなに意味深く響くクック版は初めてでしょう。どうせ実用版なのだから、脳内で補筆するのは当たり前。それをギーレン版とかにしないで、あくまで指揮者としての実戦で行って行くのが、彼のこだわりか。見事に響き合いつつも際立つ対旋律。

 煉獄と名付けられた短い3楽章も、こだわりがないとたちまち見落とされてしまう危険な部分。ここにいるのは、一体誰なのか? 煉獄に落ちなければならなかったのは、マーラーなのか? 裏切り者のアルマなのか? アルマの相手なのか? ギーレンの切れ味鋭い棒によって、その意味するところは、刻々と変わってくる。マーラーならば自戒。アルマならば嫉妬。アルマの相手ならば憤怒。それらが、夢のように現れては消える、マーラーの束の間の悪夢なのだろう。
 
 4楽章は、クックによって最も補筆されたようで、第2スケルツォをどのように料理するかで次の5楽章も変わってくるであろう、ここも危険な部分。中間楽章は全て危険である。両端楽章は気合いが入っているが、中間のまとめて「第2部」とも云える部分がおろそかな演奏ばかりだった。ギーレンに比べれば!!
 (危険という意味では、9番と同じだ。)
 ギーレンの現代モノで培われた感性が、ここでも光る! 何をどこで強調し、どんな効果を上げるか。他の演奏ではただ鳴っていた管や打楽器がいきなり意味を持って活きてくる。これぞマーラーの管打楽器だろう。弦楽の旋律が、艶やかに鳴る。うーん、こんな4楽章は初めて聴きました。すげえ。他の人みたいに、余計な音は加えてないんですよ〜。
 対旋律がここでも際立つ。そうすると、なかなか立体感が出てきて、とても面白い。なるほど、こういう音楽だったか、という発見の喜びもある。
 ほとんど解釈のみで聴かせるウデこそ、指揮者としての本当の腕でしょう。(あ、そんな事言ったら、マーラー先生に怒られるかな?)

 そして5楽章であるが、やや早めのテンポが生きる力の象徴のようでもあるが、びっくりしたのがバスドラ。(大太鼓) いや、音量じゃなくって。(笑) これはコンサートバスドラでも、口径の小さめのものをミュートぎみで強打しているように聴こえます。つまり………殉職消防士のパレードの太鼓そのものでしょう。唸った。芸、細かすぎ。
 アレグロのテンポも速い。すると旋律が踊りに踊って、9番の世界との決別を表しているのが分かる!
 つまりギーレンは、この終楽章を9番と同列に論じていない。これはすごい解釈だと思います。
 響きも究極に美しい。ここにあるのは、沈み込む鬱とした仄かな明かりではなく、希望と喜びの暖かい家庭の灯でしょう。かつてマーラーが家族4人で過ごしていたころの。いまはもう戻れない、あの楽しかった日々の………。

 しかしギーレンの解釈だと、10番が7番の直系であることにいやでも気づく。1枚モノということもあるかもしれない。9番の延長と考える人にとっては、スケールの小さい演奏かもしれないが、このクック版が9番の延長のはずが無いのは、コアなマーラー聴きには分かっている。すると………ギーレンの解釈こそが、いままで隠されていた真のクック版の姿をさらけだしてくれたものなのだろうか? 7番で現実世界最高の交響曲を書いたはずのマーラーが、8番、大地、9番を経て、なんと、現実と宇宙とを合体させてしまった、さらに進化した姿を我々に見せつけようとしていたという驚愕の事実が、ここで判明したのだろうか!?!?

 これは疑いようもなく、クック版の決定盤でしょう。77分がアッという間。特に私は、終楽章よりも2・3・4の中間楽章に感心した。とうぜん
!聴き込む必要あり。

 アバドの嬉しい4番。あの究極の響きである3番の6楽章を聴かせてくれたアバドが、3楽章をどこまで昇華できるか。
 
 しかしなんともマニアックな解釈で………4番にひそむ、5番の影をことごとく浮き彫りにしています。4番を聴き込んだ人ほど、アレッ、とかオオッ、とか、そりゃねえこだろう、とか、アバドの仕掛けに一喜一憂する。さすがですね!

 しかし4番の裏の魅力の対位法の全てを明らかにしているような手法であるが、けして4番の表の魅力である旋律美やリリカルな雰囲気を殺していないのが素晴らしい。シノーポリよりもそれがもっともっとクリアーで、ベルリンフィルのアンサンブルも手伝っているのでしょう。

 1楽章では、構成の妙に隠れている一瞬、一瞬の対位法も、アバドで初めて聴こえる。えっ、そんなとこにそんな裏旋律あったっけ? たぶんポケットスコアでも見ればあるんでしょう。それをやたらと強調するのではなく、さりげなく自然に浮き出させているのがニクイ。もちろん、演奏そのものも中庸のテンポで落ち着いた雰囲気で、流れも良く、旋律の面白さが際立ち、聴き易いです。3番のメルヒェン世界が戻る場面ではバスドラなどもここぞと強調し、面白い。ラストも派手すぎず、良。

 2楽章の、死神のバイオリンともう一つの主役ホルンとの超対位法的カラミは、9番のフルートとホルンのカラミをも想起させる。
 しかしアバドは、対等には扱っていませんね。それも面白い。対位法だからって対等に鳴らす必要はないのでしょう。バイオリン6、ホルン4くらいかな?
 2楽章って意外に、やや漫然としがちですが、芯が通ってさすがです。
 
 3楽章。ここが聴きたかった。ここが4番の白眉。
 テンポは遅めだが、第1主題の天国から第2主題の現世までの落差がすごい。描き分けが凄すぎる。丁寧すぎるほどに各変奏もじっくり鳴らしつつ、変化をつけて、しかもなんとも流れが自然。すげえ。天才か、アバド。
 ラストもたっぷりとした、壮大な疑似フィナーレ。
 この美しさの極みがあって、初めて4楽章が、実はフィナーレなどではないことが分かるというもの。
 しかしマーラーは厭味だなあ。

 そしてその4楽章。………なんだこの歌の人!?(笑) 変な歌い方だ。声質が変。ハハハ! 第2節から笑っちゃった。まあ、まさにパロディーでよかよか! 場末の酒場の売れない歌手か、おまえは! ベルクの歌曲は違和感ないから、ルルでも歌ってなさい。

 これは、第4通にこそ聴いてほしい名演中の名演。とても美しく、面白い演奏です。これも


 それぞれマーラーベスト変わってます。しかし我ながら、年明けから飛ばすなあ。



前のページ

表紙へ