トゥビン(1905−1982)


  トゥビンはバルト3国の1つ、エストニアの人で、当初はエストニア民謡などに基づく民族楽派の音楽を書いていたが、やがてエストニアはソ連に併合、次いでナチスに占領、またまたソ連に再併合されてしまったため、1944年、彼はバレー音楽「クラット」の器楽パートを抱えて、数千人の民衆と共に嵐の海を渡り、対岸のスウェーデンに亡命したという。

 こうして書くと数行だが、人口100万ちょっとのエストニアで、10万近くの単位で人が死んだ。日本でいうと1000万単位近くで人が死んだことになる。大戦で日本の犠牲者は軍民合わせて300万ということだが、日本帝国は戦争の当事者だった。戦争に巻き込まれた小国の悲哀を地で行っている。

 そして、亡命したトゥビンは、民族楽派的な比較的朗らかな作風が、辛辣で暗く晦渋なものへと変わってしまった。

 エストニアではソ連時代も同国最高の作曲家として評価が高かったとのことだが、なにぶん、東側の、その中でもマイナーな土地ということ、またスウェーデンでも、亡命作曲家兼保守的な作風としてあまり楽壇から省みられなかったことにより、よくある話だが、死後、じわじわとメジャーになってきた。

 交響曲は完成品で10曲もあるが、個人的にはなかなか評価が難しい。私はこの人の後期交響曲はあまり良さが分からない。バキバキの現代音楽というでもなく、淡々と恨み節を聴かされているような、それでいて暗黒の深淵を除いているような迫力もなく、中途半端に暗いもので、規模や構成も弱く、どうも良くない。センチメンタルが棄てきれていないので、センチメンタルに徹して切々と歌を歌えば良いのに、そうでもない。

 交響曲としては、繊細すぎるのかもしれない。あるいは、彼は交響曲作家としては、繊細すぎるのかもしれない。

 何回も聴き込めば、ひたひたと良さが染みてくるのかもしれないが、まあそこまで聴く気がおきない。

 大体の演奏頻度においても、もっとも聴かれ、好かれているのは恐らく4番「叙情的」だろう。
 
 4番はその副題や曲調とはうって変わって、大戦中の作品。ショスタコの7番、8番あたりと同じというから意味深い。ちなみに、トゥビンはショスタコーヴィチと同世代でもある。

 作風としてはぶっちゃけ(ショスタコーヴィチシベリウスチャイコフスキー)÷3くらいです(笑)

 4番をメインに、他のナンバーもさらりと俯瞰してみたい。


第1交響曲(1934)

 学生時代の習作ということである。国民楽派の作風を色濃く示している。3楽章制。

 神話のはじまりのような交響詩的な雰囲気の冒頭(アダージョ)から、轟然と主題が登場(アレグロ フェローチェ=野性的なアレグロ)する。チャイコフスキーよりむしろ、シベリウスの1番に曲風が近い。第2主題は木管から金管へと流れる。あとはまあ、習作らしい習作的展開(笑) 波のように盛り上がる弦をバックにティンパニと金管がやたらと鳴るので、好きな方にはお勧めです。最後も豪快。

 アレグレットの2楽章は、ヴァイオリンソロといろいろな短いソロが交錯し、喧騒の中に溶け込んでゆく。

 3楽章は指示が細かい。ソステヌート アッサイ クワジ ラルゴ エ ポコ マエストーソ。えー、イタリア語音楽用語解説をどうぞ(笑) なかなか良い北欧的かつ東欧的な面白い旋律が、次から次へと現れて、まるで映画音楽のような楽しさがある。それを上手に伴奏する技術もうまい。盛り上がりも、実に壮大で、田舎臭さもうまく処理できている。

 うーん学生の作としては旋律、構成、展開共かなり良い出来だとは思うが、この時代の作曲家としてはかなり保守的・ロマン的なもので、評価が分かれるところでしょうか。


第2交響曲「伝説的」(1937)

 不思議な副題がついているが、具体的なエストニア伝説などには準拠していないようです。

 シベリウスも想起させる幻想的な序奏から、じわじわと戦いの主題とも云えるものが出現して、盛り上がって行く。ティンパニの付点音符によるソロからアレグロで、かなり交響詩的なドラマティックな展開をみせる。1楽章の指示もズバリ、レジェンダリー(笑) 交響曲としては、形式がやや弱い1楽章だと思う。でも燃えるからいいや(笑)

 2楽章は緩徐楽章。アタッカで、マーラーの1番3楽章のようなティンパニの足どりによる葬送行進曲。マーラーはブラックユーモアだったが、こっちはけっこうマジメ。ここではドビュッシーぽい雰囲気が漂う。葬送の行進の後、バラードのような歌がくる。

 3楽章は再びアレグロ。リズムの扱いがなかなか面白い。打楽器も効果的だ。後半の盛り上がり方はかなり昂奮する。弦楽器の嵐の描写が凄まじく、それへ金管と打楽器がどんどん乗って、ドラの一撃!! 燃え〜!!(笑)

 その後、冒頭の神秘さが戻ってきて、語り部のようなヴァイオリン独奏が人々を現実へ戻す。架空の伝説は終わりを告げる。

 大戦を予感するような、不安に支配されているが、メロディアスな作風がその印象をやわらげており、けっこう聴ける。時間も3楽章制、30分ていどと聴きやすい。シベリウスの初期交響詩が好きな人は、問題ない。一部、一部ではかなり面白い箇所もあるが、構成感が無いため、交響曲としては物足りなく思う人もいるかもしれない。


エストニアのモチーフによるシンフォニエッタ(1940)

 これは組曲風の、ノーナンバーの小交響曲。とはいえ、3楽章制、20分ほどで、まずまずヴォリュームもある。

 正直、これは聴けるw

 4番の次に聴ける。冒頭から朗らかなテーマが楽器群に次々と受け渡され、可憐な第2テーマが現れるくだりなんかも、実に少女チックで良い。展開部も上手だし、テーマがあまり変形しないので分かりやすい。

 2楽章はホルンのテーマからはじまり序奏代わり。クラリネットが神秘的に受け継ぎ、それが全体にひろがって行く様子は良い。トゥビン独特の、ソロ楽器の扱いがなんとも繊細。大きく盛り上がるが民謡テーマがこれも一貫して流れるので、統一感がある。

 3楽章はアレグロへ戻る。愛らしいテーマが木管からこれも全体にひろがってゆき、気持ちよく、かつ無駄なく、展開する。

 ラストもすっきりしていてとても良い。


第3交響曲(1942)

 エストニア時代の作曲だが、ソ連の初占領から、ナチスの占領にかけての時代のもので、その民族的な作風から、エストニアの人々をして「英雄交響曲」と云わしめたという。

 ラルゴ エネルジーコの1楽章。低弦の短い序奏から、質素だが力に満ちた主題が次第に盛り上がってゆく様子は、なかなか良い。アレグロからは、やや単調な嫌いがある。第2主題の侘しげな旋律は良い。展開部からの盛り上がりもなかなかです。ラストも豪快。

 2楽章はアレグロでスケルツォに相当する。不協和音とかも途中にあって、激しい憤りを表している。

 ラルゴ マエストーソの3楽章は、低音金管の不思議なファンファーレから始まる。まさに英雄的。それが中音部に移行し、中間部では明るい希望にあふれた模様となる。ここらの希望は、実情と照らし合わせると逆に悲壮感が漂う。一回落ち込んでからは、軍楽的なアレグロが、かなりカッチョイイ。それがもっとドッカンドッカンやって、これでもかと爆発するようだと、面白いのだが、こんどは朗らかなテーマへ移る。

 ラストも爽快。

 この曲は2番と同じような作風だが、手堅くまとめてあり、まずまず面白いです。もっと大規模で豪快に徹していれば、まだ良かったが、どうもトゥビンという作曲家の特徴は、交響曲に関しては中規模中程度の作品が得意だったようです。それはそれで良いものです。


第4交響曲「叙情的」(1943/1978)

 これがトゥビンの最高傑作に上がる人もいると思う。これでない人はたぶん、次の5番か。

 完成はナチス支配下の1943年だが、1978年に改訂。初演はソ連軍空爆で延期され、初演の後、再度のソ連軍侵攻に際し、この曲を惜別にトゥビンはスウェーデンへ亡命したという曰く付きの曲。この曲の実演で私はトゥビンに入りました。もっとも、あまり深くには行きません(行けません)でしたが(笑)

 トゥビンの交響曲では初の4楽章制。

 冒頭から伸びやかな弦楽の調べに魅了される。それらの主題が次第に様々な楽器に伝播して大きな盛り上がりを見せるというトゥビンの手法は、確定される。この1楽章はシベリウスにも通じた冷たい北の叙情が、標題通りによく書かれている。シベリウスが聴ける人は、この曲も気に入るだろう。規模はそれほど大きくはないが、しみじみと心に染み入る深さがある。

 2楽章はアレグロ。どこか幻想的な雰囲気も楽しい。激しい部分もあるが、全体に分かりやすい。寂しげなテーマが、心を打つ。

 3楽章アンダンテは、楽想は良いが構造的にやや物足りないかもしれない。こういう感情の起伏が激しい曲風ならば、もう少しネットリやっても良かったかな、とも思うが、まあ、それは人それぞれか。

 4楽章はフィナーレのアレグロだが、珍しくかなり明るい(笑) この解放感と能天気さは、この人にしては特筆に値するのではないだろうか。この軽さが、逆に物足りないと感じる人もいるだろう。また構造的にも弱い。

 ラストの希望の光は、素晴らしい。

 全体にかなりシベリウスに近いが、構造としてオリジナルな部分はある。トゥビンの真価は暗い部分にあると思っている人にはウケが悪いかもしれないが、この曲は名曲として、もっとファンがついてもおかしくないと思う。


第5交響曲(1946)

 亡命後の初の交響曲。戦争は終わったが、エストニアはソ連に併合され、国家としては滅亡した。それを異国の地で、しかも対岸でなんという想いでその風景をみつめていただろうか。エストニア民謡からとられた旋律が、逆に悲劇を象徴する。

 序奏も無くいきなりアレグロで現れる主題は緊張感に満ち、やがて歌が現れる。テーマが執拗に繰り返される中、曲調はどんどん悲劇的になる。シリアスの中にも激しいドラマがあり、深い味わいを与える。ティンパニ大活躍。

 2楽章はアンダンテで、しみじみと民謡主題からはじまる。まったく、作曲家の心の内を吐露するような、怨み節とも、涙節ともとれる、望郷の想い。夜の海峡の向こうにある祖国。天には月。戦火は絶えたが、自由はどこにあるのだろうか。激しく波うつ感情のもつれも、聴き応えがある。3部形式に聴こえる。

 3楽章は再びアレグロ。じわじわと盛り上がって行くトゥビンらしい手法。形式観もあり、濃密な音楽空間が、良い。重厚な行進曲も飛び出し、ソ連軍の侵攻を思わせる。最後は静謐なテーマが再現される。そのテーマも打楽器を従えてじわじわとまた盛り上がって、オスティナートで叩かれ続けていたティンパニ大連打がソロとなるが、砲声にも聴こえる。その後の、輝かしい讃歌も、果てのない悲しい希望への憧憬の絶叫のようだ。

 4番と対をなす、トゥビンの傑作。大きな感動を呼び起こす。技術的には、5番のほうが上だろう。


第6交響曲(1954)

 このころからじわじわとトゥビンの音楽はくらーくなってゆく。亡命後、第2作目。さらに空虚な現代音楽界や、堕落する社会そのものへの対抗と不審、不満が込められているという。

 なんとも乾いた音調で、木管のソロにより、半音階的な旋律が奏でられる。葬送行進曲は、どんどん重くなってゆく。妙チクリンなサックスが登場し、ますます雰囲気が変。曲調もブラックだ。このサックスが、頽廃音楽である「ジャズ」の象徴なんだそうで(笑) アンダンテ楽章なのだが、途中はアレグロになり、かなり激しくなる。個人的にはどうも中途半端な現代ものという印象。

 2楽章は本当にアレグロ。まあー、ショスタコとプロコを合わせたような雰囲気だが。リズムがかなり複雑で、彼がルンバやタンゴや、ボレロのリズムをパロディーとして悲劇的に扱った結果とのこと。またサックスが幽霊みたいに登場する。

 これは、そうしたら笑っていいところなのだろうか?(笑)

 そうかこれはお笑い系の曲だったのか。そう思ったらヒネクレタ我輩は、面白く聴こえてきたぞwww

 3楽章もなんか悲劇としては「ふざけている」悲劇。マジメに聴いたら面白くないが、わざとノリノリで聴いたら、意外と面白い。

 かも。

 パロディーもサックスの扱いも、曲調も、テーマをイマイチ消化しきれていない印象。


第7交響曲(1958)

 7番は小規模管弦楽としての表現を求められている。らしい。

 冒頭から暗鬱なテーマが弦楽に奏され、次第に木管から色々な部分へ受け継がれて行く手法は変わらず。主な表現は弦楽合奏に委ねられ、不協和音もなかなか辛辣。展開部は、リズミックに進行する。

 2楽章は珍しくラルゲッタで、トゥビンの中の緩徐楽章としてはテンポがやや速い。精緻な管弦楽ほうが、より細やかに響く。テーマは暗い。途中でアレグロの部分があり、緊迫感を増す。

 3楽章は半音進行みたいな不安定なテーマが、これまた不安定な伴奏と共に戦闘アレグロを奏でる。トゥビンにしては激しい。ただテーマの発展が乏しく、それが民謡主題とかだったら主題自体に魅力があるが、どうも良くない。


第8交響曲(1966)

 4番と同じく、トゥビンには珍しい4楽章制。

 これまたくらーい感じで(笑) なんでも、亡命後に初めてエストニアを訪れたトゥビンはキッツイ批判にさらされたようで、ショックで暗くなっちゃったとか。なんだよ、それ。ソ連初帰還で、空港で出迎えの共産党高官に泥だらけのステッキを差し出したストラヴィンスキーを見習えよ(笑) 

 ホントに繊細だったんだなあこの人は。。。

 冒頭より葬送行進曲と嘆きの歌がまじったようなww 怨み節だ。チェロのモノローグも、悲痛的。それを受け取る各種の楽器も、同じく。荒涼とした気分もある。

 2楽章はアレグロ モデラート。これは諧謔的な雰囲気があって、トゥビンにしては意表をついている。しかし中間部は悲劇的な色合いがある。内容にしてはちょっと長いか。

 珍しく、3楽章もアレグロで、アレグロ ヴィバーチェとなる。こちらも同じような曲調だが、もっとシリアス。

 終楽章はレント。重いテーマが、ずるずると引きずられてゆくような音楽が続き、静かに幕を閉じる。

 同じ暗いにしても、シベリウスのように美に徹する、ショスタコーヴィチのように騒に徹する、ペッテションのように狂に徹する、などなど、徹しないとダメだ。中途半端は良くない。その人の限界のようにとられてしまう。技術的に面白い部分もあり、雰囲気としては悪くない。


第9交響曲(1969)

 9番は簡素な交響曲という副題があるらしいです。

 簡素かどうかはちょっと構造的に難しい曲なので分からないが、唯一の2楽章制で、しかも両楽章ともアダージョという珍しい形態。もちろん曲想も暗い。

 しかし、現代交響曲作曲家はたとえトゥビンのような古典的作風といえども、番号が進むほど、老年に到るほど、このように抽象的になるのだろうか。しかし晦渋というほどではない。様々な短い動機が繁殖するような構成は面白い。現代ものの曲風としては純粋音楽的といえるかもしれない。

 2楽章も、暗いというよりかは、この乾いた感じは亡命前のトゥビンを聴くに連れ、とても痛々しい。


第10交響曲(1973)

 唯一の単一楽章。また完成した最後の交響曲。

 時間的には、他の曲と大して変わらず、25分ほどもある。抽象的な作風はここに極まる。淡々と音楽が流れるような雰囲気で、晦渋といえばそうだが、この時代に既に世界を席巻していたセリー主義、無調、無拍等々のいわゆる「20世紀オンガク」とは一線を画す。

 辛辣さも無く、どちらかというと、陰々滅々とした流れに身をひたすたぐいのもの。

 その中に、独奏楽器の悲しげな独白が混じるのが、トゥビンらしい部分か。単一楽章だが、各部分のつながりは意外とハッキリ別れている。曲調がけっこう目まぐるしく代わり、アレグロもあるし、室内楽的な部分、諧謔的なシニカルな部分もある。

 逆に、1楽章制ゆえに、次々に変化する曲風を楽しめるだろう。ラストは大きく盛り上がって、消え入るように終わる。

 しかし、ハッキリ云って、「クライ」(笑)






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