ハルトマン(1905−1963)


 まさにドイツ最後の交響曲作家である、カール・アマデウス・ハルトマン。20世紀初頭〜戦後の作曲家において交響曲というジャンルを書く人が第3国の作曲家に移って行く中、かつて交響曲の本家とも云えるドイツにおいて、交響曲を8曲も残した。

 父、兄とも画家であり、幼少時より音楽的才能を示した。ナチス時代はナチスを拒否し、事実上、国内で亡命したような状況になり、一切の作品は演奏されなかった。現代音楽作品の紹介等で鬼才を放った指揮者、シェルヘンと仲がよかった。また、戦中はヴィーンの郊外でかのヴェーベルンに作曲法を師事した。しかし、彼のような超圧縮音楽方式にはならなかった。

 戦後は積極的に活動したが、残念ながら癌で50代で亡くなっている。

 交響曲は多楽章形式から1楽章形式まで様々で、絃楽合奏、合奏協奏曲、声楽入りと内容も様々。制作過程も、戦前に書かれた、元々あった曲の改訂が多い。

 ハルトマンとは英語のハートマンのことだが、ハートマン軍曹とは関係ない。


第1交響曲「レクィエムへの試み」〜女声とオーケストラのための〜ウォルト・ホイットマンの詞による(1936/1955)

 5楽章から成る。25分ほどの曲。

 当曲はそもそも交響曲ではなく、交響的断章「我等の命」というオーケストラと独唱のための曲だったが、戦後、改訂されたときに第1交響曲「レクィエムへの試み」となった。だけではなく、それまで第1番だった第1交響曲「ミゼーレ」は、交響曲の称号を剥奪され、交響詩「ミゼーレ」になった。

 第1楽章「イントロダクション:不浄」

 暴力的な「ナチス」の響きから、ソプラノ独唱がシュプレッヒシュティンメ調で、この時代の不浄を歌う。冒頭に回帰し、暴力の主題が登場。木管の弱々しい後奏付き。

 第2楽章「春」

 再び暴力主題で幕を開ける。ソプラノが淡々と不安を歌う。伴奏は木管による。突如として盛り上がるも、一瞬の紅葉でまた沈鬱な響きとなる。

 第3楽章「主題と4つの変奏」

 器楽のみの楽章。変奏曲。主題は自作の反戦オペラよりとられている。かなり現代的な響きだが、音調はある。金管の不思議な序奏より奏でられるヴィオラ独奏の主題は鬱々としている。不気味な行進曲や、現代的な響きのスケルツォなどに変奏されてゆき、

 第4楽章「涙」

 その音調を継承しつつ、4楽章へ。複雑なベルク的音響を醸しつつ、しっとりとソプラノが歌う様はいかにもナチスが嫌うような頽廃さ(笑)

 第5楽章「エピローグ−願い」

 打楽器アンサンブルを伴い、独唱がシュプレッヒシュティンメ調で、朗誦を開始する。突如として鐘が鳴り渡り、断じるように終了する。まさにエピローグ。

 全体的にかなり自由な作風ながら、聴きづらくはない。


第2交響曲「アダージョ」〜大管絃楽のための〜(1946)

 1楽章制で15分ほどのこの音楽は、反ナチスから「共産趣味」に傾いたハルトマンが戦前に作曲した、インターナショナルの旋律も取り込んだ共産趣味の組曲「新しい命」から、器楽だけの楽章を戦後に抜粋し、大幅改訂して作られた。

 アダージョといっても、アダージョ〜激しい部分〜アダージョのアーチ形式。

 低絃からアダージョが開始され、すぐに厳しいモダン音調となるも、アダージョは続けられる。いきなり日本の民謡っぽい(笑)妙な旋律がソロで提示される。チェロっぽい響きだが、これはバリトンサックス。テンポを上げながらそれが変奏されて行くが、主題がなんにせよ日本民謡調なので、どうにも妙な現代吹奏楽曲ぽいのがご愛嬌。もちろん、ハルトマンは別に日本の民謡を研究したとかそういうのではなく、偶然である。

 その変奏の途中に、これまた、いかにもイベールかドビュッシーかというフランスっぽい響きwww なんなんだ、こりゃ。

 10分ほどでその加速は頂点に達し、打楽器も激しく、マエストーゾになって伽藍を築く。ここもなんかレスピーギっぽいが(´∀`;)

 そこから数分のエピローグは冒頭のアダージョが現れて、そのまま静かに終結する。直前に、一瞬の咆哮をあげて。


第3交響曲(1949)

 2楽章制30分ほどの音楽。これもまた、戦前の2つの反戦音楽、悲劇的交響曲(1940)と嘆きの交響曲(1944)を改訂、いや自由に改作されて作られた。

 ラルゴ〜アレグロの構成の1楽章は、渋い低絃のアダージョより開始し、乾いた絃楽五重奏がそれを引き継ぐ。やがてアレグロとなり、ティンパニを先導に、激しい行進曲調になる。それがアレグロのまま絃楽のフーガに突入し、さらに激しさを増す。打楽器や金管も割り込んできて、フーガは複雑なショスタコ風の粗暴な風味を帯びるも、あれほど突き詰められはしないあたりが、ハルトマンのぬるいところだ。なんだかんだと、切羽詰まっていない悪い意味での余裕さがある。

 2楽章はアダージョ。トランペットのソロからオルガン風の響きになり、テンポが上がって、ちょうど楽章の時間的にも半分のところで頂点になって、また鎮まってアダージョで終わるというシンメトリー構成。

 絃楽や木管が、じわじわと美しいが不協和音に満ちたアダージョを奏でて行く。テンポが上がってアンダンテとなり、アレグロとなり、音響的頂点を迎える。例によって、中途半端なインテリにありがちな 「突き抜け感の無さ」 を露呈するが、演奏にもよるだろうか。ひたひたとアダージョへ戻って、クロタルの印象的な音響も相まり、かなり静寂の中に潜んでいって終わる。


第4交響曲(絃楽オーケストラのための)(1947)

 3楽章30分ほどの、絃楽合奏のための交響曲は、やはり過去の作の改作である。1938年に書かれた、ソプラノと絃楽合奏の作品の、絃楽だけの楽章2つと、書き足しというか新作の第3楽章から成っている。かつての3楽章ではソプラノでドイツ語訳の論語が歌われたと言う事で、主題が東洋チックらしく、それがそのまま引き継がれているので、今作も主題が東洋チック。

 レント・アッサイから始まる第1楽章は最も長大で15分ほどもあり、全体の半分を占める。ソナタ形式。第1主題は序奏も無く出現する息の長い旋律。緊迫感があり、迫ってくる。第2主題と思わしきものも現れるがよく分からないw  それらがいよいよ速度が上がってアレグロ展開部に突入するが、盛り上がりには欠ける。長々と、静謐な雰囲気で推移する。第2主題はやや東洋風。

 2楽章は激しいスケルツォ。10分もあるが、楽想は変化に富む。暴力的なアレグロから、気ぜわしいやや中国風のもの、そしてテンポを落とし、優雅な舞曲風のものに推移する。それからコーダに向けてじわじわと盛り上がる。不協和音による激しい音調の変化。激しいアレグロから、ちょっと小洒落た終結まで持って行く。

 3楽章は件の新作部分w アダージョ楽章。片山杜秀の解説によると、主題と変奏、コーダという構造になっていると考えられる、とある。主題は1楽章第1主題と関連しているシリアスな鎮魂歌。低絃からの憤りが噴出し、次第に鎮静化する。ラストは、一気に消える印象がある。

 音色に乏しく、四重奏や五重奏のような「透明感」にも欠ける絃楽合奏曲としては、まずまずの出来に感じる。


第5交響曲「協奏交響曲」(1950)

 5番は、3楽章15分ていどの短い曲。題名の通り、合奏協奏曲風。これも、過去の作風の改訂であるという。トランペットと管楽器のための協奏曲(1933)→管楽器とコントラバスと2つのトランペットのための協奏曲(1949)→第5交響曲「協奏交響曲」なのだそうな。

 従って、今作は変則オーケストラで、ホルンを除く木管金管の管楽合奏とチェロ、コントラバスである。管楽に2本のトランペットが含まれており、それがソロを奏でる。5番自体が、かなり新古典主義的。これまでマーラーやベルクだったのが、いきなりヒンデミットや、ストラヴィンスキーに近い。

 1楽章トッカータからモダンな響き。トランペットが無表情ながら生き生きとしたソロを奏で、ぴょこぴょこと管楽の伴奏が答える。叙情や美旋律は無く、楽器の性能を引き出しきったような、物理主義的な音楽。

 2楽章は「ストラヴィンスキーへのオマージュ」とすらある。緩徐楽章だが、春の祭典の旋律からの引用と思われる響きが如実に認識できる不思議な曲。ハルサイの、冒頭のファゴットの旋律、そのすぐ後のオーボエのあの旋律、バスクラリネットのあの部分だけではなく、第2譜冒頭のあの部分のような進行も面白い。トランペットのあの部分まである。どこがどうかは聴いてお楽しみ(笑)

 3楽章はどちらかというとヴァイルにも近い雰囲気。ジャズっぽくもあり、辛辣なロンド・アレグロ。作風を書き分けられる、ハルトマンの作曲家としての技術力を物語る1作。


第6交響曲(1953)

 これは1938年の2楽章による交響曲「作品」というものを、戦後に全面改修し、ノータイトルで6番とした。2楽章で、約20分。バランスの良い音楽になっている。

 1楽章はアダージョだが、大規模な管絃楽による音響的面白さもある。時間も長すぎずちょうどいい。いつもながら低い音からじわじわと盛り上がってゆくが、6番はマーラーの7番っぽい雰囲気も漂う。約10分の楽章だが、じわじわ盛り上がって6分ほどに音響的頂点が来る。それから次第に鎮まってゆく、ハルトマンお得意のアーチ構造。ただし、最後の方にまた一悶着あるも、静かに消え入る。

 2楽章はトッカータ・ヴァリアータとある。連続したフーガが変奏曲的に随時出現するという、面白い作りの楽章である。第1フーガは絃楽合奏に打楽器が暴力的にからむ。第2フーガは主題を展開しているが、雰囲気は代わる。第1フーガで休んでいた管楽器が大活躍。ピアノも入ってきて、ジャズ風の雰囲気。第3フーガは打楽器ソロも炸裂した後の、ヴィオラソロから再び入る。3番目のフーガは打楽器が大活躍。トランペットも美味しい。そのままバッカス的狂乱の中で、一気に終結する。


第7交響曲〜大管絃楽のための〜(1958)

 ハルトマンの交響曲で、初めて前作の無い、完全オリジナル作品。2楽章制で約30分あるが、正式には楽章ではなく部。第1部10分、第2部が20分ほどと長い。

 第1部は序奏とリチェルカーレ。ただしバロック的なそれではなく、現代的な複雑なもの。ファゴットの重奏より始まり、テンポを上げてやがてリチェルカーレに突入する。フーガの事だが、第1フーガ、第2フーガに別れている。ハルトマン得意の複雑なアレグロ・フーガは、なかなか面白い。再びファゴットはじめとする木管群の重奏から第2フーガ。これは盛り上がって、これもハルトマン得意のティンパニ大乱打もある。

 ただ、ひたすらコチャコチャしたフーガを7分以上も聞くのは、なかなか骨が折れる(笑)

 アダージョ・メストとあり、瞑想的なチェロソロより始まる。アダージョ部とフィナーレ・スケルツォが明確に別れており、アタッカだが実は2つの楽章を内包していると考えて良い。
 
 美しくも不協和音で厳しい絃楽合奏。管楽器も混じって、次第に盛り上がってゆく。打楽器も交え、何度か頂点を迎えて鎮まるとフィナーレ。

 ここはハルトマン節炸裂のゴチャゴチャアレグロ。木管の可憐な旋律も、激しい金管や打楽器の合いの手に凶暴に聴こえる。絃楽はいきり立ち、ピアノが協奏的に彩りを添える。


第8交響曲〜大管絃楽のための〜(1962)

 これも7番と同じく、戦後の完全オリジナル作品。これでハルトマンの交響曲は打ち止め。翌年に癌で亡くなる。6、7、8と2楽章制なのが共通している。25分ほどと、やや小規模。
 
 木管の鋭い音響から第1楽章が始まる。それは序奏で、絃楽による物憂げなカンティナーレ。フーガっぽい展開を見せるも、またカンティナーレに。そこから次第に盛り上がって頂点は2回。そして鎮静化して次の楽章へ。これはもうハルトマン様式とでも云うべきもの。8番第1楽章はその集大成。

 2楽章はハルトマンにしては変わっている。バッカス讃歌と書かれた長大なスケルツォとフーガで、珍しくアダージョを伴わない。1楽章がちょっとアダージョっぽい所もあったかもしれないが。

 はじめはチョコチョコとしたスケルツォ。いかにも諧謔的かつ複雑。打楽器も変わらず活躍する。無窮動。楽章の半分ほどでクライマックスとなり、フーガに突入する。テーマはスケルツォと同じもののように聴こえる。バッカス讃歌というわりには、なんか二日酔いの苦しみ状態が続く。

 しかし終結の和音だけ、ジャーーーン!! と堂々とするw









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