シューマン(1810−1856)


 ドイツロマン派を代表する作曲家であるシューマンは、ショパンと同い年であり、同年代には1809年生のメンデルスゾーン、1811年生のリストがいて、どちらとも親交を結んでいる。

 元はピアニストだっただけにピアノ作品があるが、歌曲もあり、また管絃楽曲も多く交響曲は4曲ある。

 ただ、梅毒を原因とする脳神経系の疾患で精神的に不安定な時期に書かれたものもあり、また個人的にオーケストレーションが独特(イマイチという人も)な事もあってか、好き嫌いは別れるだろう。シューベルトの詩情、メンデルスゾーンの朗らかさと比べると、どうもとっつきにくい嫌いが私にはある。

 また作曲後、改訂を経て出版されたものもあり番号が入れ代わっている。いちおう作曲順に記すと、1番、4番、2番、3番となる。また指揮者等により、かなりオーケストレーションに改変が加えられて録音されているため、それらによっては印象が異なるだろう。

 当項ではジンマンの演奏を参考にする。なお2010年シューマン生誕200周年記念イヤーに執筆した。

 どれも有名曲だし自分の押しでもないのでさらっとw

 全曲30分前後で、ロマン派の正統を行く交響曲群である。


第1交響曲(1841/1853)

 既に何曲か交響曲の作曲を試み、途中で断念していたシューマンだったが、1841年に2曲書き上げ、それは出版別に1番と4番になった。特に1番は作曲動機・草稿段階の構想から「春」とも呼ばれている。初演時には各楽章に「春の始まり」「夕べ」「 楽しい遊び」「たけなわの春」と標題があったが、出版に際し取り外された。
 
 トランペットの旋律(春の訪れ)をモットーとして、堂々と序奏が奏でられる。第1主題が朗らかながらも勢い良く提示され、おちついた雰囲気の木管による第2主題も楽しげに鳴る。リピートのあと展開部へ移行。分かりやすい正当派のソナタ形式が、ドイツロマン派の王道を行く。トライアングルが愛らしいのは一興である。展開部は第1主題をメインに料理され、この時代のものらしく重きは置かれていない。全体的に厚いオーケストラのもっさりした響きがやはり好き嫌いが分かれるところか(笑) 

 緩徐楽章はラルゲットという軽い(ラルゴよりや速い)もの。意外とアッサリして、後期ロマン派のような濃厚な味付けは無い。最後はどこか国民楽派をも思わせる物寂しい情景がうまく、標題音楽としても上々。

 アタッカで3楽章に到るが、ここは激しい舞曲。

 4楽章も楽しい気分を表す描写が流石の技術力。ソナタ形式だが両方とも速く似たような主題を使っている。中間部にホルンとフルートのソロが現れてから再現部となる。絃楽によるちょっと大仰な主題も面白い。じわじわと盛り上がって、どこまでも順当に終結する。


第4交響曲(1841/1851)

 1番と同じ年に作曲されたが、評判はイマイチだったという。そのため3番作曲の後、改訂され「交響的幻想曲」となったが、結局第4交響曲として出版された。初演時はちゃんと2番だった。

 面白い事に、全楽章がアタッカで演奏され、30分の大きな1つの音楽となっている。そのため作曲者も、交響曲ではなく交響的幻想曲としたようだ。シューマンの創意工夫が見られる。

 アタッカといっても、初めは4楽章制の交響曲だったのだから、ふつうにちゃんと楽章が4つある。大きな変奏曲のようなものではない。

 荘厳な序奏により全体が導かれると、そのまま短調の深刻な主題が登場する。その主題がそのまま展開され、第2主題を持たないとされる。つまりこれは伊福部早坂が提唱した一元ソナタ形式ともいえ、実に日本(東洋)らしい。かもしれない。トロンボーンの響きも当時としては珍しい。

 展開部といっても後期ロマン派のような展開部がメインの大交響曲と異なり、何かちょっとずつ変形して行くもどかしさがまたなんとも。終結も明確ではない。

 アタッカでロマンツェへ突入する。オーボエと、引き続きチェロに自由なソロが登場し、安らかな気持ちになる。3分ほどの短い部分。

 続けてスケルツォとなる。激しくも上品な舞曲。メロディーが実にカッコイイ。コーダが第4部分への導入も果たしている。

 気分を変えて、第1楽章の主題をもじった主題により全体の統一を図っている。途中から一気に緊迫して展開部となる。この時代の曲は展開が弱い(メインではない)ので、同じ様なことをいつまでもやっている印象もあるが、じわじわと盛り上がってフィナーレへ行く過程としての役割なので仕方のないところ。

 ラストは若々しい気分で大団円。

 際立った奇抜さは無いが、確かな作曲技術に支えられた名曲といえる。実にシブイ逸品。いかにも交響曲然とした優等生的な1番より、味わい深い。交響曲といえば緩徐楽章がやたらと長いイメージがあるがそれは後期ロマン派の特徴で、実はメインは第1・第4楽章で緩徐部分とスケルツォはオマケ。


第2交響曲(1846)

 ハ長調の割に暗い序奏からスタートする。高名な某評論家U氏もシューマンは好きだが2番は陰鬱としてよく分からないと評論本に書いていた。確かに1楽章をとってみても、明確な主題が現れず、ウダウダと独白のような独特の表現がとられている。それがまた取り止めも無く、云い方が悪いが精神病患者が壁に向かって独り無限につぶやいているようだ。

 そうは云っても音楽なので、そこまでは支離滅裂ではない。作曲自体は短かったがオーケストレーションに数年をかけている。彼としては作曲時間が長く2年ほどかけて1847年に完成したようだ。そのころ、シューマンは梅毒から来る神経衰弱で極度の躁鬱病に侵されていた。

 アルプスの遠景のごとき遠方よりの光がオーケストラより現れ、主部のアレグロに到る。ここでも第2主題はよく分からず、第1主題が延々と変奏される。その変奏がむにゃむにゃしてなんとも(^^; 執拗な付点音符攻撃にイラッと来るか、面白いと感じるか。

 2楽章はスケルツォ。通常は2楽章が緩徐楽章で、ベートーヴェンの9番が珍しい例。2つのトリオを持つ。第1トリオは三連符が特徴的。第2トリオは4分音符。

 アダージョは憂鬱として美しい。この黄昏た美はシューマンの中でもきわめて美しいと感じる。規模もまずまず大きい。

 終楽章は一転して激しく明るい。短い序奏より、飛び跳ねるような第1主題が登場。どっしりとして分厚い響きがなんともシューマン(笑) 第2主題は3楽章からの発展でちょっと鬱。展開部で大きく盛り上がって、コーダも良い。ティンパニの連打で幕を閉じる。

 2番は能天気な1番や観光名所めぐり的な3番に比べるとかなり通好みと感じる。


第3交響曲(1851)

 珍しく5楽章制。ドイツ音楽でものベートーヴェン6番に前例があるとはいえ、なかなか斬新である。

 1850年に着手し、1851年に完成した。1947年は長男や盟友メンデルスゾーンの死でそうとう凹んだのだが、1949年には住んでいたドレスデンで革命まで起きた。革命派ではあったが安全を考えてシューマンはマクセンへ避難し、最終的にはデュッセルドルフ管弦楽団及び合唱団の音楽監督の招聘に応じて当地へ移った。そこでの仕事や環境に精神状態が好転し、またライン川上流のケルンでの観光もこの最後の交響曲の発想に役立った。従って、「ライン」と呼ばれるが、シューマンの名付けではない。

 ただし、シューマン自身の言葉として「あちこちにライン河畔での生活が反映されている作品」という事である。

 冒頭から勇壮で明るい第1主題が魅惑的だが第2主題はけっこう暗いw ブルックナーみたいなホルンがカッコイイ。当時の楽器の性能を考えると胸が熱くなる。最後までリズム良く壮大な雰囲気を保つ。

 2楽章はスケルツォというよりメヌエットみたい。意外と複雑な進行をする。3楽章はいちおう緩徐楽章とのことだが、こちらもメヌエットっぽい。指示は「速くなく」とある。2楽章以降は全体に規模は小さい。静かな落ち着いた音楽で、BGMっぽいのはやはり川の流れにインスピレーションを得ているからかどうか。

 4楽章がたぶん補助楽章で、コラール楽章である。冒頭のコラールにアルト・トロンボーンが指定されており、そんな楽器、見た事ない。テナーで吹くとラヴェルのボレロのソロより高い音だそうで、胸が熱い(笑) ホルンもおいしい。短い。

 5楽章ではお祭となる。4楽章の儀式的空間とは対比を成す。4楽章のテーマも現れて長いクレッシェンドを築き、祝祭的雰囲気を盛り上げる。






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