小倉 朗(1916−1990)


 「あきら」ではなく、おぐら「ろう」です。

 戦前うまれの中でも特に前衛技法を嫌った中で、さらに特に古典派に影響を受けているのが小倉。従って、管弦楽曲もブラームスベートーヴェンを模した物を多く作っていたというのだが、やがて戦後にそれも破棄し、バルトークやシェーベルクに影響を受け、日本民俗楽派のようなものに目覚める。したがって、民族派といっても、その構築性は手堅く、新古典的である。


交響曲 ト調(1968)
 
 古典派を模写していた時代に作曲された交響曲ヘ長調は、破棄されたとのことで、これが唯一の交響曲のようだ。しかし、1968年の作曲にしては、やはりかなり古典的に聴こえる。

 曲調は一貫してアポロ的に明るく、ハイドンの古典を模写しているのは明白。しかしその中にも、小倉の目覚めた日本的なリズムと調性があって、それが魅力と特徴といえる。その意味ではこれも、伊福部昭のいう「日本を背負った新古典」の一種ともいえるだろう。

 これがどれほど古典的かというと同時代の他者の作品では、有名どころで、1967年に武満徹がかのノヴェンバーステップスを発表し、同じく67年に矢代秋雄がピアノ協奏曲、68年には松村禎三が管弦楽のための前奏曲をつくっている。それらのモダンで前衛的な形式と響きの中にあって、小倉の交響曲は、響きにおいてはこれでも斬新な部分もあるが、その形式において、古典風な面では他の追随をゆるさない。

 これは言うなれば、プロコフィエフの「古典交響曲」のようなものなのかもしれない。

 4分ほどのアレグロではじまる1楽章は極小のソナタ形式であり、旋律とリズムはとても特徴的。日本的な要素は、旋律よりもむしろリズムのほうに見られる。

 もっとも長い2楽章のアンダンテは変奏曲形式で、主要主題が、後半はフガートにもなって処理される。これも3分ほどのスケルツォの3楽章は、深遠な前楽章と対照的に、ティンパニのグリッサンド奏法も登場し、かなりコミカルな仕上がり。だが、旋律は意外と物憂げ。

 4楽章マエストーソは7分ほどの音楽で、アレグロ楽章。序奏+ロンド形式。豊富な打楽器が活躍し、いかにも楽しげなテーマがロンドで繰り広げられる。
 
 全体で25分ほどの軽交響曲といえる。




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