バラーキレフ(1837−1910)


 5人組長老格としてしかしキュイと共にマイナー作曲家に甘んじているが、グリンカに正式に後継者に任じられ、ペテルブルク音楽院の創立者として、かのチャイコーフスキィが助言を求めるほど実力があった。

 伊福部昭の師であるチェレープニンが、若き伊福部に対し 「そろそろお前さんも交響曲を書きたいだろうがまだ実力不足である。バラーキレフだって最初の交響曲を書くのに30年もかかった」 として若さゆえの拙速を諫めた話はファンのあいだでは有名だが、バラーキレフは別に30年間悩みながら作曲を続けていたわけではなく、中断していたらしい。

 寡作家で、境遇はボロディーンにも似ているだろう。管弦楽曲では数曲の交響詩と、2曲の交響曲が高名だろうが、ピアノ協奏曲も2曲ある。特に交響曲はなかなか構成的にもしっかりしていて、チャイコーフスキィの1〜3番よりずっと出来が良いと思う。


第1交響曲(1897)

 作曲年代は 1864-66年、再開1893-97年 となっている。遅筆とはいえ、どうも忙しくて(あるいは作曲できなくなって)途中でほっぽり出したらしい。(正確には分かりませんが)
 
 曲ふうはまさにロシアの正統古典交響曲の名に相応しいもので、ロシア民謡的な旋律といい、分厚い管弦楽といい、吼える金管、叩きまくるシンバルといい、参りましたと云いたい。これは良い曲だ。特にロシア音楽好きは、必聴でしょう。演奏にもよるだろうが、ラストのコーダなどは特筆ものの燃え方。

 鬱屈としたラルゴによる雪雲のような序奏が次第に明るくなり、燦々と陽光が輝く様子は、北国の交響曲の醍醐味とすらいえる。

 躍動的な第1主題には既にトロンボーンがババーンと光り輝き、第2主題は対照的に調を変えてもの悲しい。展開部ではトランペットと共にシンバルがジャカジャカ鳴り響くのがまた嬉しい(笑) じっさい、全般にわたり鳴りすぎです。シンパルはロシア人がこよなく愛する楽器というのは、こういう事例に本当の事のように思えてくる。トライアングルもよく鳴る。

 メロディアスな弦もかっこいいし、コーダのファンファーレ的な金管やティンパニも激燃えます。

 2楽章は規模の大きいスケルツォで、終楽章に匹敵する大きさ。流れるような美しい西欧ふうのスケルツォ主題は行進曲調となるとやおら民族度を増す。トリオでは、まるで中央アジアの草原にてみたいな茫洋とした雰囲気が漂う。スケルツォ−トリオ−スケルツォ−トリオ2−コーダというふうに聴こえるが楽譜見てないから正確には分かりません。とにかく、ここでもシンバルは大活躍です。

 緩徐楽章(アンダンテ)の3楽章は、まさに交響詩的な雰囲気で、交響曲の楽章という気がしないのもまた趣がある。この長閑なクラリネットによる主旋律を聴くだけで価値があるでしょう。その主題が弦に受け継がれ、交錯しつつ、発展してゆく様子も楽しい。最後のハープのアルペジオも雰囲気が良い。

 フィナーレは古典的様式により、ハデなものに仕上がっている。ロンド形式なのだろうか? しかし旋律にからんでくる打楽器の扱いや、民族的舞踊曲を模した主題、容赦なく鳴る金管などが、ここでも正統ロシアの交響曲を味わわせてくれる。この交響曲があってこそ、チャイコーフスキィの交響曲が普遍的なものへと昇華できたとさえ云えると思う。

 コーダは管打の連打で燃え燃え〜!(笑)

 リームスキィ=コールサコフやムーソルグスキィ等に比するとさすがに革新性は無いが、有り余る抒情がある。

 マイナー曲というより、秘曲というに相応しい曲。カリーンニコフの1番に匹敵する名曲です。スヴェトラーノフ、カラヤン、コンドラーシンと、さすがに価値の分かっている巨匠が取り上げているだけあります!


第2交響曲(1908)

 こちらは1900-08年に8年もかけて作曲された晩年のもの。

 晩年となると曲風がシブーく、くらーくなるのは致し方の無いところか。全体として1番よりやや規模が小さいが、40分にせまる堂々としたものである。

 短い動機からいきなり主題に入るが、これがまた、なかなか枯れていて良い雰囲気。独特の民族的リズム伴奏が円熟の筆を表している。もっともシンバルは相変わらず鳴るが、かなり控えめなのが笑える。というか1番と比べるとまるで盛り上がりに欠けるが、カリーンニコフとちがってつまらなくないのが魅力か。(カリーンニコフはどちらも若書きだが……)

 しかし2楽章のコサック風スケルツォは快活さを取り戻し、曲想も面白い。まさにロシア民俗楽派の大家の面目躍如か。

 アンダンテはロマンス調にと指示があり、かなり甘い! しかしこっちのほうが1番より好きという人もいるかも! 民族的雰囲気は消えて、実に切ないロマンスが繰り広げられております。

 しかしこれまでの無味乾燥とまではゆかないが、なんとも静かな印象は、4楽章において一気に解消されるだろう。ドハデとまではゆかないが、なんとも味わいぶかい人生謳歌とも云うべき人間讃歌の音楽が聴かれる。明るいテーマが楽器を変えて繰り返され、ブラームスにも似た展開もみせる。中間部の人生の極みを見たような慈愛に満ちた感じも良い。

 コーダもハデすぎず、しかしカッコイイです。
 
 このころマーラーが既に中期の諸曲を書き終えていた事を鑑みると、やや、時代後れなふうも無い(生年から云って当たり前なのだが。)が、これはこれでまずまず面白い曲だと云える。1番をロシアの特徴的な民族楽派交響曲とすると、2番はそれをなんとか普遍的な価値観まで高めようと努力した痕跡がみられて、とても興味深いです。




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