スヴェトラーノフ(1928−2002)


 日本のクラシック聴きで知らぬものはないはずのソ連〜ロシアの大指揮者、スヴェトラーノフ。その強烈なキャラター、伝説の演奏の数々は、ロシア人指揮者としては日本ではおろらくムラヴィンスキーに匹敵するものがあるのではないか。ゲールギエフなどまだまだ中堅。コンドラーシンですら、急逝により、マニアックな指揮者扱いで、日本におけるスヴェちゃんの名声には大いに劣ると思う。晩年にN響を沢山指揮してくれたのも嬉しい。

 そんな彼は、作曲もする指揮者だった。指揮もする作曲家との曖昧は微妙だが、どちらが仕事としての本業か、で別れてくるのではないか。その意味で、マーラーは生前はれっきとした作曲もする指揮者だった。指揮と作曲と両立しどちらも大家になる例はきわめて少ない。が、作曲もする指揮者は、自作自演という強烈な武器を使うことができる。指揮もする作曲家はストラヴィンスキーなど、指揮自体はドヘタだったという例もある。もっともマタチッチのように自分の交響曲を振れない指揮者もいたが(笑)

 作曲としては、管弦楽曲や、室内楽曲など、けっこうある。しかも自分でたくさん録音している。残念ながらソ連のレーベルが大半なので、現在ではそれほど出回っていない。

 その中で、交響曲が1曲ある。


第1番交響曲(1956)

 1番だけど、2番は書かれなかった。1956年、28歳の時の作品で、若書きだが、本人は気に入っており、よく再演していたという。

 なんとも、云ってしまえばチャイコフスキーショスタコーヴィチにマーラーやハチャトゥリアンのハーブソルトがパッパという感じ。

 作曲年代的にはおもいきりゲンダイオンガクの部類なのだが、バリバリの調性音楽であり、ところどころ何かのサントラかと思うような、旋律重視の、伝統的なロシア音楽。社外主義リアリズムにしたって、ここまで豪快に歌い上げる必要はないのではないか、とすら思う。

 しかし、最大の問題は、とてつもなく面白いこと、である(笑)

 なんというか彼の指揮芸術そのままの、プレーキを踏みながらアクセル全開でしかもそれがダンプカーどころかスターリン戦車というオソロシサ。

 冒頭より跳躍の激しく、深刻かつ重厚な主題が弦楽で奏せられる。静まってより、アレグロ。クラリネットの感傷的なメロディーが良い。しばし木管のソロイスティックな旋律を楽しんでいると、やおら、トランペットがビリビリと鳴り、高速アレグロ(プレスト?)でじわじわひたひたと盛り上がり、やがて主題が回帰して静まる。
 
 2楽章のスケルツォがまた出来物。バーンスタインかというリズミックでアニメの戦闘音楽のような導入に、唸る。あとは異様にカッチョエエショスタコ風アレグロが延々と続き、トリオでは、その主題が実に見事にメルヘンに化ける。さらにお花畑がひろがって(笑)むーすーんでひーらーいてー♪みたいな主題が(笑) なんだこれww そして冒頭に戻って一気に締める。

 3楽章は感傷的アダージョ。もう少し時間的に長ければなお良いが、こんなもんかな。また主部のハープに乗るホルンによる美旋律も素晴らしい。ちょっとチャイコの5番ぽいけど(笑) ああ、その後の展開はボロディンのかほり。後半部はショスタコw

 終楽章では1楽章の主題が再び(金管で突き刺さるように)登場し、アレグロ開始!!

 うわー楽しいなあwww

 アレグロカッケーー!!

 たまんねえwww

 3楽章のテーマも登場し、バキバキに盛り上がった後、後奏として美しいアダージョが奏でられる。

 現代ものとしては革新性は皆無だし、音楽としてのオリジナリティにも欠けるだろうが、本人の指揮そのままのような重厚重圧で豪快な存在感は、ロシア−ソ連音楽ファンにはたまらないものとなっている。甲の物ではなく、かなり「乙」な代物。



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