ブリス(1891−1975)


 当サイト掲示板でGOLD様及びtcity様よりご紹介いただいたイギリスの作曲家、サー・アーサー・ブリスは王立音楽大学でスタンフォードに師事したのち第一次世界大戦へ参加、戦後に作曲活動を始めた。当初はストラヴィンスキーやドビュッシーの影響下で声楽をヴォカリーズとして楽器の一部として使用するような革新的な作品を書いていたが、エルガーと親交があり後に古風で伝統的かつイングランド的な作風へ転換する。

 第二次大戦後も旺盛に作曲活動や音楽放送番組のプロデュースを行い、バックスの後任として王室専属音楽顧問となり国内での地位は向上したが、自分が望んでいた作曲家としての世界的な名声はついぞ得られず、エルガー、ブリテンホルストウォルトンヴォーンウィリアムスらの陰に隠れ、現在にあってもマイナー作曲家の地位に甘んじている。

 1964年にロンドン交響楽団と来日し、自作を指揮しているというから驚きだ。交響曲は標題めいたものと合唱交響曲の2曲がある。


色彩交響曲(1922/32)

 妙なタイトルだが、原語でいうところの A colour symphony であり、色交響曲というか、とにかく日本語では奇妙な印象を与えるかもしれない。ここでは音に色が見える共感覚に似たものとして、音と色の関連性を描く試みがなされている。ただし、色そのものを音楽化したというわけではない。

 エルガーの招きで1922年のグロスターの「スリー・クワイヤーズ・フェスティバル」という音楽祭(?)へ作品を出すことになり、ブリスは交響曲を書こうと決心。しかし、なかなか主題や構成を決められずにいたところ、とある紋章学の本で色と形の関連性について読み、色と音の関連性を描いた交響曲にしようと思い立った。

 4楽章制で演奏時間は30分ほどと、なかなか規模が大きい。各楽章には標題めいた色やその関連性が定められているが、音楽と具体にどういう関連があるのかは、聴いているだけではよく分からない。それは、作曲家の意図とはまた別個に、聴くものの自由に委ねられているだろう。

 第1楽章 紫、アメジストの色。ならびに壮麗さ、高貴さ、死の色(アンダンテ・マエストーゾ)

 一定のリズムに乗った地味な主題が、鮮やかな響きで展開して行く様はまさに「色付け」というに相応しい。音響そのものは、確かにドビュッシーやラヴェルめいたフランス音楽っぽい。ただし、紫色かどうかは分からない。自分としては、やはり海っぽいが。夕日の海か。むしろ赤じゃないか、という気がしないでも無い。時折、装飾的に挿入される東洋主題も印象深いが、基本的にゆったりとした、穏やかで幸福感のある主題が続く。

 第2楽章 赤、ルビーの色。ならびに葡萄酒、酒宴、かまど(炉)、勇気、魔術の色(アレグロ・ヴィヴァーチェ)

 スケルツォ楽章であり、標題音楽的には炎の音楽。それでいて、明るく勢いのある色彩感はうまく表現されていると思う。激しい第1主題の後、流れるような副主題も魅力的。ロンド形式(?)で冒頭主題へ戻り、元気の良い音楽が続く。オーケストレーションもぶ厚く豪奢。やはり近代フランス的色彩を感じ取ることができる。副主題も再現され、さらに変奏されて第1主題が燃えあがる。最後は花火めいた爆発で終了。

 第3楽章 青、サファイアの色。ならびに深い水、空、忠義、メランコリーの色(ジェントリー・フローイング)

 なぜかここだけ発想記号が英語。「優しく流れるように」程度の意味である。緩徐楽章。スケルツォが赤で緩徐が青とはまた順当な感性。別に青が荒れ狂っていてもおかしくはないと思うが、ここでは穏やかな水面のイメージとなる。管楽器と弦楽器が、順番にゆったりと旋律を流して行く。数分でやおら緊張感が出てくるも、ホルンの水平線に霧が出るようにして消えてしまう。後半は少し音調が変わり、指定通りややメランコリックな雰囲気となる。木管の音色が美しい。最後は少し荒れ模様となるが、基本的に不協和音も心地よいレベルの近代音楽。冒頭のゆったり感が再現されるが、突如として帆船が行くような前進がホルンに現れ、面白い。それも次第に水平線の向こうへ消えてしまって……静かに楽章を終える。

 第4楽章 緑、エメラルドの色。ならびに希望、青春、幸福、春、勝利の色(モデラート)

 ここにきて、幸福の楽章なのにいきなり序奏は不安定な音調。音列めいた不気味フガート。ブリスの先進性を表している。その中から次第に調性感が立ち上ってきて、音調は副題通り解放感と幸福感が支配してくる。緑かどうかは、聴くものの感性に委ねられるだろう。身も蓋もないかもしれないが、あまり、全体的に気にしないで音響を楽しむべきか。厚い音響旋律がしばし続くが、やがてアレグロ主部となって木管に細かく進む主題が登場。重層的な木管合奏が心地よく、ブリスのうまさを示してくれる。金管も入ってくると、やおら信号音がして雰囲気が変わる。ペトリューシュカっぽい響きもご愛嬌だろう。主題はあまり変化せずに総奏となり、ティンパニも轟いて盛り上がる。最終部では英国流の聖堂伽藍からのコラール。コーダで華々しく散華するも、終結和音は無く音は放射されて終わる。最後は、パレットへ絵具をぶちまけたのだろうか?

 ちなみに、同じくイギリスの吹奏楽メインの現代作曲家、フィリップ・スパークにも同題で同コンセプトの第3交響曲「色彩交響曲」(2016)がある。


「朝の英雄たち」〜第1次世界大戦の犠牲者への鎮魂の想いをこめた合唱交響曲〜(1930)

 マイナー曲のためか、あまり目立った解説は無い。第一時世界大戦への犠牲者のためのレクイエムとして作曲された、朗読と合唱とオーケストラための曲。高名詩人の戦争に関する詩を抜粋し、歌詞としている。ホメロスの「イリアス」、アメリカのホイットマン、李白、イギリスのオーウェン、ニコルスである。オーウェンとニコルスはブリスと同時代の詩人で、ブリス同様第一時世界大戦へ従軍し、その悲惨さを目の当たりにしている。また、ブリスの弟は同じく第一次世界大戦へ従軍して、西部戦線で戦死しているそうである。

 5楽章制で60分ほどの大作。1・5楽章にナレーションが入る。日本語訳が手に入らなかったので、ネットで分かる各楽章の詩題は以下の通り。(NMLより)

 I. Hector's Farewell to Andromache
 II. The City Arming
 IIIa. Vigil
 IIIb. The Bivouac's Flame
 IVa. Achilles Goes Forth to Battle
 IVb. The Heroes 
 Va. Now, Trumpeter, For Thy Close
 Vb. Spring Offensive
 Vc. Dawn on the Somme

 こうしてみると、第3楽章と第4楽章に2つの詩が、第5楽章には3つの詩が採用されているようだ。

 第1楽章、レクイエムのわりには明るい、安らぎの序奏が流れる。鎮魂にしても悲痛さではなく、安息の世界。しかし、やおら立ち上がる雄々しい主題は、戦争へ参加した一兵士たちへの敬意だろうか。そこからナレーション。欧米では朗読劇などが古代ギリシャの時代からあったので、朗読というジャンルも古くから確立しているが、日本ではあまり馴染みが無いように思える。現代作品でも武満徹の系図が高名なくらいか。イギリスでは、朗読は重要な文化ジャンルとのこと。さらにイギリスといえば合唱。それらが合わさるのは、ごく自然なことなのだろう。オーケストラは朗読の伴奏としてけして目立たず、語りを彩って行く。問題なのは、自分は英語が分からないので朗読の鑑賞も不充分なことか。歌なら音楽として鑑賞できるが、流石に朗読はなあ。後半はえらい語りも興奮して盛り上がって、音楽も劇的になる。それから、鎮まって祈りの中で終わる。

 第2楽章、劇的な合唱から。なんか讃歌っぽい。まさに正統なイギリス音楽な響きがする。複雑な和声が近代的だが、歌うのは難しそうだ。一貫してアレグロで進められる。中間部ではテンポが落ち着き、進軍調にもなってかっこよい。オーケストラも時に爆発する。オーケストレーションもうまい。けしてブリスは2流ではないことが分かる。これほどの腕前があったのならば、自らがもっと認められたいと願ったのも、うなずける。音楽は詩の展開にあわせて自由形式(だと思う)なためか、いまいち進行が掴みづらいが、音調としては刻々と移り変わっていって面白い。終結はまたも霧中へ消えて行くような雰囲気。

 第3楽章は緩徐楽章に相当するだろう。穏やかな序奏より、女声部が神秘的な和音を伴って歌い始める。まさに祈りの音楽化。これこそ波のように美しい響きが寄せては返し、清浄と安息が時間と空間を支配する。複合された声部が不思議な浮遊感を伴い、霊的な信仰すら想起させる。一瞬、差しこまれる東洋的な主題も良い。後半では一転、嵐の予感。ここから2つ目の詩なのであろう。代わって男声部が入ってくる。響きとしてはあまり前半部と変わらないが、明らかに不安で悲劇的な音調。派手ではなく、じっくりと進んで戦争の悲劇を歌う。途中から女声部がヴォカリーズで入ってくる。ここも、そのまま終結部無しで気がつくと終わっている。

 第4楽章はやや短い。しかも、いきなり劇的である。戦争映画のタイトルバックかという仰々しい音楽が始まり、じっさいそういう感じの詩のよう。合唱もアレグロで雄々しく突き進む。しかし重くなく、もっと後世の近代化された大規模戦争というイメージよりも、昔ながらの戦闘シーンの印象も受ける。だが、第一次世界大戦はけして第二次世界大戦と比べても気楽な戦争ではなかった。むしろ、もっと陰惨な部分もあった。一瞬の暗転の後、再び進撃が始まる。コーダに到り、むしろ讃歌は発狂したような叫びへ変化して、叩きつけるように終わる。

 5楽章、再びナレーション。ティンパニの打音を背後に語りは続く。またまた、やおら興奮して演劇めいた昂奮を見せ、打楽器も鋭く打たれる。内容が分からないと、ちょっとポカーンとする場面か。朗読は、そういう残念さがつきまとう。ナレーションが終わると静かに音楽が始まり、序奏から安息の合唱。次第に力強く盛り上がって怒濤の讃歌となるも、苦しげな音調へ転落して行く様は悲痛だ。そして、呆気なく茫洋とした霧の中へ彷徨って行ってしまう。

 長い上に何を云っているのか分からず、音響的にも「正しい」英国音楽の例に洩れず滅法地味なので苦手な人もいると思われるが、じんわりと迫ってくる感動は色彩交響曲より大きい。むしろ英国面へ堕ちた人には、たまらないだろう。





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