バックス(1883−1953)


 吉松隆が「イギリス裏3大B」と称してバントック、バックス、そしてバターワースを挙げていたが、その1人、アーノルド・バックス。サーやミドルネーム、受勲を全部入れると、サー・アーノルド・エドワード・トレヴァー・バックスKCVO(ロイヤル・ヴィクトリア勲章)となる。

 バントックと同じく、生粋のロンドンっ子でありながら、ケルトに傾倒。裕福な家庭に生まれ、年少より音楽的才能を示す。1904年に王立音楽学校を卒業してより、本格的に活動を始めたとのこと。

 なんといってもアイルランド語を猛烈に勉強して、アイルランドで詩人・小説家として認められたというのだから、その傾倒ぶりがうかがえる。また、実の弟がホルストへ占星術を教え、ホルストがかの惑星を作曲するきっかけになったというエピソードがある。当人もホルストとは親しく、神秘主義者であった。妖精や精霊の世界にのめりこみ、悪魔が憑いていると云われたこともあったという。

 当然、音楽にもその影響が現れるが、バントックにも通じ、土着人による土着音楽ではなく、あくまで都会人が第三者としてのめりこんだ土着の味わいというものが、単なる芋くさい自己主張的な民族主義を超えた洗練さや上品さにつながっていると考えられる。

 また、既に妻帯者であったバックスは12歳年下のピアニスト、ハリエット・コーエンと激しい恋に落ち、その不倫関係も、音楽へ影響を落としていると云われる。それは時折現れる甘く切ない響きに見ることができるだろう。しかも、バックスのケルト信仰は、このコーエンの影響というのだから、恋愛感情だけではなく、どれほど重要な関係だったかが窺える。

 交響曲が7曲もあり、すべて大規模なもの。


第1交響曲(1922)

 バックスの交響曲はすべて1920〜30年代に書かれており、大規模な3楽章制で、演奏時間は40分前後である。晩年は交響曲を書かなかった。初期の、ドビュッシー/ラヴェル的な和声や管弦楽法から、一気に独自の世界へ飛び立ったのが、この交響曲第1番だろう。

 もともとピアノ・ソナタとして1921年に書かれたが、オーケストレーションを施し、交響曲第1番となったという経緯がある。

 第1楽章、アレグロ・モデラート・エ・フィローチェ。重厚で深刻な主題が鳴り渡って始まる。重々しい和音を繰り返し鳴らしつつ、ケルト太鼓を模したティンパニの合いの手より、第2主題へ。ほの暗い雰囲気が、いかにも英国の作曲家だ。もそもそと主題が提示されながら、やがて展開部へ。余り派手にもならず、もやもやした感じですすむ。和声というか、ザグザグとした響きはとても斬新だが、それ以外はもんやりと進む。ある種の絢爛豪華さがあるウォルトンエルガーとは、完全に違う世界だ。もちろん、やけにノーブリーなRVWとも。第1主題と第2主題が、わりと分かりやすく順に展開される。コーダは、しっかりとケルト太鼓が戻ってきて、バーンと熱い響きが。

 ハリー・ポッターで、スリザリンが住んでいたという湖沼みたいなどんよりした空気。第2楽章はレント。指輪物語に出てきそうなこの情景。霧むせぶ風景から、いきなりファンファーレで騎士が登場。いきなりなファンタジー展開がまた、バックスらしい部分。中間部においても、輝かしいファンファーレが戻ってくる。英雄的な雰囲気でレント主題は打ち払われ、重々しい響きが鳴り渡る。楔のように打ちこまれるティンパニ。それが静まると、冒頭の霧ぶかい湖沼地帯の空気が戻ってくる。

 アレグロ〜プレスト〜マルチアと続く第3楽章。この曲をつらぬく古風なアイリッシュめいた主題が高らかに鳴らされ、終楽章は始まる。どこかハリー・ポッター的な世界が聴こえるのは、映画の作曲家が参考にした部分もあるのだろうか? そうも考えてしまう。エキゾッチックな主題が、輝かしいオーケストレーションで響きわたる。次から次へと面白く、かつ辺境的な趣の興味深いテーマが出てきて飽きない。中間部からテンポが速くなってプレストになるも、すぐさま重厚なマーチとなる。ここは、いかにもブリティッシュだ。そのマーチもすぐに終わって、たっぷりと響くコーダへ。明るくテーマが鳴りわたって、終結する。

 全体に、もっと盛り上がった方がいいとか、もっとメリハリがあった方がいいとか、そういった印象だが、40分という長さは、あまり感じさせない。少なくとも自分にとっては。


第2交響曲(1925)

 2番はオルガン付。もちろん3楽章制で、演奏時間は約40分。

 第1楽章は、モルト・モデラート〜アレグロ・モデラート。怪獣でも出てきそうな、伊福部サウンドっぽい低音バリバリの響きがまず驚く。すぐに西洋音楽の動機が出てくるが。光が雲間より差しこみ、金管が吠える。咆哮と神秘的な木管がキラキラと盛り上がって、やおら、アレグロへ。第1主題は分かりづらいが、民謡っぽくはある。しばし第1主題が展開されるが、じわっと変化してゆくもので、音響は派手だが展開としては地味。

 急に音調が暗くなって、また怪獣サウンドへ。緊張感ある展開となる。続いて、木管が憂鬱な旋律を奏でる。これが第2主題だろう。弦楽器が受け取って、曇天の北アイルランドといった風情になる。第2主題の展開も地味だ。聴く人によっては、ここらへんがダラダラして苦手と感じるやもしれないが、純粋な音響好きには、この多彩さは面白いと思う。

 展開部(演奏時間的に再現部か?)は、第1主題が盛り上がって現れ、派手な音響で攻めて来るも、音楽としてはつかみ所がない。たしかに、シベリウスっぽい音楽の作り方と言われれば、そんな気もする。第2主題も分かりやすく登場し、小展開する。そのまま、コーダで盛り上がると見せかけて、陰鬱な霧の湖沼へ消えて行き、衝撃的な音響で終わる。

 盛り上がるけど解決しない。そこらへんが、ドイツ的な交響曲と異なる。つまり、エルガーやウォルトンとは異なる世界を聴くことができる。しかしこれも、れっきとした連合王国の交響曲だ。

 第2楽章はアンダンテ。雰囲気は変わらない。どこまでも、荒涼とした枯れ野が続く。そこから立ち上る、幻想的で美しい旋律。続いて、やや異邦ふうの経過部へ移り、またヴァイオリンのソロで旋律が提示され、それが弦楽全体で展開される。ここは、異国チックな調べがかいま見える。ソロはクラリネットやホルンへ受け継がれ、しっとりと進む。そこから、今楽章最大の盛り上がりをみせ、金管も吠える。ここら辺の音階がどうにも妙で、いまいちスカッとはしないが、私はカッコイイと思う。最後に、またヴァイオリンがややケルトチックな音階で旋律を導いて、調が変わってやっと晴れ間が。

 第3楽章は、ポコ・ラルガメンテ〜アレグロ・フィローチェ〜モルト・ラルガメンテという流れ。ババーンと、まずは導入でひと吠え。すぐに荒々しいアレグロへ。大音響が大管弦楽で鳴らされるが、動機自体はけっこう細かく変化して行く。中間部ではヴァイオリンソロも飛び出し、オーケストラは薄く展開する。後半ではまた金管の叫びがよみがえって、緊張感が生まれる。オーケストラ全体が吼え、まるで竜の雄叫びだが、どこまでもスカッとしないバックス節。最後の最後、コーダになって、やっぱりちょっとだけ転調して明るく、安らかな音調になる。その中にも、やっぱり神秘的でオカルトチックな旋律が紛れこむ。

 そして、気がつくと終わっている。オ、オルガン……どこ?


第3交響曲(1929)

 これも、大規模な3楽章制。演奏時間は40分を超え、1楽章の規模が最も大きく、演奏時間も半分の20分になる。

 その第1楽章、展開は大きい。レント・モデラート〜アレグロ・モデラート〜アレグロ・フィローチェ〜レント・モデラート〜アレグロ・モデラート〜ピウ・レント〜アレグロと激しく緩徐が入れ代わって変化して行く。

 レントの冒頭は、温厚なハルサイめいたファゴットのソロから始まり、いかにも異国情緒でありつつ、どこかスコットランドの秘境のような雰囲気も漂わせる。ゆったりと楽想は膨らんでゆき、アレグロとなって主部。激しい性急な第1楽章。しかし、オーケストラは、2番のように爆発はしない。シックな音調のまま推移し、相変わらずしっとりと展開する。その後、やや乱暴な音響が現れるが、それが次第に納まって、ヴァイオリンの哀調あるソロ。ここから、再びレントだろう。夢幻の空間と空気が、音楽を支配する。ゆるやかで穏やかな、しかし、どこか哀しげな第2主題が聴かれる。ここは茫洋とした霧むせぶ世界に、旋律がゆったりと流れる展開。その幻想が遠くへ行ってしまうと、まるで泣き女の精霊が登場したかのごとき緊張感。特段の明確な旋律というより、じわじわとした、ざわめきめいた音調が続く。この第2主題の展開は長く、中間部を支配する。

 そこから、やおら、ガイコツの軍団でも登場したかのごときざわめきが、アレグロで示される。壮大な再現部か。しかし、展開もされる。ここで初めて、ホルンを筆頭に金管群が、バックスらしい雄叫び。だがそこまでだ。ドカンとゆかない。そのまま、レントへ戻る。なかなか、面白い展開。ところがそれも一瞬で、アレグロ再び。これが楽曲の最後の部分。コーダに入って、行進調で雄々しく第1楽章は終わる。

 第2楽章もレント。こちらは、同じく茫洋とした基礎に、安らぎ感のある旋律が乗る。金管や木管が単旋律を続けざまに奏でるなか、弦楽は下支えで幻想的な世界を護る。そのうち旋律が弦楽器へ移り、管楽器が伴奏を担う。後半の前にティンパニが轟いて、バーンと盛り上がるかと思いきや、もわもわとそのまま管弦楽は元の場所へ戻り、ゆったりとした時間と空気になってゆく。この人は、こういうときに時折グロッケンシュピールがチロチロ鳴って、ドビュッシーっぽい。

 3楽章はモデラート〜エピローグ:ポコ・レントという構造。この曲は、完全にレントが主役になっている。もやっとした冒頭よりすぐに、勇ましいアレグロへ。こういう、ちょっと陰のある進軍がなんともイギリス音楽に感じる。その音調で、ガーンとゆかずにじんわりと進んで、音楽は速度を落としてやっぱりレント調へ。それから再びアレグロが戻る。それもあまり調子よくは進まずに、しっとりとして、レントへ。ここはもう、世界は開けたようだ。そこから、まさに指輪物語のラストシーンのような、霧の彼方に光る世界を目指して、音楽は終わる。

 巨大なる茫洋。そういった印象。


第4交響曲(1931)

 三管編成にハープにオルガンと、まるでマーラーのごとき陣容。またまた3楽章制で、演奏時間はほぼ40分。

 作曲者の、海への憧れを表現したものであるという。しかし副題が海でないのが、純然たる交響曲の証。

 1楽章はアレグロ・モデラート。重々しいバスドラのトレモロを従えながら、重厚な中音域のテーマが第1主題か。金管のファンファーレめいたテーマもからんで、小展開。それが落ち着いて、ふくよかでやわらかな第2主題が登場する。第2主題も、ゆったりと満月を映して小展開。まさに上下左右にうねる楽想が、海といえば海かなあ、というところ。展開部は、そのまま第2主題をメインに料理する。木管やヴァイオリンのソロをメインに、ここは穏やかな楽想が続く。その中にも、音調として緊張感が残る。第1主題が展開されて現れるが、時間的に再現部だと思う。しかし、完全に展開されている。輝かしくも重厚な金管も重なってきて、祝祭的な雰囲気を出しつつ、第2主題も再現される。両主題が小展開しながらコーダへ雪崩こみ、ホルンの連吼からオーケストラ全体がオルガンも混じって堂々と燃え上がって、波涛と共に終結。

 2楽章は冒頭からハープも入って、バックスのドビュッシー趣味全開。レント・モデラート。若いときは大のドビュッシストだったバックス。こういうところで、趣味が顔をのぞかせて楽しい。ここでは、木管や絃はおろか、金管すらもバックス節の茫洋とした世界を演出する。盛り上がりつつ、やはりバックス、だいたい8割のパワーで推移する。後半に出るホルン群とヴァイオリンのユニゾンも良い。そこから、フルートなどのソロが印象的に響きながら、消えてゆく。

 3楽章アレグロ。タンバリンや木琴を伴って、景気の良いテーマ。舞曲っぽい雰囲気も漂わせつつ、第2主題はゆったりとして、やや仄暗い。クラリネットやオーボエのソロなども、雰囲気が出ている。ここらへんは、なんともラヴェルっぽい(笑) バックスという人は、ケルト的題材にひかれながらも、技術的には多分にフランス音楽へ傾倒しているのである。それは木管のおしゃれな使い方に出ているような気がする。楽想自体や展開は、正直そうパッとしたものでも無いのだが、この曲は音調やオーケストレーションで聴かせる。フルートなどもソロも気が利いているし、その後の小経過部から導かれる壮大で豪華で豪快なコーダが聴きもの。


第5交響曲(1932)

 シベリウスに献呈された5番は、バックスの交響曲の中でも最高傑作との呼び声がある。もちろん、3楽章制で、演奏時間は約40分である。

 1楽章、ポコ・レントから、アレグロ・コン・フォーコ。不安げな、ピチカートに木管がささやく。そこから、弦楽器がすすり泣くようなテーマを出す。シベリウスの5番2楽章からの引用となっている。じわりとテンポが上がって、それとなく盛り上がり、一瞬のゲネラル・パウゼよりアレグロへ。第1主題は、ウネウネしてなかなか分かりづらい。衆愚へ媚びたような、不必要にメロディアスなものではない。そのまま小展開。相変わらずのじわじわ度だが、急に、ちょっとオリエンタルっぽいテーマがオーボエなどに出てくる。これがすると第2主題か? これも小展開。というかそのまま展開部だ。第2主題を展開してやや長く楽想が進むが、やおらまたアレグロになる。再現部か。激しいオリエンタルなアレグロは第2主題の派生だろう。リズミックになって、激しく楽想が変化してゆく。コーダの前で第2主題が小展開され、テンポが落ち、一瞬、バックスらしい金管の輝きがあるも、珍しくたおやかな響きのうちに終わる。

 たしかに、この取り止めのなさがシベリウスっぽいかも。

 ポコ・レントの第2楽章。切ない金管の響きあいが、悲しさを助長する。主題ともいえぬ渋い主題が幾重にも絡まって、シリアスな響きを作る。ときおりティンパニや金管も轟いて、旋律の晴れ間をかいま見せる。その中に、1楽章の第2主題めいた動機も登場。展開されるも、それは霧の彼方へ消える。これまでのテーマや展開を少し再現しつつ、やはり静かに霧の彼方へ。

 3楽章はポコ・モデラート。重厚な弦楽器の主テーマがいきなり鳴る。まるでケルトの王の入場。ティンパニが合いの手で、アレグロへ。行進曲調の楽想がしばらく進む。打楽器もエルガーっぽく入ってきて、なかなかカッコイイ。中間部では、いきなり2楽章の再現になって驚く。その音調のまま、じわじわとテンポが上がってゆき、レントの楽想のアレグロとなる。けっこう、不気味な部分だ。そこから、やおら響きが開放的に。激しくドラも鳴って、グルグルと音楽はうねるが、またも唐突に次の展開へ。ここは穏やかな、暖かい空気だ。そこから、燦然と金管が8割ほどの力で輝く、いつものバックス節へ。終結も、素晴らしく堂々としている。

 構成的にも、主題的にも、全体にかなり掴み所がない。通好みというか、聴く人間を選ぶだろう。最高傑作……かどうかは、人によると思うが、これまでのナンバーと異なり、かなりシリアスなのは確かだ。同じ5番でも、ベートーヴェンやマーラー、ショスタコーヴィチではなく、シベリウスやブルックナーオネゲルの系統だろう。


第6交響曲(1934)

 またまた3楽章制のバックスの6番。私の所有する演奏では、演奏時間は35分となっているが、演奏によってはやっぱり40分はかかるだろうもの。
 
 モデラート〜アレグロ・コン・フォーコの1楽章。こうしてみると、バックスはアレグロ・コン・フォーコ(火のように激しいアレグロ)がお好きなようだ。が、内容はけして火のようにとは行かない。同じ火と云っても、熾(おき)のような、じりじりと燃えるような何かというか。とにかくバックスの音楽は、パワー全体とゆかずに、どこか内的な暴力を潜めつつ、けっきょくその内的なパワーは発揮されないまま終わる。

 モデラートは、まるで近代の映画音楽のようだ。オリエンタルで、ゆったりと勇壮な、そしてかなり俗っぽい響き。ハリウッド映画の、エジプトのファラオの行進かというほどに。

 それが、輝く金管で盛り上がって、アレグロへ。冒頭主題の派生による第1主題が大オーケストラが咆哮して取り扱われる。第2主題も、異国情緒にあふれる。ケルト風かどうかは、ちょっと分からないが。それからアレグロが戻って展開部へ。足しにこれまでのバックスにはあまり見られないほど激しく燃えた後、すぐ第2主題の展開へ。ここはしっとりと、官能的に分かりやすく進む。そこから再現部として1楽章が来るが、そのまま小展開しつつ、一気に終わる。これまでのバックスの1楽章にしては、唐突すぎて驚く。あれっ、終わり!?

 2楽章はレント・モルト・エスプレッシーヴォ。5番を聴いたあとだと、響き自体が大衆的に分かりやすくて、こちらのほうがきっとバックスの本領なのだと思う。途切れなく、音楽は洋上のクルーズ船めいた穏やかさで推移。その中に、なんとも鄙びた、そして哀愁のある旋律が流れてゆく。ときおり、田舎の舞踊もかいま見える。そしてドビュッシー的官能。この人、本当にドビュッシーが好きなんだなあ。1楽章第1主題の派生による豪快な重ワルツも飛び出て、バックスらしくない盛り上がり。それから短い宴がお開きになって、夜の星空の下、満ちたりた気持ちで解散。さよなら、おやすみなさい。

 3楽章は3部制。イントロダクション(レント・モデラート)〜スケルツォ&トリオ(アレグロ・ヴィバーチェ〜アンダンテ・センプリチェ(無邪気なアンダンテ))〜エピローグ(レント)という流れ。

 1楽章が最も規模の大きいバックスにしては、珍しくこの3楽章が最も大きな楽章となっている。

 クラリネットの官能的なソロ。こういうところがラヴェル節。木管と絃に引き継がれて、夜の音楽がしばし続く。テンポがじわじわと上がってきて、スケルツォ(アレグロ・ヴィバーチェ)へ。軽やかにステップが踏まれ、スケルツォというより確かにアレグロ。ティンパニの合いの手も激しすぎない。アンダンテに移っても、センプリチェ(無邪気な)の発想記号の通り、軽やかさと夢見心地は変わらない。スケルツォに戻るが、なぜか緊迫感が増す。そこから豪華な展開部が続いて、かっこよく盛り上がる。頂点において、キラキラとした映画音楽的な手法が目立つ。ゆったりとた旋律は、エピローグへと続いてゆく。そのまま幸福な気分で終わると思いきや、なぜか不安げな打楽器が。主人公がハッピーエンドでエンディングと思わせておいて、霧むせんでゆき、茫洋の彼方に消えるバックス流。

 シリアスさでは5番が最も藝術的かもしれないが、聴いて楽しいのは断然、この6番だろう。


第7交響曲(1939)

 バックス最後の交響曲だが、バックス本人はこの後も10年以上生存しており、毎年のように作曲していたわりには、これで打ち止めとなった。どうも、第二次世界大戦開戦直前の重々しい世相に、創作意欲を失ったとのことである。戦後も、あまり作品は残していない。ニューヨークにおいて、ボールトの指揮とニューヨークフィルハーモニックの演奏により、初演されている。

 その最後の交響曲、やはりやはり、最後まで3楽章制、演奏時間は40分ほど。ここまで徹底されると、感心する。

 1楽章、アレグロ。もやもやした楽想の断片が沸き上がって現れ、地鳴りと共に噴出する。導入部と思わしき重厚なテーマが、金管で示される。その後、第1主題だろう、特徴あるギクシャクした旋律が踊る。それがバックスらしい異国風味で展開され、舞曲風になる。豪華絢爛ながら、どこか質素な部分もあるオーケストレーションが、いかにもバックスらしい。それが落ち着いて、流麗な第2主題。大抵の作曲家が晩年の交響曲になると見せる「枯れた味わい」というのは、無い。あくまで豊饒だ。第二次世界大戦さえなければ、バックスはまだまだ交響曲を書いていたのだろうか。

 展開部になって、バックスじわじわ節が炸裂。少しずつ、主題は展開される。展開は地味だが、豪華なオーケストラがそれを飽きさせない。第2主題の展開も、あくまで異界の雰囲気がある。イギリス流の妖精の世界だ。それが、展開部最後の部分からパアッと明るくなる。民族音楽調の経過分もあって、聴かせる。そのまま、ものすごく短い再現部を経て、静謐ながら不安を残すコーダへ突入し、静かに終わる。

 2楽章はレント〜 In Legendary Mood (ピウ・モッソ) 〜テンポ I という、ちょっと変わったもの。どう訳していいか分からなかったので、そのまま記した。Mood って、あのムード以外に使い方が分からないので、私の英語力では訳せなかった。慣用句でなければ、詩か何かの一説かと思われる。

 オーボエによる、バックスの緩徐楽章だなあと思わせる、霧と大洋の響きより、哀愁ある旋律が流れだす。金管などもからんできて、たまに盛り上がるが、全体的には霧むせぶ荒涼とした湖沼か湿地帯という響き。北方の、良質のピートが採れる地域だ。中間部でテンポと雰囲気が変わって、音楽は激しく動く。それはすぐに終わって、また音楽は戻る三部形式。冒頭のテーマを経過させ、霧の中へ消える。

 第3楽章は主題と変奏(アレグロ〜アンダンテ〜ヴィバーチェ〜エピローグ)というもの。晴れ晴れしいテーマとファンファーレ。ティンパニ。いかにもイギリス的な、晴れがましさ。これが提示主題だろう。低弦がすぐさまそれを受け、変奏開始となる。まずはそのまま、ハープを伴う弦楽合奏で。やがて金管が入ってきて、雄々しくも荒々しく変奏は続く。行進曲調にもなって、めぐる増しく展開してゆくが、やがてテンポが落ちて、ゆったりとした一休み的な展開へ。ここから、アンダンテだろう。進んでゆくうち、途中で、ちょっとテンポが上がる場面があって、またゆるやかな変奏部となる。つまり、アンダンテとヴィバーチェが小経過部として続いて、そのまま、エピローグへ入っているのだろう。

 エピローグは、バックスの全ての交響曲のエピローグとして、ゆるやかな響きと安らかな旋律、和音の中で、眼を閉じる。







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