ブリテン(1913−1976)


 イギリスを代表する近代作曲家エドワード・ベンジャミン・ブリテン。日本ではまだ一部のディープなファンや一部の作品以外にはあまり知られていないと思われる。管弦楽では「青少年のための管弦楽入門−パーセルの主題による変奏曲とフーガ」が、合唱では「キャロルの祭典」が高名なところだろうか。

 ところで話は変わってブリテンは同性愛嗜好による独身主義者で、チャイコフスキーの後輩というところか。それはそれで特に音楽とは関係の無い話なのだが、私の持っているCDのジャケットが、あまりにもアレで、びっくりしたことがあるので、紹介したい。
 
 シンプル交響曲、管弦楽入門、ブリッジ変奏曲の入った、ブリテン指揮のなかなか良い廉価CDで、原盤はデッカだと思われる。そのジャケ写真が、青少年のための〜に由来した物と思われるのだが、「青少年」に囲まれたブリテンが、楽譜を手に1人でご満悦という構図なのだが、これがヤヴァイ。青少年とはお手許の国語辞典でも開いていただければお分かりになると思うが、青年と少年、12〜25歳ぐらいまでの男女、とある。英語でいったって Yong Person's なのだ。日本題では「青少年」であるが英語のヤングパーソンには青年は含まれていないとのことで、正確には「少年少女のための〜」であろうが、どちらにせよ、パーソンズってこたあ、男の子も女の子もいっしょだろ。

 しかるに、このジャケ写真は、ブリテンの周りは男子だけでムッチムラムラ!! 青い、あまりに青ナマ臭い! どう考えても狙っている!

 これは、ぼくは、ひどいと思いましたよ(笑)

 しかも、これが意味シンなのであるが、写真の奥のほうに、彼らに背を向けて去ろうとしている1人の「少女」が写っている!!

 これは、いったい、なんなんのであろうか!?

 この「少女」の意味するところは!?

 嫌悪か? それとも、反感か? それともブリテンの拒絶か?

 写真を撮った人もしくはプロディーサーはすばらしい企画者だと思った。ブリテン本人の発案だとしたら、仰天モノ。(見てみたい人はこちら。
 
 話はズレましたが、ブリテンの交響曲は、5曲ありますが、作品番号1のシンフォニエッタはブリテン18歳時の秀作であるが、割愛した。

 従って、4曲を紹介したい。


シンプル交響曲(1934) 

 ブリテン20歳のおり、それまで作曲した(5歳から作曲開始!!)作品中より良い部分を拾い集め再構成したもの。なんという天才か! 20分ほどの、弦楽合奏のための小曲だが、新古典的「騒がしいブーレー」による1楽章、チャイコフスキーの4番をも思わせる「おどけたピッツィカート」スケルツォの2楽章、熟練の職人の手によるような、それでいて若々しいお涙ちょうだいもある「感傷的サラバンド」の3楽章、ぜんぜんふざけていない大まじめな書法による「ふざけた終曲」と、飽きさせない。


鎮魂交響曲(1940)

 かの日本皇紀2600年記念祝典音楽として発注されたが、シュトラウスの日本建国2600年記念曲やイベールの祝典序曲とちがい、真面目なブリテンはせまりくる第2次世界大戦と過激化する日本帝国主義への警鐘の意味をこめてか、激しい反戦音楽を書いた。当初、企画者の奉祝曲募集の会へこのような音楽でも良いかと打診し、良いと云われて委嘱料も支払われたというのだが、結果として、帝国政府(外務省)が祝典曲にレクイレムとは解せないという理由でクレームをつけ、作曲の遅れにより写植が間に合わなかったこと、加えて難曲ゆえに練習もままならなっかたこと、そうこうしているうちにイギリスと日本が戦争状態になったこと、などの事情で受け取りを拒否。アメリカで初演されたという経歴を持つ。その経歴だけでも歴史好きな私には、聴いてみたくなる音楽です。

 1楽章ラクリモーザ(涙の日)

 衝撃を現すティンパニより、悲劇を憂うような重苦しい旋律がたゆとい、不安を示す。

 2楽章ディエス・イレー(怒りの日)

 怒りの主題による速く激しい音楽で、戦争はいかんということか。当初は突撃開始ふうの曲想だが、次第に爆撃が激しくなり、雲行きが怪しくなるとついには「玉砕」する。

 3楽章レクイレム・エテルナム(主よ、永遠の安息を)

 この辺のキリスト教に由来したタイトルも、敵性宗教ということでダメだったのだろう。天国へ憧れ、世界の平和を祈るという様な曲想。

 各楽章はアタッカで続けて演奏される。ぜんぶで20分ほど。


春の交響曲(1949)

 交響曲とはなっているが、管弦楽、合唱、独唱のためのカンタータ。

 16世紀から20世紀までの春に関する12の詩がテキストであり、それぞれ4つの部分に別れているため、交響曲となっているのだろうか。40分にもおよぶ大曲だが、同じ春でもシューマンの春交響曲などを思い浮かべてはいけない。内容的には暗めで、渋く、日本の花見の様な乱痴気騒ぎではぜんぜんなく、もっとささやかに、素朴に、うららかに、春の訪れを喜ぶもの。

 非常に美しい音楽だが、けっこうダラダラしているので、そういうのが苦手な人はつまらないかと思われる。


チェロ交響曲(1964)

 チェロ協奏曲ではないのが最大のミソ。

 ラロのスペイン交響曲やベルリオーズのイタリアのハロルド、伊福部の協奏風交響曲と同じような意味合いと思えばよく、あくまで交響曲であって、独奏楽器はオーケストラの一部にすぎない。つまり、ここに晴れやかな独奏は無い。独奏楽器のための音楽ではなく、独奏楽器を伴ったひとつの交響楽である。

 しかしこのシリアスさは問題だぞ(笑)
 
 ブリテンはショスタコーヴィチと親交があって互いに曲を献呈しあっていた。かれの交響曲第14番などは1969年の作曲であり、この1964年作曲のチェロ交響曲と近い。しかも、これはロストロポーヴィチのチェロ、ブリテン指揮によりモスクワで初演されている。ショスタコーヴィチも聴きに来ていたことは想像に難くない。
 
 時に協奏的な取扱もなされるが、基本的に各楽章とも交響曲の形式で、1楽章アレグロ、2楽章プレスト、3楽章アダージョ、4楽章はパッサカリアのアンダンテ−アレグロとなっている。最後のアレグロの部分のみ、唯一、開放的な響きがする。
 




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