スク(1874−1935) 


 現在のチェコの作曲家で、当時はオーストリア=ハンガリー帝国生まれ、没した時はチェコスロヴァキアだった。同名の孫が高名なヴァイオリニスト。そちらは英語読みでヨゼフ・スークという表記が一般的だろう。

 プラハ音楽院でかのドヴォルザークに師事し、卒業後はヴァイオリニストとしてボヘミア四重奏団(後にチェコ四重奏団に改名)を結成して活躍した。師の娘と結婚したため、ドヴォルザークの娘婿にあたる。

 1922年から母校のプラハ音楽院で教職となり、高名な弟子ではマルチヌーを指導した。

 作品は、そこそこ数があり、オーケストラ曲も多い。交響曲が2曲ある。当初は師の作風に近い新古典的国民楽派的な曲を書いていたが、後年は時代へ合わせ、マーラーシュトラウス、ドビュッシーの影響を受けた和声や半音進行の複雑な、近代的な作品を書いた。


第1交響曲(1899)

 スクがまだ師ドヴォルザークやブラームスの影響化にあった、若いころの大規模な作品。4楽章制で、演奏時間は40分に到る。特に第1楽章と第4楽章の規模が大きい。

 第1楽章は細かく展開する。まず、ホルンや木管、弦楽による牧歌的な美しい導入部。まさに国民楽派の正統な後継者といえる。アレグロの第1主題はスキップ気分の跳躍のある輝かしくも田舎の雰囲気あるメロディー。転調して第2主題はオーボエ、クラリネットによる穏やかで朗らかなもの。アレグレット。展開部は激しく進み、展開も大きく第1第2主題をしっかりと変奏して、ここは既に後期ロマン派風の世界を模している。いや、どちらかというとブラームス的世界か。主題を分かりやすく順番に展開して、分かりやすく再現部へ向かう。コーダはなかなかしつこいが、この唐突な終結なども、師ドヴォルザークを思い起こさせる。

 2楽章はアダージョ、緩徐楽章。木管による、やや仄かに暗い旋律が滔々と流れる。夕暮れか、森の奥の人知れぬ暗い情景か。やがて深刻なまでに重苦しい展開となる。それが晴れて後半に現れるホルンの旋律の、無垢さ、清浄さといったらない。そのまま、安息をもって緩徐楽章を終える。

 3楽章はスケルツォに相当するアレグロ・ヴィバーチェ。緊迫感のある、弦楽主体の舞踊曲風のスケルツォ主題がしばし続く。いかにもドヴォルザークやブラームスのナントカ舞曲的なのが微笑ましい。中間部は最初、短調で流麗な主題を扱っているが、そのうち規模が大きくなって盛り上がって頂点を迎え、急速に収束して冒頭へ戻る。三部形式。コーダは盛り上がって輝かしい。

 4楽章、アレグロの低弦の独白から始まり、木管などがその主題を引き継いで進む。低弦と木管の対話。主部アレグロは終楽章に相応しいウキウキ感たっぷりの主題で推移し、第2主題も穏やかな雰囲気を崩さずにチェロなどで優雅に現れる。そこでいきなり導入部主題が大げさになって登場し、展開部となる。やがて第1主題も仰々しく盛り上がって登場、ティンパニも轟いて何かの荘厳な儀式めいて大いに響きわたる。第1主題がまたウッキウキで展開され、祝祭気分を盛り上げる。展開部後半はやや地味ながらコーダで再び盛り上がって、実に小気味良く壮大な交響曲を終える。

 正直、特段の革新性があるわけではないが、ほんわかした気分をたっぷりと味わえる佳品。


アスラエル交響曲(1906)

 師であり義父であるドヴォルザークが1904年に亡くなり、たいへんなショックを受けたスクは亡き師へ捧げる交響曲に着手した。しかし、3楽章まで書いて4楽章を書き始めたころ、かねてより病を患っていた妻でありドヴォルザークの娘のオティーリエが1905年に夭逝してしまった。1877年生まれなので、享年28歳となる。スクの悲しみとショックはいかばかりか。完成した交響曲は死を告知し、死を司る天使アスラエル(アズラーイール)の名を冠した。

 従って、別にアスラエルという天使を描いた標題音楽ではない。誤解のなきよう。現代作曲家チェザリーニの交響曲「大天使たち」のような、世俗的な内容ではない。

 5楽章制で、演奏時間は60分に及ぶ。この作品を機にスクの作風は分かりやすい新古典的国民楽派より、近代的なものへ変質していった。

 1楽章から3楽章までが第1部、4楽章と5楽章で第2部となる。

 第1部、第1楽章、アンダンテ ソステヌート。14分もある大きな楽章。低弦の哀しみの序奏主題から立ち上がって、ティンパニのトレモロのクレッシェンドから主部主題が登場。重々しいアレグロとなる。第2主題は、死の声めいてひっそりと現れるコーラングレからか。経過部は高弦を主体にしてホルンも加わり、じっくりと進む。一瞬の静寂から再びコーラングレが現れ、展開部か。激しいアレグロで第1主題を展開するも、主題は朗らかなものではなく半音進行でモヤモヤし、苦悩を表す。第2主題の展開も明るいものではなく、シベリウス的な叙情感のある三途の川。展開部の最後、トランペットの死のファンファーレからベートーヴェンの3番2楽章の死の太鼓もかくやというバスドラムも鳴り響いて、劇的な頂点へ向かう。そのご、音楽は何事も無かったかのように静かな眠りを迎える。

 2楽章、アンダンテ。この交響曲は、冒頭よりダブルアンダンテである。7分ほどの楽章。こちらが、本来の緩徐楽章に相当する。とはいえ、ヴァイオリンやトランペット、フルート、クラリネットなどがほとんどソロで主題を紡いでゆき、完全に室内楽的な手法による。主題は沈鬱で、祈りに満ちあふれ、まさに死の歌だ。ひそひそと音楽は進み、ピチカートや少しの音のみの伴奏で、主題群は最後までひっそりとしたまま演奏を終える。

 3楽章はヴィバーチェ。スケルツォに相当する。3部形式。しかし、11分もある規模の大きなもの。なかなか雄々しい主題からスタートし、くるくるした目まぐるしい展開とずっしりとした部分とが交錯する。中間部は、ここにきて甘美な音楽。ここが天国か。ヴァイオリンのソロが美しい歌を歌い続ける。音調も心なしか明るい。優雅なワルツが展開されるが、8分ころからまた哀しい調子が戻り、冒頭へ戻る。息の短い主題が交錯する複雑な進行が聴きづらいかもしれないが、緊張感があってスケールも大きく聴き応えがある。ここでも死の太鼓たるバスドラが轟くコーダを迎えて、ホルンの咆哮から重々しく終結。

 第2部、第4楽章。10分ほどのアダージョ。まさに漆黒、暗黒だ。音楽はどんどん沈んでゆく。しかし異国情緒も感じられる主題から、突如として明るい鳥の声も聴こえてきて、安息の地の音調も現れ、ソロヴァイオリンの歌も美しい世界が到達する。ここは、天国というか彼岸。光の向こうで妻が笑っている。そんな世界。低いヴァイオリンソロからチェロの絡みも美しい。フルートやヴァイオリンなどのソロを中心に、しっとりと、ゆったりと音楽は進む。まさに安息のアダージョか。しかし、コーダへ向かって安息が終わり、想い出から現実へ引き戻されたスクの悲しさと寂しさ、苦悩が戻ってくる。

 第5楽章、アダージョ エ マエストーゾ。けっきょく、3楽章以外、ぜんぶアンダンテとアダージョという交響曲である。14分ほどもあり、本曲の白眉。ティンパニの連打から、いきなり死のファンファーレと暗黒闘気。短く繰り返して、不協和音も激しく序奏を盛り上げて、一瞬のアダージョへ。そして哀しみを振り切るかのような、切々としたアレグロが始まる。切迫したアレグロはすぐに速度を下げ、クラリネットのソロからアダージョが始まる。第2主題だと思われる。が、すぐにまたアレグロへ戻る。展開部か? 分かりやすいものではなく、種々の短い動機が次々に絡まってゆく手法がここでも炸裂。なかなか難しい作曲を行っている。第1交響曲の朗らかな感じとは一線を画して、かなり厳しい。再びアレグロは終わり、悲痛的なクラリネット主題によるアダージョ。ここから、第2主題の展開か。ハープの分散和音から雰囲気が変わって、やや明るくなる。暗黒に光が差しこむ。救いだ、救いを求めている。マーラーめいた、トロンボーンのコラール。コラールはオーボエなど木管に移って、トランペットなどにも引き継がれる。ヴァイオリンソロが音調を変えて現れる。4楽章にも現れていたものだろう。すると、このソロ主題は亡き妻か。コラール主題とヴァイオリンソロ主題のからみ。コラール主題はスク自身か。なんとそのまま、ウァイオリンソロが静かに消えて行って、当曲は清浄なアダージョのままコーダもなく終わってしまう。天国へ旅立つ妻を、スクは地上でみつめている。

 ヴィバーチェを挟んだ5楽章制といい、死をテーマにした仄かな暗さといい、まさに同時代のマーラーを意識した作品に思える。ちなみにスクより14歳年上のマーラーは、1904年から1906年にかけては、第6〜8交響曲を鋭意作曲した。





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