ドヴォルザーク(1841−1904)


 チェコ語ではドヴォジャークというようなかんじらしいです。

 さて、泣く子も黙る「新世界より」交響曲で高名なドヴォルザークの交響曲は、新世界よりが9番であるのを見ても分かるとおり、9曲もある。しかし8番7番などはまだ録音があるほうだが、1番だの2番だのに到ると、聴こうにも聴けない、あっても廉価版というのが現状だろう。
 
 考えてみても、チャイコフスキーの1〜3番というのもまたマイナーな音楽ではあるが、4〜6番が素晴らしすぎるので、そのついでにけっこう録音される機会が多い。ドヴォルザークは9番だけが突出して高名であり、1〜8番、ひいき目にみても1〜6番までをついでで録音するには、経費的に厳しいということなのだろうか。

 しかし、その魅力は大きい。チャイコフスキーと通じるものはあるが、旋律の良さがある。かのブラームスが、ドヴォルザークがごみ箱に棄てた旋律のクズをかき集め、私は1曲作れるとして盟友を讃えたが、それは裏返せばブラームスの自信の現れで、まさに旋律のリサイクル作曲家の面目躍如たる自負だ。構成力に欠けるドヴォルザークは、完璧な旋律なくば作曲ができなかった。旋律美に欠けるブラームスは、半端な旋律を積み重ねて見事に曲を作った。まさにかの天才たちといえど、天は二物を与えなかった。

 とはいえ、後期に到れば、ブラームスの交響曲に影響を受け、民族的な旋律でありつつ、かなり構成的な作りを見せている。また、ドヴォルザークの中のワーグナー嗜好も見逃せない。


第1交響曲「ズロニツェの鐘」(1865)

 1865年、作曲者24歳の作。ドイツへ懸賞で送り、最終選考まで残ったが落選。その後総譜が行方不明になっていたが、某コレクターが所有していることが判明し(先祖が中古書店で購入していたのだそうな)作曲後ほぼ100年めの1960年に出版されたという、いわば幻の曲。

 ドヴォルザークはなんと実家の肉屋を継ぐべく修行し、そのかたわら、音楽の勉強もしていた。肉屋のほうはいつでも商売を始められるよう、親方から免状ももらっていたという。その後、彼は国民劇場でビオラ奏者になるから、交響曲で云うと、4番ぐらいまで、作曲はアマチュアの日曜作家だったということになる。

 またこれはドヴォルザークの生前に演奏されておらず、とうぜん校訂もなし。懸賞へ贈ったほぼそのままを、いま、われわれは味わうことができる。1楽章から4楽章まで、構成力に欠けるがそのぶん泪ものの旋律が次から次へと泉のわき出るがごとくこぼれてきて、とても幸せな気分に浸ることができる。
 
 朴訥とし、全体的に幸福な雰囲気なのは、ドヴォルザークが恋していた、後に奥さんになる人の姉であるヨゼフィーナとの関係があったためと推察される。

 ズロニツェとは彼が若き日に4年を過ごした、村の名前だそうです。
 
 時間的には50分に到るけっこう長い音楽だし、なんとも甘い旋律がただ流れているような印象を受けるが、それを含めて瑞々しい雰囲気とひたむきな音楽作りが、この曲の最大の魅力ということになるだろう。
 
 ドヴォルザークの交響曲はみなそうだが、メロディー好きは特に必聴!!


第2交響曲(1865/1887)
 
 22歳のとき、ビオラ奏者だったドヴォルザークはプラハにやってきたワーグナー自身の指揮でワーグナーを演奏し、大いなる感銘を受けたという。ドヴォルザークの中のワーグナー的な部分というのが、専門的にどのような部分なのかは不勉強で分からないが、旋律的には民族的といわれつつも、けっこうロマン的な展開を見せているので、その辺なのかもしれない。

 1番を作曲後、半年ほどで書き上げたというが、それにしても1番よりいきなりレベルがグンと上がっているのに驚く。解説によると、恋人との蜜月状態が創作力に影響を及ぼしたのは疑う余地がないとされているが、まったく、芸術家にとっての創造の女神というのは、どれほどのパワーを与えるのか計り知れないものがある。

 1番を無くしたと思っていたドヴォルザークは、後年、現行のこの2番を1番と呼んで大切に校訂した。カットの問題とかもあるようだが、何小節とかいう、専門的なもので、あまり気にすることはないように感じる。

 こちらも50分にせまる大曲で、聴きごたえはある。飽きがないし、長い割にはバランスもいい。

 しかし次の3番あたりから、特に中間楽章において無駄がさらに無くなって、40分台になる。ドヴォルザークの交響曲はどんどん良くなる。


第3交響曲(1873)

 珍しいことに、3番はスケルツォ楽章を欠いた3楽章制で、ドヴォルザークでは唯一。
 
 1楽章から音が出たとたんに 「なんていい曲なんだ!」 と思わざるをえない。この伸びやかな主題は、ドヴォルザークを聴く楽しみだろう。

 2番からしばらく(7年間)交響曲を書いていないドヴォルザークが、その間、かつて恋人だった人の妹と惹かれあい、結婚したり、ビオラ奏者として仕事が忙しくなったり、カンタータとか作曲していたりしたそうだが、確実に作曲レベルが上がっているのが分かる。1楽章の主題の変容は、1番や2番とは比較にならない。

 ここにはワーグナーやリストに感動したドヴォルザークの雄弁な管弦楽法が現れている。2楽章のドラマティックな動き方は、後期交響曲につながって行くものだし、3楽章の終曲ロンドの快活な響きも、まるでリストの交響詩のようだ。ドヴォルザーク中期交響曲の幕を開ける明るい音楽。
 
 なお、この曲はオーストリアの芸術国家奨学金に応募され、見事奨学金を受け取っている。そしてドヴォルザークはビオラ奏者を辞め、もっと時間のとれる教会オルガニストとかをしながら、徐々に専業作曲家への路を突き進んで行く。その奨学金へドヴォルザークは室内楽や交響曲を毎年送り続け、作品に感動したブラームスの知遇を得、いよいよ商業出版へと相成る。

 ただし、交響曲に関しては、当初は6番が1番で、7番が2番で、5番が3番だった。


第4交響曲(1874)

 4番は4楽章に戻っているが、4番のスケルツォ(3楽章)は当初別個に出版する予定だった独立した楽曲を流用しているという事実は、見逃せない。結果的には4楽章だが、当所の構成では3楽章制だった可能性が高い。もしそうだったとしたら、3番と4番は相似的な関係にあったのだろうか。

 6番以降、急激にブラームスへ近づいて新古典的な作風になってゆくドヴォルザークの、折衷的、過渡期的なものとして外せない特徴をもっている。それは1楽章冒頭の妙にシリアス調な雰囲気からも分かる。しかしそこから派生する主題はまぎれもなくドヴォルザークふうのもので、安心する。3番まではどこかリスト・ワーグナー的な響き(旋律はまぎれもなくドヴォルザークであるのだが)への傾向が強かったが、4番から、はっきりとハンスリックやリヒターを含むブラームスたちへ接近するに従い無意識にせよ意識的にせよ作風もそのようになってきているのが分かる。これはとても面白い作風の変化だと思う。

 しかし2楽章のはじめの管楽合奏の部分などはいかにもワーグナー的で、やはり過渡期の作風というのが分かる。このアンダンテ・ソステヌートは間ちがいなくドヴォルザークの中でもっとも崇高的な美しさを讃えている音楽のひとつだろう。中間部のフーガは独特。

 3楽章だけもともと独立していたというのは、ここだけ浮きだって打楽器が動員されていたり粗野な曲ふうだったりしている点で分かる。というよりすでにもう、ここだけぜんぜんちがう音楽だよ。

 4楽章は、すごいリストっぽい部分もあって面白いです。ときどきマーラーみたいな旋律の断片が現れるのがとても興味深い。云うまでもなく、マーラーとてボヘミアの作曲家だから。(チェコとボヘミアは正確には違う地域だそうですが。)


第5交響曲(1875)

 3番から5番までは1年おきに作曲され、5番を再びドヴォルザークは奨学金へ送っている。またこの5番は特に作曲者が気に入っていたようで、自身の手でよく生前に演奏されていた。

 5番は、6番以降のブラームスチックなものではなく、ドヴォルザーク節炸裂の旋律と、自身の独特の構成の集大成ともいえる作品で、かなりユニークなものだと思う。また、その調性においてもベートーヴェンの田園に比較されるそうだが、標題制はまるで無い。

 まず響きがいきなり後期ロマン派調のシンフォニックなものになり、厚みと幅と深さがある。6番からは、ブラームスやハンスリックらに気をつかってか影響されてかは知らないが、どちらかというと新古典的。
 
 冒頭のクラリネットののどかでけっこう技巧的な旋律により、1楽章は支配されている。たいへんにドラマティックに動き、土臭い旋律であるが、それが見事に交響曲として昇華している。
 
 2楽章のアンダンテと3楽章のスケルツォは、短い休止でほぼ続けて演奏するよう指示がある。だいぶんドイツ的な構成法が身についている。しかし、その中にも民謡のような朴訥とした旋律があるため、国民楽派という新しいジャンルが確立されていったのだろう。2楽章はABA形式のアンダンテで、憂うようなAとその憂さを貼らすような朗らかなBによる。3楽章の序奏に、2楽章そっくりの部分がついており、音楽的にも、連続している。3楽章はトリオを含んだ定番スケルツォであり、リズムがかなり複雑である。

 力強い終楽章は中間部にしかしボヘミアチックでしかも憂いを帯びた部分をはさみ、常に緊張感ある響きが魅力で、まさに交響曲のラストを占めるに相応しい音楽。いきなり低音部によりスタートするドラマティックな主旋部が一貫して楽章をつらぬき、スピード感のある颯爽とした部分がとてもカッチョイイ。
 
 今交響曲は6番以降の完全な新古典的な国民楽派交響曲と、どちらかというとアマチュアっぽい、クラシック第3世界のたとえばロシア音楽のような独特の3番まで交響曲との間にある特徴を有しており、6番以降よりも朗らかで土俗的、4番よりもさらに構成的な魅力を楽しめ、中期の巨峰、頂点として、もっと聴かれてしかるべき名品だと思う。


第6交響曲(1880)

 いよいよ6番より後期がはじまると私は思う。

 というのも、5番の後、再び交響曲の筆が5年も置かれ、しばらくぶりに書かれた6番から、急激にブラームスの交響曲と近づいている。

 7番から後期という人もいるかと思うが、たしかにそうなのだが、6番は後期の第1というか、関連性としてはやはり後期だろう。というか分類なんてあまり関係ないのだけれど。
 
 ブラームスもまた、この時期に第2〜4までを一気に書き上げており、既に親しい友人であるドヴォルザークがそれらの作品へ眼を通さぬはずがなく、いろいろと影響を受けているといっていい。またその逆に、彼の中の民族的な部分、ボヘミアの抒情というものも、より際立って現れている。彼はけしてブラームスの亜流ではない。したがっていよいよ6番から、ドヴォルザークのドヴォルザークたらしめる音楽が我々をより楽しませてくれるというわけである。

 ちなみにこの6番は、ブラームスの2番と、調性、楽章構成、テンポ指示等、非常に近よっているそうです。

 冒頭より雰囲気が異なる。これまでの若々しさは消え、渋くおちついた大人の雰囲気となる。現れる主題もどこか堂々とした雰囲気がある。とはいえ、そのメロディーラインはあくまで鄙びた感じを失っていない。2楽章のアダージョもずいぶんとドイツ的に響くが、3楽章のスケルツォで、我々はああ、ドヴォルザークを聴いているのだ、と痛感し、安心する。なぜならこのスケルツォはボヘミアンの民族舞踊であるフリリアントなのだから。
 
 急激な速さの3拍子だが、2小節をタイで結んで2拍子になるような音楽が特徴だそうで、ブーンブーンという弾み車が回るような独特のリズム感があってとても面白い。
 
 解説によるとドヴォルザークの中のワーグナー嗜好というのは例えば主題が全楽章を通じて関連している一種の循環形式のような書法であるとのことだが、6番ではその書法はまったく現れていない。4楽章も独立したアレグロで、たしかにブラームスの2番のような雰囲気。しかしやはり、どこか田舎っぽい朗らかな響きがあって、とても素敵な気分で交響曲を締めくくってくれる。

 もっとも、ワーグナー的に主題や主題の断片が全曲を通じて関連しているなどというのは、それこそブラームスのお得意なので、何がブラームス的で何がワーグナー的なのかということは、まったく意味をなさない観点なのかもしれない。ブラームスとワーグナーというのは、その音楽の根っこにあるものは、まったく一緒と云っていい。

 ハンス・リヒターの要請で作曲され、彼に捧げられている。


第7交響曲(1885)

 ブラームスの第3交響曲の初演にドヴォルザークが立ち会っていたということであり、親友で盟友の彼は、とうぜんその影響を良くも悪くも受けることになったというのは容易に推測できる。ブラームスの2、3、4へドヴォルザークの6、7、8が対応しているというのは興味深い。しかしそれは曲風とかでは無く、調とか編成の問題であって、似たような作品というものではない。

 それにしてもドヴォルザークの7番は冒頭よりこれまでに見られないほどの深刻性や重厚性が見られている。つまり、彼にしては珍しく、暗い。いくら仲よしだからって、ブラームスにちょっと似てきたのかもしれない。1楽章の第1主題はまさに彼の運命動機のように泰然と出現する。1楽章の堂々たる英雄的な表現は、ブラームスの中でも最も強いように感じる。しかしその中でも、ロマン的な表現は忘れられていない。

 2楽章のアダージョも、どこかほの暗く、ブラームスの3番がアタマの隅にあったのだろうか。ちょっと精神的にスランプになっていたという話もある。しかし3楽章のスケルツォだけはドヴォルザークは必ずボヘミアの舞曲を持ってきていて、朗らかな明るさを保っている。もっとも、7番ではそれでも、やはり曇り空だろう。4楽章のシリアスな雰囲気も同じであるが、最後だけ、光り輝くように終結する。希望でも見いだしたのか。

 ちなみに4楽章のホルンとティンパニは異様に燃える。


第8交響曲(1889)

 だんだん高名になってきたドヴォルザークのシンフォニーワールド。お楽しみの4楽章は後にとっておくとして……。

 こちらもブラームスの4番といろいろ関連性が指摘されている。構成とか調性とかで。ちなみに4楽章は変奏曲形式であり、ブラームスの4番の最後がシャコンヌであることに起因しているらしい。

 たまにつく副題のロンドンとかイギリスとかは、ロンドンで出版されたという理由だけなので、無視したい。
 
 1楽章から流れだす田舎のお祭のような第1主題は、いちど聴いたら忘れられないだろう。実にのびのびと生命や青春を謳歌する若者のような、なんと瑞々しいことだろう。自然交響曲の通称のほうがしっくりくる。第2主題は少々緊張感あるものに転じ、それらが実に複雑に絡み合うこの技術力!
 
 一転して穏やかな安らぎの2楽章も、これまでの緩徐楽章とは一線を画しているようなほど、充実している。やはり、優れた交響曲作家は8番でひとつの頂点を迎え、良くも悪くも9番はどこかへイッテしまわなくてはならない「運命」にでもあるのか。

 野原を友人や恋人と散歩しているような中間部が特に美しい。
 
 3楽章は珍しくワルツ風で、スケルツォに相当する。ここでの旋律もまた朗らかで、たしかに自然というか田園というか。
 
 そして皆さんお待ちかねの4楽章。ここは好き好きが完全に別れるところだ。なんといってもコガネムシ交響曲。この「♪コガネムシ〜は金持ちだ〜」に「よく似た」旋律は、何かの民謡からとられたのか、ドヴォルザークの創作なのか。分からないが、こここそを醍醐味として聴くべきだろう。

 入城式のようなすばらしいファンファーレは第1主題を暗示し、すぐに弦楽がそれを奏でる。あとは連綿と変奏だ。あのコガネムシ旋律はだから、第1主題の変奏なのである。したがって、創作と観ていい。たぶんだけど。だんだんと旋律が変奏され、ついに現れる例の主題。ウキウキする。
 
 第2主題による牧歌的な中間部をはさみ、変奏が再現され、音楽は力強くまとまって、一気にコーダへ。8番交響曲を見事に締めくくる。ブラボー!

 ドヴォルザークの交響曲芸術の最高峰といえる。9番は、異次元の世界に行ってしまっている異質な音楽だ。


第9交響曲「新世界より」(1893)

 どこかで書いたが、わたしはむかし、まだクラシックの入門者だったころ、この音楽を「新世界」という題名の曲からの抜粋だと思っていた。つまり「新世界」より。という意味で。
 
 くわしい事情は高名な逸話にまでなっているフシがあるので省略するが、アメリカで造られた音楽は特に平明かつ柔軟かつ練達の書法によっている。チェロ協奏曲しかり、弦楽四重奏「アメリカ」しかり。そしてこの9番交響曲。
 
 6〜8番でブラームス流にかなり近づいたドヴォルザークだが、この9番ではまたちがった趣を見せている。というのもここでは構成よりもむしろロマン的な響きや手法、テーマの各楽章への関連づけなどによる循環形式が採用され、音楽は平明であり、旋律はより郷愁をさそうものとなり(いわゆる特に2楽章)、いわば2番なんかに近い響きになっているし、いままでのブラームス流とは極端にちがっており、リスト・ワーグナー流に回帰している。この音楽はアメリカで作曲者もビックリの大成功で、他の作品と共にさっそくヨーロッパで出版されることとなったが、アメリカにいたドヴォルザークのため、ブラームスが校訂してくれたという説がある。

 この9番をもってドヴォルザークはさらに深く新しい交響曲世界の扉を開けたが、なぜか以降交響曲の筆を折り、代わりに、リスト・ワーグナー流形式の権化たる交響詩の作曲に勤しむのがメチャメチャ興味深い。ブラームス流では、音楽よりまず標題と文学的内容ありきの交響詩は忌み嫌っているから。ドヴォルザークはアメリカへ行って、何を想ったのだろう。ブラームスへの裏切りととられても仕方がない行為ではないか?

 1楽章は導入部付のソナタ形式で、ここで呈示される主題がまた4楽章に「循環」している。ティンパニが運命の扉を叩いている。2楽章はさらに高名で、大きな3部形式だが1部は後に「帰郷」という歌曲にも編曲された(編曲したのは弟子のフィッシャーという人)ため、日本人にもたいへんになじみ深い。しかしそれへ続く2部と3部もとても心に染み入る。
 
 3楽章は意外に規模が大きく、トリオとコーダが何度も複雑に入れ代わる。譜面を見ると分かるが、存外にリズムが難しい。

 4楽章は冒頭がジョーズの音楽に似ているので子どもにウケがいい。しかし、いまの子どもはジョーズなんか知らないか。もちろんウィリアムスがパクったのである。そもそもジョン・ウィリアムスはETもスターウォーズもハリーポッターもジュラシックパークもどの曲も良いのだが、映画音楽用の小編成なため、それを2管なんかのオーケストラでやると響きが薄くてかなわない。そんなことはどうでもいいが、この4楽章の出来ばえは見事なもので、ベートーヴェンばりに1〜3楽章までの主題を複雑に絡め、しかも響きはシンプルという、奇跡のような音楽だろう。複雑な事を平明に行なうというのは、とてもとても難しいことなのですよ。

 何度もいうが、交響曲はこの9番で頂点を究めたと想ったのか、それとも、ブラームス流からリスト・ワーグナー流へ再び心が動いたのか、理由は定かではないが、ここでドヴォルザークは交響曲を書くのをやめてしまって、リストの提唱した交響詩の作曲に走る。

 そして、あえて誤解を恐れずに云うならば、ドヴォルザークの交響詩は、とてもつまらない。(当り前ですけどあくまで個人的意見です)

 良くて謝肉祭だが、これは新世界と同じ時期の演奏用序曲。いったいどうなってしまったのか。

 参考までに「新世界より」以降の諸交響詩。(新世界はOp95)
 
 交響詩「水の魔物」(ウォーターゴブリン)Op107
 交響詩「真昼の魔女」Op108
 交響詩「金の紡ぎ車」Op109
 交響詩「野鳩」Op110
 交響詩「英雄の歌」Op111

 見事に作品が順次書かれている。特に最後は英雄の生涯みたいなものだが、質、規模ともシュトラウスとは比べ物にならない。そもそも私も交響詩はあまり得意ではなく、リストの諸曲も苦手で、メジャーで聴けるのはシュトラウスとスメタナシベリウスぐらいだろうか。だから、個人的に評価が低いのだろう。


 このように、ドヴォルザークの交響曲群をあえてグループ分けするならば、

 1・2番 初期
 3〜5番 中期
 6〜9番 後期

 とすることが可能だろう。それぞれに特徴と魅力ある、味わい深い音楽ばかりで、少しずつ分けながら観賞するのは、長大な交響曲群を楽しむのに役立つだろう。

 もっとも、9番だけ完全に書法的に独立してしまっているので、後期から9番を除き、特殊というか、アメリカ期というか、最後の進化の到達点として分類してもいいだろう。9番だけ聴いてドヴォルザークはお楽しみ系の浅い交響曲作家というのは、アホみたいに浅はかなハナシで、バカみたいに勿体ないハナシだ。完全なる循環形式による、サン=サーンスフランクに負けない芸術性がある大交響曲ですぞよ。(云いすぎ?)

 ※尾高忠明が(札響の定期のパンフで)云うには、日本人はチェコ人と音楽感が通じる所があって、チェコの和音や旋律は、日本人にはすんなり普通に入ってこられるらしいです。従って、新世界なんかも、誰にでも分かるという意味で、「通俗名曲」なんて云われている始末なのだが、これがエゲレスとかだったら、非常に難しいというか、ドイツやフランスの音楽とは完全に異なる世界の、異質な交響曲ということで、練習などもとても大変なのだとか! ぶっちゃけ弾けないということです。おそらくフレージングの問題だと思います。尾高が日本の感覚で 「新世界1日で仕上げちゃうよー!」 とか云うと、エゲレス人は信じないそうです(笑) 

 「オタカ、そんなことができるはずがないだろう!www」 と。

 同じヨーロッパでも、違うものなんですね。



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