稲熊 匠(1988− )
プロフィールを参照するに、この人は同志社大学在学中に学生オケでホルンを吹きながら、独学で交響曲を作曲し、自身の企画した学生オケの演奏会で初演してしまったというw
偶然、友人のツイートによるリンクからその曲を聴いたのだが、正直言って演奏水準が厳しいのと録音(録画)が悪いのとで、おそらく曲の真価を表現できていないと感じたが、その反面、やはりまだ素人の域を脱していないな、という響きであるし、逆に素人がここまで書けたら充分、素人じゃなくね!? という気もしないでもない仕上がりにはなっていると思った。
現在はお勤めしながら、作曲は続けているようである。
YouTubeに初演の模様があるので、私もリンクしたい。
第1交響曲(2011)
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章
しかし、なんでいきなり書くにしてもこのご時世に「交響曲」なのか(笑) しかも演奏時間50分! 私は嬉しくて、かつ面白くて笑いが止まらない。海外で活躍し賞もたくさんとっている若手作曲家が、猫も杓子も謎タイトルで謎理論の謎曲を量産する世知辛い現在、暁光であると同時に良くも悪くもアマチュアリズムにあふれている。「交響曲」とは、21世紀(日本)では、プロが作曲するものではないのだろうか?
いやそんなことはない。オーケストラでは、池辺晋一郎や一柳慧のような大御所から、吉松隆のような中堅は、まだ交響曲を書いている。問題はこのような若手だ。若手が書くには、あまりに注文がないのかもしれない。賞へ応募しても、交響曲というだけで中身によらず片っ端から落ちるのかもしれない。勝手に書いたとて、誰も演奏してくれないだろうし、演奏する機会もないだろうし、初演を整えるといっても、オーケストラは値段が高いし。この人も、学生オケで「やっちまった」のだ。アマはそこがすごいし、強みだ。
「やっちまった」(ゴーストのことではなく作風)といえば、ゴッチことさむらかわちのかみこと佐村河内守(新垣隆)だが、作風としてはこちらも同じ、この21世紀に、完全にロマン風の交響曲となっている。もっとも、私は新古典だろうが、ロマン風だろうが、謎曲だろうが、面白ければそれでよいという主義である。謎曲上等。同じようなのが多すぎて、食傷気味なだけで。
ところでこっちは、何がロマン風かというと、この当世に「ニ短調」というねw
いまどき調がどうたらなど、吉松センセでも書いてないような。現代に交響曲を作るといっても、中身は無調だったり、長短調の概念を放棄した古代調や独自調だったりと、いろいろ工夫されているものが多いのだが、豪快にニ短調とは恐れ入る。
おまけに、「激情」がテーマという第1楽章は序奏付のソナタ形式である。それだけで座布団1枚(人によっては「とりなさい!」)だ。
だいたい13分ほどの楽章となっている。スネアドラムの導入から、なかなか暗黒なオーラが醸しだされる。ちょっと映画音楽(ゲーム音楽)っぽいが、そこはこの時代の若い人が書いたもの、という気がする。レント主題が絃楽で提示され、物悲しくテンポが上がる。ここは絃楽のレント主題の派生だろうか。そこからティンパニのトレモロに乗って低絃から沸き上がって、頂点で雄々しい主部アレグロ。第1主題はなかなかカッコイイ。金管の合いの手も良い。管楽器で主題を繰り返す。経過部を経て、絃楽による第2主題へ。木管の合いの手という定石とおりな展開。トランペットから始まる、元気の良い、溌剌とした調子となる経過部となって、たぶんここから展開部かと。レント主題や、第1主題の変奏が聴かれる。展開部はじっくりと攻めている印象。テンポが落ちかけてより再現部。だが、再現しながら、ちょっと展開もするロマン派的書法。舞曲のような音調部分も現れ、第1主題を展開したコーダへ。スネアドラムが入って緊迫し、盛り上がって終結。
2楽章スケルツォも12分ほどの規模。1楽章の「激情」を皮肉ったという意味で、「皮肉」がテーマとのこと。ブルックナーを意識したスケルツォ。作者はそんなつもりはないのかもしれないが、そのへんのパロディー精神はマーラー流。響きとしてではなく、手法として。絃楽のリズム提示からの、ピチカートに乗ってオーボエの主題。それを木管が受け取って発展させる。チャイコーフスキィめいたティンパニのソロを決起に、スケルツォ主題が現れる。そこから第2スケルツォのような部分へ。トリオはベートーヴェンっぽい導入から、薄曇りの世界へ。それが大きく盛り上がって、スケルツォが展開されて行く。展開されるスケルツォは、完全にマーラーの手法だ。第2トリオも、ちょっと雰囲気がちがって、牧歌的となって面白い。そこからまた雰囲気が変わって、清浄な祈りの風景となる。それが終わると冒頭にリピート。定法に則り、スケルツォ主題から第1トリオへ。ここから飛んで、終結部へ。コーダから、静かになって行きながらテーマが示され続け、途切れるような終わり方を迎える。
3楽章のラルゴは、「愛」がテーマというベターな緩徐楽章。のわりに、演奏時間としては最も短い7分ほど。このへんは、そう、かの第九のようなイメージで書かれているようである。第九も、2楽章のスケルツォのリピートをまともにやったら、下手したら1楽章より演奏時間が長くなる曲だから。
ファゴットの牧歌的な導入より、木管を主体に美しい旋律があふれてくる。それが絃楽に移って、金管(トロンボーン〜トランペット)のコラールめいた部分へ。そこから絃楽器でテーマがゆらめき、第2の部分はテンポが少し上がって、ちょっとジブリ風(笑) ゲネラルパウゼ(全休符)より気分を変え、緊迫感を持って盛り上がって行く。頂点で世界が開け、再び旋律は地上へ降りてくる。そのまま、余韻を残しつつ、潔く終わってしまう。
圧巻なのは4楽章だ。演奏時間は20分ほどにもなる。これは、まるでマーラーの1番というほどの規模となる。しかもこれは、アダージョ・ソステヌートとある。4楽章アダージョとは、やってくれる。「死と再生」がテーマなのだそうである。
重苦しくも短い導入。そこから絃楽器でテーマが。すぐブルックナー流の流れがややあって、やおら激しく1楽章のテーマが回帰するも、中断。第九っぽい経過から、2楽章の響きも。すなわち、これまでのテーマが回帰するという、構造自体が第九流の仕組みか。アレグロとなって、分かりやすい流れに。その主題を展開しつつ、楽想は刻々と変化して行く。しばらくいろいろな響きを楽しんで、やおら全休符。そこから雰囲気を変え、深刻な調子に。間延びした部分も無いわけではないが、一貫して良い響きがするし、基本的に主題はかっこよく聴かせるものとなっている。中間でやや盛り上がってから音量とテンポを落とし、木管で再び主要主題の変奏になって、絃楽のアダージョ部へ。そこから長い時間をかけて主要主題を盛り上げてゆき、大団円のフィナーレへ。
正直に言って、藝術作品としてどうかということになると、もう少し格調の高さや存在感、テーマ、本格的な技術的な部分にかなりの工夫と勉強が必要となるのだろうが、ネタといったら失礼だが、鳴り物交響曲としては、けっこう良い出来に感じた。ソ連のマイナー交響曲に、こういうのありそうだ(笑)
なお、テーマは内容とはぜんぜん関係なく聴こえる。
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