ドホナーニ(1877-1960)


 当サイト掲示板でGOLD様にご教授いただいた、エルンスト・フォン・ドホナーニ。本名はハンガリー式にドホナーニ・エルネー。エルンスト・フォンはPNである。

 なんと、高名な指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニの祖父に当たる。オーストリア=ハンガリー二重帝国の貴族の家系に生まれ、PNのフォンはそれに由来すると考えられる。父親は数学の教育者でチェロをたしなみ、それに感化して自身も音楽を始める。ブダペスト音楽アカデミーに学び、師のケスラーはレーガーの従兄で熱心なブラームス支持者。ブラームス流の新古典主義を叩きこまれ、最初の出版作品ピアノ五重奏曲は、そのブラームス当人に称賛されたという。また、ピアノをリストの弟子ダルベールに学んだ。

 その後、ピアニストとして名声を博し、1905年ころより教育者としてベルリン高等音楽学校、自身の出身校であるブダペスト音楽アカデミーで教え、さらにブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督にも就任、バルトークやコダーイらハンガリー人作品の普及に尽力。バルトーク「舞踊組曲」を初演する。ナチス政権時代、息子らは反ナチレジスタンスだったが自身はハンガリーに止まって政治には関わらず、自身の立場を利用しユダヤ系音楽家を庇護した。戦争末期の1944年、ソ連軍の侵攻にSSに護られながらブダペストを脱出。アメリカへ亡命した。

 アメリカでは演奏活動ではかつてのような名声を得られなかったが、作曲活動は続け、またフロリダ州立大学音楽科で教鞭をとった。

 指揮の弟子にフリッチャイやショルティがいる。交響曲を2曲、作曲している。


第1交響曲(1885 or 1901)

 ドホナーニが学生時代に書いた幻の作品。資料によって1885年の完成と、1901年の完成と両方ある。幻というのは、初演の後、ドホナーニが作品を封印してしまったため、長く演奏されなかったからだという。オスマン・トルコの侵攻を退けた16世紀のハンガリーの英雄ズリーニを描いた交響詩的なズリーニ序曲と共に、1896年のハンガリー建国千年を記念した作曲コンクールの管弦楽部門で優勝したというので、こちらの説だと1895年の完成かと思われる。また、ブダペスト音楽アカデミーの卒業作品という資料もあり、こちらだと1901年に完成となる。

 マーラー流の5楽章制、演奏時間は約50分。正しい後期ロマン派の残影。残影といってもこの時代は、そのマーラーやブルックナーリヒャルト・シュトラウスがまだまだ現役だったが、それらの後継者としての若き作曲家の野心作というべきか。

 第1楽章、アレグロ マ ノン トロッポ。茫洋としつつ、次第に輪郭線のくっきりしてくる序奏付。すぐに、ドバーンと出てくる劇的な第1主題はなかなか格好良い。経過部の後に現れる序奏の派生めいた第2主題は、しっとりとした渋い中欧の暗さを持つ。すぐに展開部。第1主題が扱われる。一瞬の全休止で音楽の進行を変えて行く手法は、ブルックナーの影響か。第2主題展開も唐突だ。ブロック構造だとしたら、これもブルックナー流だろう。とはいえ、新古典的な確かな技術はブラームスに認められている。単なるエピゴーネンではないだろう。ドーンと盛り上がりつつ、第2主題の展開が続く。このじわじわした細かい展開は、確かにブラームスっぽいかも。その中に、マーラー、ブルックナー、ワーグナー的金管やティンパニドカーンが入ってくる面白さ。展開部はやや長く、後半にはヴァイオリンの美しいソロも。そこから展開部最後の大盛り上がりが始まって、静かになった後、序奏部の小展開(たぶん)が現れ、それが一瞬大きく膨らみ、急激、かつ唐突に消えてしまうように楽章を終える。聴いた限りでは、明確は再現部は無い。あと、けっこう長い。15分ほどもある。冗長と感じる人もいるかもしれない。

 2楽章、モルト アダージョ。緩徐楽章。コーラングレによる、かなり侘しい旋律がいきなり登場。それをピチカートが伴奏する。これはちょっとハンガリー民謡っぽい響きがするが、詳細不明。それから弦楽がやや明るい調子で、その派生旋律を奏でる。木管が引き取り、少しコーラングレが残照を光らせると、新しい部分へ。ファンファーレ的な金管も現れつつ、基本ちょっと暗い雰囲気のコーラングレ旋律が展開される。それと、明るい音調とが順番に進んで行く構造だが、中間ほどでおどろおどろしい部分が現れ、緊迫する。後半部は濃厚な音響が続き、さらに明るい音調へ変化し、穏やかな旋律で推移、最後のしっとりとしたクラリネットの音色が心地よい。

 3楽章スケルツォ(プレスト)は、おそらくアタッカ。そのまま、激しい舞踊調の曲へ移る。あまり民族舞曲っぽくはないが、影響はあるように聴こえる。舞曲(第1主題)とトリオ(第2主題)が頻繁に入れ代わり、進行する。中間部では新しい主題を執拗に膨らませてゆき、たっぷりとした展開を見せつつ、冒頭へ戻って第1主題と第2主題を再現する。コーダではシンバルもバッシャバッシャ鳴って盛り上がり、終結。

 4楽章はインテルメッツォ(間奏曲)でアンダンテ コン モルト。ヴィオラ(?)のソロによって、切々と始まる。語り部のような、中声部の旋律が美しい。対旋律というほどでも無いが、伴奏もきれいだ。そのままヴィオラのソロと弦楽の夢見心地の調べで、この楽章は何の展開も無く終わる。まさに間奏曲。おそらく、当曲で最も短い。

 5楽章イントロダクション、主題と変奏、フーガ。堂々とした開始。ババーン!! ティンパニ、ド、ドーン! いったん静まり、木管による開始から弦楽が導入を繰り返して、二回目のドーン!! それからじわじわと導入部は続くが、一瞬の全休止からおそらく主題提示だと思うが……いつ主部が始まるんだ? という地味な展開。いつのまにか変奏が始まっていたのだろうか? 聴いている間に盛り上がっているので、密かに主部へ突入していたのだろう。ここら辺の展開の分かりづらさは、若書きだからなのか、それとも狙っているのか分からない。穏やかな推移は、いつのまにかコラールへと到る。うーん、ちょっと変わった終楽章だ。全休止で次々に変奏が現れるのは分かり易いと言えば分かり易いが、肝心の楽想にあまり変化が無いので、全体として分かりづらいと言えば良いか。と、最後に激しいアレグロでフーガに。ここは流石に分かる、分かるぞ。弦楽から金管へ主題が移ってゆき、コーダへ。冒頭のような壮大な響きが厚く積み上がって、ティンパニもドッカドッカ、勝利の雄叫びで短く終結する。


第2交響曲(1945/56)

 4楽章制、4艦編制でこれも演奏時間は50分にも及ぶ大規模なもの。

 1906年の若いころより構想を始め、1928年には固まっていたものの、本人の意向というか、交響曲の発表機会に絶望し作曲は遅れに遅れ、大戦中の1943年になって筆をとり始めたという。しかし構想はできているのだから一気呵成に書き進み、亡命先でも書き進めて1945年に完成。46年には出版され、48年のロンドンで初演されたがあまり評判が良くなかった。

 その後、アメリカで教鞭をとる生活の中で全面的な改訂を思い立ち、56年に完成、57年の3月にはドラティの指揮、ミネアポリス交響楽団で改訂版初演された。これは評判が良かったが、ドホナーニはさらに改訂し11月に脱稿。同じくドラティの指揮で完全版も演奏された。

 1楽章、アレグロ コン ブリオ、マ エネルジーコ エ アパッショナート。指定を見るだけで勇壮で情熱的。ソナタ形式。冒頭、いきなり力強いユニゾンの第1主題。大戦中の作曲のためか、音程の差が激しく甘美なものではない。勇士が歌うようだ。それが小展開しつつ、第2主題は一転優美なもの。しかしこれもけして甘美ではない。美しいが力強さがある。盛り上がってドラの一撃で締め、展開部へ。スネアドラムも登場して緊張感が増す。両主題が細かく対立して行く。第1主題はよりスリリングに、第2主題はそれを励まし、慰めるかのようにより優雅に響きあう。技術的に、両主題が同時に展開して行くのは見事だ。展開部後半では調が変わったのか、響きが明るくなって勝利へ向かう。おそらく再現部は展開部を兼ねており、両主題が順に現れるが小展開が施される。コーダでは第1主題が勝利主題めいて堂々と鳴るが、なんか響きがハリウッドっぽいのはご愛嬌。10分少々の楽章。

 2楽章はアダージョ。コーラングレの牧歌的な旋律に、3本のフルート重奏が彩りを添えて絡む。和音がなかなか近代的で趣深い。すぐさま弦楽器の旋律が現れて、しばしそれを展開しながら進行する。弦楽に木管が寄り添い、愛らしい響きを奏でる。コーラングレとフルート重奏も途中に差しこまれる刺し子構造は、マーラーの4番にも通じる高度なテクニック。中間部では、クラリネット独奏(ソリ)が重奏で登場。新しい旋律を吹く。オーケストラが、それを受け取って発展する。コーラングレ旋律も展開され、クラリネットと絡む。そこからは、まさにめくるめくマーラー的シュトラウス的絢爛の愛の讃歌。正しいロマン派の光。やがて日が沈み、木管が別れの歌を歌いながら薄暮にねむる。第1楽章とは対照的なまでに可憐にして濃厚な緩徐楽章で、解説によると、作曲者は「エデンの園におけるイヴを表した」とのことである。ここも10分少々。

 3楽章はアレグロ、ブルラ(嘲り)と指定されている。ブルラは、ブルレスケに通じる。諧謔的な音調により、騒がしく激しい音響が雑音めいて響きわたる。トロンボーンのグリッサンドも効果的だ。ラグタイム的にして、ガーシュウィン「パリのアメリカ人」の自動車のクラクションにも似た音が面白い。終始ジャズテイストであり、ストラヴィンスキーにも似た、渇ききった皮肉が聴こえる。4分ほどで、最も短い楽章。

 4楽章フィナーレ、序奏とJ.S.バッハの「甘き死よ来れ」の主題による変奏曲とフーガ。20分に及ぶ、長大な楽章である。どこかもの悲しく、神秘的なヴァイオリンの重奏が導入部。その後、弦楽により重厚にバッハが提示される。そこから、5種類の変奏とフーガがある。そういや、1番の終楽章も変奏曲とフーガだった。管楽器が加わって、地味に変奏がスタートする。第2変奏はいきなり行進曲調で、雄々しく重厚。続いてアンダンテほどになって、重々しくもどこ可儚げな調子に。再びアレグロへ。けっこう展開が早い。速度は変わらないがどんどん沈んでゆき、音調は美しいアダージョへ。これが最後の変奏か。低音の中にアダージョが消えてしまうと、弦楽が再びバッハ主題を奏し始め、それらが重なり合ってゆっくりと荘厳な三重フーガに。フーガは頂点でホルンなども朗々と登場し、大きな建築を仰ぎ見るような音調となる。ホルンを含む金管が奏するのは、第1楽章の第1主題。それらが入り交じってカオス的頂点を迎え、音響が爆発! ここで歓喜となる。再びバッハ主題が戻って清浄さを演出し、ゆっくりとコーダへ向かって歩みを進める。コーダは荘厳にして重厚な行進曲調で、エルガー的な音調を持ち、それが頂点を迎えて堂々たる絢爛豪華な讃歌となる。ここは、作者によると「死に対する生の勝利」なのだそうで、まさに生命讃歌といえるだろう。ちなみに、やっぱり終結がハリウッドっぽい。







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