マスランカ(1943− )
初めて聴く名前であったが、当サイト掲示板にてchaos様よりご紹介をいただいたので、少し掘り下げてみることにした。2015年執筆現在で、さいきん日本でも少し演奏されるようになってきた、のだそうである。吹奏楽からはややしばらく離れているので、海外オリジナル作品の流行とかは分からないが、とにかく作品が多い。室内楽から、吹奏楽、器楽、オーケストラまで幅広いのが特徴的だ。日本でよくある、吹奏楽専門、みたいなものとは異なるということか。
また、自身のサイトが充実しており、主要作品の音源がネットで聴けるのも魅力だ。マスランカのサイト。http://davidmaslanka.com/
交響曲はこちらから聴ける。http://davidmaslanka.com/portfolio_tags/symphony/
音源は、2番からあるようである。なんと、2015年現在で、9番まである。1番と6番がオーケストラで、その他が吹奏楽。また、ソロクラリネットのための小交響曲というのも認められる。
現代作曲界の趨勢を俯瞰的にみて感じるのは、オーケストラ(を含む室内楽、ソロ作品)の世界では無調、セリー主義のものがメインで、吹奏楽ではそういうのは無くはないが少なく、調性バリバリのものが多いように感じる。どちらも悪いわけではないのだが、どうもどちらも極端に偏っているように感じる。特に、日本の吹奏楽界のオリジナル作品はここのところ質が低い。コンクールを意識してか、8〜10分の作品が多く、さらに中高生の演奏者を意識してか中途半端なプログラムを持った交響詩的な安いサントラまがいの薄い中身で、タイトルはライトノベルも真っ青のなんだか分かったような分からないようなものばかり。
その意味では、このアメリカの作曲家も同じような曲は多いが、その中に(中身はまず置いといて)ちゃんと硬派な純音楽もあるのが憎いではないか。交響曲は全て30分から1時間の大曲ばかりでなお良し。吹奏楽の編成でこの時間的規模の作品を聴かせるのは、至難の技だ。
第2交響曲(1986)
3楽章制で、約35分とある。1楽章モデラート、冒頭の重苦しい部分からすぐに木管を主体とする主題。それがじわじわと展開されつつ、楽想を広げて行く。打楽器が絡んでくる辺りより雰囲気が変わって、無調っぽくなる。こういう効果と意図がしっかりした無調は大歓迎といえる。無調だろうが、調性だろうが、表現の手段にすぎないのだから、無調ありき、調性ありきではない。無調だが、セリーではないようで、聴きづらくない。主要主題がフルートに戻ってきて、アーチ構造を印象づける。トランペットの哀歌も良い。そのまま、静かに集結する。
2楽章は「深い河」とある。ちょっとリンク先の英語の解説が読めないので、詳細は割愛するが、どうもアメリカ奴隷黒人の古いメロディーとある。黒人霊歌というやつだろか?
短い序奏から、サックスにより黒人霊歌の旋律が歌われる。まるで夕日のハーモニカではないか。そこから調子が変わってちょっとディズニーのアフリカンなイメージなのがご愛嬌だが(笑) それが1楽章と同じ手法でゆっくり時間をかけてじわじわと展開して行く。その頂点で再びサックスのソロ。それが日が落ちるかのごとく静かになって、夜のサバンナ。純音楽の中に、いかにも標題音楽的な情景が潜むが、これは標題音楽ではない。打楽器アンサンブルで静かに閉じられる。
3楽章はアレグロ・モルト。15分ほどあり、もっとも長い楽章。表現豊かなギャロップから幕を開ける。ホルンの嘶(いなな)きが楽しい。コケティッシュなアレグロはそのまま勢いを保持し、主題を展開しながら突っ走り続ける。色々な楽器が主題を少しずつ形を変えながら演奏し続ける。この第2交響曲は、全てそういう、一種の変奏形式で書かれている。もしかしてこの楽章は15分間これなのだろうか。
と、思ったら、半分ほどでトリオのような中間部。他楽器がリズムとスピードを保持しつつ、主題を伸ばした金管がゆっくりとテーマを奏で、さらに打楽器投入で緊張感アップ! 無調っぽいカオス……からの、冒頭回帰。そして、さらにコーダへ向けて速度を増し、緊張と平易を繰り返して盛り上がって、畳みかけるが、集結和音はないのでちょっと不思議な印象で幕を閉じる。
小交響曲〜バーニー・チャイルズの名前の(1989)
交響曲と名がついているが、5、6分ほどのソロクラリネットのための器楽曲である。しかし、この交響曲のページでは「作者が交響曲と名づけて作曲したもの」という括りでやっているので、とうぜん、ここに含まれる。
友人の作曲家、バーニー・チャイルズの誕生日のために書かれたようであり、彼の名前のスペル(Barney
Childs)からとられた基音(BArnEy CHilDS)、B A E C B♭ D E♭ から作られている。短い楽想の中に4つの楽章が潜んでいる。
冒頭、ゆったりとした緩徐的部分より、激しいアレグロとなるも、それもすぐに終わって、再びアンダンテほどの穏やかな歌となる。ここはやや長く、楽曲のメインのように響く。時間配分的には、半分ほどを占めるだろう。
そして後半の数十秒に、再びアレグロ。楽想としてはとても短く、一気に集結する。
第3交響曲(1991)
コネチカット大学の吹奏楽団のために書かれた大規模な吹奏楽のための交響曲で、5楽章制、演奏時間は指定で45分、作者のサイトにある音源では50分にもなる。やりすぎだ(笑)
第1楽章はモデラートだが、いきなりロングトーンの練習から始まるのは、なんということなのだろうか(笑)
音楽的には、それは音列の提示なのだろうという事にして、そこから派生するであろう旋律群が木管で次々に立ちのぼり、金管がかっこよくからんでくる。調も明るく、その中に不協和音も混じってきて、これもかっこいい。打楽器も入り、壮大な序章を築いて行く。アレグロになって雰囲気が変わり、行進曲調の部分がやや続く。そこが落ち着くと、ユーフォニウムのソロによる緩徐部分。組曲風の連続した展開となっている。楽器の数が次第に減ってゆき、美しい和音で静かに集結する。
第2楽章は小編成のアンサンブルによる美しい 「自然」 の描写ということである。前楽章からのテーマを引き継いで、似た雰囲気で始まる。室内楽的な管楽合奏にして、吹奏楽編成特有の、こういう緩徐部分での和音の濁りを抑えていると判断できるのはさすが。管楽器はもともと独立した楽器なので、あまり同質の楽器が集まると音が変質する。夜の森のような、湖畔の佇まいのような、そういうしっとりとした音の移り変わりに、鳥の声、精霊の声であろうソロがからんでくる。どこか日本の民謡っぽい響きが現れるのも良い。そこから、一瞬、全員が参加して音響が爆発するもそ、それは一瞬である。
第3楽章は 「とても速く」 と表記された、スケルツォ相当楽章。打楽器が喧噪を引率し、アレグロとなる。この手の楽章はやや短めなのが定番だが、他の楽章と変わらない8〜9分もの演奏時間w はっきり言って、長い。室内楽的な編成で、それぞれの楽器が延々とアレグロの旋律を紡いで行く。この手の音楽は、普通中間部あたりでトリオ部(ゆっくりした部分)が挟まるのだが……挟まらない(笑) かといって大きく盛り上がりもしない。最初から最後まで、延々と走り続ける不思議な形式だ。
今曲で面白いのは第4・第5楽章がどちらも 「ラメント(哀歌・悲歌)」 とある緩徐楽章なのである。
4楽章は、サックスのソロがまず悲劇的な音調を導く。これを決起に、全合奏でその音調を盛り上げる。そこから、再びサックス(?)ソロで、民謡調。それがホルンに引き継がれ、オーボエに。ここの薄い響きは、完全にオーケストラの中の管楽合奏であり、吹奏楽の中での、マスランカの腕の見せ所。それが一転して悲劇の全合奏。それも一瞬にして、穏やかになるという……狂詩曲的な性格をもった楽章といえる。フルートのソロから、アタッカ気味(アタッカ?)で、5楽章へ。
5楽章では、「Song for a Summer Day」 からの引用があるような解説ぶりであるが、聴いたことがあるようで、これはアメリカ民謡なのかどうか分からない。荘厳な合奏から、さらに葬送曲っぽい雰囲気を演出する。ソロのフルートが歌を歌った瞬間、鐘が象徴的に鳴り渡り、響きは次第に明るくなる。フルートの歌が続く。ホルンが遠くで鳴る。マリンバの連打が、世界を支える。オーボエが歌を引き継ぐ。どんどん響きは薄くなり、いわゆる吹奏楽の世界ではあまり聴いたことの無い響きが続いて面白い。まして、こういう大規模な曲で。
そして、そのまま室内楽で静かに終わってしまう。吹奏楽の中では、「ちょっと変わった」 音楽だと思う。
第4交響曲(1993)
1楽章制で、演奏時間は約30分の曲。
ホルンの朴訥なソロから始まる。その後、テーマを繰り返す分厚い響きが、管楽アンサンブルの醍醐味ともいえる。編成を見るに、日本で云ういわゆる吹奏楽というウィンドオーケストラと少し異なるようで、大規模な管楽合奏という意味合いなのだろう。それからテーマの変奏(展開)に入る。アレグロとなって、荒々しくなるも、すぐに室内楽的な、木管、ハープ、ピアノのアンサンブルとなる。こういう薄い響きに、マスランカはセンスを発揮すると感じる。
合奏が再現され、打楽器もカオスを演出。テーマは展開され続ける。そしてハープの美しいソロへ。不思議空間を漂うサックス、オーボエ、ホルンたち。テーマは合奏となって、大いに盛り上がり、また静かになる。基本、この繰り返しだ。
この第2主題というか、仮に不思議空間主題と云うが、この部分がやや長く続く。盛り上がったり、静かになったりで。不思議空間主題は、冒頭主題からの派生であると思う。盛り上がると打楽器は暴れて、金管は讃歌ふうとなるのもマスランカ節というか。
ところが、ここからの展開はやおらジャズっぽくなり(笑) 激しいダンス。それが静かになると、もう最後の部分だが、ここはまた不思議空間である。夜の狼の遠吠えというか、面白い木管の響きの中に、テーマが現れる。
そこから常套にじわじわと盛り上がって、今度こそ映画音楽調の讃歌で終結である。
マスランカの形式は、自由なようで、テーマを合奏部とアンサンブル部を繰り返しながら展開させ、盛り上がって行くというものであるのが分かる。その中で、主題の展開自体は大雑把なものに聴こえる。
第5交響曲(2000)
これも大規模なスタイルで、4楽章制40分の、いまどきオーケストラでもこれほどの交響曲を書く人はあまり無いというもの。天野正道の項でも書いたが、ショスタコーヴィチの5番に匹敵する規模の曲を吹奏楽でやるというのは、狂気の沙汰だ。また、現代においては、あまりにまともな交響曲が書かれなさ過ぎて、交響曲といえども、大規模な組曲のような形になってしまう嫌いもある。それはしかし、作者が交響曲と作曲したのならば当然交響曲であるが。
冒頭より嵐。そこから雄々しいテーマ。アレグロでそのままテーマが展開されて行く。まさにブラスもバリバリでかなりカッコイイ。第2主題、あるいはマスランカ節で静かな部分がくるかと思いきや、第1楽章は7分間そのまま突っ走る。一本調子だが音調に変化もあり、なかなか楽しい。
2楽章はファンファーレより、アレグロのまま、やや軽やかなテーマが行進曲調に進む。打楽器も激しく不確定に導入され、合いの手もコミカルなものである。だからといって特に展開が入念なものかというと、どうもこの人の展開は弱い。カッコイイテーマがつらつらと現れては消える形式だ。また、2楽章では順当に中間部で静かな部分が入る。サックスをメインに、黄昏たテーマがしみじみと流れる。三部形式ではあるが、冒頭に戻らず第3の部分に到り、付点リズムで飛び跳ね、また静かに終わる。この部分は第3部ではなく、中間部からそのままコーダに来ているのかもしれない。
3楽章は、緩徐楽章。マスランカの緩徐楽章はどこか、大平原や岩山砂漠を彷彿とさせる、スケールの大きい響きがする。アメリカの大風景だろうか。ここでも満点の星空である。中間部では長大なユーフォニウムのソロが現れる。こういう、ソリスト級の技術が必要なソロ楽器があるのも特徴的。あるいは、そういう注文で書かれているのか。ユーフォニウムはそのまま最後までソロを奏で続けるので、中間部ではなくこっちも後半部というべきか。
4楽章は祝祭フィナーレ。激しいアレグロ。1楽章は暗かったが、こちらは明るく……はないが、戦闘と勝利の響きがするw 狂詩曲的性格の強い華々しい展開。終始打楽器が鳴り響く中、木管と金管がうねり狂い続ける。そのままドカンと勝利の終結かと思いきや……なぜか、遠くへ消え入って、静かに終わり、ちょっと不思議な感じ。
規模は大きいが、形式的に単純なので存外聴きやすい。吹奏楽の響きに慣れていない人は、途中で飽きるかも。音響は工夫してあり、私は好きな部類だ。
第6交響曲「地球は生きている」(2004)
これは、オーケストラのために書かれている。公式サイトに音源の無い1番と、この6番のみが、2015年執筆現在でオーケストラの交響曲である。5楽章制で演奏時間は約35分。
どうも標題交響曲のようで、各楽章にも副題が冠されている。標題音楽だけに詳しいプログラムがあると思うのだが、私の英語力不足のため、良く分からない(笑)
第1楽章は「Living Earth 1」 とある。10分ほどの楽章。導入部から、木管によるテーマ。それがリズムに乗って、じわりと展開してゆく。導入部の主題もからみながら、分かりやすく進んで行く。全体にアンダンテの楽章。主な主題は全て管楽器が担当するのも、いかにも吹奏楽作家の書いたオーケストラ曲で微笑ましい。やっぱり絃が伴奏に徹するのね、というか。マスランカ調でぐうっと盛り上がり、テーマは讃歌を奏でて頂点に達する。フルートやクラリネットが新しいテーマを奏でて、受け継がれて行き、静かな終結部へ至る。オーケストラになっても、流れを重視した、マスランカ節満点の曲。
第2楽章は「Rain」 雨とある。7分ほどの楽章。1楽章にもある、金属打楽器による雨粒の音と、木管による雨のテーマ。テンポがやや上がって、テーマは展開される。響きはベターなもので、ネイチャー番組のサントラといっても通じるほどだろう。そういう意味では、実にうまいが、形式感は無い。
第3楽章は「November ? Geese on the Wing」 とある。これは3分ほどの短い楽章。マスランカ得意のアドリヴ的な打楽器伴奏に、木管が静謐なテーマを。そろそろ速い楽章かくるのかな、と思わせておいて、テンポはほぼ変わらなく、アンダンテ楽章といえる。間奏曲っぽい雰囲気。
第4楽章「Dreamer」 これは7、8分ほどの曲。テンポはやや速くなる。またも木管が哀調を帯びたテーマ。おっと、チェロがそのテーマを受け継ぐ。絃楽がメロディーを奏でるの、この曲で初めてじゃないか?w そこから、音量を上げて、盛り上がって行く。ここでも登場する金属鍵盤打楽器の音色が、核となる。中間部でテーマが短く再現される。木琴が独り言をいう、終結部がちょっと不思議な感じ。
第5楽章は「Living Earth 2」 である。5分半ほどの楽章。ここで初めて、曲はアレグロを迎える。ヴァイオリンに初めてメインの役割が(笑) 最初は楽しいかけっこだったのだが、途中から何やら不穏な空気に(^^; 木琴は地獄を見る。木琴コンチェルトかよ。短いコーダから一気に終結。
デメイの曲も思ったが、オーケストレーションが吹奏楽寄りなので(絃楽器がほぼ伴奏に徹していて、オケ聴きとして言うと、扱いがちょっとおかしい)、無理してオーケストラじゃなくてもいいんじゃないの、と感じた。吹奏楽の作曲家で、オケもできますというわりに、やはりそういう曲が多いのが面白い。それは、オーケストレーションとしてはやはり下手というかは、変わっている、というものだろう。
第7交響曲(2005)
4楽章制、演奏時間はこれも約35分とある。
1楽章は珍しく校歌の伴奏みたいなピアノ独奏よりはじまり、じっさい、主題がそんな感じで歌われ、展開される。やおらテンポが上がってアレグロとなり急展開。戦闘音楽だ。それがまたやおら校歌に。後半はそのまま2回目の盛り上がりがくるかと思いきや、静かに推移して眠りの中へ消えてゆく。
2楽章は、これまた雰囲気を変えてジャジーに。ミュートトランペットにピアノ。そのテーマが木管へ移り、ゆったりと展開する。重厚に盛り上がって、行進して行く。落ち着いて、神秘的なレントへ。終結ではフルートのしみじみとしたソロ。
3楽章は、8分ほどの速い楽章。少しジャズテイストの残る進行から、激しいがしっかり整っているマスランカアレグロ。相変わらず木琴がコンチェルト状態なのは、なんなんだろう、こういうの好きなんだろうな、マスランカという作曲家は(笑) 金管と木管がうまく、種々の主題を仕切り、捌いてゆく。ここでは、中間部でテンポが少し落ちて、木琴は死にます。冒頭に戻って、展開を繰り返しつつ、(木琴が)地獄の盛り上がり。そこから、第2展開部へ。テーマを引き延ばして盛り上がりつつ、打楽器の一打で終結。
4楽章も8分ほどで、順当な時間割であると分かる。お経でも読むのかというゴング(鈴)の静寂感よ。そこから立ちのぼるのは、お経ではない。しっとりとした、オーボエとユーフォニウムの二重奏だ。大きくホルンによって盛り上がり、ゆったりとした音調のまま、ピアノのソロでしっとりと締め。環境音楽かよ。
時間の割に長さを感じさせないが、構成も単純なので、やや聴き流す部分もある。つまり、これもしっかりとマスランカ節。
我等に今日の糧を与え給え〜吹奏楽のための短い交響曲〜(2006)
タイトルは聖書からとられているが、インスピレーションは仏教(チベット仏教か?)から得られているという、2楽章制で、14分ほどの交響曲である。原題はウィンドアンサンブルのための〜となっており、純粋な吹奏楽編成よりやや小さい。
1楽章冒頭より、神秘的な和音の上に、各楽器がしっとりとしたソロを奏でる。正直、リードの同じく仏教(立正佼成会)の影響を得た「法華経からの3つの啓示」にも、雰囲気が似ているような気がする。アメリカ人のイメージする仏教とは、様々な宗派を統合した総合的なイメージなのかもしれないので、凡アジア的な響きになるのだろうか? 光り輝く仏塔(ストゥーバ)の夕日に影を作るような、広大な大地のイメージが聴こえる。欧米人のもつ「日本の仏教」は、未だにおそらく「禅」一択になるような気がする。
響きは次第に大きく盛り上がるが、ゆったりとした、大平原的な広大なひろがりは失せない。1つの主題を練り上げて、その頂点で燦然と輝き、一転して壮大な世界観を築くマスランカ流がここでも存分に聴かれる。盛り上がりは突如として消え失せ、冒頭の雰囲気をやや変え、夕日の落ちる寂しげな音調へもって行く。
2楽章はカッコイイアレグロ。雄々しい金管、鋭い木管、やたらと激しい木琴(笑) マスランカだ! 進軍調の音楽はしかし、中間でやおら平安なものへ変化する。その平安は、そのまま終結へむけて進むのかと思いきや、やはり冒頭の再現でやぶられて、戦いが始まる。仏教からのインスピレーションでなんでこんな雄々しい楽想が出てくるのかは、不明だが、音楽としてはカッコイイから許す。コーダでは東洋的な音階もあるような気もするが、輝かしい勝利の調子で終結する。
日本人の作曲家の作る仏教を題材にした音楽〜この項だけでも、貴志康一の交響曲「仏陀」、黛敏郎の涅槃交響曲、曼陀羅交響曲、松下眞一のシンフォニア・サンガ、があるが、具体的な仏教の概念からもっている日本人とは、イメージの土台が異なっていて差異が面白い。
第8交響曲(2008)
3楽章制で40分という規模がすごい。吹奏楽ではなかなか無い規模だ。解説では、それぞれの楽章に種々の宗教音楽からの引用があるように読めるが、詳細は不明。
第1楽章はモデラート〜ヴェリー・ファーストとある。13分ほどもある。木管のうねりの上に、金管や、他の木管においてゆったりとした主題が提示される。讃歌風に大いに盛り上がり、速度が上がってくる。いったん落ち着き、曲はマスランカ流に主題を少しずつ展開しながら、ヒーリング曲っぽく進む。背後にはミニマルミュージックがごとく延々と音形が繰り返され、主題を支える。後半では第2主題が現れ、一気にアレグロとなる。やっぱり木琴は狂ったようなパッセージ。讃歌が堂々と現れ、それが激しく行進曲風に展開して、輝かしく終結の運びとなる。
15分ほどもあるモデラート2楽章は、「大きな幻想曲」のよう、とのことである。壮大なファンファーレが鳴り渡り、合いの手を入れつつ幾度か繰り返されると、木管のオスティナート動機を伴奏に、サックスがしみじみと主題を奏でる。雰囲気が変わると、伴奏はハープに、主題はオーボエに引き継がれる。この部分は吹奏楽というより、まるでオーケストラの管楽合奏だ。そこから響きが厚くなると、吹奏楽の音がしてくるが、主題を長いソロが受け持つ形式は、しばらく続く。中間部でアレグロに突入。音調としてはあまり激しいものではなく、前半部の薄いモデラートを受け継いでいる。最後は、オルゴール風に夢の中へ。
14分ほどの第3楽章。モデラート〜ヴェリー・ファースト〜モデラート〜ヴェリー・ファーストと進行する。木管のゆるやかなファンファーレ動機がしっとりと響き、ややしばらく平和裡な雰囲気を演出するも、やおら緊迫したアレグロへ。映画音楽めいたチープな響きながら、面白く聴かせてゆく手腕はさすがのマスランカ。少し立ち止まって穏やかな雰囲気を懐古してから、再び進軍は続く。そこからヒロイックな哀調感あふれるモデラートへ至る。かなりカッコイイ。そこからスターウォーズ的な壮大フィナーレへ突入。
第9番交響曲(2011)
ナレーションと吹奏楽のための曲で、70分を超える。とりあえず、作者のサイトから楽章ごとに書かれているものを引用する。
I. Preface: “Secrets” by W.S. Merwin
II. Shall We Gather at the River
III. Now All Lies Under Thee
IV. Fantasia on I Thank You God…
V. Fantasia on O Sacred Head Now Wounded
Shall We Gather at the River
Watch the Night With Me
Soul, How Have You Become So Unhappy
Whale Story (O Sacred Head Now Wounded)
O Sacred Head Now Wounded
なんだか良く分からないが(笑) とりあえず5楽章が40分あるという、異常な楽章配分である。
1楽章というか、さいしょはナレーションのみ。
続いて、10分少々の序曲のような、実質の第1楽章。点描風の導入から、輝かしい明るいテーマが。堂々と発展し、ファンファーレから木管の第2テーマへ。またも木琴連がウルトラ伴奏。なんなんだろう、これw 中間部では、ハープとピアノでホテルのバーみたいな雰囲気を作り、しっとりと。そのテーマを雄々しく盛り上げて、また静かになるマスランカ展開。そこからまた大いに讃歌として盛り上がって、静かなピアノソロで締められる。
第3楽章は、アタッカで進むように、またもピアノソロで、異なるテーマが奏される。15分ほどの楽章。こういう、卒業式みたいな独特の音調、マスランカは好きなのだろうなあ、と思う。そこから徐々に展開しつつ、第1の盛り上がりが開始5分程のところで現れる。それがまた静かに納まってゆき、半分ほどのところから第2部というか、後半というか。相変わらず静かになってと盛り上がってを繰り返すだけであるが、心地よい音調に変わりは無い。ピアノとホルンの穏やかなソロで、第3楽章は終わる。
第4楽章は短く、5分程と間奏曲のよう。ピアノとサックスのアンサンブルで開始される。そのまま、伴奏がからみながら、この楽章は終始ピアノとサックスによる対話だ。
問題の5楽章。40分と、これだけで他の交響曲1曲分というヴォリューム。緊迫感のある長い序奏から、ピアノソロが導く、暗い、モノローグへ。クラリネットのソロが渋く歌い始める。大編成だが、室内楽的な書法が続く場面。また、ピアノがからむ。
10分ほどそのようなアダージョが続き、そこから一転して激しいアレグロ。バレエ音楽のような楽しさとかっこ良さがある。が、それもすぐに元のゆったりした調子に戻る。それがまた10分ほど続いて、ちょうど半分ほど。
後半は、少し調が変わって、しばし静謐なピアノソロ。ピアノ協奏曲かよ。クラリネットのモノローグも再現される。そこからゲネラルパウゼがあって、アダージョは続く。これ、実演でこれを聴かされたら爆睡必須の展開だ。少なくとも休んでいる打楽器などは、ひたすら数えて眠気を防止するしかない。展開の意図がよくが分からないw それが5分ほど続いて、再びナレーション。どうも、冒頭の続きのようである。
ナレーションが終わると、またサックスとピアノによるゆったりとして切ないバラードというか、アダージョ。この楽章は、全体に40分間、こんな感じのようである。クラリネットがまた登場し、切々と何かを訴えかける。寂しさか、切なさか。サックスへ変わると、優しさと和らぎが少し加わる。これ、待っている楽器とお客さんはたまらんな。
そこで、またさっきと同じ内容のナレーション。あれ? 終わったんじゃなかったの?
そしてまたも室内楽的書法によるアダージョ(笑) 最後くらいはババーン! とマスランカ節で盛り上がるのかなあ、と思ったが。この楽章は徹底している。木管合奏と、ピアノが、祈りを捧げるものは、何なのか。しかし、サックスとピアノの語らいは少しずつ力強さを増し、ババーン! ……とはこないで、そのまましっとりと濡れたまま、コーダへ向かう。
40分間、最後の最後まで、この秋の叙情歌のような展開と旋律は維持される。ある意味、凄まじい。
この人はあれだ、「ふっ切れきれない吉松隆」 に強く感じる(笑) 音列から作られたソロクラリネットのための小交響曲が、もっともシリアス。その他の交響曲は、響きとしてかなり調性感があり、形式が単純で展開が甘いのでやや長く感じる部分もある。しかしそれは、大学の吹奏楽団の演奏が多いので、そこからの 「そういう注文」 なのかもしれない。交響曲とはいえ、先に記したが形式感は皆無。循環形式ですら無い。そのため、全体に大きな組曲か、連作幻想曲・連作交響詩といった雰囲気が強い。
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