菅原明朗(1897−1988)


 アキオさんかと思いきや、こちらはメイロウさんとのことです。関係ないが、知人に英憲と書いてエイケンと云う人がいるので、音読みの名前って昔からあったんですね。なんか、大正らしいハイカラさが、滲み出ています。(本名は吉治郎)

 菅原は、私の交響曲の日本人の項でも、山田耕筰の次に長老ということになっている。

 宮原禎次と同じく、オーケストラ・ニッポニカの企画により、われわれの耳に届いた。なんという、有り難い企画なのだろうか。関係者各位には本当に心より感謝したい。

 まだまだよろしくお願いします(笑)

 さて、交響曲の項だ。菅原の交響曲は、タイトルを「シンフォニア」とあって紛れもない交響曲なのだが、作曲者のこだわりにより、邦題を交響楽としている。CDの解説によると、録音されたものの他に2曲、その交響曲としての交響楽がある。個人的には、交響楽とまでしてしまうと、管弦楽の古い言い方のように聴こえて、協奏曲もオラトリオも何もかもオーケストラを伴う曲なら交響楽になるのではないか、と思える。じっさい、協奏交響楽や、史譚交響楽というのも、ある。
 
 職業作曲家というより総合的教養人として、音楽学校ではなく画学校へ進み、ドイツへ留学する代わりに古書や雅楽の古楽譜を抱えて奈良で7年を引きこもったというあたり、趣味の良さを感じる。


交響楽ホ調(1953)

 演奏の予定も無く作曲されたそうだ。4楽章制の堂々たる交響曲だが、作家のこだわりで、交響楽という名前になっている。
 
 響きとしてはなかかアカデミックなもので、まあ戦後の作だからか、国威発揚的な面もとうぜんない。古い黎明期の作曲家にしては、かなりモダンだ。かれは、大正モダニズムの申し子的な作曲家といえるようで、日本で初めて、近代ドイツ式ではなく、近代フランス式の響きを日本音階として昇華した人のようです。

 ここにあるのはフランス式の交響曲の素晴らしい模倣といえるか。フランクとかよりもむしろ、デュカとか。オネゲルよりはむしろ、ルーセルか。
 
 近代フランス式とはいえ、1楽章などは、アレグロで、かなりしっかりしたソナタ形式で、なかなか、ドイツの語法充分。彼の意図したところは、ドイツ的バッハ的、あるいはもっと古い教会旋法的な全音階と、近代フランス的な半音階との狭間で、自らの音楽的アイデンティティーはどっちだ!? というものということで、結局は、全音階に帰結するらしい。技法としてはだから、かなり難しいものだと思います。1楽章はソナタ形式はかなり複雑なうえ、旋法的にも展開法的にも工夫が凝らしてあり、どちらかというと、諸井三郎に近い音楽になっていると強く感じた。

 悪く云えば、だから、お固く響く。交響曲だから、ある意味、硬くてぜんぜんかまわないのだけれども、あんまり楽しくないのは確かだと思う。

 2楽章アレグレットも、構図的には3部式のしっかりしたもの。全音階と、半音階が、なるほど、激しく対立する。
 
 3楽章はアタッカで続き、ラルゴ。ここでは雅楽調の部分も聴こえて、そうなると、近代フランスジャポネズムといった雰囲気にも聴こえる。変奏曲形式だそうです。
 
 4楽章はまたアレグロ。ヴィバーチェで、速い。形式的にはロンド・ソナタに通じるものがあるようだが、こだわってはいない自由なもののようだ。ふたつの主題(全音階と半音階)がまたもや互い違いに現れて、結局は、教会旋法の全音階に落ち着くという今交響曲の命題が、ここで確定するということです。この楽章はなかなかカッコいい。

 そういった解説が無くば、なかなか理解されないだろう、マジメなもの。わたしも、ただ聴いただけでは、イマイチパッとしない音楽に聴こえた。また、全体的には、非常に新古典的な音楽だと感じた。ストラヴィンスキーというよりかは、確かに、ヒンデミット
 

 解説によると、あと、吹奏楽のための交響楽「夜の水都」(1933)とプレクトラム・オーケストラのための交響楽ニ調(1972)があるとのことです。やっぱり吹奏楽が気になるところだ。プレクトラムとはイタリア語で「ピックで弾くもの」という意味で、どうもマンドリン・オーケストラのことのようです。




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