ラフマーニノフ(1873−1943)


 ピアニストや指揮者としても活躍したロシアの作曲家ラフマーニノフは、後にスイスからアメリカへ亡命したが、亡命後は大作を残しつつも比較的作曲活動が芳しくなかったという事で、その他ではなくロシアの作曲家としてカテゴリー分けしたい。

 同世代としてはひとつ上にスクリャービンやヴォーン=ウィリアムズ、ひとつ下にはシェーンベルク、アイヴズ、ホルストがいて、ふたつ下にはラヴェルがいる。個人的にはその超濃厚ロマン派的作風から、作風としても年代としてもいまいちどの辺の立ち位置にいるのか分かりにくかったが、こうして並べてみるとやはり前衛的要素は少ない古風な作曲家と云えるだろう。

 だからといって懐古的な音楽かというと、意外に斬新な部分もあったりして面白いし、なにより日本人好みな作風で演奏される機会も多いだろう。耳障りのよい作風の割に相当に難曲なのも特徴だろうか。特にピアノ協奏曲のピアノは超絶技巧で知られており、彼の大きな手によるタッチを普通の手でするのは至難という物理的な意味もあるだろうが、その音楽そのものも、あまりにロシアの詩情を強調すると芋くさくなるし、かといって新古典的ザッハリヒにしても面白くない。そして技術的にも難しいと、ふんだり蹴ったりだったりする。

 そんな彼には番号付の器楽交響曲が3曲と、合唱独唱入りのカンタータ風交響曲が1曲ある。


第1交響曲(1895)

 1895年、22歳のラフマーニノフは野心あふれる最初の交響曲を完成させた。なお、それ以前の習作的な1楽章のみ完成したものはユース・シンフォニーという名でたまに演奏されるという。2年後にかの(アル中)グラズノーフの手により初演されたが、きっとフラフラの「ふぃ〜〜」な指揮だったのだろうか、演奏は大失敗で批評も散々だった。そのため、繊細なラフマーニノフはすっかり神経をやられ、しばらく「自分には才能が無い」として作曲できなかった。その後、ロシア革命で総譜が行方不明になった。

 作曲者の死後に初演時のパート譜ひと揃いが図書館より発見され、そこから総譜を再現。1945年の蘇演で再評価されたという、なかなかドラマティックな由来を持っている。

 1楽章 グラーヴェ〜アレグロ・マ・ノントロッポ

 Grave とは珍しい発想記号だが、重々しく という事である。必然、この世の終わりかという嘆きのテーマから始まる。低音も重々しく、やがてアレグロとなる。第2主題のうっとり感は、さすがラフマニノフ。青春のほろ苦さとあま酸っぱさよ。展開部の分かりやすさも良いし、なかなかカッコイイ。ちょっと長いけど(笑)

 2楽章 アレグロ・アニマート

 アレグロ自体が 快活な とかいう感じの意味だが、さらに 活き活きとした がつくので、そうとう元気にやらなくてはならない。スケルツォというより舞曲といった雰囲気だが、ラフマーニノフらしい控えめな陰鬱さが良く出ている。ちなみに、アレグロ・アニマートだからとやかましい音楽ではない。ここいらへん、発想記号の表現上の難しさがある。これもちょっと長い(笑)

 3楽章 ラルゲット

 ラルゴよりやや速い感じでというほどの意味のラルゲットだが、アンダンテに近い。軽緩徐楽章という意味合いだろう。しかしその音楽の濃厚さはもはやアダージョ級である。展開はとても上手で、聴かせる。なにより鬱とした詩情がたまらない。

 4楽章 アレグロ・コンフォーコ〜ラルゴ

 強烈なファンファーレで開始する 火のように激しいアレグロ から、最後はラルゴ(壮大な気分で)となる音楽。20歳そこそこの人間がこのような豊かな楽想と作曲技術を持っている事に改めて驚駭する。ただし演奏はかなり難しそう。アル中にはどだい、無理な話だったのだろう。若きラフマーニノフは既に実力者だったグラズノーフにかなりの期待をしていたのだろうが、若さ故の激しい失望と落胆を味わう事となった。タンバリンなども登場し、異国情緒もある。後半部分の無茶苦茶ぶりは、まさに「炎上」している。チャイコーフスキィのマンフレッド交響曲に雰囲気が似ているかもしれない。

 ラルゴになってよりの壮大で重厚な気分はさすがロシア・ロマンティシズム大爆発。1番は4楽章のハチャメチャが一番面白いかも。

 古典的かつロシアの伝統ロマン的作風ながら、各楽章もいかにもな旋律を豪快に展開させたりして構成の面で斬新さを見せるも、やはり構造的に粗削りな面もあって、なおかつ50分にも及ぶ長大さはやや飽きがくるかもしれない。


第2交響曲(1907)

 ラフマーニノフの中で最も高名なシンフォニーだろう。1907年、かの第2番ピアノ協奏曲の成功で気を良くしたラフマーニノフが満を持して書き上げた3管編成の大作で、演奏時間は1時間を数える。その濃厚で怒濤な音楽は好き嫌いが別れるだろうが、日本人には人気だと思う。チャイコーフスキィを、もっとどろっとした感じ(?)。甘美なメロディーとそれを容赦なく発展させる豪快な書法が、初演時から大成功だったとの事。

 鬱蒼としたタイガの中を思わせる暗く重いラルゴ。ロシア音楽の真骨頂とも云える陰鬱とした音楽より第2交響曲は始まる。このいかにもなロマンあふれる楽想に、数々の主要動機(モットー)がつまっているという。オーボエが導入部を務め、アレグロ・モデラートの主部へ到る。

 アレグロでは緊張感のある独特だが明確ではない動機がヴァイオリンで示され、やがて甘美な第2主題となる。モデラート(中くらいの)というほどだから、あまり快活ではなく、どこか憂いを帯びた雰囲気が耽美的な楽想を生む。展開部もけっこう的を得ず、形式感よりも楽想を優先させる正しいチャイコーフスキィ流(笑) 頂点では、重々しく打楽器も鳴らされ、劇的。

 再現部からやや長く、そのわりにあっけなく終わる、不思議な造り。

 2楽章は1番に比べてまっとうなスケルツォ。アレグロ・モルト。スケルツォ部とトリオのモデラートが複雑に入れ変わる。ラフマーニノフが何故か大好きな「怒りの日」によるモティーフのホルンがカッコイイ。スケルツォ主題とモデラート主題(1と2)が交錯する複雑な作りで、2回目のモデラートは緩徐楽章かというほど甘美だが、すぐに不安げなスケルツォに侵される。最後に死にそうなコーダへ到る。激しく終結しない一風変わったコーダ。

 この交響曲を高名にしているのは間ちがいなくこのアダージョの第3楽章である。冒頭からヴァイオリンのロシア風ロマン旋律で精神がたおやかに落ち着き、長い映画音楽のようなクラリネットの催眠音波にも似た心地よい響きがどこまでも聴く者を陶酔の淵へと誘い込む。オーケストラに移り、うねる様に音楽が変容し続け、8分ほどで頂点を迎えるがまだ半分。全休止の後、オーボエやフルートなどの木管がいかにも田園風の、都会的な上品さではなく草原の薫風を思わせる薫りを音にする。次第に仄暗なってゆき、1楽章とつながりを持たせる。

 アレグロ・ヴィバーチェ(アレグロより快活なアレグロ)という、二度重ねみたいな発想記号は、それだけ長大で激しいこの4楽章をにぎやかに演奏する事を求められている。それまでの動機や楽想が集約されているという。ソナタ形式で、正しい交響曲的伝統に乗っている。第2主題はラフマらしい甘美さ。しかもラフマ自身がこういう音楽が好きだった様で、第1車台に蔵へ手かなり長い(笑) 展開部ではあまり急性な展開はせずにじわじわと盛り上がっていくふうで、コーダでの高揚感は異常。讃歌の基礎主題は第2主題だそうです。

 最後はラフマーニノフ終結でバン・ババババン!! これはうまく聴かされるとブラヴォーを叫んでしまう出来。

 20世紀に到り、ラフマーニノフの音楽性は前衛のための前衛のようなある種の袋小路を音楽のちからそのもので打開し前進してゆく、「反前衛という前衛」の道しるべのような曲をこの2番で打ち立てている。それでいて、展開や楽想など、あくまで正統の中での先進という意味で、先進性もスパイスの様に仕込まれており、侮れない。


合唱交響曲「鐘」(1913)

 2番と3番の間にあり、1913年に作曲されたこの「交響曲」は、実質はカンタータであるが、3番ができるまでラフマ自身がこれを3番と呼んでいたというから、れっきとした交響曲である。ただし、独唱3、混声合唱、3管オーケストラという大規模な独唱・合唱付編成で、かつ、全編にわたって歌が歌われている。35分ほど。

 ラフマに限らず、ロシアの作曲家はロシア正教のための儀式用合唱曲(捧神礼聖歌)をたくさん書いている。オケ聴きにはマイナーだが合唱では高名(らしい)ボルトニャーンスキィや、チャイコーフスキィ、リームスキィ=コールサコフ、イッポリートフ・イヴァーノフなどである。ただし、和声や構成が芸術作品として複雑すぎて、じっさいに儀式の場で歌われるのは難しいらしい。ラフマーニノフにも、「聖金口(せいきんこう)イオアン聖体礼儀」そして「徹夜祷(てつやとう)」(晩祷ともいう。祷は変換できないので代理字。徹夜祷は何種類もある晩祷の内のひとつ)がある。

 そんなわけで、ラフマは合唱曲も出来がいいもんだという事を前提に置く。

 かのE.A.ポーの人生の節目を鐘の音になぞられて創作されたというなかなかシュールな詩のバリモントによる自由なロシア語翻訳へ曲をつけたもの。ソプラノ、テノール及びバリトンの独唱と混声合唱により歌われる。正統的な4楽章制で、中身は純粋な交響曲の体裁をとる。ローマで書き上げられ、メンゲルベルクに献呈されたが、初演はロシアで自分で行った。

 1楽章はアレグロ・マノンタントで、やりすぎない程度のアレグロというほどの意味。銀の鐘による人生の喜び。若さ。描写音楽のような愛らしいソリ滑りの序奏より、テノールが明快な旋律でその様子を歌う。そのロシア的な音楽語法は、ショスタコーヴィチの森の歌へつながっている事を思わせる。颯爽と盛り上がり、穏やかにソリは止まる。

 2楽章はレントで、愛と幸福の結婚の鐘は金の鐘という意味の詩だそうである。ソプラノにより、幸福感たっぷりに音楽が進行する。合唱もまるでチャイコのバレー音楽のようなファンタスティックさ。何といっても、ロシア語の男声合唱の重厚さといったらない。それからつながるソプラノの、オペラのアリアみたいな歌いっぷりは見事。最後の方手はじっさいにチャイムが鳴り、幸福感の中へ音楽は包まれて行く。

 3楽章はプレストであり、人生の激動期には銅の鐘が鳴る。重厚な楽章で、合唱が怒濤の咆哮を聴かせる。管絃楽もここは辛辣である。独唱は登場しない。強烈なリズムとアグレッシヴな進行は、聴き応えがある。2楽章の甘美さとの対比も素晴らしい。

 4楽章もレントであるが、レント・ルーグブレというちょっと変わった発想指示。悲しげなレントとでもいうべきか。人生の最期に訪れるのは、弔いの鉄の鐘。バリトンが死の様子を歌う。重厚で荘厳な死の行進。これは葬送の楽章であり、チェレスタも効果的に用いられる。中間部でテンポが上がり、さらにドラマティックに。ラストでは映画のラストシーンそのものの、平安とハッピーエンドが演奏される。

 造り自体は純粋交響曲とも甲乙つけがたく、けして他のナンバーに負けていない。特に3・4楽章は前進性もあると思う。(ラストはアレだが……。)時間的にも長くなくまとまっており、聴きやすい。チャイコやショスタコが聴ける人は何の問題もない。

 だが、詩という具体的な「ことば」を歌うためか、やはり非常に旋律が重視され、確かにただでさえ甘いラフマの音楽が、さらに輪をかけて甘い。原作のポエムの方はシュールなものだという事で、それに対する批判があったというのも頷けるが、3楽章などはかなり刺々しく、全楽章がこういうふうなら進歩主義にも合致したのかもしれない。

 しかしそうではないのが、ラフマーニノフなのである。


第3交響曲(1936)

 ロシア革命後の1936年に亡命先のアメリカで完成した第3交響曲は、ラフマーニノフの故郷への想いが詰まった40分もの大作である。珍しく3楽章だが、交響的舞曲との関連性を考えると、意味深い。3楽章ものは2楽章に緩徐楽章とスケルツォを組み合わせてしまう場合が多く、この3番もそうなっている。

 規模や内容的にはフランクの交響曲が近い。

 全体的には2番などと異なり、あまりドベターな旋律は出てこなくて、交響的舞曲のような、ややとっつきにくい印象だが、逆にそれが良い。リズムが激しく、旋法的な書法を使っている。

 1楽章は冒頭のレントからアレグロ・モデラートに到る構成的には常套なもの。木管の静かな序奏からすぐにオーケストラの強奏に到り、郷愁の強い主部になる。ソナタ形式であり、第1主題も第2主題も緩徐的なものである。そしてどちらも、なんとも云えぬ遠くを想うランドスケイプが魅力的で、まさに伊福部に通ずる北方への憧憬だろう。

 ティンパニのトレモロよりテンポが上がり、深刻なアレグロとなる。金管の朗々とした響きはラフマーニノフの魅力で、雄大な感情を想起させる。悲痛な和音の叩きかけが、故国での革命の悲しさを煽る。展開部で第3主題が登場するというベートーヴェンの英雄以来の伝統技法が使われているそうで、展開部は奥が深い。再現部で主題がていねいに再現され、室内楽的な調子にもなり、静かに幕を閉じる。

 第2楽章はハープを伴ったアダージョ・マ・ノントロッポで始まる。あんまり遅すぎないアダージョ という事だが、この郷愁感は異常だ(笑) この強烈な郷愁こそ3番の魅力だろうが、書法というか旋律としては、そんなにベターではなく、古典派の純粋旋律に近いか。ハープが活躍し、牧歌的で神秘的なドビッシーにも通じるような世界が拡がる。

 3部形式のように、中間部では激しいアレグロ・ヴィバーチェとなるが、リズムが変則的で打楽器も活躍し、面白い場面である。ここは交響的舞曲を思わせる。マーチのようで、ワルツのようでもあるとても面白い部分で、ラフマーニノフの激しい一面を伺わせるも、ファンタスティックな響きを忘れていない。コーダでアダージョが戻り、クラリネットの陰鬱なソロがまたしんみりとして2楽章を終える。

 3楽章はラフマらしい元気なものだが、やけに辛辣な部分もあって、それは1番から変わらない。

 タンバリンが激しく活躍してスペイン風だが、進行は複雑。10分以上も続くアレグロは、ヴォリューム満点だ。もの悲しい嘆き節やセンチメンタルな楽想、室内楽的なソロも登場するが、基本的にはアレグロである。楽想が錯綜して、難しい響きを作る。ガツガツとした突き刺さるようなリズムが特徴的で、訴えてくるものは多い。

 何度かマーチ調の部分と緩徐的な部分を繰り返し、やがてコーダへ到る。この繰り返しはロンド形式のようでもあり、展開部ともとれる。しかし曖昧で、もっと自由なもののようである。

 ラスト1分半ほどのコーダでは急激にテンポが上がり、意外と唐突に終結部があっさりして終わる。怒りの日の引用も、交響的舞曲より分かりづらい。

 初演をストコーフスキィとオーマンディが争ったという。凄い話である。興行的な効果も含めて、ラフマーニノフの名声が伺える。1936年、ストコーフスキィ/フィラデルフィア管がけっきょく初演したそうです。






前のページ

表紙へ