グラズノーフ(1865−1936)
ロシア語を習ったわけではないので、いろいろ自分で調べているだけなのだが、ロシア語はTVでロシア人が ペラペーラ ペラペーラ と話すのを聞いても分るとおり、後ろに引きずるような独特の発音とイントネーションがあり、実はそれがロシア物を演奏する際の重要な指針でもある(その国で生まれた旋律はその国の言語や気質に深く関係する)のだが、ロシア人の名前の標記についてもひと悶着ある。
ロシア語は スパシーバ(ありがとう) ダスビダーニャ(さようなら) と分かるとおり、引っ張るように後ろに向けて伸びる部分があるが、これはただ伸びているだけではなくアクセントが伸びているので、イントネーションの頂点がそこにくる。音楽で云うとまさに <> クレッシェンド・デクレッシェンド のようなもの。
チャイコーフスキィを分解すると チャイカ(カモメ)+ 語尾変化オフ(ov)+
スキィ(〜の人)だそうで、これはもともとコサック貴族のチャイカ家がロシア風に改名し、そのように変化した。
なんのためにこんな話が続くかというと、グラズノーフはスヴェトラーノフやカリーンニコフ、ラフマーニノフの例にとるとグラーズノフやグラズーノフかと思いきや、グラズノーフなんだそうで(^^;)
これはどこにアクセントが来るかというと「さいしょの母音の箇所が多い」とかってあいまいっぽくてよく分りません。また、母音といってもキリル文字の母音であってアルファベットとは微妙に異なります。ロシア語を専門に習わなくとも、キリル文字の発音が分かれば、なんとなく分かります。ちなみにキリル文字のスペルはこう。Глазунов
で、グラズノーフなわけであります。
ロシア・アカデミズムで最高の成功者と思われるグラズノーフ。師匠筋にはバラーキレフやリームスキィ=コールサコフがいて、弟子筋でもっとも高名なのはかのショスタコーヴィチである。他にも、ストラヴィーンスキィも若いときには彼の影響を良く受けていたことを告白している。さらに音楽院では指揮者のムラヴィーンスキィがよく彼の世話になったと回想している。革命後は事実上の亡命状態だったが、健康不良のせいにしていたので、彼の権威はソ連時代になっても失墜することは無かった。
従って形式の権化交響曲も、ロシア的雰囲気を濃厚に漂わせつつも、非常にアカデミックなものでありつつ、9番が未完成というところまでドイツ式(?)で面白い。作風は基本的に明るく厳しさに欠け、何の音楽的苦悩も無いあたりがなんとも彼らしいというか。
第1交響曲(1882)
1882年に完成し、後に何度か改訂された。なんと、グラズノーフ15歳の作曲であり、16歳のときにリームスキィ=コールサコフの計らいで初演され、かなりウケたうえにグラズノーフ少年が挨拶に立つと、非常に驚かれたというエピソードがあるが、無理もない話である。
標準的な2管編成で、晩年は「ロシアのブラームス」の異名をとったグラズノーフのロシア楽派的かつ新古典派的な作風がすでに網羅されている。
30数分の立派なの作品で、初演バラーキレフ(あるいはリームスキィ=コールサコフ)の指揮。後にリストに認められ、ヴァイマールでも演奏された。
アレグロによる、晴れやかなテーマが絃楽で現れ、その作りはやはり西ヨーロッパっぽい。ビゼーやメンデルスゾーンの1番も年齢の割に習作だが、その系統である。すなわち、若々しいテーマが完璧な作曲技術で取り扱われる。アカデミックな色合いは、確かな才能の証でもある。感性のみでは作曲できない。技術が無いと、音楽にならないのである。その技術を、パッと習得できるできないが才能にかかってくるだろう。木管からの第2主題はほの暗く、展開部より一気にロシア的な音色となる。最後も華やかに締める。
アレグロ・スケルツォの2楽章は低音の動きがなんともロシア〜な感じ(笑) イーゴリ公っぽいテーマがイカス。ポーランド民謡の影響であるという。
アダージョの3楽章は木管によるそろそろとしたテーマが耽美的で、非常に対位法的な処理が魅力である。こういう技術は、技術的なセンスが必要。旋律だけで西洋で云うところのムジークはできない。ただの歌であるカントルと音楽理論に基づいた真の音楽たるムジークはちがう。(のだそうです。)
音楽家は旋律のセンスと音楽理論のセンスと、両方必要なのが難しいところだ。(私はただご託を並べているだけ。)
濃厚な後期ロマン派風の旋律と中間部の情熱的な盛り上がりと、実に貫祿のある緩徐楽章。15歳の少年が作曲する音楽ではない。
4楽章はポーランド風旋律が復活し、華々しきアレグロの素晴らしいフィナーレ。さすがにちょっと展開が弱い(^^; でも、素晴らしい交響曲です。
第2交響曲(1886)
1番の演奏で親身になってくれたリストの追悼に書かれたという2番は1886年の完成で、作曲者はまだこの出来栄えで21歳であった。1番に比べるとその構成力のアップは如実であり、ブラームスに匹敵する規模を持っている。
アンダンテ・マエスソトーゾの第1楽章序奏は金管の重奏から木管の愛らしい響きが繰れ返され、統一主題をその名の通り荘厳にする。アレグロの主部は管楽器主体の華々しいもので、若々しさにあふれている。第2主題は常套に絃楽器により現れ、流麗である。展開部では重々しい金管や重層的な響きがいかにもロシア。展開部はアッサリとしているのもロマン派よりも古典派を思わせる。コーダがカッコイイ。ちなみにマーラーはこのころ懸命にあの仰々しい交響曲第1番(交響詩「巨人」)を書いていた。
2楽章はまるごとアンダンテであり、ここの楽想の牧歌的な味わいはなかなか良い。管絃楽法も上手で、どちらかというとやはり旋律はドイツ式というか、西欧っぽく、それがグラズノーフが西ヨーロッパでも早くからウケた原因だろうと思われる。個人的な感想だがこの楽章にロシア的な叙情は皆無に思われる。
3楽章はアレグロ・ヴィバーチェのスケルツォであるが、仄暗い雰囲気はロシアっぽいかもしれない(笑) また主旋律もロシア流である。トリオ部も、なんとも愛らしい旋律。
重々しい調子がまさにロシアンな終楽章は短い序奏部からアンダンティーノ・ソステヌート(アンダンテよりやや速いが音符の長さを充分に保って)の主部になる。発想記号はややこしいが、堂々とした調子になるようにという意味あいだろう。技術的には、冒頭の金管による統一主題が様々なカタチで各部に使われているというが、全体の統一感というか、聴いていて安心できる安堵感の構築に役立てている手腕は、とても21歳の仕事ではない。グラズノーフがいかに早熟だったかが知れるが、彼の保守的な趣味や発想、性格が、彼の作風を生涯若い時の物とほぼ変わらない形で固定した。
第3交響曲(1890)
1890に作曲されたグラズノーフの転機的交響曲。崇敬するチャイコーフスキィに献呈されている。
メンデルスゾーンを思わせる始まりより、すぐに主題はロシア的な物憂げな雰囲気に変わる。しばし穏やかなアレグロが続くが、重い金管の一撃とティンパニの連打により、曲想は一気に激しくなる。20代半ばとはいえ、音楽は深みを増し、完成度は高い。展開(主題労作)よりも旋律の経過のような進み方をするのはさすがにチャイコーフスキィ流である。グラズノーフにしては旋律が流麗で(笑) チャイコファンも充分に聴ける。ただし展開力は弱くブラームスファンには辛いかも(笑)
2楽章はまたチャイコ風味の愛らしいスケルツォで……この曲はもしかしてチャイコパロなのではないかという疑念が速い人は出てくる楽章。特に木管とグロッケンシュピールの響きが可愛い。
3楽章はアンダンテだが、やけにやはり感傷的である。グラズノーフはどこへ向かおうというのか。それは別にして、3番の白眉はこの3楽章かと思う。
4楽章もお上品な作風。どちらかというとここらへんはリームスキィ=コールサコフ流かな……才能あるが、アカデミックな才能を芸術家として是とするか非とするか……。けっきょくは好き嫌いにつながってくるとは思われるが、規模は大きいが構成が彼にしてはイマイチなのもやはりチャイコを意識しているからだろうか。おしまいもけっこう唐突。
第4交響曲(1893)
3番より3年後の1893年に作曲された4番は奇しくもドヴォルザークの4番と同じく3楽章制であり、それは彼らの全交響曲の中で唯一3楽章制交響曲であるという点でも一致している。
作曲者によると、ロシア民謡より主題をとっていたこれまでの3曲から脱皮し、「個性的で、自由で、主観的な自己の印象」があるという。初演は恩師リームスキィ=コールサコフの指揮により、すばらしく高貴で表情豊か、と師に褒められた。
1楽章冒頭はアンダンテであり、イングリッシュホルンの牧歌的かつ西ヨーロッパ風の旋律が見事である。雄大で北の寒々しくも重々しい風景がぱあっと明るくなるとアレグロとなる。しかし北方の大湿原のような湿潤感は消えない。アンダンテで現れたテーマも登場し、ロシアというより東欧の雰囲気が強いかもしれない。事実、4番はグラズノーフの中では、最もヨーロッパでウケていた交響曲だそうである。(養女の回想による。)
2楽章のスケルツォ・アレグロヴィヴァーチェは愛らしいもので、中間部にはチャイコっぽいメンヘル調の旋律が出てくる。
3楽章もアンダンテから始まるが、すぐにファンファーレがパッパカパーと鳴り渡り、明るい調子のアレグロとなる。しかし要所要所に冒頭の湿原旋律が現れる。何度かそれらのテーマが発展しながら繰り返され、ロンド形式を思わせ、コーダで転調し一気に盛り上がって終わる。
円熟度が増した大人の交響曲。ルービンシュテインに献呈されている。
第5交響曲(1895)
こちらは、アメリカで最も好まれたグラズノーフの交響曲だそうである。非常にドイツ的なドライな重厚感を醸しだしている。グラズノーフの「英雄」交響曲とも呼ばれているそうだが、その名前も頷ける豪快かつ重層的な作品。対位法の名手タネーエフに献呈されており、作曲者の指揮で初演された。また「ワグネリアン」なる愛称があるとのこと。
重く短い序奏部から木管が悲劇的なテーマを懐古するように演奏し、それが繰り返される。アレグロになると、第1主題・第2主題とも明確に提示され、いかにもドイツ的な対比を見せる。相変わらず古典調で展開は弱いがいつにも増して堂々としている。
2楽章は正統的なスケルツォで、ロシア調のダンスみたいな民族味は少なくやはり西欧的なモダンさ。トリオの愛らしい軽妙な小品っぽさも、うまい。しかし、ここでもチャイコーフスキィっぽさはリズム部に見られるが。
一転、3楽章のアンダンテは重い深刻なロマン派的アダージョのような作風。この穏やかさと厳しさは、グラズノーフ随一かもしれない。神聖かつ荘厳な面持ちが良い味をしている。
4楽章はまた豪快な作風で、ここではややロシアロマンティシズムが現れている。リズムが民族的で、舞曲を思わせるし、第2テーマはエキゾチックだ。この5番の終楽章は彼のフィナーレの中でも最も活気あり軽快であるものの1つとして貴重。
全体にメンデルスゾーンっぽさが漂う。
第6交響曲(1896)
グラズノーフの「中期代表三部作」の頂点を極める。
アダージョの堂々、かつ深刻な序奏が、これまでの雰囲気と一線を画している。大きく盛り上がり、金管の協奏が劇的なロシア風な面持ちを示す。2番よりずっと、グラズノーフの交響曲の1楽章は序奏付きのアレグロである。アレグロ・パッショナートに到って劇的な盛り上がりを見せ、彼にしては珍しく怒濤の音楽的展開を見せ、最後はまるでフィナーレか一遍の交響詩の様相を呈す。
2楽章が珍しい「主題と変奏」であり、パストラーレ風の主題(アンダンテ)よりまず木管の跳ねるきらびやかなアレグロへ変奏し、短いアレグレット、軽妙なスケルティーノ(アレグロ)、ゆったりとしたフガート(アンダンテ・ミスティーコ)、ノットゥルノ(夜想曲)、アレグロ・モデラート、堂々としたモデラート・マエストーゾと続いて行く。
3楽章はスケルツォではなくアレグレットのインテルメッツォ。間奏曲という事で、スケルツォよりも軽妙な雰囲気の音楽となる。主題とワルツによるトリオとの三部形式。5分ほどと短く、いかにも間奏曲である。
4楽章は複雑な進行をする。アンダンテ・マエストーゾからモデラート、アレグロ・ペザンテ(重々しいアレグロ)、アレグロ・モデラート、モデラート・ミステリオーソである。全てが発想記号であり、聴いている分には雰囲気が変わるという程度だが、拍子が目まぐるしく変化し、祝祭的な気分をとことんまで盛り上げる。見事な技法が使われている。
ここら辺に到るとグラズノーフはロシア的な国民楽派というよりずっとチャイコーフスキィに近い立場や(単純な意味ではない作り方としての)作風になってくる。しかし、その作り方は、既に来るべき20世紀には中庸な意味合いしか持たなかったのは彼にとって不幸だった。実に味わい深いしみじみとした雰囲気でいっぱいだが、刺激や興奮を求める世知辛い人には聴くのは辛いだろう。しみじみとした、今となっては(当時としても)古風な雰囲気が好きな人は、ぜひ聴くべきである。
第7交響曲(1902)
ブラームスの項の2番のところでも書いたのだが、ベートヴェン以前にも牧歌的な雰囲気の田園っぽい作風の交響曲はあったと思うのだが、それを作曲の根幹とし標題まで「パストラル」としたのはベトベンのエライところで、その後、
「ちょっと我輩もベト6っぽいの書いてみようかな」
などと完成した曲はすべからく「○×の田園」と呼ばれる「運命」にある。
そのようなわけでグラズノーフの田園(笑)
パストラルを田園と訳した人は良いセンスを持っていると思うがヨーロッパには田んぼがないから、田園っちゅうのもちょっとおかしい話なのだが。
アレグロ・モデラートの第1楽章は木管の優雅で朗らかな序奏が既に牧歌的である。その後の晴れやかで明るい主題も然り。気分を変えた第2主題も落ち着いた調子。展開部もそのような雰囲気で続けられる徹底した楽章。気分はほんわかしているが、作りはしっかりしている。
2楽章はアンダンテなのだが、荘厳な金管の重奏から始まり他の楽器も順に入ってくる。なんか夜の物寂しい畑といった雰囲気でけっこう不気味だが、まあ演奏にもよるだろう。グラズノーフの交響曲はここいらが最高調な気がする。やがてセレナードとなる。この楽章は完全に夜想曲だ。
スケルツォはアレグロ・ジョコーゾというちょっと聴きなれない音楽。おどけたアレグロということだが、けっこう真剣(笑) フルートの動きがおどけているっちゃそうかも。トライアングルの音色が愛らしい。トリオも勢いがある。
終楽章はアレグロ・マエストーゾ・モルト・ペザンテ。とても重々しい堂々としたアレグロである。絃楽の重厚な響きから始まるがちょっと(ここにきて)ボロディーンぽい。これまでに登場した主題の変形が取り扱われ、統一感を出している。第2主題はパストラーレ風であり、展開部より次第に盛り上がってゆく。ここら辺は相変わらず順当な完成度で、グラズノーフの良い意味でも悪い意味でも趣味の良さを示す。最後は田園というより広大な農地といった風が流石にロシア流か(笑)
第8交響曲(1906)
1905年、第一次ロシア革命が起こり、グラズノーフの身辺もかなりゴタゴタした。1903年ころより作曲が始められたが、完成したのは1906年であった。その後、さらに彼は音楽院の仕事も忙しくなり交響曲は1910年に9番の1楽章をピアノでスケッチしたのみで、その後の余生25年間、ついに書かれなかった。
第1楽章冒頭より朗らかな雰囲気で、これまでとは一風変わっており、かなりロシア風なイメージは薄い。金管楽器の用法は押さえられ、渋く落ち着いた味わいである。展開部でフーガっぽい部分が聴かれる。茫洋とした感じがやはりこれまでと異なった印象を聴く者に与え面白い。ソナタ形式だが、終始止まらない水の流れの様な展開である。終結部もふいに終わる。
第2楽章はメストであり、伊語で悲しげに、寂しげなという発想記号。緩徐楽章ではあるが、重々しいアダージョで、さらに感情的に演奏することが求められている。その通り沈鬱な曲調に支配される。革命の悲しさを象徴しているようだ。その予感は大いに当たり、リームスキィ=コールサコフが辞職した後のペテルブルク音楽院院長の仕事は激務なうえ、疲れたグラズノーフは1928年にパリへ亡命してしまう。木管と絃楽の悲劇的な調子は一貫してこの楽章を貫いている。どこにも平安は無い。
スケルツォも不気味な様相を呈しており、朗らかだが諦観していたり、明るいが疲れていたり、珍しく悲劇的だったり、8番自体がかなり独特な立ち位置にある。
4楽章もつかみ所がないような印象である。なんとも云いようの無い彼らしくない(?)モティーフがただ現れては消える。展開も弱い。中間部は金管の用法が少なく、とても落ち着いた雰囲気を感じさせる。ここで安易に創作力の低下と云うのは天才に失礼だが、グラズノーフの天才ほど不思議で矛盾しているものも珍しい。この人はいったい何の天才だったのだろうか。
最後はティンパニがおいしい。
マーラーが人類史に残る交響曲を書いているとき、グラズノーフは地味な味わい深い佳品のような音楽をいまだ書いていた。8番のときにまだ30代後半で、1910年に作曲されていた9番は1楽章のスケッチのみというから、8番以降20年以上もけっきょく交響曲は書かれなかった。
ブラームスやドヴォルザークの(高名曲だけではなく)交響曲全曲を通して聴ける人は、間違いなくグラズノーフも聴ける。ただし、ちょい地味なのは否めない。旋律もそうだが、なにより構成重視の古典的佇まいを愛する人は、グラズノーフも聴いてみてほしい。ただし、あくまで「佇まい」に徹している。
グラズノーフの「才気ある地味さ」は好きな人と苦手な人に別れるかもしれない。絃楽とサキソフォーンのための協奏曲とか当時としてはかなり斬新な曲目なのだが、内容はせっかくの最新楽器サックスを、まあジャズも何もないから当たり前だが古典的な木管楽器の延長として扱う、恐るべき地味さだ。サックスは当時としてはラヴェルの用法を見てもエキゾチックな旋律がその音色を活かせるのだが、グラズノーフにはそういう発想は根本から無かったらしい。
バレー音楽も素敵な旋律を構成力が逆に邪魔している。
そんな私が気に入っているのはもちろん「君が代の主題によるパラフレーズ」である。
全体的に天才がそのままアカデミックな元天才になってゆく人生劇場を思うと、その地位的に何の不自由も無い(音楽院での当局との折衝など、彼なりの苦労はもちろんあった。)人生肯定的な緩さは、地味なものマニアのジミスキーな人にはたまらない穴場だろうw
個人的には5番と7番がとても印象に残った。
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