マニャール(1865−1914)
山崎与次兵衛のページ の よじべえさんのご好意で、マニャールの交響曲を聴いた。
マニャールは名前だけは知っていたがセニョールとイメージが重なってスペイン辺りのキワモノ作曲家かなんかだと思ってたのだが(笑)、フランスのガチドイツ系保守派だというから、我ながら笑ってしまった。
その名も 「フランスのブルックナー」 である。どんなんだ、そりゃ。
交響曲は4曲、残っている。寡作家で、全ジャンルを合わせても30くらいしか曲がないようである。ヴァーグナーに傾倒し、パリのコンヴァトで和声の一等をとるなど、その、ドビュッシーより年下にもかかわらず、ロマン派アカデミア的保守傾向は若いときからだったと推測される。自己顕示欲を嫌い、自費出版をあえて敢行、作品をあまり売り出さなかったためか、スコラカントールム音楽学校で対位法を教えて食っていたようだ。年の近いロパルツと親交があったが、耳を悪くしたこともあり、人嫌い、社交界嫌いに拍車がかかり、40歳ほどでパリを去ってしまった。
しかもその後がさらなる悲劇で、第一次大戦により攻めて来たドイツ軍騎兵と家(別荘)で銃を持って戦った挙句、(1人で銃で反撃し、騎兵を1人、2人倒した!)家ごと焼かれたという。戦争でじっさいに敵に殺されるなど、後のヴェーベルンを髣髴とさせるエピソードである。
コンヴァト卒業後、対位法と管弦楽法をフランクの高弟、ダンディに師事していた。したがって、その流儀はブルックナーどころではなく、普通に厳格な直系フランク流である。スコラカントールム校の教え子には、ド・セヴラックがいるそうです。
ド・セヴラックって、知ってます?ww いい曲書きますよ。マニャールの弟子ならば、ド・セヴラックも寡作家でパリ嫌いなのもうなずける。
第1交響曲(1890)
ダンディの指導により書かれた最初の交響曲で、師に献呈されている。作法は厳格なフランク流とはいえ、3楽章制ではなく4楽章制。マニャールのシンフォニーは全て4楽章で、フランキストでは、よりドイツ的古典性を特徴としている。もちろん外見だけではなく、際立つ対位法やソナタ形式、突破した盛り上がりに欠ける清楚な教会旋法の多用、舞曲やアンダンテを挟むアレグロ楽章と、中身も、純粋な伝統的交響曲であり、同じ交響曲でもむしろマーラーやブルックナーのほうが語法的に革新的ですらあると思える。
しかしその中に、独特の味があるのも事実であり、なんともシブイ、枯淡というより、厳格なキリスト教的な儀式や、古い舞曲の昇華、そして「歌」がある。全体的には、暗い音楽で、いわゆる 「フランス音楽」的な煌びやかさとか、独特の突発的な自由和声、イメージ優先の自由形式からは完全に無縁ゆえ、復権しているとはいえ、これからもメジャー路線は歩まぬと思われる、通好みの交響曲。
珍しいストレピトーソ(strepitoso=やかましく)指示の1楽章が独特で、なんかオネゲルっぽいリズミカルで半音進行の面白い主題が序奏無しでいきなり始まる。第2主題はやや映画音楽っぽい。順当にソナタ形式のあり方をなぞり、コラール風の金管も確かにみられるが、扱いはブルックナーなどより遙かに小さい。響きの密度は濃く、もう少し規模が大きければ後期ロマン派の大家に匹敵するのだが、どうもそういうのはマニャールの好みには合わなかったようだ。呆気なく静かに終わる。
2楽章はラルゴ−アンダンテで、マニャールの音楽の「静謐な雰囲気」というのが如実に特徴づけられている。1楽章のテーマも現れて、フランク流の循環係式も正確になぞる。フレーズの息が短いのが、マニャールらしいところか。マーラー/ブルックナー流に聴き慣れた耳には、急いでいるか短い印象もあるし、あれでは長すぎて辟易するという人には、逆にちょうど良いだろう。非常に美しい音楽である。
プレストの3楽章はあんまり早くない。スケルツォではなく、トリオを有していない。と思う。またも1楽章のテーマが出現する。
4楽章のモルト エネルジコにおいても、しっかりと枠の中で音楽が進行して、けしてドカーンと爆発しないのが古典形式の古典形式たる所以か。まあ堅苦しいといえばそれまでだが、調和を尊ぶ聴き手には、なかなか与えるものは大きいと思われる。しっかりと1楽章の主題が循環するのを確認することができる。教会主題も爽やかだが地味な雰囲気で、けして派手に響かず、淡々と、そして純粋なる祈りの心の喜びを表す。
あまりに習作じみていて、面白みに欠けるという人もいるかもしれないが、その確かな手法と、フワフワしていない硬質なテーマと、そのマジメな展開(変奏)が魅力的な、交響曲。
第2交響曲(1893)
1番より立て続けに書かれたもので、本来ならこれも習作というか、修行時代の勉強作品であるが、その完成度の高さで、まったく充実した響きに魅了される。
序曲、と示された1楽章では、存外、朗らかな主題がいきなり登場する。その主題が展開されて行くが、地味だ〜(笑) 好みの問題だが、どうも欲求不満がたまるタイプだぞ(笑) 一定の音域の中を突き抜けるようで突き抜けない。上にも下にも、行くのか行かないのかハッキリしろといいたくなるような、じわじわとした旋律法は、なんとも云えませんですねえ。コーダのコラールですら、なんという控えめなことだろうか。
2楽章はダンスと示されている、いっぷう、変わったもの。フランスの民族舞踊を元にしているかどうかは不明。しかし、なんともこの、ドヴォルザークやチャイコの1〜3番をいかにも意識してるような曲調は好き(笑)
3楽章はチャントである。ようするにただのアダージョなのだが。しかるに、なんともいえぬこのモジモジ感が、鬱屈とした感じを醸し出して良い。
旋律自体はとてもキレイなんだがなあ。展開力に難があるのだろうか、それとも、作曲家の趣味の問題なのだろうか。
4楽章はアレグロとアンダンテの交錯の主題が面白く、また民謡風の主題も登場する。コーダは、かなり盛り上がっている方だと思う(笑)
第3交響曲(1896)
結婚の年に書かれた交響曲。そのせいか、私は、4曲中、もっとも穏健というか、平安に満ちてはいるもののその分、目立たぬ存在に感じる。
マニャールの交響曲は全曲が同じ語法を使い、方向性も同じなので、たとえばブラームスのように、同じ4曲でもそれぞれ異なるテーマ性を有しているというものとは完全に趣を異にしている。変化に乏しいとも云えるが、確固たる作曲家の意思でもある。
1楽章はまた珍しい指示で、イントロダクションと序曲。またまた夜明け前の湖畔のような、霧ふかき北欧音楽のような情景が、浮かんでくる。金管が静かに和音を鳴らすが、やはり、ブルックナーあたりの半分の息なのが、面白い。個人的にはブルックナーが苦手の私にはちょうど良いかもしれない(笑) どちらにせよ、とてもきれいで不思議な雰囲気の音楽を楽しめる。続いてアレグロが始まる。アレグロ主題の展開が見事。けして行き過ぎず、適度な緊張感と大人の完成された落ち着いた感じが心地よい。フーガもあるよ。
しかしまあ、マニャールの音楽は シブイ この一言につきる(笑)
あんまり盛り上がらずに、気がつけば冒頭に戻って終わってるwww
2楽章は2番でも登場したダンス。ダンスっつっても、こちらはふつうのスケルツォ楽章です。
3番の白眉は3楽章のパストラールでしょう! この侘しげな情感の中にも、儚い喜びがつまっている風情がたまらない。途中の深刻なテーマも、心を打つ。3部形式。甘美の奥にひそむ警鐘の響きも深い味わい。
フィナーレの4楽章は祭典の雰囲気で、祝典詩曲とでも題しても良さげな音楽。しかしすぐに、音楽は悩んでいるような、不確かなものへ変わる。と、思いきや、冒頭の雰囲気が戻りかけ……また不安になり……していると、やおら教会のオルガンのトーンが再現され(笑)1楽章冒頭の和音が復活し、ラストは堂々たる讃歌で閉じられる。
なんとも構成感があるようなないような、不思議な響き。
第4交響曲(1913)
戦争による突発的な死の前年、このまま熟成すればさらなる傑作交響曲の境地にたどり着いたであろうと予想させるだけの魅力を充分に内実させている音楽。
しかしそれも運命か……。
4番は少しこれまでと趣が変わって、叙情的というか、激情的な曲調に支配された1楽章が面白い。激しい序奏から間髪入れずにアレグロへ向けて突進する。感傷的な第2主題との対比と交錯もなかなか面白い。あまり展開せずに、そのまま消え入るのが特徴的。
スケルツォはトリオ部の妙に民族チックな部分が、なんともいえぬ趣。このスケルツォは良い。マニャールはこういう民俗楽派的な作りの方が味が出ていると思う。
そして4番も、白眉は3楽章のレントだろう。この歌と、ドラマティックな部分の対比は、聴き応えがある。後半はなんともマニャールらしい不思議な和声に頼った進行が聴き物。集結部の盛り上がりも、きれいで、ドラマティックでもあり、個人的には、マニャールにしては、頑張っていると思うwww
4楽章もずいぶん大衆的というか、張りきってるなあ。どうした、社交嫌いのマニャール(笑) これまでの自分のカラに閉じこもったような厳粛な雰囲気は、あまり無いですね。それでいて、軽いかというと、マニール節でぜんぜんヴォリュームたっぷりなのが嬉しいです。トランペットの高らかなテーマが、希望をみせてくれているようだ。フーガも、しかめっ面のようなものではなく、なんとも面白いです。4楽章はどんどん楽想が変わってゆき見事。これくらいの展開があれば、交響曲として良い出来だと思います。甲乙丙丁の、乙の下くらいですかね。
4曲目にしてやっとすっきりするコラールも登場し、開かれた扉からやっと光が見えて、満ち足りて終わる。
これまでの4曲では、最も「聴かせる」という意味で成功していると思います。
彼の翌年の悲劇を考えると、実に勿体ない。マニャールの交響曲は、これから劇的な進化と飛躍をするはずだったのに。
マニャールは教会旋法を駆使し、すばらしい旋律を書き、転調・和声的対位法的構成力にも長けているが、残念ながら展開(変奏)力が弱く、せっかくの主題がどうもスカッと発展せず、モヤモヤ感がぬぐえない。これで構成も苦手だったらドヴォルザークやチャイコフスキーのように開き直ったような交響曲にもなるのだろうが、まあそれは作曲家の気質というか個性というか、そうはならなかった。
むしろ、もっと自由な形式の序曲や正義への讃歌あたりの方が、素直に旋律をそのまま歌っていて、聴ける。
マニャールは、なんともギクシャクして主題が展開しないモジモジ感を聴こう!w
4番でその打破の入り口にきているのに、残念ながら、彼の人生はそこで終わってしまった。
音楽の神様は、いろいろな仕掛けを音楽界に施しているのだ。
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