ロパルツ(1864−1955)
 

 ヨーロッパ人(スラヴ系含む)の名前は、発音の他にもその構成に、日本人にはなかなか分かりづらい部分があって、この Joseph-Guy Ropartz さんもどれが名前でどれが苗字なのだか、日本語に直す場合に苦労するわけだが、ヨーロッパ人の分かりづらい名前にはやはり法則のような物があって、「名前が2つくっつく」 「苗字が2つくっつく」 「苗字に定冠詞がつく」 「洗礼名、父母や祖父母の名前などが延々と連なる(くっつくとは別)」 などという特徴がある。

 また、たいていのヨーロッパの国は生まれた日や関連する日の守護聖人に因んで名づけるパターンが古くからあり、現代では必ずしもそうではないようだが、たとえばフランスでは聖ジャンの日が多いので男子はジャン、女子はジャンヌが多い。ロシアでは聖イヴァン(イワン)の日が多いため男子はイヴァンが多い。ただし女子名のイヴァンナはあまり多くないようである。

 そのため、名前を 「くっつける」 という名づけ方があり、ハイフンでくっつける。これは本当にくっつけるであって、2つで1つというか、2つの名前を並べているのではない。複合名という。

 さて、ここはクラシックのページなので作曲家で云うと最も高名なのは苗字がくっついているロシアのリムスキー=コルサコフだろう。これはハイフンでくっつくのだが日本語だとリムスキー−コルサコフとなり、「ー」と「−」が紛らわしいので=でくっつけているにすぎない。

 同じように、名前と苗字の間に「・」を入れたり入れなかったりだが、文章の中ではニコライ リムスキー=コルサコフとするよりニコライ・リムスキー=コルサコフとするほうが 「見やすい」 ので、ただ便宜上「・」を入れているだけであって本当は「・」なんか無いのは、ご承知の通り。ただ単に名前だけ紹介するのでは、「・」がない方がいいだろう。

 他には同じフランスのサン=サーンスや、歌手のフィッシャー=ディースカウが 「苗字がくっついてる」 パターンだと思われる。また、ヴォーンウィリアムズは、一般的にはヴォーン=ウィリアムズとなっているようだが、実は原語ではハイフンが無い(笑) これは、どうも「2つの苗字が並んでいる」パターンらしい。

 で、ロパルツだが、フランスの聖人を調べると聖ジョセフ(ヨセフ)と聖ギィの両方がいるので、これは名前が2つ 「くっついている」 パターンである。従って、ジョセフとギィを離してはいけない。−を=に直す法則を採用すると、ジョセフ=ギィ・ロパルツのうち、名前がジョセフ=ギィで苗字はロパルツ。けしてギィ・ロパルツにはならないだろう。いっそ、日本語表記では 「ジョセフギィ」 としてしまったほうが分かりやすいかもしれない。

 ちなみに、最もややこしいのが苗字に定冠詞がつく場合で、オランダ人の苗字はカオス。それがオランダ系移民になると定冠詞じゃなくミドルネームのようになってしまっている場合もあってさらにややこしい。最も高名な例では先祖がオランダ人のベートーヴェンで、ドイツの von のようになって van が外れてしまっているが本来はヴァンベートーヴェン(ヴァンベートオーフェン)さんである。 von は元々接続詞なのでとってもかまわないそうなのだが、 van は定冠詞なので読む時に本当はとってはいけない。同様の例では画家のゴッホもそう。英語圏の人がゴッホゴッホと言い続けているうちに取れちゃったようだが、ヴァンゴッホが正解と思われる。指揮者のデワールトもワールトなどと呼ばれている。せめてデ・ワールトだがミドルネームや接続詞ではなく定冠詞なのでデワールトの方が分かりやすいと思う。オランダ人やオランダ系の人で、デフリーヘル、ヴァンアンデルとか、ヴァンデルローストとかある場合、デやヴァン、デルはみな定冠詞である。
 
 とゆーわけで、ロパルツの交響曲であるが、番号付が5曲、番号無しが1曲ある。

 ブルターニュに生まれ、同年代にはドイツにリヒャルト・シュトラウスがいる。またドビュッシーとも歳が近い。パリ音楽院でデュポワとマスネに作曲を、フランクにオルガンを習っている。が、作曲ではフランクの影響はもちろんあるだろう。いや、熱烈なフランキストだったという解説もある。フランク式の3楽章制が多く、後のオネゲルミヨーに通じて行く構築的な書法をもっているが、4楽章制のものもある。

 全体に仄かに暗く、初期はドイツ流の形式主義な面を保ちつつ、響きはフォーレやフランクの流儀を頑なに護っており、後期に到ってより書法が自由になってゆくものの、全体に中道保守な印象である。

 また悲劇の「戦死」を遂げたマニャールとはかなり仲が良かったようである。1894年、30歳のときから1919年までナンシー音楽院で院長職を、1919年からはストラスブール音楽院で院長職を10年務めた。


第1交響曲(1894)

 30歳、パリを離れてナンシー音楽院の院長に就任したさいに完成したの作品。30歳で院長も驚くが、交響曲もいきなり3楽章制40分の大作(笑) これは、かなりフランクの交響曲(1889)を意識していると感じる。ドビュッシーのかの牧神の午後〜が同じく1894年の初演であるが、既に内在としてドビュッシー風の響きを有しているのが面白い。フランスから発進する新しい響きの共通の模索か。

 ロパルツの中の重苦しい趣味や、幻想風なところ、その中での暗い叙情は、既に1番から如実かつ濃厚に出てきている。1楽章は16分もあるレント序奏〜アレグロだが、冒頭の曇天具合はどうだろう。3分ほどで主部に到るが、聴感は変わらない。第1主題は明朗ではないが、第2主題はやや明るく分かりやすい。展開部へ進んでいるのだろうと思うが、主題がいわゆるモヤモヤ系なもので、けっこう聴いているだけでは把握するのは難しいと感じる。とにかく、ずーっと天気が悪い。コーダあたりになって、ホルンが盛り上がりをみせ、ちょっと晴れ間が覗いて静かに終結する。

 第2楽章はたっぷりレントで10分ほどであり、これがまた(笑) いい感じに渋く、靄というか、霧というか、見通しは明るくない。旋律は美しく、アレグロの部分も挟まれる。オーケストレーションにドイツ式とは異なる、後にフローラン・シュミットにもつながって行く精緻で繊細なものがある。レント〜アレグロを繰り返して、展開部と思わしき部分へいたるがすぐに再現部となって終わる。

 第3楽章は終楽章で、フランク流の3楽章形式は、2楽章が緩徐楽章とスケルツォを兼ねている。ロパルツの1番も2楽章にアレグロがあったので、それがスケルツォを兼ねていると考えられる。終楽章に到ってようやく曇り後晴れといったふうだが、それでも快晴とはならない。この非快晴趣味が、ずっとロパルツの交響曲を支配して行く。お祭の主題のようなリズムのよいものと、のびやかなブルターニュ民謡の主題がロンドのように随時現れる。終結になってようやく盛り上がるが、不発w しかし、最後の最後に40分間転調と半音階進行のモヤモヤが、やっっとコーダの終結部にて解決する(それでも物凄い解放感というわけではない)という、モジモジ系交響曲。


第2交響曲(1900)

 ロパルツの交響曲は、1、3、4と小交響曲が3楽章制で、この2番と5番が4楽章制となっている。ナンシー時代の2作目の交響曲。当初はドイツ流の構成が顕著な作風であるが、それが4楽章制となると、古風さがさらに増す。

 大きなアダージョはまたもどんよりとした音調で、相変わらずのロパルツの趣味を表す。主部のアレグロとなると、深刻な第1主題が滔々と流れ、小展開を経てゆるやかな第2楽章となるも、悲しげな雰囲気は変わらない。この人はこういう作風というか、こういう曇り空の音色が本当に好きなんだな、と強く感じる。展開部では第1主題と第2主題が丁寧に扱われる。この丁寧さも、ロパルツの仕事ぶりを伺わせる。展開部の頂点では第1主題の変奏がかなり激しく鳴るが、第2主題にとってかわられ、鎮まって行き、コーダではそっと幕を閉じる。

 2楽章も順当にヴィバーチェのスケルツォ楽章。民族舞曲ふうなリズムが心地よい。トリオはホルンの導入により、優しい絃楽の歌。ホルンの合いの手も穏やかだ。木管がコデッタをとって、ヴィバーチェへ戻る。自分は和声の専門家ではないが、ここではまだフランス流派に特徴的な革新性のある響きは少なく、フランス古典派のようなしっかりした音造りが試みられている。面白いのは、3部形式化と思いきや、2回目のヴィバーチェのあと、ほんの少しトリオが再現され、またヴィバーチェで終結。
 
 ロパルツは、きっとアレグロよりラルゴやアダージョの緩徐楽章が得意で、自身も好きだったのではないか。この人のなんとも切ない、愛らしい、どこか悲哀さを帯びたゆったりとした旋律はとても良い。ときに映画音楽みたいなセンチメンタリズムを発揮し、それでいて、やっぱり空気はどんよりと重い(笑) かなり湿っている。フランスの気候って、こんなに湿っていたか? というほどだが、日本ほどではない。情緒的なお涙一歩手前の、音の流麗さ。

 4楽章ではまた舞曲風の旋律が序奏もなしに登場。この人の独特の雰囲気は、こういう田舎っぽい旋律やリズムを都会で培った技術と感性で仕上げてしまっているからなのか。第2主題の美麗さは3楽章にも通じる。展開部は細かい展開が行われつつも、頂点で一気に楽想がふくらんで穏やかな世界が広がる。ここらへんも、この人がハリウッドへもし行っていたら、絶対に成功したであろうという思いを起こさせる見事さ。そこから一転して第1主題が再現され、終結となる。


第3交響曲(1905)

 ロパルツの交響曲中で、最大規模なのがこの3番。3管編成に合唱付。演奏時間も、50分前後になる。合唱のテキストは、なんとロパルツの自作。若いころは作曲家ではなく詩人になろうとしていたというから、腕前もたいしたもので、無理なく音楽に溶け込んでいるという。フランス語は分からないので知らないのだが(笑) 歌詞の内容は検索したが、全文は出てこなかった。

 3楽章制で、第2楽章が緩徐楽章とスケルツォを兼ねているので、完全なフランク流。

 レント〜アレグロの第1楽章。相変わらずの霧……いや、もっと薄くて滞留している靄の音楽。そこにさらに幻聴のような合唱。珍しく霧が晴れてゆき、太陽が現れる。アレグロとなると合唱が消える。ホルンの勇ましい展開に支えられて、金管から第1主題が始まる。第2主題は、テンポを変えずに絃楽で現れているものだと思う。それから、第1主題、第2主題を劇的に展開させてゆき、高揚して輝かしい太陽讃歌となって、大団円。

 ロパルツにしては、本当にかなり珍しく、心から清々しい気分になる。

 2楽章のレントはしかし、またも霧が立ち込める。合唱が現れ、アルトやテノールのソロや重唱に合唱、管絃楽が混じって聴かせる。中間部で合唱は悲痛な響きになってゆき、切々と訴える。その頂点でテンポが上がり、スケルツォ部へ突入。ここからは純粋にオーケストラのみで、深刻な雰囲気で進行する。アレグロ好きの私はこういう展開は好きだが、ちょっと繰り返しが長いので、人によっては冗長と感じるかもしれない。テーマを繰り返しつつ、唐突に終結して行く。

 本命白眉は第3楽章。ここが凄いヴォリューム。演奏によっては20分を超える。レント〜レント〜アニメ。絶妙な四重唱から始まり、人類和解を説く。やがてオーケストラが壮大なテーマを奏で始める。やはり、ロパルツには珍しく燦々とした太陽がまぶしい。ここで初めていかにも明朗で美しいフランス流派の音楽が聴こえてきたな、という感じだが、コデッタで静かに終結する。

 ここで演奏時間は約半分で、再び独唱者の重唱からようやく合唱が登場する。合唱の和声は複雑で、オーケストラも厚く重なり、音楽は多重で立体的になる。テンポが上がって、どんどん盛り上がって行く。金管が高らかに加わり、気分は最高潮に。輝かしいコーダを迎えて、全曲を終結する。

 だが、長いわりに構築性はあまり無く、全体にだらっとしている。しかし響きはぐっと近代フランス流に近づいている。ロパルツ交響曲中最高傑作とされるが、確かに聴き応えはたっぷりとあるし、合唱も含めて響きも面白い。しかし、この3番を初めて聴いて、そのほかの交響曲もこれほどの規模や出来かというと、少なくとも私はそうは思わない。合唱・声楽が入っているのも3番だけである。


第4交響曲(1910)

 ナンシー時代最後の交響曲。3楽章制であり、第1楽章はアレグロ・モデラート。この前の3番はロパルツにとっても突破すべき何かしらを突破したもののようで、ここにきて、響きはぐっと豊かになり、形式感も堅牢なドイツ流から彼独自のフランス流というものに変化している。

 ソナタ形式のような、そうでないような。美しく長い主題提示から一拍置いて、雰囲気は緊迫し、形式より情感を重視したような音の流れは、いかにもドビュッシーの海やラヴェルのダフニスとクロエを想起させる。めくるめく美音の奔流はしかし、その内実にしっかりとした旋律や和声の構築を孕んでおり、けして印象派などという簡単なくくりでは解決できない。彼らは、新古典派の一種であって、旋律と和声の活きた音楽を書いている。それが、形式が少しちがうだけで。ここではブロック構造的な音楽は既に無く、流動的な動きをする。

 アタッカのように(アタッカ?)続く第2楽章はアダージョだが、雰囲気は変わらない。序奏から、なんともきれいで陰のある旋律が流れてくる。すぐに音楽はアレグレットになり、緩徐楽章とスケルツォを兼ねるフランク流であるのが分かる。そこからまたアダージョ〜アレグレット〜アダージョを繰り返すが、音形は少し変化しているように聴こえる。楽譜を見ていないので正確にはわからないが。最後は平安の中で、心安らかになる。

 再びアタッカっぽく到る1楽章と同じくアレグロ・モデラートのフィナーレは、突如として訪れた嵐から、雄々しい主題が沸き上がって、それが平和を願う第2主題を導く。それからは両主題を絡ませあいつつ、主に第2主題を展開させ、終結はピアノのまま、夢の中に消え入って行く。

 3楽章制としつつ、アタッカに聴こえるので、大きな1楽章制の30分の音楽にも聴こえる。


小交響曲(1943)

 ストラスブールに行ってから、院長の仕事が忙しかったのか、久しぶりに交響曲を完成させている。実に33年ぶり。それも、ナンバーの無い、シンフォニエッタなのが面白い。手馴らしだろうか?

 やはり3楽章制で、時間はこれまでの約半分の20分ほど。1943年といえば、ストラスブール音楽院も1929年に辞し、中央を離れて故郷のブルターニュに帰って隠居生活をしているときで、年齢的には79になっている最晩年である。ロパルツは長命で、91の歳に亡くなっているので、まだ死には10年以上あるものの、ここでこの創作意欲はむしろ驚きだ。

 明朗快活で構成的な冒頭はむしろ新古典主義的で、シンフォニエッタというにふさわしい。木管金管がのびのびと音を鳴らして、アレグロを進めて行く。1楽章は、ソナタ形式というよりもっと自由な狂詩曲的、喜遊曲的な作風に聴こえる。

 レント・モデラートの2楽章では、絃楽がしっかりとした旋律栓がむしろ、4番や3番より1番に戻った気分になる。民謡風な感じも素晴らしい。

 そしてプレストの3楽章はまさにホルストやミヨーにも通じる田舎風の舞踊楽章。第2主題に、ようやくロパルツらしいw 物憂げな旋律も登場する。その後は明るく戻り、最後まで軽い感じで、終結部には珍しく小太鼓まで現れる。

 短いぶん聴きやすいし、内容も堅苦しくなく、全体にディヴェルティメント的で、なにより暗くなく(重要)これがもっとも好きかも(笑)


第5交響曲(1945)

 死の10年前の作品ではあるも、既に年齢は81歳になるのを考えれば、体力的にも苦しい中でも、よくぞここまで書き上げたものだと感心する。

 4楽章制、30分のオリジナル作品を81歳で完成させるとは、素晴らしいことであろう。

 4番で、いかにも当時のフランス趣味な音色に行き着いたものの、33年後の作品は意外にも新古典主義に戻った、というか、むしろ若いときより新古典主義により踏み込んだ作品である小交響曲を完成させたロパルツが、この最後の交響曲で完成させた世界とは。

 1楽章は短い序奏から、明るく古典的な第1主題が。ここに来ると、30歳以上も年下の、プーランクの精神に近づいているように感じる。第2主題は優雅な舞曲風。木管の使い方がいかにも愛らしい。展開部はしっかりと両主題を素材に変奏して、古典的な技術さの確かさが際立っている。

 2楽章プレストはスケルツォ楽章で、演奏時間も短く、粗野な味よりも優雅さが強調され、宮廷舞曲というほどでも無いが、かなり洒落た感じで古典回帰の趣を再確認できる。その中にも、どこか田園ふうな中間部や、民謡的なロパルツっぽさも、出てくる。

 老いてなお、ますます筆の冴えを見せているのはおそらく、この緩徐楽章ではなかろうか。在り来りな表現ではあるが、晩年の作曲家というのはだいたい枯れはてた味わいが魅力だが、この瑞々しさはなんだ。加えて、彼岸の風景を見せられているような厭世観。これはこの曲の白眉と言って過言ではないだろう。

 さらに驚くのが4楽章の快活さ。これまでのアレグロ修楽章の半分の演奏時間で、まさに古典派・ロマン派回帰といった作風になっている。ロンド形式のように力強い主題とテンポをやや落とした主題を交互に繰り返しながら盛り上がって、祝祭的な雰囲気を作り上げて行く。しかし、大々的な、品の無い終わり方はしない。

 




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