6/29

 ヘルビッヒ/ザールブリュッケン放送響 マーラー:第6交響曲
 
 L1999いうことですが………速いテンポで、かなりの集中力と熱気と爆発力を聴かせてくれるので、ライヴならではの音ミス等を抜きにしても、まずまずの演奏。これは良い買い物だった。ただし、個人的に、ちょっと硬派すぎるかなあ。マジメなんだな、これが。きっと。ヘルビッヒさんって知らない人だったので検索で調べてみたら、正統派ドイツ巨匠とかそういう枕詞が出てきたので、硬派なのは致し方の無いところか。

 1楽章のドラは口径が大きく分厚いイイ音がしている。リピートは無し。だから1枚もの。またトランペットのソロもライヴにしては珍しく間ちがってない。2楽章も良いし、3楽章も良い。4楽章はハリキリすぎてガタガタしてるけど、各楽器も思い切り鳴っているし、なにより精一杯マーラーをやってるんだあッ、という心意気が良い。だから基本的に全て良い。しかし、硬派というか、分かった、健康系なんだなあ、やっぱりなあ。健康的なマーラーって、ごめんなさい、我輩は物足りないです。(カルカルのチャイコやノリノリのシベリウスなんか聴けるか? 諸君!) ★4つ。

 クレンペラー/フィラデルフィア管 ベートーヴェン:第6交響曲「田園」

 「たとえ田園があろうとも、マーラーの6番こそが真の第6だ!!」 とはベルクのお言葉。
 
 6番を聴き比べてみました。ステレオということだったけど、L1962のライヴはかなり音質が悪く、デッドで、ザラザラし、半ステみたいなようでした。

 それにしても1楽章の硬派な響きは甘ったるくなく良い。しかも3楽章の遅いテンポ。だけど、もたつかないんだなあ。そこがクレンペラーの凄いところ。嵐だって、けしてハデではなく、むしろ淡々と。音楽だからね。というより、交響曲だからね、といった方が正しいのだろうか。
 
 しかし構成に難のある曲。個人的にはベートーヴェンの9曲の中で私は最低の曲だと思います。

 2楽章とか、まるで無駄なパッセージのオンパレード。5楽章もなんだかなー。

 テンシュテットとクレンペラーという好きな指揮者だけ聴いていれば、満足といった程度でした。やっぱり。

 ★4つ。音がちょっと悪いので。クレンペラーはテスタメントでBPOの本当に素晴らしい演奏もあるしね。


6/26

 テンシュテット/北ドイツ放送響 ブルックナー:第8交響曲
 
 テンシュテットの演奏ってまだまだ出てくるのね。

 しかしこれは以前他レーベルより出ていたものだが、こちらの方が音が良い。従って、テンシュテットの細かいニュアンスを、それなりに聴きとることができた。

 ブルックナーの演奏って正直、よく分からないのですが、主題を正確に描き分けつつ、いきなりドォーン!! と喪黒福蔵ばりにティンパニとかで盛り上がる箇所って必ずあるですが、そこがテンシュテットは異様に凄い。特にあのティンパニは、正直、シビれます。
 
 でも8番って苦手。実は1楽章と2楽章って連続して考えて、3部構成なんじゃないかって思えてきます。あの1楽章はどう聴いても序奏の域を出ていない。
 
 テンシュテットの5番や9番って無いんだろうか………。

 サイモン/北西マーラーフェスティバル管弦楽団 
 シュトラウス:交響詩「ティルオイレンシュピーゲルの悪戯」 ラフマニノフ:「パガニーニの主題による変奏曲」 マーラー:第6交響曲

 1998年にそういう名前の催しがあったようで、特別なオーケストラだと思います。ちょっと調べましたが、詳細はまったく不明。マーラーフェスティバルは、いろいろやってますからね。こういうのもあるのでしょう。しかしジェフリーサイモンって久しぶりに聴いた。
 
 しかしこのオケが、上手いんだか下手なんだかよく分からない、いわゆる中級オケにしか聴こえない。呈示部のF 管Tpは相変わらず間ちがっているし。音が合いづらいのでしょうね。罪作りなソロですね。マーラー先生ったら。2回めは危なくもあってましたが。冒頭はピャーッとしたイケイケのテンポで、オオッ、気合入っている! と思ったが、いきなりガックリでした。アンサンブルも荒い部分がある。それじゃ速い意味が無いですよね。

 コーダのHrもへたっている。1楽章からヘタってどうするんだ。学生オケなのかなあ。(サイモンが指導する完全なアマオケだそうです。やっぱり。)
 
 まあアマったって、マーラーとか平気でするくらいだから、ウチのオケよりゃ上手いんだろうが……(笑)

 2楽章は無難なしだが、その分迫力もない。勢いが無いというか。この楽章から、迫力が無くなると、なんとも間のびしてつまらない。テンポの問題ではなく、ニュアンスの問題なので少々曖昧だが。ただし、奏者も聴者も疲れはしないのだろうが。

 3楽章は、まあまあ。音ミス多いけど。

 そうなると4楽章が、どのくらい気合が入るかだが、アマオケって体力的にも、ここにくると限界になるので、正直不安。プロですら限界キテるオケや演奏が山ほどあるのに。

 案の定、コタコタでした。

 先日の井上もそうだったけど、アマのマーラーって、実演ならまだしも、CDとして聴くのはかなりキビチイ。でもまあ頑張ってるから★3つ。


6/24

 黛敏郎 天地創造 サウンドトラック

 海外盤(古ッ)によるサントラです。

 しかし黛の天才って、涅槃交響曲もそうだけどそれよりもむしろ、トーンプレロマス'55 や、交響詩「立山」や、スポーツ行進曲や行進曲「黎明」そしてこういう映画サントラにこそ如実に現れているようで………。
 
 吹奏楽曲アルバムに編曲ものとして断片が録音されていたが、それの原曲です。アダムとエヴァの生成や、ノアの洪水の他にもバベルの塔とか、衝撃的な音楽に満ちあふれています。うーん、敏ちゃん、デキる。

 マーラー:第6交響曲
 井上喜惟/ジャパングスタフマーラーオーケストラ L2001
 
 井上は一部ではえらい評価が高いけれど、こういうアマチュアや、田舎のマニアックなオーケストラを振っているのしか聴いたことがない。従って、やりたいことを十全に発揮できていないモヤモヤを聴くこととなるが、このアマオケは、妙な日本のプロオケより上手だじょ。そりゃ、アマとはいえセミプロみたいな人らがこればっかり練習して、上手じゃなかったら、おかしいわな。
 
 1楽章のアレッというほどの遅いテンポが、意表をつくが、これくらいじゃないと、正直、間ちがうんですよね。焦って、トランペットとか。(笑) BPO ですらそうなんだから。考えてみれば、恐ろしい曲だ。このテンポでも、落ちたり外したりしているのはアマのご愛嬌。
 
 しかしこのテンポでアマだからこそできた、内部をエグるけっこうエグい表現は良かった。チェリみてえだ。って、チェリの弟子なんだなあ、この人は。他にもベルティーニの弟子か。そりゃマーラーをやりたがるような気が。
 
 2楽章は、スケルツォで、しかし邪悪さを追求するわけでも無く、アッサリとふつうに聴こえたが、他にお聴きになった方、如何。

 3楽章はこれもふつうといえばフツウなのだが、でも、テンポといい、王道を行くアンダンテというべきか、表現も控えめで、けっこう好み。
 
 4楽章もそうかというと、これがまた1楽章に戻ったようなテンポ設定。じっくりと鳴らしていって、じわじわと盛り上がる。うーん、どっかで聴いたような手法でもあるが、まあいいや。各テーマが堂々と呈示されるので、分かりやすいですよ。

 ハンマーの前のリタルダントは1回めはあっさりだがハンマーはなかなか、ドォンという重い音。2回めは、ダァンという乾いた音に、他の打楽器がよくからんで上手です。そこまでの盛り上げ方も、ものすごい丁寧。(音ミス自体は凄い多い。)
 
 1楽章と4楽章に重点を置いたことにより、ずっと6番が9番に近づいた。
 
 悪くないけど、やっぱりアマの悲しさか、どうにも集中力が続かず★3つ。でもプロオケにまじって3つって凄いですよ。自分なりには。
 
 どうせ2枚組なんだから拍手も欲しかったなあ。
  
 マーラー:交響詩「巨人」
 ゾルト・ハンマー/パノンフィルハーモニー管弦楽団
 
 いわゆる5楽章版の第1交響曲であるが、ただ単に既存の全集版に旧2楽章の「花の章」をつっこんだものとは異なり、全曲に渡り旧版による演奏。たまーに見られるようだが、私は、若杉/東京都響に続き2種類め。
 
 もっとも、若杉は「ハンブルク稿」ハンマーは「ヴァイマール稿」とのことである。
 
 金子健志によると、1番の演奏・改訂・出版の過程は以下の通り。

 1.初演・初稿、ブダペスト稿。1889年。下記のハンブルク稿に組み込まれ、現存しないらしい。交響詩「巨人」。
 2.ハンブルク再演、1893年。第2稿ハンブルク稿。2・3・5楽章改訂。特に5楽章を大幅改訂したらしい。交響詩「巨人」。
 3.ヴァイマール再演、1894年。ハンブルク稿よりさらに微妙な改訂が施されているであろうことが予想される。交響詩「巨人」。
 4.1896年、ベルリンで初めて4楽章制で演奏。1899年にヴァインバーガー社より交響曲第1番として出版。(第3稿・初版)
 5.決定稿。1906にユニヴァーサル社より出版。1楽章呈示部に初めてリピートが加わる。
 6.1967年、全集版として現在の版が刊行される。決定稿と全集版は第3稿に微妙な修正を施しただけのものらしいです。

 上記2が若杉で、3がハンマーとなるが、中身がどこまで違うのか、もしくは同じなのかは不明。CDには1893年バージョンとなっているから、たぶんハンブルク稿のことだと思われるが………。
 
 花の章はさておき、他章においても、オーケストレーションに差異が認められます。全体としてアッサリしてます。なぜならば、1番は4管だが、巨人は3管編制で、楽器の数が単純に少ない。
 
 まあ、本当に細かい部分はさておき、分かりやすいものとしては、1楽章は当然リピート無し、2楽章の冒頭が、1番は弦楽合奏だが、巨人ではそれへティンパニが加えられ、本来3楽章で楽曲の中心に据えられたスケルツォであるこの楽章に、さらに野味を加えている。
 
 また、3楽章の冒頭は、1番では弱音器付のコントラバスソロだが、巨人では、チェロとコントラバス(弱音器無し)のデュオで、あんまりうらぶれておらず、けっこう骨太なパッセージとなっている。
 
 4楽章がもっとも改訂が激しかったようだが、ハンブルク稿と全集版では、大筋では変わってない。最大の改訂部は、ラストの打楽器によるソロの小節が、1番は4小節だが、巨人は倍の8小節もあって、なかなか迫力がある。
 
 初演の版は残っていないとされるが、5楽章は大きく分けると急緩急緩急(+コーダ)の五部構成といえるが、それを急1緩1急2緩2急3とすると、緩2から急3に入るときに、鋭いビオラのパッセージがあるのだが、初演の際には、なんとそこに急1冒頭が再現部として挟まれていたらしい。ハンブルク稿にそれが残っていて、マーラーが自分で×を書いているのである。
 
 さて、珍しい曲なのでついつい中身にばかり気がいってしまうが、演奏としては、正直、聴いたことも見たこともない指揮者&オケ。ハンガリーのオケらしいです。パッとしないといや、パッとしませんが………なかなか丁寧な音楽造りをしているとは思いました。マーラー的な激しさよりも、けっこう素朴な感じで、田舎臭いタイプの演奏だと思います。その熱意と、気概と、技術的にもまあまあなので、★は5つです。


6/18

 ムラヴィンスキー生誕100周年記念のDVDを買いました。
 もちろんお目当ては、ここに至ればコンプリートめざせというショスタコの8番交響曲。
 
 演目はこちら。
 ムラヴィンスキー/レニングラードフィルハーモニー管弦楽団
 ブラームス:第4交響曲 L1973
 チャイコフスキー:第5交響曲 L1973
 ショスタコーヴィチ:第5交響曲 1973ゲネ
 ショスタコーヴィチ:第8交響曲 1982ゲネ
 各リハーサルとインタビュー付

 しかし………やっぱりこのジイさんはただ者ではないですわ。本当に素晴らしい。

 リハーサルが貴重で、天下のレニフィル相手にまるでアマオケが学生オケ。

 曰く。

 「(バイオリン)左手の音が聴こえない。右手(弓)だけで弾いている! ちゃんと左手も使ってください」 すると不思議なことに軽い音がたちまちブラームス流の重い音に!!

 曰く。

 「トロンボーン、四分音符をちゃんと吹いて。短い。パーン、パーン………」 ここにきてそこまでパート練習するか? 

 曰く………。

 「主題が(ここで)終わっている。(そこで止まらないで)最初に戻って」 チャイ5の冒頭のことです。ターンタラターン・タラタッター〜(ここで音楽を切らないで、次々とつなげてゆくということですね。) 巨匠、それ正しいです!!

 まさに凝縮された集中力。ムラヴィンスキーは、ゲネプロのあと、ステリハをいっさい行わなかったそうです。

 指揮姿もカッコイイ! 極限まで切り詰められた棒!!

 彼はブラームスが得意だったが、2番と4番というこれまたシブイ演目をさらに得意としているようで、ここでも、まさに「ブレーキを踏みながらアクセルを踏む」 と云われるブラームスの特徴を十全に表しつつ、淡々とした雄弁さが素敵だ。

 チャイ5はムラヴィンスキーがもう我輩のエヴァーなものになってしまって、他の指揮だとちょっとやはり、俗っぽい部分が際立ってしまうのですが、この切れ味抜群の音楽の裁き方は、好きですね。

 俗っぽいといやあ、タコ5なんですが、これもまたムラヴィンスキーが別格なんですよ。格が違う。文字通り。大好きです。
 
 そして大本命、第8。ビデオ収録の時点で、生涯に34回演奏し、2回のみ、作曲者の臨席が無かったそうです。それはつまりショスタコが骨折したのと、それから死んじゃったため。

 この曲の真意を完全に我が物として寸分の漏れ無く汲み取り、しかも完全に出し切る指揮者は、ムラヴィンスキーとコンドラシンしか聴いたことないです。

 この最晩年のゲネプロの模様をTV放送用に収録したものは、しかし、集中力も良く、テンポも遅めで、独特の迫力があります。

 枯淡の至芸というにふさわしいものでしょう。

 3楽章のトロンボーンがモタモタしないのがさすが。
 
 関係ないけど、団員が、ムラヴィンスキーの顔があまりにも恐いので、失敗したら粛清されるという噂があったとかいうのは、たぶん冗談なのでしょうけど、分かる!

 ありゃ恐い。(笑)

 ホントは逆で、病気で何度も来日がキャンセルされたのは、当局の横やりだったそうです。彼は、反体制的だったみたいです。

 じゃあ、ショスタコーヴィチをあんなに真剣にやるのは、理解できる。★★★★★


6/7

 日本人作曲家4人

 伊福部昭
 野中図洋和/陸上自衛隊中央音楽隊
 古典風軍楽「吉志舞」 交響譚詩(松本敏晃:編曲) シンフォニア・タプカーラ(同) SF交響ファンタジー(福田滋:編曲)
 
 すべて吹奏楽作品、及び吹奏楽への編曲もの。

 伊福部昭は、その近代的な管楽器バリバリの作風の割に吹奏楽作品が少ない。純粋吹奏楽編制では、私が聴いたものでは、上記の吉志舞(きしまい)と、倭太鼓と吹奏楽のためのロンドインブーレスケしかない。
 
 吉志舞は5分ほどの佳品であり、古代の軍楽というコンセプトなので、陸上自衛隊中央音楽隊が演奏するともう風格というか………。グッドです。
 
 あとはいわゆる編曲ものであるが、管弦楽法の著者である伊福部の作品を「おそれ多くも」編曲するなどということは、よほどの勇気と度胸がいるらしく、編曲者の松本も、スコアを伊福部本人にチェックされている間は無限の審査を受けている心持ちであったという。
 
 それだけ気合の入っている編曲であるから、かなり出来が良い。和田薫級の出来と行って良いと思う。しかも演奏も素晴らしいので、これは編曲モノ嫌いの私も認めざるをえない。
 
 なぜ、わがはいは吹奏楽の編曲モノが嫌いなのか。

 簡単な事なのです。

 ラヴェルの例を出すまでもなく、編曲とはただ音符を直せばそれで良いのかというと、そんなわけはなく、すなわちそれは「再創造」に他ならない。原曲に匹敵する再創造でなくては、編曲モノなんか聴く意味も価値も無い。安易な管弦楽の吹奏楽編曲に、いったいどれだけ原曲に匹敵する、あるいは凌駕する、再創造的価値を有した作品があるというのだろうか???
 
 しかしこの編曲は上手い。正直、唸った。特に弦楽のグリッサンドなども、サキソフォンを重ねて、うまく直してある。ピチカートなども、かなり巧く直してある。なんだろう。ビブラフォンと何かを重ねたのだろうか? このようにただ単に高音のバイオリンによるメロディーやハーモニーをクラリネットでカクカク吹かせるのではなく、フルートやピッコロにピロピロ吹かせるのではなく、思い切って打楽器にやらせてしまうとか、これが再創造という事なのだろうと強く感じた。なんの楽器にやらせるかではなく、どのような音色を求めるか、なのだろう。
 
 演奏も、もちろんかなり上手い。
 
 なにより、自衛隊マーチを自衛隊が吹く!!!!
 
 これに燃えない輩は伊福部ファンではないと断言しても過言ではあるまい。
 
 
 佐藤聰明
 本名徹次/東京都交響楽団 河野克典Br アンアキコマイヤースVn
 季節 峡谷 ヴァイオリン協奏曲                         
 静寂の使い手、ポスト武満、特にアメリカで人気、という触れ込みばかりが先行し、私にとってまるで謎の作曲家だった佐藤聰明。管弦楽作品集を見つけたので試しに聴いてみました。
 
 たしかに、こりゃ正直めちゃめちゃ嫌らしい作りをしている。(笑) アメリカ人にウケるはずですわ。
 
 日本人らしい美への厳しい姿勢と間寂の絶妙な扱いが無ければ、ただ美音を静かに鳴らしているだけ。これは音楽? 音楽ですとも。
 
 実は、嫌いではなかったりして。(笑)
 
 ヨーロッパ辺りの、似たような雰囲気だがまるで不協和音タレ流しに比べたら、ぜんぜんきれいで、良いと思います。悪く云えば、音楽そのものはまるで異なるがコンセプトとして似ている(アメ公の東洋コンプレックスをコチョコチョとくすぐるやり方。)喜太郎のようでもあり、よく云えば、柔らかい湯浅譲二。
 
 しかしこのハリウッド調映画音楽みたいなチープな和音で、よくこれほどの心地よい緊張感を持続するなあ!

 季節は管弦楽のみの作品。極限にまでテンポとリズムが伸ばされて、もはや薄墨のごとくにまでなった宵闇のような水墨画的雰囲気がステキ。

 峡谷は老子の英訳テキストをバリトンが歌う小カンタータ。雰囲気は変わらずだが、野太い声が入っている分、やや起伏が激しい。

 Vn協は、おセンチなペッテション。形式は、武満の絵巻物形式。
 
 深井史郎
 ヤブロンスキー/ロシアフィル
 パロディ的な4楽章 バレー音楽「創造」 交響的映像「ジャワの唄声」
 
 今度はすぐ買ったでしょ?

 しかしまあ、出ただすな、ロシアフィル。

 このオケ、下手なチャイコしか出来ないんじゃないかというほどにコテコテで、大澤は重いし伊福部は鈍いし、深井なんて大丈夫なのか??
 
 特に日本のラヴェルなどと云われている深井ですぞ!!

 ただでさえ、プロコフィエフ+ラヴェルのような大澤や、ボロディン+シベリウスのような伊福部を、あそこまで鈍重に演奏したロシアフィル!!
 
 と、思いきや、個人的には、意外と良いぞ??

 クレームがきて、反省したのだろうか?

 他に聴いた方、どのように思われましたか?
 
 パロディ的な4楽章はパロディ対象がマニアックすぎて、特にルーセルなのだが、ストラヴィンスキーも新古典主義(小管弦楽のための組曲)をパロディしているようにも聴こえるし、なんともまあ、お上手お上手といった風情。
 
 バレー音楽は出ました皇紀2600年記念曲。記念曲にこういうものを書くあたりが、深井のセンスか。特に標題性があるわけでもなし。音階が日本的であるが、なんとも帰結しないし、解説の、大東亜共栄圏の幻想さを描いているようといわれれば、なるほど、そのようにも聴こえるだろう。
 
 それよりジャワの唄声が、ウケる!!
 
 こっちの方がよほど皇紀記念曲的。たしかにジャワ民謡はそのまま、どっかの東北民謡そのまんまだなあ。それより、バックの音形が、印象派っぽくて、なかなかミスマッチのようでいて、ボレロを賛しているらしく、かなり面白みを出しています。
 
 水野修孝
 山下一史/東京交響楽団 
 第3交響曲 第4交響曲
 
 くわしくは、そのうち交響曲のページにまとめますので、簡潔に。
 
 しかしいま現役日本人作家でこれほどの交響曲を書く人は、いないだろう。吉松より、技法が、上手だと思う。やはり年の功か。特にジャズの響きは、演奏家にもよるのだろうが、吉松はまだリズムが甘い。(優しすぎるのだろう。)
 
 西洋音楽技法を完全に身につけてよりジャズやら邦楽やらを完膚無きまでに吸収した水野は、世界最大規模の交響楽・交響的変容4部でその集大成を解放という形で発揮した後、それらを集約するための手段として、古くさいはずの交響曲という形式を器として選んだ。そこにある精神は、20世紀以後の正しい交響曲の姿、すなわちマーラーがその作品を持って提唱した「交響曲とはすべてを包括する」という精神あっての発想だろう。
 
 彼の交響曲には音楽のすべてが鳴る。しかし無法頭に鳴るのでは、収拾がつかないし、集約にならない。そこで、器が必要となる。それは正しい。そして交響曲という器が選ばれたことも、正しい結果を産んでいると思う。
 
 ぜんぜん簡潔じゃねえな。(笑)                        

 2番はけっこう大規模だったが、3・4は中規模になって、古典的。
 
 3番は3楽章制で、フランス流というよりは、古典派を意識したより古い形式を模していると思う。

 1楽章はメロディーの変容を思わせる主題の変容のショート版であり、かつ、凝縮され進化したもの。2楽章は対照的に無機的な、12音の対位法的変容。展開ではなく変容するのが、大変容を書き上げた水野の自負なのだろうか。3楽章はメロディーとビートリズムの変容を再現している。このドライヴ感と、交響曲に何の躊躇も無くポピュラリズムを導入するあたりも、魅力だ。吉松も同じ方向であるが、彼より、ずっと骨太な構成と響きを持っていて、それがバツグンの個性を発揮して非常に面白い。
 
 4番も方向性としてはまったく同じ。ただし、こちらは4楽章制。アレグロの1楽章は序章にも聴こえ、無調的で矢代秋雄の雰囲気も持つ。2楽章は緩徐楽章だが、合奏協奏曲的なソリスト群の活躍するミ楽章。リズムが融けたようにたゆとう、現代オンガク的なものだが、甘美な音を持つ。3楽章は一転して中間部に調整が惜しげも無く登場し、同じく緩徐楽章だが水野の旋律的ポピリュラリティの集約が聴かれて、4楽章では待ってましたビートリズムの変容が集約されている。吉松もいいけど、それより大人な響きで、カッチョエエです。
 
 このように水野の諸交響曲、特に3・4番は交響的変容という神話の怪物のような音楽よりそれぞれ発生した、神々の産物のような動機を持っている。また、一貫した主題や素材が貫いていて統一感を持たせつつも、各楽章が独立した管弦楽作品としても通じるほど、バラバラな形式でもある。その単独の料理(あるいは食材。)を強力に統一しているのが、交響曲という器なのでしょう。
 
 あとは1番で、全集を待つのみ。また、5番も、待ち遠しいです!!

 さて、交響曲は、世界に目を転ずれば、アメリカや辺境ヨーロッパなんかにも、まだまだ量産する人がいるが、精神的な意味合いというかその作曲の動機においては、浅いものが多い。91番とか、作りすぎだろ。別に浅くてもぜんぜん良いのだけれど、交響曲が娯楽音楽だった時代ではないのだから、書けば良いともいうものではない。交響曲はやっぱりねえ。こだわっちゃうなあ。

 また、そのすべてを網羅することはなかなか難しいが、日本で、このような精神的支柱としても技法としても響きとしても独創的で完成度の高い交響曲を聴けることは幸せだと思う。いま、交響曲は日本が熱い!!


6/6

 地元に、ノルウェーのピアニスト、ガイヤー ヘニング プローテン氏がやってきて、演奏会に行きました。

 演目
 グリーグ:「ホルベアの時代から」組曲
 プゾーニ:「フィンランドのバラード」
 シベリウス:ピアノソナタ
 ショパン:即興曲
 ショパン:ピアノソナタ第2番 
 ヴィルメルス:大幻想曲「ノルウェーの夏のある日」

 正直、ふだんよりピアノは門外漢。しかも、知ってるプログラムほとんどなし。ショパンぐらいはさすがに知ってますが。そんなわけで、主催者が知人なので行きはしましたが、爆睡モードかなあ、なんて思っていたら、大間ちがい!!!
 
 
素晴らしかったです!

 なんといいますか、いままで聴いたことのなかったピアノの音でした。つまり、ガンガンと
ピアノピアノしていない。
 
 北欧的と云うと在り来りでしょうが、透明で、はかないようでいて力強い。しかも、音楽が、タッチが、とても高貴。ノーブルなんです。
 
 グリーグやシベリウスでは、しかも、
ピアノからオーケストラの音がしてきました。これは正直、驚いた。

 ああ、ここのフレーズはきっとトランペットなんだろうな、ここはオーボエなんだろうな、ここは弦楽のアレグロなんだろうな、容易に頭の中に響いてきて、のめり込んだり、のけぞったり、忙しいピアノでした。主催者が挨拶で、彼はピアニストではなく、音楽家なんです、と云っていたのを、痛感しました。
 
 彼のピアノは、指揮のようで、コンマスのようで、オーケストラそのものでした。
 
 彼は日本では正直まったくマイナーでしょうが、今日の演奏会では天皇陛下より下賜された金の菊の御紋入りのカフスをしていたということで、きっとノルウェー王室がらみで天覧演奏もしているほどの実力者。しかも、響きが非常に、繊細で力強い。つまり、本当に輝いているようで、高貴でした。
 
 ちょっとマジで感動しちゃったなあ〜〜〜。
 彼は来週にかけて東京・豊島、群馬・館林、福島・若松、新潟・新発田と演奏会をするそうなので、
お近くの方は絶対行ってみてください。  

 通の方ならば、確実に、何かしらの驚きがあるはずです。

  サインもらっちゃった。
 
 そして懇親会で酔っぱげた2人。
 


6/3

 本日も札幌に演奏会を聴きに行ってきました。出張と合わせ、週に3回も日帰りはキツイ。

 珍しく吹奏楽です。というのも、バーンズが北海道にきまして!

 バーンズ・樋口孝博/陸上自衛隊北部方面音楽隊
 桑原和幸Alt Sax
 渡辺俊幸:祝典序曲「輝ける勇者たち」
 バーンズ:アルヴァマー序曲 アルトサクソフォンとバンドのための「アリオーソとプレスト」 ダンツァ・シンフォニカ 第5交響曲「フェニックス」
 
 祝典序曲と交響曲が樋口指揮、残りはバーンズ指揮です。
 
 祝典序曲は、まあいまどきの吹奏楽オリジナル。特別凄い曲でも無し。アルヴァマーがちょっと懐かしかったなあ。というか札幌市民会館自体が、10年以上ぶりでなまら懐かしかった。。。

 ミニコンチェルトは、ジャズっぽい前半と、超絶技巧の後半でメリハリがあって良かったです。

 北海道初演のダンツァ・シンフォニカは去年の新作ということですが、なんかイマイチなスパニッシュのリズム処理がなんとも逆に味を出していたかも。
  
 いちおう、5番シンフォニーを聴きに行きまして。大作だったなあ。しかも客席にバンダがいたとは知らなんだ。

 いや吹奏楽であそこまで書き上げるのはそれだけで凄いと思った。曲の内容的には、そりゃデメイの第1交響曲「指輪物語」の方が良いのだけれども、あっちは標題音楽だから。

 うーんちょっと心地よい疲れ。

 タダだから客もわんさかいたし、最後は地元高校生をごっそり集めてバーンズ指揮で「星条旗」やったけど、中間部でテンポが崩れて凄かった。(笑)

 「すわ、止まるか!!」 と思ったけど、バーンズ先生はさすがにうまくまとめてました。

 しかもバーンズの指示(まだ音をおさえて!)は、高校生、誰も見てなかったし。(^^;)

 参考 バーンズの交響曲。


5/28

 高関健/札幌交響楽団
 白井光子MezSop  福井敬Tn 
 ハイドン:第60交響曲
 マーラー:大地の歌

 先日、札響の定期演奏会に行きました。
 
 ハイドンの60番ってのも、マニアックですねー。ハイドンシンフォニー唯一の
6楽章制で、しかも最終楽章のプレストにはけっこう驚きの演出が。いきなり、曲の最中にチューニングが!(笑)

 ぴゅー〜ってAの音がして、みんなで合わせながら、それからまた曲に戻って。

 「こんな曲しらねー」 っていう感じで聴いてたけど、ちょっとしたサプライズでした。Σ(◎◎;)

 ハイドンってそういうシアターピースっぽいもの、好きですよね。

 さーて大地がメインなんですが、我輩は実演で初めて聴きました。

 初めて聴いて分かったことがある。

 
管弦楽、音デカッッッ!!!

 歌きこえないじゃん!!

 しかしそこで、「歌がぜんぜん聴こえなかったよ、あれじゃソリストが可哀相だよな」 などというのはトーシロよ!!(笑)

 我輩は考えた。

 他の部分で、オーケストレーションが薄い部分はちゃんとあるわけであるし、つまりこれは、聴こえない部分は、聴こえなくて正解なのではないか。だいたい4管編制の大音量にソリストが1人で対抗できるはずが無いですよ。1楽章冒頭とか、4楽章中間部とか。

 それが意味するところはひとつ。
 
 
これは断じて歌曲ではなく、交響曲なので、あると!!(テレンス・リー風)
 
 8番で完成された、歌唱と管弦楽の渾然一体となる様子。歌詞の意はあるが、完全に歌唱はオーケストラのひとつのパートとして扱われる。

 マーラーの意図は案外そういうところにあって、歌曲として聴きたい人は、ピアノ版や室内楽版を聴きなさいということなのかもしれない。

 伊達にピアノ版と同時作曲なわけではない!?
 
 もっとも、マーラーの未推敲なので、確信はしているがもちろん単なる推論です。

 こういうのCDじゃなかなか分からんのですよねー。マーラーはやはり実演にかぎる!
 
 演奏としては、札響初演ということらしいので、なんだかみんなガチガチのガタガタで、うーんって感じ。私が聴いたのは初日公演でしたが、2日めはまだもっとこなれたでしょう。きっと。

 札響十八番のチャイコフスキーやシベリウスのごとくスムースにゆかないのは、当然だったかもしれない。

 でも、良い曲だ、何回聴いてもいつ聴いても最高だ。また今度やってください。
 
 というわけで、なんでハイドンは60番なのか? 指揮者の趣味? それもあるかもしれないが、案外、6楽章つながりだったのかも………。

 だとしたら、かなりマニアックな企画ですね!


5/25

ムラヴィンスキー/レニングラードフィル モーツァルト:第33交響曲 ショスタコーヴィチ:第8交響曲 グリンカ:ルスランとリュドミラ序曲

 モスクワ音楽院のライヴだそうです。1961年。

 しかしムラヴィンスキのタコ8というのは、いったい何種類の録音があるのだろうか!?

 答え:7種類だそうです。すげー。

 しかも、我輩は地味にそのうちの6種類を持っていることになる。我ながら知らなかった。(笑)

 残りの1種類はDVDで、高いから買ってないです。(セット物なので。)
 
 ムラヴィンスキーのモーツァルトというのもまたマニアックなレパートリーなのだが、曲がマイナーで、ちょっとイマイチ。初めて聴くか、前に1度聴いてもぜんぜん覚えていないという程度。きっとモーツァルト聴きには新鮮な発見があったのでしょう。(ドイツ音楽ではむしろ有名なシューベルトやヴェーバーのほうが切れ味鋭い。)

 やはり白眉はショスタコーヴィチ。

 1961年はこの10日後ほどに、レニングラードの大ホールのライヴもあって、そっちもスゴイが、やはり脂の乗りきった時期だけに、なにより冷たく、鋭く、まさに日本刀のような輝き。

 5番もムラヴィンスキーは録音が多いが、人によっては冷たすぎる(厳しすぎる)と思うだろう。個人的には5番もムラヴィンスキーにかぎると思っているが、それも分かる。5番という曲の弑逆性・諧謔性を考えたとき、もう少しちがう表現があっても良いかもしれない。プロコフィエフにも同じことがいえると思う。
 
 だけれども、やはり同じくプロコの6番、そしてショスタコ8番は、解説にもある通り、ムラヴィンスキーにトドメを刺す。もう、これ以外は、たいていが生ぬるくて、聴けない。いやホント。
 1歩譲って、コンドラシンが、戦場の熱さ、銃身の火のような熱さという点で対抗している。8番の東西正横綱といった観があるだろう。
 
 モノラルなのですが、リアルな音質。妙に生々しいです。戦場の記録映像のような生々しさ。

 1楽章の切々とした弦楽のアンサンブルは、ムラヴィンスキー/レニフィルのみの、刃物的演奏。この表現は、他に聴けないと思う。70年代のカラヤン/BPOだったら、これに暴力性を加えたようなスゴイ演奏ができたと思うが、残念ながら録音を残さなかった。ショスタコ6番では、カラヤンは 「ムラヴィンスキーの完璧な演奏があるのに、録音なんかできるか」 と語ったというが、8番もそう思ったにちがいない。PO時代にレッグに進められても、断ったようだし。10番のみ、カラヤンは演奏した。

 ティンパニよりむしろスネアドラムの淡々とした音が、恐い。

 ガーッと盛り上がるのではなく、ヒタヒタと盛り上がってゆく。それも恐い。真の戦争の足音の恐ろしさよ。単純な軍靴の音なんか、知らぬ内に心の中から軍国主義に染まってゆく恐ろしさに比べたら、何程の物かあらん。

 恐怖が絶頂になった後の、荒涼としたイングリッシュホルンって、本当に良いですよね。大好き。もの悲しくって。人間の真実の慟哭ですよ。

 交響曲って人間ドラマなのだなあ、とつくづく思ってしまいます。人生とか、精神とか、生きざまとか、色々のね。
 
 2楽章の狂ったワルツもいつ聴いても最高ですね! 戦争ワルツ。戦争音楽でこんなに高貴で崇高な音楽は、他に無いと思うですよ。だから、凄いと思うんですけどねえ。他のナンバーのワルツも良いですが、個人的なテーマに基づいていたりして、やはり普遍性として8番にかなうものはないのではないかと思っています。

 3楽章からがまた白眉なのだな。続けて演奏されるし、長い第3楽章としてとらえている指揮者もいるでしょう。4番のように!

 もう、何回も云うけど、ぜったい逃げるドイツ軍と追う赤軍なのよ! しかも、最初は勇ましいがそのうち両方ともオモチャの軍隊のように俯瞰的に扱われて、戦争そのもののバカバカしさを嫌というほど暴露する! その凄さ!! ホゲー。なんでか、バスドラ異様に凄い。応援団の太鼓みたい(笑)

 金管は凶暴だし、特別でかくはないが、ティンパニも重重系の良い音だ!

 その後の、この世の無常を一身に表した様な荒涼とした世界。核戦争後のそれのような無機質な物ではなく、なんというか、中央アジアの平原に累々と横たわる死体と、それをおおう雪というか、なんともウェットな世界。男は殺され、女は犯される。血と泥水と涙しか残っていない。

 当時の戦場は、そのような物ですよね。
 
 5楽章はまた、一風変わっているというか。戦争が終わった喜びを表しているとしか思えないのだが、いわゆる5番のような、強制されたもの(?)というわけでもなく………それが証拠に、途中に1楽章の恐怖が再現され、戦いはまだ終わっていない事、そしてナチスよりもっと恐ろしい者が背後に控えていることを示している。本当のラストは、切々と泣き崩れながら終わる。

 8番は慟哭で始まり、こぼれる涙で終わる悲しみの交響曲なのだと思う。

 ☆以外にありません。こんな演奏、もし実演で聴いたら、どうなるんだろ。死にはしないだろうが、気絶する。

 魂のルフラン(懐かしい!)ならぬルスランは、例のチョー速演奏と比べるとややおとなしいが、あれが速すぎるので。(笑) それにしても、鬼のアンサンブルです。おかしいよ、ぜったい! そんな鬼気せまらなくても………。(笑)


5/24

 日曜、午後2時から放送された、北海道放送作成の、舘野泉さんの左手のための曲の番組、「奇跡のピアニスト」 見ましたでしょうか?

 コルンゴルトの珍しい曲も少し聴けたし、吉松隆の左手のためのピアノ曲、タピオラ幻想も初演されました。
 
 舘野泉さんは、伊福部昭のピアノと管弦楽のための協奏風交響曲の蘇演をして、札幌の演奏会でも元気に伊福部を弾いていたのに………脳溢血で倒れていたとは存じませんでした。しかも、右手が使えなくなっていたとは………。
 
 だけれども、そこに、世の中に「左手のための曲」がたくさんあるのがまた、運命的なねえ。右手のためってのは、これがまた聞かないんですよねえ。探せばあるのかもしれませんが。不思議なものですねえ。感慨深いなあ。音楽の神様って、たぶん本当にいるのでしょう。いや、いるにちがいない。そんなところに、地味に感動しちまった。

 しかしヴィトゲンシュタイン………委嘱しまくっているな(笑)

 しかも演奏が難しいから勝手に書き換えたり(ラヴェル)、結局演奏しなかったり(プロコフィエフ)とは、デキル!!

 クライアント根性丸出しで、素晴らしいですね。

 タピオラ幻想、CDで聴きてえ〜。実演ならなおのこと良し!舘野さん感動して涙ぐんでたよ。


5/15

 折しも、RARE MOTHやEn Larmesなどの海賊盤(非正規盤)が軒並み廃盤になるということで、つまりそれは、すべからく正規盤への移行の前触れか? などと考えて、嬉しいやら、財力の限界を超えているような………。
 
 テンシュテットも、さいきんはどんどん正規化しており、それはそれで新たなファンの会得に貢献して、かつ、昔からのファンには音質の向上という意味で、さらに恩恵を与える物なのだろう。
 
 Re! DISCOVER と同一音源であろうEn Larmes の、北ドイツ放送響によるブラームスの1番を聴いて、その濃厚な味付けと下味のあまりのシッカリした際立ちに戦きつつ、ブラームスってこんなに煽情的に濃くて大丈夫なの? と疑問を持ちつつも、ついつい聴きいってしまう。異盤より音質がやや向上しているような気がするので、★5つ。
 
 さて、BBCの自主製作正規盤に対抗してか、ロンドンフィルも同じような物を出してきた。目玉はやはりテンシュテットだろうか。

 しかも演目はワーグナー〜〜〜!

 テンシュテットは意外と曲を選ばないタイプの指揮者であるが、やはりその中でもドイツ・オーストリア音楽は得意な分野に入るのだろう。しかも、マーラーだけではなく、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナーも、たいへんに素晴らしい演奏をする。
 
 特に私は彼のワーグナーを非常に気に入っていて、スタジオ録音なのに珍しくEMIのベルリンフィルの物は、あらゆるワーグナーの管弦楽曲作品集の中でも、トップクラスに位置する物だと思う。多少、アンサンブルが荒い気もしないでも無いが………。演奏に求める凄さの質がちがうので、そういうのを嫌う人になんでこの良さが分からないの、などとトンチンカンなことはさすがに云いません。
 
 さて、ロンドンフィルから、なんとライヴ音源で、しかも、フツウの演目ではなく、オペラからの抜粋のご登場。

 ただし、私は海賊で、まったく同じ演目のものを有しているのだが、演奏年表記に違いがある。海賊は1992年であるが、今回の新譜は、1988年となっている。海賊の方が間ちがいなのか、それとも2回、本当に同じ演目でライヴをしたのかは分からないので、そのうち酔狂な評論家か熱心なファンが調べてくれるのを待つとしよう。個人的には、どうでもいいので。 (海賊が1992/8/20 正規が1988/5/8とけっこう細かい情報まで網羅されているので、同じプロを再演したということが正しいのかもしれない。)

 さて、リエンツィやマイスタージンガー、ヴァルキューレは単独で取り上げられる機会もあるだろうし、ジークフリートの死と葬送行進曲もメジャーなプロだろうが、珍しいのがタンホイザーからの序曲に続くフェルヌスベルクの音楽というもの。私はオペラはチョー苦手なので、全曲など滅多に聴かないから、どの場面のどのような音楽かは残念ながら知らない。
 
 音楽で英雄を描く手法に長けたヴァーグナー。その音楽は英雄にしか表現できないのかもしれない。どのような定義で英雄を定めるかにもよるが、いわゆる巨匠にしか巨匠の音楽は振れないのではないか。人を選ぶ音楽というのは、たしかに、存在するのだろう。
 
 マイスターは、いきなりはじめからこんな全開の演奏はまず無い。CMでも聴かれるように、冒頭の主題はけっこう穏やかな物だが、この力強さと激しさはなんだろう? 自信といっても良いかもしれない。次の主題の凛とした佇まいは? あとは自在にオペラの情景が序曲に凝縮されて現れるのを楽しむのみかと。特に管楽器の雄弁さは必聴。そして最後の熱狂!
 ちょっとこれは、あまりの凄さに嬉しくて笑ってしまった。さすがに音質もぜんぜん良いし、

 
 リエンツィは逆に、トランペットソロの可憐とさえ云いたくなる優しい響きは、クレンペラーの雄々しい物とは異なって良い雰囲気。

 その後の不安げなテーマとの落差も素晴らしく描けている。オペラをやったことのある指揮者の序曲って、やっぱり分かって演奏してるから、良いと思うのね。全曲を聴いたことのない人が云うのもなんなんですけど。文句無し。★5つ。こんな序曲を聴いて、かつ本編を鑑賞する必要があるのだろうか!? 

 ニーベルング第3夜より、高名なジークフリートの死と葬送行進曲。うーん。暗い。

 ヴァーグナーは長らくセル/クリーブランド管の青磁のように美しい演奏を愛聴してましたが、ヴァーグナーの汗くささや泥臭さ、愛憎入り交じるエロティックで英雄的な部分を充分に表現しているかといえば、否。それはヴァーグナーとしては異質な演奏だった。まあクレンペラーやカラヤンも立派で良いが、私はテンシュテットの炎のように熱い演奏が、個人的にピッタリ嗜好と合う。これ以外はもうちょっと手を出す気にならない。

 ジークフリートの死の、壮大で雄大な音の伸びだけでもうノックアウト! ★5つ。

 そして葬送行進曲。死人もとび起きるこの豪壮さ! 

 
 第2夜よりヴァルキューレの騎行はおそらくアンコールだったのではないでしょうか?

 ギラギラしたロンドンフィル独特の金管がテンシュテットの指揮で縦横無尽に駆け回る様子は、胸がスカッとする。シンバル、ティンパニを含む打楽器軍団もここぞとばかりに打ち鳴らし、こらたまらん!
 この音楽は人間を興奮させる科学的な要素があるということだが、たしかに、こんな演奏なら誰でも興奮するだろう。★5つ。
 
 タンホイザー序曲の、単純に音楽としての聴きどころは、まあ後半部の弦楽による素晴らしい高揚感かなー、などと感じているのだが、物憂げな冒頭といい、テンシュテットの弦楽の動かし方も、ただ者ではないのを感じさせてくれる。この序曲はヴァーグナーにしては、弦楽主体。

 次の曲は知らない曲なのだが、なかなかカスタネットのようなものも入って面白いし、後半の耽美な部分も、陶酔的で、良いのではないだろうか。両★5つ。

 今回のアルバムは非常に出来の良い物で、テンシュテットファン、ヴァーグナーファン、どちらも、ぜひ聴いて頂いてその素晴らしさを共有してもらいたいと強く感じる。

 ちなみに、試しにヴァルキューレだけでも海賊と聴き比べてみましたが、音質の差がありすぎてよく分かりませんでしたが、なんか、ブラボーの入りとか同じような気が………。(笑)


5/8

 森正/東京交響楽団 石井歓:バレー組曲「まりも」 
 
 石井真木の兄で重鎮作曲家の石井歓は、吹奏楽曲「大いなる秋田」しか聴いたことがなかったが、有名な復刻CDの「まりも」を入手して、聴く機会を得た。
 
 ドイツに留学し、かのオルフ教授に師事したという石井の音楽の特徴はなんといっても師ゆずりの骨太のリズムとメロディーだろうか。原始的というにはまだ抒情的であるが、狩の踊りや山刀の踊りなどの迫力はハチャトゥリアンも真っ青。そう、全体的に、バレーとしては、ハチャトゥリアンの香りがする。もっともあれに比べたら線は細いけども。補って余りある、詩情がとても良いです。特に同じ美しい特徴的な旋律を何度も楽器を変えて反覆する手法は、オルフ的なもので、とても耳に残ります。
 
 まだまだ音にならなくてはならない作品は多いですねえ。日本人作曲家地位向上の道は遠いなあ。
 
 石井に関しては、ぜひ交響曲「アイヌ」も復刻してほしいものです。
 
 コンドラシン/南西ドイツ放送響 マーラー:第6交響曲
 
 1981年のライヴだそうです。しかしいきなりラッパ奏者切腹ウウーッッ!!!

 弦がキリキリしてうまいだけに、ちょっと勿体ない。

 そしてテンポが速い。飛ばしています。

 演奏自体はとても迫力があって悪くないし、鬼気せまっていてとてもコンドラシンらしいのだけれども、なにせ速すぎ! 1楽章から4楽章まで、ぜんぶ速いです。その分アンサンブルもどうしても荒い。金管は汚いし。うーむ、評価が難しい。

 ちなみに急逝の2カ月前の演奏ということです。

 好きなタイプだが、★は冷静になって4つとしておきたい。

 だけど、帯に書いてあるのとはちがい、別にショスタコーヴィチらしい演奏とは思わなかったです。

 ティルソン=トーマス/ロンドン交響楽団 マーラー:第7交響曲

 MTTのマーラーは独特で、やたらとスコアの微細な設定や構成にこだわりをもつ。アカデミックというほど無味乾燥ではなく、そこにはたしかにマーラーに対する愛情や共感があるが、それが音楽そのものというより、そのマーラー独特の構造の方に注がれているような気がして、ようするに超マニアック演奏。

 そんな手法が、構造そのものの薄い初期の1番・2番や、構造は複雑ながらも大伽藍的なストーリー性のある6番に向いているかといえば、正直疑問。

 そんなわけで、そのようなマニアックに構造を解きあかす手法がもっとも向いているのが、マーラーの中でもっともマニアックな構造を持つ7番であると推察する。
 
 7番の演奏表現方法も、大きく分けるとそのような構造解析タイプと、6番や5番のような大きく塊として音楽をとらえるやり方と、両方あって、7番は前者の方が面白い場合が多い。後者で成功するには、コンドラシンやテンシュテットクラスの実力が必要。その両方の特徴をとらえた折衷タイプも、たまにみられる。テンポ云々は抜きにして、クレンペラーや朝比奈が折衷タイプかなあ。よく分からんけど。(ベルティーニもか?)
 
 しかし5楽章など、スコアを追いながら聴いていても、ついて行くのがやっと! 4拍子2拍子3拍子入り乱れ、目玉が飛び出るほどに難しい。

 それなのに出てくる音楽たるや、ひどい人はチンドン屋扱いするほどにデーハーであり、マーラー最大のパロディーにして極悪管弦楽法の極みというか、それだからこそわれわれマーレリアーナーは大喜びするわけね。

 MTTはこういう解釈的な演奏法が得意で、マーラーの7番はそういう指揮で最大の魅力を発揮するわけだから、これがまたヒットしない筈が無し。

 1楽章は深淵であり、2、4楽章はしっとりと濡れている。3楽章は颯爽と踊り、5楽章は仮面カーニバル。最後の盛り上がりも充分。全てが、マーラーのスコア通りながらも、音符を活き活きと活躍させるリズム処理も見事。

 ただしBMGには珍しく、EMIのようなやや甘い音質。★5つ。マーラーベスト変更です。


5/1

 湯浅/ニュージーランド交響楽団
 黛敏郎:シンフォニックムード バレー音楽「舞楽」 曼陀羅交響曲 ルンバラプソディ
 
 もう深井の発売だというのに、ようやく聴きましたですよ。
 
 黛は集めてみて分かるが、その作品数の割にまるでCDの少ない作家で、同時代の芥川の、反核音楽運動や労音運動にみられるように、リベラルな楽壇において明確な民族主義・国家主義的な傾向を示した天才へのささやかな抵抗のように思えてならない。残念なことであって、今後、改まっていってほしいと切に願う。。

 今回はさすがナクソス、録音の少ないマイナーの2曲に加え、若いときの秘曲をもってきた。

 1950年、21歳の黛がこれほどまでに完成度の高い作品を書いたという証拠のシンフォニックムード。1楽章はややラヴェルっぽいところもあるが、ラテン音楽の影響もあって、なかなか面白い。最後はかなりのカオスで、迫力充分。

 2楽章も強烈なリズムが炸裂してなかなか。ハルサイのエコーがちょっと大きい。

 意外や、3人の会で盟友だった芥川の、後期の響きも聴こえる。
 
 さて、涅槃や曼陀羅の両交響曲で仏教的なものへの憧憬を音楽にした黛だったが、神道・雅楽にも同じで、その結晶のひとつがバレー音楽「舞楽」だ。録音は、岩城に次いで2種類めだと思います。復刻なってないレコードもあるので、多分ですけど。

 弦楽で笙の音色や鞨鼓の打音をそのまま模してしまうあたり、さすが。

 中間部の木質打楽器とピアノのからみも楽しいし、その管弦楽の厚さときたら、すごい。

 2部のリズム的には、むしろ韓国などの原初の濃さが残るか。(というかハルサイなのねー。)

 この曲、大好き。循環形式も複雑の中に平易明快を求め、分かりやすくて、良いですね。

 しかし、これで踊れってか………。
 
 マンダラ交響曲は、ヤマカズ、岩城、未聴だが本人指揮があるはずなので、4種類めかと思われます。

 しかしこの曲は、私には少々難しい………。現代曲の典型のような趣です。

 打楽器好きにはたまらないけど。タン・ドゥンみたいな響きもある。
 
 ルンバ・ラプソディは学生時代の作品で、いま聴くとたしかに荒いが、いまの芸大生、書けるか〜〜? さすがです。先生。

 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー管弦楽団 マーラー:第7交響曲

 解説にもあるが、マーラーブームとはいえ、まだ日本で7番なんか数回しか演奏されていない時代、1981年の記録。いまでこそだいぶんマーラーファンには評価されてきているが、マーラーファンでない人にはいまだに珍曲・奇曲の7番。当時とすれば、何をか況んや。
 
 しかし、いま聴いても、なかなか昨今みられないアプローチで、荒いとか重いとか、もたついているとか批判はいくらでもできるだろうが、その気迫と熱気を買いたい。

 私が思うに、9番は別格として、器楽作品で最高傑作の7番。その対位法、旋律法、管弦楽法、リズム、パロディー、全てがマーラーの究極の到達点を示している。
 だから、たしかに、難しい。

 朝比奈の7番ははまずリズムが重厚的に硬い。
クレンペラーに近い手法か。だからけっこう遅い部類に入る。

 重いけど、しかし、最近では先般亡くなったベルティーニ/都響の死んだようなリズムに比べたら、ぜんぜんマシで、活き活きとしているように思える。(ベルティーニの7番は、都響を聴いては残念ながら真価は分かりません。)

 独特のリズムが生きてこそ、対位法も生きる。

 7番を1枚もののテンポで颯爽とやってもカッコいいが、こういう鈍重ながらも悠々たる表現でやっても、それはそれで大曲の面目躍如で、面白い。

 1楽章のテナーホルンは何かの使者のように雄弁に鳴り、主題の描き分けもしっかりしている。この時代の朝比奈は絶好調か。金管上手です。打楽器はティンパニやタンバリンがいいなあ。トロンボーンも味のある、昨今聴けないような、バーンスタインの指揮みたいな演出だ〜。
 
 2楽章も、たっぷりと時間をかけて、幽幻ながらも、ここでも対位法の妙や、絶妙の進行による旋律の楽しさ、ガイコツのパロディー、一貫したリズムの面白さをじっくりと楽しめる。しかしマーラー先生はトライアングルが本当に大好きなのねん。
 
 さて、3楽章はだいたい10分前後の音楽だが、朝比奈は9分代で、つまりここだけふつうのテンポということになる。音楽と時間はとても大事で、音楽とは音が時間を切り取って、彫刻して行く現象に他ならない。だから、演奏時間が何分何分と云うのは、意味が無いように見えて、実は表現方法と密接に関係して来ると思っている。

 ここから分かることは、朝比奈の表現は、この7番のリズムを引き延ばすことでその複雑な構造をひもとこうという意図。まるでクレンペラーと同じ手法。

 ただし3楽章のみは、ゆっくりやると、演奏も難しいし、表現力も下がってしまうと判断したのか。だから意外と軽くて、シンメトリーの中間楽章として、全体の引き締め効果がバツグン。ううむ、さすがだ。

 勢いが大事ということか。ステキなワルツだよなあ。5番の3楽章よりぜんぜん好きですよ。
 
 では4楽章は。

 ここも、ちょっとゆっくりめといったふうで、軽い感じがして、1・2楽章とコントラストが面白い。

 同じナハトムジークでも、2楽章とは明確にちがう音楽ということですね。

 この楽章もステキですよね。一服の清涼剤というか、7番でいちばんフツーな音楽かも。

 知らない曲を飽きさせないって大事ですよね。

 ここの有名なマンドリンって、大地の歌を思い起こさせるんだよなあ〜。

 最後が、大問題の5楽章。いろいろ、いまでも解釈が分かれている。

 パロディーかもしれないし(今のところ、それ以外には考えられないけど。)、何か意味があるのかもしれない。5番から直結する、6番の真のフィナーレという説を読んだことがあったなあ。意味分からないけど。

 このロンドはテンポも拍子も音響も構成も、かなり複雑ですよ。正直、聴きとれない部分もある。ロンドって苦手。

 複雑なのに、聴こえは平易という、やはりパロディーなのでしょう。

 我輩としては、ティンパニが妙に活躍するので、分からないまでも好きです。(笑)

 朝比奈はテンポはちょっとゆっくりめか。20分もあるなんて。でも、モタモタはしていないと思うが、どうかな。主題の描き分けも完璧だし。ううむ、やっぱりすごい。

 朝比奈隆、すごいじゃないか! ブルックナーなんかよりぜんぜんいいですよ!!
 
 全体的には、間のびしたリズムに辟易するような人には向いていない演奏でしょう。

 でもわしは好きなので★5つ! 朝比奈のマーラーは旧録の方が断然良い!

 クレンペラーもいるし、いまのところベストは変わりません。インバルと変えてもいいけど。まあ、MTTも買ってあるし。


4/29

 先般、4/23に、先年より恒例の札響ブラスバンドへ行って参りました。もちろん、北海道もブラス(吹奏楽)は盛ん。若いファンをつかもうと、去年はじめて行われた催しですが、中身も濃く、なによりプロの演奏で吹奏楽曲を聴けるのは北海道でこの演奏会だけ、さらに、吹奏楽の編曲で高名な曲を原曲で聴けて、吹奏楽ファンをオーケストラファンにもしてしまうという好企画。去年の模様はこちら。http://www.geocities.jp/kuki_kei/zakki3.htm(5/2の分)

 金聖響/札響シンフォニックブラス及び札幌交響楽団 

第1部 札響スペシャルブラス
 スウェアリンジェン ロマネスク
 松尾義雄 パスク・ロマーナ(2005年度吹奏楽コンクール課題曲1)
 南 俊明 マーチ「春風」(2005年度吹奏楽コンクール課題曲2) 
 間宮芳生 マーチ「カタロニアの栄光」
 チェザリーニ メキシコの風景

第2部 札響−オーケストラの響き
 ラヴェル 「ダフニスとクロエ」第2組曲
 ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」
 ヴェルディ 歌劇「アイーダ」から凱旋行進曲
 
 1部はスウェアリンジェンという往年のメジャー作曲家よりスタート。ちょっと知らない曲だったですが、きれいな響きでつかみはオーケーですね。さて恒例の課題曲。今年の2曲は去年に比べるとちょっとイマイチな曲。松尾のパスク・ロマーナはそれでも、まずまずローマの栄光を思わせる原風景を伝えたような曲で面白かったですが、南のマーチはいわゆる一般応募曲で、札幌の高校の先生が採用されたということで演奏されたようですが、うーん、イマイチ。
 
 やはり同じ課題曲でも、間宮のものは出来がちがうと思った。個人的にすごいこの曲が好きなのもあるけれど………。それでも、難しい曲なのか、アンサンブルがかなり荒かったように聴こえた。前の2曲の課題曲はけっこうきれいだったのだが。
 
 チェザリーニも、初耳の曲だった。金が、演奏前のしゃべりで、聴こえは簡易・平明だが、いざ演奏するとかなり難しく、練習もこれにいちばん時間がとられたと云っていたが、たしかに! 聴いている分には、メキシコの民謡やリズムを取り入れたふつうの現代曲だが、特にリズムの処理がポリリズムに変拍子の嵐で、こりゃすごいと思った。

 しかしその分、曲自体は、これもうーん、イマイチだった。(笑)
 
 2部はオーケストラ曲の祭典ということで、いきなりダフクロでございます。これは何回も札響でも取り上げているだろうし、安心して聴けた。金の指揮は、ダイナミックで硬質なタイプに聴こえて、いわゆる印象派的な響きよりかはむしろ、彫刻的(構成的)なラヴェルの特徴を盛り上げていたような気がしました。
 
 ローマの謝肉祭は、私はハンガリー行進曲と勘違いしていて、しばし???とアタマについていました(笑)

 ベルリオーズらしい大胆さとベートーヴェンと同時代の古典さがミスマッチしているようで調和しているのが魅力の曲で、札響も好演でした。

 さて恒例の地元高校生のブラス隊によるバンダの加わったアイーダは、高校生が地元の名門校ばかりなもので、パワーがものすごい。

 久しぶりにのけぞってしまった。
 
 今後は、ぜひ1812年や、オケ版のベルキスなんかを聴いてみたいですね。あとキージェ中尉や、ハーリ・ヤーノシュもありだな。またオケ版の指輪物語も魅力的です。


4/23

 ブロムシュテット/スウェーデン放送響/ヘンデルVn ペッテション:第2ヴァイオリン協奏曲
 ヘムベルク/ストックホルム混声合唱団/ダルシュトレームSop  ペッテション:裸足の歌(ソプラノと6声合唱バージョン)
        
 ペッテションは初期に弦楽合奏のための多楽章制の協奏曲を書いていたが、やがて交響曲書きとなり、しかもその交響曲は長大な単一楽章のものとなった。その暗さ、深刻度、密度の濃さ、冷たい激情性と叙情性では他に類を見ず、その独創性と楽想においても古今無双の作曲家の1人であると確信している。
 
 さてそのような暗黒交響曲のさなかにも、数少ないが協奏曲が書かれている。また交響曲第16番は、ほとんどサクソフォン協奏曲といって良い。私が聴いたことのある協奏曲の中では、ヴィオラ協奏曲と、そして今回、第2ヴァイオリン協奏曲だ。
 
 ブロムシュテットというメジャー指揮者の手によるものもけっこう驚くことながら、その楽想としては、やはり長大な単一楽章のものであり、約1時間(56分)ヴァイオリンが切々と哀歌を歌い、管弦楽がひたひた、じわじわとサポートする。しかし交響曲より、管弦楽は表現が抑えられている。打楽器の音量も、フォルテが少ないようだ。指揮者の指示なのかもしれないが。
 
 不協和音や鋭いアタックのバックに乗って、抒情的だが、かなりシャープで金属臭の漂う、刃物のようなソロヴァイオリンが延々と旋律を奏で続ける様は圧巻のひと言だろう。曲想としては、アンダンテだと思われる。中庸なテンポはややアレグロ等に変化するが、一貫して、独白を続ける。が、彼の交響曲群に比べると、やや柔らかな物腰が感じられる。CDの表紙にも、北の地の遅い春の様子が描かれているが、まさに、ここにあるのは北国の人にしか分からない雪解けの喜びだ。
 
 裸足の歌はたしかだが初期の作品で、暗黒性よりも叙情性が際立つ、たいへん美しい旋律とメロディの作品。いわゆる、透明、抒情、叙事、などなどの、北欧音楽の特徴がよく出ていると思いました。

 福田滋/リベラウィンドシンフォニー
 伊福部昭/福田滋編:SF交響ファンタジー第1番
 レスピーギ/福田滋編:交響詩「ローマの噴水」
 団伊玖磨/福田滋編:キスカ・マーチ(映画「太平洋奇跡の作戦キスカ」より)
 黛敏郎:行進曲「黎明」(防衛大学校のために)
 加古隆/斉藤淳編:パリは燃えているか(Nスペ「映像の世紀」テーマ)
 他
  
 珍しく編曲ものの吹奏楽曲のアルバムを買った。もちろん、邦人の珍しい楽曲目当て。まあーねえ〜〜編曲ものも悪くはないけれどね………。原曲に一歩劣るのは否めないよね、というお話。

 SF交響ファンタジーは元来管楽器バリバリなので、たいして違いは無いのだが、やはり低弦バリバリの部分をいくらバリトンサックスやバスクラリネットでバリバリ夕張と吹いても、おのずと限界があるよというのを再認識。しかも、伊福部マーチは管楽器と対になって高弦がすっ飛んで行くようにテーマを奏でるので、そこもいくらクラリネットで吹いても、苦しいよというのも再確認。でもこの編曲は原調で気合が入っていた。演奏も上手で、すごいすごい。
 
 レスピーギのローマ3部作も編曲ものでは定番中の定番であるが、気のせいか意外と噴水の録音が多いような………。噴水っていちばん弦楽器が活躍するから、編曲ものとしては、やりがいがあるのでしょうか? 

 だがレスピーギともなると、残念ながら弦楽器のキラメキが無いと苦しい………。

 響きが単調だ。

 演奏はうまい。

 このリベラ・ウィンドシンフォニーはアマチュアのようであるが、概してどの曲も、演奏はたいへん上手だ。

 団の秘曲キスカマーチ。映画は、見たことは無いが、おそらく霧中に奇跡の脱出に成功したキスカ島の日本軍を描いているのだろう。脱出かなわなかったアッツ島は、3培の兵力の米軍に上陸されて全滅した。

 戦争の空しさここに極まれりだろう。

 さてマーチの方は、うって変わって団らしい明るいもの。格調高くノーブルな雰囲気にあふれ、悠揚たるテンポとメロディーが嬉しい。

 団はいわゆるクラシックの大家としては、異様にマーチ(吹奏楽)を書いていて、ファンとしてはたいへん嬉しい。
 
 黛の行進曲「黎明」は、私は2曲めの録音であるが、しかし、いつ聴いてもすげー曲だ。この計算され尽くした、盛り上がり方は最高。テーマも超カッコエエ。テンポも上がるが、リズムも倍になるように設計され、躍動感と合わせて、高揚感がもの凄まじい。

 防大が感動して儀仗用サーベルを贈ったのもうなずける。

 愛国無罪!!(オイ。)
 
 さらにマニアックなのが、映像の世紀のテーマ曲!!

 これがねえ〜〜泣ける!!

 観てましたか!? NHKスペシャル!!

 よくぞ編曲してくれました!!

 これは、あまり違和感も無いし、最高だね。

 重厚なナレーションと、白黒の映像と、特に戦争シーンの数々、目に浮かぶ。


4/17

 芸術劇場で、ホルスト:惑星とマーラー:第4交響曲を観ました。

 ホルストはノセダ/BBCフィルハーモニック。なかなかうまい。特に金管が好きな音だった。やはりド名曲とはいえ、実演でこれくらいうまいと感動するのだろうなあ。札響でうんとむかしに聴いた記憶があるけど。秋山さんか誰かの指揮で。
 
 マーラーはチョン/東京フィル。森麻季Sop。

 しかし東京にはいったいいくつコンサートホールがあるのだろうか。

 我輩は見た!!

 冒頭のスズを、チャリチャリ鳴らさずに、スッと持ち上げて瞬時に叩く方法を!

 ああやるのかあ〜〜。プロの技だ。(なんのことはない、タオルの上に寝かせて置いておき、指揮棒に合わせ軽く持ち上げた瞬間、水平のまま叩く。)

 しかし、日本のオケは、どこもかしこも淡白なマーラーをやる………。(特に管弦楽の薄い部分。)

 お茶漬けサラサラの国だから?

 日本文化にも濃いものはあると思われますが。

 4番は面白い曲ですよね〜。

 楽しげでライトな複雑を聴く矛盾の1楽章。矛盾の外観で実はこっちが楽しい2楽章。最大ヴォリュームで疑似フィナーレを形作る3楽章。そしてフィナーレなのにフィナーレではない最悪パロディの4楽章。精神的に、7番に直結しているもので、マーラーの交響曲群の循環性をよく示していると思います。

 チョン ミュンフンって、好きな指揮者だけど、熱血なのに出てくる音楽は意外とクールという不思議な音楽を作る。

 東フィルも、だいぶん音符の根っこを掘り返せるようになってきましたな!

 都響より上手だと思った。

 都会の人はしょっちゅう定期とかでマーラーが聴けていいなあ。

 というか、森さんのドレスが………。唖然。


4/16

 テンシュテットの作品集。
 テンシュテット/北ドイツ放送響 
 グルック:アウリスのイフィゲニア序曲 ペンデレツキ「失楽園」より「アダージョ」 マーラー:「亡き子をしのぶ歌」 シェーンベルク:5つの小品 ショパン:ピアノ協奏曲第2番 R.シュトラウス:オーボエ協奏曲
 
 全てライヴ録音で、他種盤により既出のものもあるが、En Lammes盤は正規に負けないぐらい音質が良いです。

  初出はグルック、マーラー、シュトラウスだと思います。特に良かったのは、やはりそのグルック、マーラー、シュトラウスだった。ショパンも良いけど。

 テンシュテットはドイツ・ロマン派大得意で、専門というイメージもあると思いますが、意外や、レパートリーが広い。

 マーラー、ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナー、シュトラウス、モーツァルトというドイツ・オーストリアものの他にも、ロシア音楽や現代ものなどもよくやる。

 しかし中心はやはりドイツ・オーストリアものになるでしょうか。

 中で、驚いたのは、冷え冷えとしたマーラーの歌曲集。北ドイツ放送響時代のマーラーは、高名な1番、2番の、灼熱に燃えまくって、暴れまくっているという印象があるですが、この亡き子をしのぶ歌は、曲自体がそういう切り詰められた表現にあるものですが、非常に抑制されつつ、内部より破裂せんばかりの悲しみというか、感情の昂りをギリギリで抑えているような表現がたいへん良かったです。

 逆にグルックは、相変わらず序曲というより交響詩か何かといった感じで(笑)、分厚い音で、すげえ盛り上がり。

 最後に意外なのがシュトラウスのオーボエ協奏曲。

 こら、マイナーな曲ですよ。シュトラウス最晩年の、新古典主義調の音楽で、オペラでいうとバラの騎士みたいなものでしょうか。交響詩のような音の大パノラマも無く、サロメやエレクトラのような前衛性も無い。最初期のホルン協奏曲1番に帰ったような、回帰趣味です。

 またこういうのもテンシュテットは上手いから不思議。

 もともと協奏曲の伴奏も上手な指揮者で、アルゲリッチやケネディ、チョンキョンファなど、超1流がソリストとして演奏したがったというから、推して知るべし。

 しかしそれらベートーヴェンのVn協奏曲や、ショパンやリストのPf協奏曲、彼としては珍しいナンバーのベルクやシベリウスのVn協奏曲も、協奏曲仲間としては、メジャーな方だと思うが、シュトラウスのオーボエ協奏曲は、そりゃ知ってる人は知ってますが、なかなかメジャー指揮者で新譜も無いような。むしろオーボエ奏者の人のレパートリーのような気もします。また、管楽器の協奏曲って、大抵がそういうもののような気もします。

 華麗なオーボエの音色、それを支える管弦楽の古典的形式の中に潜むシュトラウスの現代の影。それらがただ美音を流しがちの晩年の音楽に、なかなか深みを与えている。と思う。

 テンシュテットはいま、東芝EMIの決定盤1300とかいう廉価版シリーズで、バンバン本当に名盤が復刻されてますので、買いのがしていた方は、この機会にぜひ、ベートーヴェンやワーグナーも聴いてみてほしいと思います。正規のライヴ盤もね。テンシュテットはライヴ命ですから。正規初出のロンドンフィルのワーグナーが楽しみです。ウヒヒ。

 さて、もう一つ、これは新譜で、飯守範親/ヴュルテンベルクフィルハーモニー管弦楽団(どこだ? それ。)によるレスピーギとリムスキー=コルサコフ。GENUINレーベル。

 なな、なーんと、「シバの女王ベルキス」組曲と、シェヘラザード。

 ベルキスは我輩が高校生・大学生に吹奏楽コンクールで流行りましてなあ!!

 レスピーギの隠れた名曲で、すごい好きですよ。吹奏楽出身者では知らない人はあまりいないように思いますが、オーケストラ原曲版というのはCDも少なく、唯一がサイモン/フィルハーモニア管のChandosのものでした。吹奏楽版は、コンクール演奏集も含めて、腐るほどありますが。やはり、音色(おんしょく)という点で、オーケストラ版に太刀打ちできないです。残念ながら。 

 ドイツのオケだからか、けっこうマジメな演奏で、フルートやクラリネットのソロも、技術的に上手いけど情感が余り無く、最初はちょっと拍子抜け。

 サイモン盤と比べると、飯守盤は、かなり構成的に鳴らし、キチキチッと、バレー組曲というよりも、管弦楽組曲です。逆にサイモンはエンタメ度満天で、下世話。エキゾチック度では、サイモンが上だが、演奏は飯守が上手なような。

 というかコンクールの演奏みたいだ(笑)

 録音も硬いような気がします。オーケストラの人数的にも、少ないようです。4楽章に、おそらく、80分にも及ぶというバレー原曲に習って、テノールの独唱入り。(サイモン盤はトランペットソロ)
 
 だから、シェヘラザードも、推して知るべし。といいつつ、いきなり音がふくよかに(笑) でも、こういうシンフォニックな演奏も、もちろん悪くないです。

 ベルキスの新譜は、大植/ミネソタ管にもあるようで、そっちも注文してしまいました。新譜の両方が日本人指揮者というのが、この曲の日本でのメジャー度を表しているようで、面白い。


4/14

 ジークハルト/アーネムフィルハーモニー管弦楽団 マーラー:第6交響曲
 クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団 ブルックナー:第6交響曲 テ・デウム 
 
 6番聴き比べ。
 
 マーラーの6番はいまやすっかり市民権を得たような気もしますが、ブルックナーの6番って、まだまだ通好みのような。
 
 EXTON レーベルのマーラーは、個人的には、いわゆる音が良い(録音が良い。)のだが、どうにも集中力が続かないタイプの典型的な演奏でした。美音に囚われがちというか。テンポがとてもゆっくりで、アンダンテも18分ですっかりアダージョと化しているのだが、とても丁寧に演奏しており、汚くはない。だからこういうきれいな演奏を好む人には、うってつけかもしれない。私はどうも苦手。せっかくの第6が軽いし、なによりヌルくて………。ショスタコの第8もそうなんですが、ぬるい第6は聴く時間が MOTTAINAI!

 ときどき、出が合ってないパートもあるような気がするし。
 
 しかしSACDは専用の再生装置で聴かないとただのCDだよなあ、などとあたり前のことをしみじみと思った。ついつい、アバドの6番の新譜もSACDで注文してしまったし………。
 
 それにしても、マルティン ジークハルト? アーネムフィル?? 誰さまの指揮したどこ様のオケじゃ???
 
 ジークハルトはウィーン生まれの中堅で、アーネムフィルは知る人ぞ知るオランダの名門オケだそうです。コンセルトヘボウと同じくらい歴史があるとか。

 しかし、いまひとつ、この演奏では、カラを抜け出せないでいる。つまりハジけていない。まあ、無理にハジける必要もないしハジけりゃ良いというわけではもちろんないのですが。

 特に良かったのは3楽章。表情もよく、よく鳴っていましたし、対旋律もかっこよかったです。打楽器では、3楽章のカウベルが、これまで聴いた中でもっとも澄んだ天上の音で良かった。本当は逆で、天上へ行く寸前で、下界から鳴る最後に聴く世俗の音なんですが………。上手には変わりないので★4つ。

 さてブルックナー。こちらの第6は、私は滅多に聴かないです。CDも、クレンペラーのスタジオ録音のやつと、ティントナーのやつだけだったような。もう覚えてませんが。いちおう2種類あるということは、何種類か買って勉強したは良いが、諦めたということです。
 
 これも、先日のマーラー第2と同じくテスタメントの新譜です。
 
 先日のテンシュテットの第3もそうだったけれども、ふだん聴かない曲ではあるが、聴き慣れたならば、良い曲ははやはり良いのだろう。
 
 しかし6番は何回聴いても個性的というか、調性といいリズムといい、独特なテーマが鳴る音楽で、1楽章はけっこうカッコいい。個人的に7番より、好きだと思う。ブルックナーでは、4番、5番、9番が中では好きな方だが、3番、8番と共にそれらに次ぐ部類だろう。7番は本当に苦手です。

 ただやっぱり4楽章はよく分からなかった。
 
 さてクレンペラーだが、テンシュテットもそうかもしれないが、地味に、クレンペラーも、マーラーよりもむしろブルックナーのほうが、得意というか、好きな音楽なのではないかと思う。なにより録音が、ナンバーとしてクレンペラーはマーラーよりもブルックナーほうが多い。この録音も、当時としてはまるでマイナーだったブルックナー、しかも6番を、機会のある毎に聴衆やなにより楽団員へ紹介することへ労を惜しまなかったクレンペラーの賜物だということである。
 
 テ・デウムは、正直、はじめて聴きました。未完成の第9の次に演奏してくれるよう、ブルックナーの遺言があるそうですが、それはイマイチな遺言ですね。
 
 しかしブルックナーの合唱、すごい良いじゃないの(笑)

 こんなかっこいい曲だったんだなあ。でも、9番の3楽章のあとには、調性、編制、曲調、確かに演奏できないですよね。6番★4つ。テ・デウム★5つ。


4/10

 先日、どこぞの芸大生を名乗る人より、いきなりこのようなお便りをいただきまして。

 「あなたの耳は相当安っぽいですね。曲の表面だけを聴いている素人の感想そのものですね。まー素人さんはそれで良いのでしょうけどね。」

 素人さん(笑) 

 ドキュンの襲来か、荒らしかと思いまして、びっくりしてそれ相応に対応しまたしら、なんと、これが「感想はこちらに」の「感想」だと云うので………驚き桃の木サンショノキ、ゴボーにドロボーバッテンボー! ……ただ単に2ちゃんのやり過ぎだ ( ̄◇ ̄;

 しかも身も蓋もないし。。。
 
 数少ないクラシック産業の顧客などというものは、大部分が耳だけで楽しんでいる素人だと思いますが………。

 というか、音楽ってそもそもそういうものなような。お客がみんなプロの評論家って、どんな業界? クラシックは音楽じゃないのだろうか?

 きっと、将来、この業界で食べて行く気が無いのだな。
 
 私は素人の感想というか、まあ、趣味の世界ですので、余計なお世話の普及活動という信条です。

 そのようなわけで、だいぶん毒断と変見にかたよっている、紙の様に薄いCD雑記は続くのです。

 マッケラス/BBCフィル マーラー:第6交響曲(2002ライヴ)

 BBCフィルマガジンの付録CDをコピーで入手しました。だからCDとしては非売品です。

 サー・マッケラスもだいぶん御大の歳になってきている筈ですが、この若々しさというか、瑞々しさは驚いた。さいしょ、目隠しで聴いたので、てっきり若い新進気鋭の指揮者かと思ったら、嬉しい誤算です。1枚物でテンポも速いし、躍動感がある。アンダンテが2楽章。

 この、アンダンテが2楽章って、昨今、また見直されてきているのでしょうか。古くは、バルビローリが60年代にすでにBPOでやっておりますが、最近ではアバドやヤンソンスのライヴ録音がそのように。調性の問題や、内容的な問題で、作曲者本人が迷っているほどだから、たぶん、どちらでも良いのだと思いますが、個人的には、2楽章スケルツォの方が、まだしっくりきます。聴き慣れてくると、変わってくるのかもしれませんが。1楽章の興奮が、アンダンテで納まるには、個人的には早すぎる。まだまだ、スケルツォで暴れてほしい。それから、アンダンテで人心地つく。かつての主流だったアダージョのような演奏で、さらに疲れるのも良いかもしれませんが、アンダンテも良くなってきました。

 マーラーは禁止していますが、1楽章とスケルツォは、もうアタッカで行ってほしいほどなのです。

 ハンマーは3回。しかも、3回めが大きい(笑) ★5つ。
 
 クレンペラー/フィルハーモニア管 モーツァルト:第29交響曲 マーラー:第2交響曲(1963ライヴ) テスタメントの新譜。

 モーツァルトとマーラーは、前にラッキーボールという海賊から出ていたもので、正規盤初出。 

 ちょこっと聴き比べましたが、音質が段違いに良い。あたりまえかもしれませんが。 

 海賊の方はすんごい遠くからかすかに鳴り響いてきておりましたが、今回は目の前で燦然と鳴り響いています。

 海賊が、開演時間に間に合わなくて、ドアの前でモヤモヤした音をモヤモヤして聴いているとすると、正規はバッチリお席で聴くほどです。

 いやー、世の中の海賊盤はみな正規盤になれ〜。(ウソ。買いきれません。)
 
 モーツァルトはふだんよく聴かない作曲家ですが、さすがに好きな指揮者だと、良い音楽に聴こえるから不思議。もともとが素晴らしい音楽ですからね。好き嫌いを超えてしまうというのは本当なんですね。という云い方はちょっとちがっていて、好きな指揮者だから良く聴こえるというだけで、けっきょくは好き嫌いになってしまうのですね。

 いまでは聴くことのできぬ、たゆまぬテンポ感と、隅々まで鳴らす方法、旋律の濃厚な際立たせ方、等、どれも良かったです。★5つ。
 
 マーラーの2番は、クレンペラーは8種類あって、すわ9種類めか、と思ったら、海賊で出ているものでした。早合点。

 しかし音質が格段に良いから、9種類めといっても良いほど。

 クレンペラーの2番の特徴は、鋭く激しい、特に1楽章など、剣をふるっている様な表現から、同じような年代の録音なのに、いわゆるクレンペラー節というか、堂々たる、泰然たる、目の前にそびえるような大きな演奏と、体調、気分など、その日によってけっこう演奏の仕方が変わるということだろうか。

 大きく分けて 激しい   L1950シドニー響 1951ヴィーン響 L1951コンセルトヘボウ L1963ヴィーンフィル L1965バイエルン放送響
          泰然自若 1962フィルハーモニア管 L1963フィルハーモニア管 L1971ニューフィルハーモニア管

 あくまで、おおまかな基準です。念のため。

 妙なこだわりでは、1楽章の「区切り」が、あるやつと無いやつがあって、それも一貫していません。

 今回の1963年ライヴの、フィルハーモニア管では、全体的に突出した表現は無く、中庸といえばそれまでですが、特に2・4楽章などの豊かな歌い方は絶品。1・3楽章も、中間部がなめらかな感触で良かったです。もちろんフォルテの部分も、5楽章冒頭など、充分に激しいのですが。その後の静かになった箇所で、朗々と鳴る金管のテーマも、かっこいい。そしてクレンペラーの2番の醍醐味が、どこまでも上り詰める最後の大伽藍。うーん、ブラボー。
 
 どちらかというとマーラーの1・2番は鳴り物交響曲といえるので、やはりここまで堂々と鳴らしてくれますと、単純に嬉しいですよね。さすがクレンペラー、復活大将です。★5つ。
 
 ちなみに、あのDQNに対する私の返信。

 「素人ですからね(笑) お宅さんはプロなんですか?」

 とたんに丁寧になりやがって(笑) 


4/3
 
 マーラーを聴く暇をどうしても作れず、チョクチョク聴ける作品集を続けて。こちらもとりあえず山になっているテンシュテットのもの。というよりテンシュテットの在庫もそろそろやっつけないと、またシベリアンタイガーより新譜が出るらしいしなあ。(ブラームスのPコン1番! ウヒー!)
 
 すべてテンシュテット指揮

 BPO /シューベルト:ハ調の大きな交響曲 シューマン:コンチェルトシュトゥーク(4つのホルンと管弦楽のための)
 バイエルン放送響/ブルックナー:第3交響曲 モーツァルト:第1・第32交響曲 シベリウス:バイオリン協奏曲(ヤローンVn) プロコフィエフ:第5・第7交響曲
 
 グレートは、別に内容がグレートという意味合いではなく、規模が当時としては大きいという意味合いだそうですよ。というわけで、これは正規盤ですが、リマスタが硬質になっているので、BPO の輝いた音質がよく聴けて既出盤よりまずまず良くなっていますが、曲が曲だけに、あまり評価は変わりません。★4つ。
 
 シューマンの珍しいコンチェルトは、前にN響アワーで観たことがあるが、本当に4人のホルン奏者が指揮者の前に座ってソロを吹くもの。ソリストを呼ぶのではなく、楽団のホルンパートが担当するのが効率が良いと思うが、BPO の無敵の、それこそそれぞれがソリストとしても充分に通用するレベルなわけで、最高だった。なにより冒頭のホルンの黄金の輝きにも匹敵する吹き上げは、素晴らしかった。テンシュテットはシンフォニーの指揮も上手だが地味にコンチェルトの伴奏もうまい。(このシリーズの他の盤は、既出盤で満足しているので、買いませんでした。) ★5つ。
 
 少なくとも、カラヤンやバーンスタイン級に、生前よりメジャーになっても良かったのだが、没してよりとたんに巨匠となった。かく云う私も、没してより追悼盤で目覚めた1人なわけだが、世界のレコード会社の不明を呪いたい。なぜならば! いまごろになってこうして続々と正規盤が出てくるということは、眠っている正規録音があったということだからだ! ブームのキッカケとなったであろう海賊盤の功績は大きい。
 
 その海賊で、イマイチだったブル3。もともとブルックナーは門外なだけに、マイナーな3番は、聴いていてよく分からなかったから、2度ほど聴いてそれっきりだった。

 しかしこの正規盤の、凄まじさときたならば、音質の格段の良さも相まって、音圧というか迫力というか、生命力というか。こういうドラマティックなブルックナーは、高名なブル党評論家に云わせたならば「こういうものはブルックナーではない、こういう音楽ではたちまちブルックナーは死んでしまう」と云われそうだが、もう、もともとそんなブルックナーなんか1流半作曲家とすら思っている身にとっては、こんな輝いているブルックナーは、本当に素晴らしく聴こえてしまう。
 
 20分を数える1楽章の迫力が特にすごい。音楽の頂点へのもって行き方が、テンシュテットのブルックナーは他とちがう。やはりロマン派的な解釈というか、動きにメリハリがあって、ヴァント、チェリ、クレンペラーらの、泰然自若というタイプにはやはりならない。そして、鳴り響く様の音楽という意味においてのブルックナーならば、テンシュテットほど目の色を変えて鳴らす人もあまりないように感じる。やはり、フルトヴェングラータイプに入るのだろうか。
 
 初期のブルックナーは緩徐楽章が短いのが嬉しい。そしてスケルツォは、どこまでもマヌケだ。テンシュテットのような刺激的で真摯な指揮以外では、とてもではないが聴けない音楽。9番のスケルツォのみ例外で深淵。フィナーレは短いわりに充実していて良かった。ブルックナーは、わしのようなブルックナー聴きにとって、この程度の音楽でちょうどよいのだろうか?★5つ。

 さて、モーツァルトなどはどうだろうか? わしはモーツァルト聴きでもないので、詳しい感想は述べかねるが、ロマン派タイプではやはりヴァルターやベームなどが筆頭に上がってくるのだろうか? 門外は開き直ってクレンペラーとかを聴いてウハウハとしているのだが!
 
 テンシュテットのハイドンやモーツァルトを聴いて、まず驚くのがその生命力というか、躍動感。活き活きとしている、とは、こういうことを云うのだろう。たぶん。つまりそこにあるのは、当時の生きた音楽。モーツァルトを神や伝説の音楽としていない。当時、宮廷でじっさいに演奏されていたであろう「実用音楽」としてのモーツァルトを、まあオーケストラだけは現代のもので再現したというべきか。
 
 今回のナンバーは32番と、なんと1番というマニアックなもの。曲については、どちらもはじめて聴いたのでなんとも云えないが(どれを聴いても同じに聴こえる。)そのアレグロ楽章の快活さ、アンダンテ楽章の優雅さ、プレスト楽章の性急さ、すべてが、本当に見事の一言につきるだろう。ダブル★5つ。
 
 そしてここでも、テンシュテットの伴奏指揮者としての腕前を聴くことができるだろう。シベリウスのヴァイオリン協奏曲。この協奏曲はハデな動きも何も無く、まことに通好みの、彼の交響曲に通じるシブイ世界。これを聴ける人は、やはり通ということか。まあ、暗い曲のひとことで片づけてしまう人もいるだろうけども。ヤローンのヴァイオリンも硬質なひんやりとした響きがとっても曲とマッチし、それをサポートする熱い(!)テンシュテットの指揮。うむむ、あたりまえだけど、諏訪内晶子とは三つ味ぐらいちがうぞよ。★5つ。

 プロコフィエフは、けっこう録音が残っていて、得意のレパートリーだったことが窺い知れる。5番は、私は3種類めだが、他の2種類(NYフィル、デトロイト響)は海賊盤であり、今回が最も音質が良い。どれも、ロシア音楽というよむしろドイツ流。しかし、東ドイツ出身なためか、ソビエト音楽としての流儀もちゃんと把握しているようにも感じる。

 彼のショスタコにも通じるが、アタックが鋭く、フレーズのキッカケが非常に立っている。だから、全体としてとても厳しい。それがたとえプロコフィエフやショスタコーヴィチの両5番のような、祝祭的な雰囲気を持ち、ある種の大衆迎合的な面を有した曲であったとしても、造形が非常に厳しく、弛緩した箇所がまるで無いため、逆にグロテスクさも引き立ち、引き締まった思いがする。素晴らしい演奏だと思う。★5つ。
 
 対して7番は、青春交響曲という通称があるとおり、6番でその交響曲芸術を究めた観のあるプロコフィエフが、ある種の懐古的な側面を見せているのが興味深いが、それをテンシュテットがどのように料理するかも、さらに興味深い。正直、7番をレパートリーに入れる人は、けっこうマニアだと思う。
 
 7番は彼のバレー音楽「ロメオとジュリエット」の交響曲版とでもいえるほどに、明快で「さわやかな」響きが特徴。そこにテンシュテットとくれば、その内側に潜む狂気や暗黒をさぞや抉りだしているのかと思いきや、この7番に元々そういう部分が少ないのか、意外や、そのまんまのさわやか系だったりする。ただし、たまに現れる寂しげな部分は、より哀切に響いてくるし、重厚な悩みの部分は、より重厚に重く響く。テンポの良さは、さすがだと思う。★5つ

 けっきょく、ほとんどみんな★5つだった。


3/26

 とりあえず邦人作家の最後。たまりにたまっているマーラーに戻らねば。

 すぎやまこういちの弦楽のための舞曲1・2です。ヴァサリー/ロンドンフィル

 ハインのひとりごとのハインさんと同じく、私も、すぎやまこういちで「オーケストラ」に目覚めた1人。
 
 すぎやまこういちは、そもそもCM曲やポップスの分野で活躍していたが、ゲーム・ドラゴンクエストシリーズの音楽を担当してより、その分野の第一人者にもなったし、いわゆるクラシックの分野においても、すでに足跡を残している。
 
 すぎやまこういちは、独学で作曲を修めたということであるが、バッハとイベールへの敬慕を隠してはおらず、形式の点ではバッハを、オーケストレーションにおいては(特に管楽器の扱いにおいて。)イベールの影響を即座に聴きとることができる。ドイツ的な気質をフランス的な技法で聴くとき、オネゲルのそれをも想起させはしまいか。

 また、稀代のメロディーメーカーであり、さまざまなシチュエーションに曲をつけることのできる、真の劇伴書きでもある。
 
 個人的にはそれほどCDを有しているわけでもないが、ゴジラ対ビオランテは彼のソフトな曲作りの面があまり活かされなかった嫌いがあるが、交響組曲ドラゴンクエストシリーズは、万人の認める仕事だろう。そもそもセガユーザーであったことも関係して、ゲームとしては5までしかやったことは無いが、CDも4までしか買っていない。しかし、3が最も音楽的にもゲーム的にも好きだった。ライトモティーフを巧みに使い分け、かつ、自作の引用もたくさん含んで、とても良い仕事だった。

 それらを振り返りつつ、この弦楽合奏団のための舞曲を聴き進めたい。

 交響組曲ドラゴンクエストシリーズは、ゲーム音楽と侮るなかれ、その古典的対位法、旋律法、展開法、はては不協和音や打楽器合奏、バルトークピチカートに到るまで、作曲技法や現代技法において、なんら遜色なく、それらを充分に聴き込んだ身にとって、自然とストラヴィンスキーやレスピーギに入ってゆけたのだった。深く感謝したい。かといって堅苦しいものでは当然のごとくまるでなく、小手先ではない、真のポピュラリティーにあふれているのだ。
 
 すぎやまこういちとN響の出会いは古く、すでに1978年と79年に、N響弦楽奏者たちによる弦楽オーケストラのためにこの2曲は書かれた。ここでいう舞曲は、ブラームスやドヴォジャークの舞曲集とは異なり、本当の舞曲ではなく、どちらかというとかなり自由な発想の組曲に近いし、それぞれ4楽章構成なので弦楽合奏のための交響曲ということもできるだろう。
 
 従って、英語表記もDANCEではなく、日本語のBUKYOKUとなっている。

 ところでドラゴンクエストシリーズを聴き慣れた方はお分かりになられるだろうが、すぎやまこういちの「王宮の音楽」はメチャメチャにバッハ的で、対位法が際立ち、しかもすべて弦楽合奏だ。舞曲との関連性は、そこからも聴くことができる。
 
 舞曲は、1と2、共に4楽章制、それぞれ古典的な速度記号が羅列してあるだけで、いっさいの標題性は無い。
 
 舞曲1は、完全に西洋の道具を使って日本的なものを目指したとある通り、のっけより、早坂にも通じるような雅楽調の和音に支えられてドラクエのジパングに通じるピチカート。さらにはモノフォニーの単位生殖のような変容と、あるいは1元ソナタ形式のようなもので、なかなか聴かせる。

 2楽章はやや現代的なもの、逆に3楽章は超近代日本ロマン主義。どちらも、不協和音を道具として使いつつ、単旋律が美しく響く。

 4楽章は一転してヴィバーチェ楽章。つまり、後年の、ドラクエの戦闘音楽に通じるもの。
  
 舞曲2では、さらに純器楽音楽性が向上しており、現代弦楽アンサンブルそのままだが、むしろ当時(1979年)としてはかなり抒情的。当時はまだ弦楽合奏というと四重奏も含めて、バルトークやショスタコーヴィチを聖典とするような、ギーゴーギーゴーというものが全盛だったろうから。

 とはいえ、やはりすぎやまこういちでも、不協和音や無調的な音響の使用も避けられないところだったのか。

 1楽章はアンダンテ楽章だが、リズムがかなり崩されて、不規則なものとなっている。調もハッキリしない。ときおり現れる感傷的な旋律が、ドラクエで云うところのレクイエムっぽい。

 2楽章はピチカートが主体のヴィバーチェであり、たまに羯鼓的な音形をして舞曲1の1楽章冒頭にも登場した雅楽調の和音を導くが、それへ西洋的な音形もからんできて、これはまさしくすぎやま的和洋折衷音楽。

 3楽章のレントでは、吉松隆にも通じる琵琶の打ち込みにも似た弦バスのピチカートと、不協和音の高弦をバックに、現代的なリズムの不規則なソロが自在に踊るもの。まるでコンチェルトだ。

 4楽章もアンダンテで、こちらはひとつの旋律がひたすら楽器を変え、姿を変えてオスティナートで突き進んでゆくというもの。途中のモデラート−マエストーソからは事実上のアレグロで、さすがにショスタコを彷彿とさせる。
 
 1番よりも2番のほうが前衛性が高く、音楽的にも濃密だと思った。
 
 この2曲に聴かれるすぎやまこういちというものは、まさしく20世紀を代表する日本の現代音楽のそれといえるだろう。


3/25

 なんか、ずっと邦人を聴いていますが、今日は水野修孝の作品集です。1999年の演奏会の実況録音のようです。

 演奏者は割愛。

 オペラ「ミナモ」と交響曲「佐倉」の楽想による管弦楽曲(1991)
 弦楽四重奏曲「夜の歌」(1996−1998)
 キーボードとマルチ音源ドラムのためのエチュード「イヴ」(1996)
 宵のうたげ(1979)
 除夜のためのエチュード(1975)
 混声合唱組曲「あしたのオデッセウスたち」(1988)
 おやすみなさいお月さま(アンコール)
 
 のっけのオケ曲から、水野の魅力満載。正直、交響曲第2番は、いまの段階で聴いた限りでは方向性のつかめないものだったが(聴き直したら変わる可能性大ですが。)その楽想よりもむしろ、オペラ「ミナモ」よりであろう、蠱惑的な旋律が楽しめる。水野の最大の魅力は、こういう融けゆくような美旋律と、ジャズオーケストラで聴くことのできるアグレッシヴなリズムと、現代音楽的な激しい音響の共演にある。
 
 弦楽四重奏は、3楽章制で、それぞれの楽章の際立つ個性を楽しむことができるもの。1楽章は美しい不協和音の無窮動的な進行と変容。武満の弦レクっぽい。2楽章はうってかわったアレグロとジャズのリズムと変容。吉松のアトムハーツクラブより出来が良い。3楽章は美しい旋律があふれんばかり。この抒情的で幻想的な音楽も、ある意味吉松的だが、彼より力強く、線の太いのが特徴。つまり、単なるおセンチではないということ。(チャイコフスキーっぽい。)
 
 イヴはなかなかのゲンダイオンガクで、ちょっと家の2チャンネルで聴くと不利か。もともと、多元音響装置のための音楽だから。ゲンダイオンガクとはいえ、曲想は懐かしのバリバリテクノ。
 
 またさらにうって変わって、宵のうたげは純民俗楽派ふうで、室内楽に中国琵琶(ピーパ)が入ってるのが特徴。ただし、田舎歌に盆踊り(&ジャズ)。水野の多角的な一面を知るにうってつけの音楽。
 
 除夜のための〜は、これもまた現代音楽に変貌。ピアノと、鐘の音の変形音響が織りなす空間。
 
 さて、実は、わしはオペラよりもむしろ合唱のほうが苦手で、特に無意味にフレーズを重ねる、音楽コンクールとかで子どもらが必死な顔して歌っているアレなんか 「ハア!?」 ってかんじ。しかし水野のたの合唱曲は、むしろ演劇の中の劇中歌のような印象で、たいへんに聴き安く、迫力があり、日本語がよく聴きとれ、また、シャープでかっこよかった。群舞とかといっしょに歌われそうだ。(ミュージカルふうととる人もいるかもしれないが、わたしはやはり劇中歌のようだと思った。)
 
 なんども云うけど水野修孝のオペラ、せめてCDにならないかなあ〜〜〜。チョー聴きたいです。


3/21

 DVDでクレンペラー/ニューフィルハーモニア管の第九を観た。音楽は相変わらずの悠揚たるものだったが、1964年のクレンペラーはまだ杖つきで立って歩けるとは云うものの、その指揮はかなりブルブル。クレンペラーの指揮はテンポは変化はしないとは云うものの、オーケストラの方もこのテンポで動いているであろう無の空間を自分たちで突き進んでゆかなくてはならない時間もあり、まさに指揮者とオーケストラの一体の芸術運動であると再認識した。歌手も一所懸命合わせて、大巨匠への敬意と尊敬とその芸術への信頼を示している。

 ボーナスでアンセルメ/ニューフィルハーモニア管でベト7も入っていた。1967年。

 さすがに1楽章はターータタの3/8拍子が完璧。タッタタの簡単な2/2拍子にはなっていなかった。

 アンセルメのベートーヴェンといやあ、ロマン的な修飾を廃した初の楽譜原典派の演奏であり、その神髄を削り取った骨がらスープのような演奏となにかで読んだが、いわれてみればそのようにも聴こえるが、テンポは生き生きとし、生命力にあふれ、まさに真の姿をさらけだした稀有の表現だと思った。昨今の古楽器演奏ともまた異なる。アカデミックではなく、非常にモダンだった。
 
 さて、団伊玖磨の最高傑作オペラ「ひかりごけ」(演奏会形式)を聴きました。現田茂夫/神奈川フィル 木村俊光:船長 他

 西洋音楽芸術の奥義といわれるオペラだが、基本的に何を歌い、云っているのか分からないので大の苦手。が、しかし、日本語なら話は別。また、日本語のオペラはすべからく山田耕筰以降の近代作品なわけで、アホみたいなアリアもコロラトゥーラも無く、とても聴きやすい。

 邦人オペラのCD自体もあんまり無いのだけども、芥川のヒロシマのオルフェ、団の夕鶴、大栗の赤い陣羽織、などに続いてのCD。(黛の金閣寺はドイツ語だと聞いたしな。)

 しかしこの「ひかりごけ」、音楽もすばらしいのだが、なによりその脚本が凄まじい。なんといっても「人食い」のお話。この人肉喰い、カニバリズムというテーマは、人間の極限のエゴと生への執着、人間理性の崩壊とその葛藤を語る上で究極のテーマのひとつ。殺人を超えた、人間としての根幹をゆるがす主題である。

 人を殺すぐらいなら死んだ方がましだ、などという人も特に人権派に多いだろうが、そんなものではない。人を殺して食うぐらいなら飢え死にした方がましだ、という、もっと生物と人間の境を超えるかどうかの究極の選択なのだ。

 (中には死者の肉を食うことで力を手に入れたり、生命を受け継ぐという意味合いをもつ部族もいたし、純粋に食料として敵をとらえて食う人喰い族もいたし、古代中国では人を食うのはけっこうあたりまえだったようで、いまでもそれは意識として続いているようだが、それは近代化以降のいわゆる文明人として、許されぬ行為、最大のタブーであるにはちがいないのだ。)

 2部構成

 1部

 昭和19年。嵐で、知床半島のマッカウスの洞窟に流れ着いた4人の漁師。船長、西川、八蔵、五助。

 かれらはしかし、軍属でもあり、軍のため、日本のため、天皇さまのため、生き残らなくてはならない。それを理由に、死んだ五助の肉を食うことを正当化する船長。それを拒む残る2人。

 6日たち、五助の肉を食った船長と西川。食わなかった八蔵は衰弱して、死ぬ。

 10日たち、八蔵も骨となった。まだ救助はこない。

 「しかたがねえ、人の肉を喰いたがらねえもんは、死ぬしかねえだ! おらたちは天皇さまのためにどうでも生き残らなくちゃなんねえ!」

 「天皇陛下が人の肉を食えっていうはずがねえ!」

 「だれがすき好んで人の肉を食うだ! 食わねばおらたちが死ぬ、それだけだ!」

 西川は船長へ食われることへいわれない恐怖を感じ、先に殺してしまおうと決意。だが、逆に殺され、船長に食われる。「ギャー!!」 音響のうねりに響く西川の悲鳴。

 洞窟の中で光る「ひかりごけ」。彼らの首の後ろも、緑色に光る。人の肉を食った者には、首に光の輪がつく。しかし食った者には見えない。

 2部

 戦後、裁判の場。むしろ圧巻なのはこちら。

 船長はあくまでその正当性を主張。あまつさえ「わたしは我慢しているだけですよ!」 を連呼。

 しかし裁判官も弁護人も傍聴人もそれを認めず、船長を責める。「人の肉など食って、天皇陛下に申し訳が無いと思わないのか!」

 この不合理と不条理。

 幻覚のように緑色に光る登場人物の首の周り。だれもが人を食っているというのだろうか? 人を食うということは何を意味するのか?

 いきなり下りる幕。

 なんというシュールなオペラだろうか。音楽も、交響曲3番4番で身につけた団の前衛性が炸裂している。恐ろしいまでの迫力とシュールさ。特に管弦楽による間奏曲が恐怖だ。
 本当なら舞台なりせめてDVDなりで見るのがもっとも良いのだが、公演は地方ではなかなか難しい。CDで聴けるのが幸いというべきか。(今回の録音は、もともと演奏会形式だしね。)

 補給を断たれた、飢餓の南洋戦線の島々で、人肉食いがあったのは、公然の秘密。それは「重大な罪」にあたるのだろうか? 戦場という、極限状態においての人間の恐慌した精神状況を、現代の感覚でどのように理解したり裁いたりできるというのだろうか。敵を殺すのが仕事で、そのために味方の肉を食うのは犯罪か? その戦中と戦後の落差を、洞窟の中の葛藤と戦後の裁判の場で表している。その芸術性と問題性は、ほんとうにすばらしい。人の肉を食ったことの無い者が、食った者を裁けるのか? 

 けっこう聴いていて吐き気がしてきた。

 うーん、今後は、水野修孝のオペラ、CDにならないかね。


3/18

 ベルティーニが死んじまったよう。

 具合が悪かったのかなあ。アバドやスクロヴァチェフスキやブーレーズより早かったなんて………。まあ、こればっかりは………。

 私にとって、ベルティーニといえばマーラーなわけで、ありまして、追悼の意を込め、旧譜のサントリーホールにおいての9番を引っ張りだして聴いています。
 
 このサントリーホールにおいての一連の後期交響曲シリーズ、8番、大地、9番ですが、どれもこれもライヴならではの集中力と、ホールの音響の良さ、そしてベルティーニ渾身のマーラーが溶け合って、最高にすばらしい出来ばえですが、知り合いのCD屋サンの人が云ってましたが、どうも版権の問題があるらしく、EMI単独で出せないようなのです。だから、1〜5番までを仏EMIで前に再発していましたが、5番までなようです。6と7は、価格等の関係で、きっとあおりをくっているのでしょう。

 なんという勿体ない話でしょうか。

 この3曲はほんとうにすばらしく、特に大地の歌は、個人的に、その情緒深さにおいていまもってダントツbP、これに匹敵する大地はクレンペラーのART盤ぐらいです。8番も、迫力や、推進力、輝かしさなど、なかなかこの域に達しているものは無いと思います。
 
 さいきんの都響のやつも、もちろん悪くないのですが………残念ながらオケの差が歴然。
 
 そのようなわけで、旧ケルン放送響の凄さを再認識することもできます。なんとかならないのかなあ〜〜!! 聴いたことの無い方々に、ぜひこのを感動を味わっていただきたいです。
 
 また海賊盤で、ベルリン響との2004年のライヴで4番、ベルリンフィルでは1981年に7番を振っていますが、それらもおそるべきすばらしさで、なんとか正規盤で出ないものかと気を揉んでおるところです。

 マエストロベルティーニ、感動的なマーラーを有り難うございました。


3/16

 リード作・編曲・指揮/大阪市音楽団 すべてライヴ録音。
 
Vol.1:演奏会用行進曲「テキサスを讃えて」 天使の翼 喜歌劇「メリー・ウィドウ」から「ヴィリアの歌」 吹奏楽のための第4交響曲 アルメニアンダンス1・2

Vol.2:春の猟犬〜吹奏楽のための演奏会用序曲 プロセルピナの庭〜吹奏楽のための交響的牧歌 エヴォリューションズ〜吹奏楽のための演奏会用序曲 第5交響曲「さくら」 思いでのサンフランシスコ タランテラ 枯葉 フニクリ・フニクラ ミュージック・インジエアー 

Vol.3:エル・カミーノ・レアル 2つのパガテル 第3交響曲 第6組曲 エルサレム讃歌〜アルメニアの復活祭賛美歌に基づく変奏曲
 
 「ひかりごけ」を聴くといいつつ、ついついフォンテックから出たリードの作品集を聴いてしまった。口では何だかんだと云いつつ、大阪市音ならばチェックせざるをえまい。
 
 正直、かつて有名曲はけっこうかなり聴き倒した時期があるので、けっきょくは好みの問題でもあるのだが、良いとか悪いとか偉そうに云えるのはそういう自負にもよる。
 
 しかし何回聴いても、演奏会用序曲とか行進曲とかはクソつまらないなあ(笑) アメリカと日本の吹奏楽事情のちがいで、これは聴いて楽しむものより演奏して楽しむことを前提としているのかもしれない。もっとも演奏したことは無いので、ほんとうに楽しいのかどうかは知らないが。

 しかも今回の3枚のアルバムには、それぞれ玉と石がちょうどよく混ざっていて、3枚とも買わなくばならぬという、なかなかうまい商売をしていやがるわけよ。
 
 1枚めの目玉は第4交響曲のはずだが、4番って地味に2−5の4曲中、1番目立たないかもしれない。大阪市音のアルメニアンは演奏のうまさが曲の変な幼稚さ(演奏は難しいのに、どうも音楽として単純・単調な部分がある。)を上手に隠している。ハッキリ云って東京佼成よりうまい。特に1部の「行け行け」はチョー燃え。
 
 2枚めでは、序曲やなんたらは論外だが第5交響曲もなかなかカマしてくれている。むしろ、その他の小曲がまずまず。この「さくら」って曲は、けっこう苦手。悪くはない。

 従って内容的に最も聴けたのは3枚め。エル・カミーノ・レアルもなかなかこの手の序曲としては聴かせるし、交響曲も、もっともヴォリュームのある3番が入っているし、そして珍しい6組に最後は我輩がリード作品で最高傑作のひとつと信じているエルサレム讃歌である。

 エルサレム讃歌は別にイスラエルシンパ曲ではなく、副題とおり古いアルメニアの賛美歌にそういうタイトルの曲があるそうです。この主題がなんとも切なくて良い。アルメニアは、かつて世界最初のキリスト教王国として栄えたが、そのうち衰退し、イスラムの諸帝国に支配されて弾圧され、民族が離散した歴史があり、ある種、ユダヤ人と同じ状況になっている。それゆえの、この哀愁を帯びた賛美歌が生まれたのかもしれない。
 
 主題と、分かりやすいその5つの変奏による音楽だが、変奏も上手ですし、なにより主題が良い。最後のコラールも燃える!

 演奏も、最高に上手です。さすが日本一の吹奏楽団。


3/14

 しばし邦人作家のCDを、新譜を聴いたりそれへ関連して古いのを引っ張りだして聴き直してたりしています。金井喜久子は交響曲の項を参照。
 
 貴志康一のオーケストラ曲の新譜がほんとうに久しぶりに出た。以前のバイオリン協奏曲は生誕80周年コンサートで、こんどは95周年コンサート。実に15年ぶりの演奏会で、新譜は約10年ぶり。まずは歓迎したい。
 
 小松一彦/大阪センチュリー交響楽団 貴志康一:バレー音楽「天の岩戸」 日本組曲より「5.花見」「3.道頓堀」
 
 大管弦楽のための「日本組曲」は全6曲だそうで、以前のCDには「1.春雨」「4淀の唄」が納められていました。残るは「2.祈り」「6.戦死」であり、1曲1曲が独立して交響詩風とはいえ、やはり全曲録音が待ち遠しい。これとは別に「日本スケッチ」という曲もあって、そちらは全4曲が納められたCDがかつてありました。交響曲「仏陀」といっしょになっているものです。昭和初期の民族派音楽としてはサックスなんかも使ったモダンなものです。みなさんが聴けるように、廉価で再発しないのかね。

 さて、今回の新譜の今週のめーだまー! は、バレー音楽「天の岩戸」でしょう。なんといってもその規模が驚く。3管編制、第1部20分、第2部40分もの大曲で、立派なグランドバレーです。この高名な日本神話を題材にした音楽では、個人的にはとにもかくにも、大栗裕の「吹奏楽のための神話(管弦楽版もあり。)」があるが、他では確かに伊福部のアニメ映画のための音楽や黛の歌劇もある。しかしこの曲のようにバレー曲というのは初めてだと思われる。
 
 いきなり、アマテラスを示す荘厳なテーマが全奏で示される。あるいは、神話そのもののテーマだろうか。続く日本の懐かしい田園風景のような描写もさすがで、平和な高天ヶ原の様子を彷彿とさせる。そこへ緊張が走り(転調)スサノオを表す荒々しいテーマ。その交錯がしばし続く。

 中間部の不気味なテーマは、素盞鳴の狼藉を不安げに観る神々の様子だろうか。(天照の機織り小屋へ、皮を剥いだ馬を放り投げるって………!)

 大太鼓に導かれた素盞鳴のテーマは実に効果的。

 素盞鳴の登場より、天照が岩戸に籠もってさあたいへん。慌てふためく神々の様子も上手にリズミックに描写されている。

 今回の企画の趣向はこの秘曲をまずじっさいに音にする、ということなので、くわしいシーンの解説は載っておらず、このように自由にファンタジーを膨らませるしかない。
 
 しかしそれもまた楽しい作業であるだろう。
 
 物憂げなテーマがせつせつと流れると、トラックが変わり、幕替えの間奏となる。

 そして、長大な第2部はいよいよ天照が岩戸に籠もってしまった後の例のシーン。

 暗黒世界となった高天ヶ原が、不気味な低音の持続した音楽で描かれる。1部で、楽しげなリズムで牧歌的な様子を描いていた旋律が、変形されて登場する。暗黒は打楽器を加え、重々しく頂点に達する。
 
 さて、音楽は続いて思兼命を筆頭に知恵をめぐらし相談している様子を描く。緊張感を持続しつつ、みなで額をつきあわせている様子が見えて楽しい。
 
 しかしこの間の20分ぐらいは解説が無くば、何のシーンなのかサッパリ分からないのも事実(笑) 想像力にも限界がありますぜ、旦那。

 そして評議が決定されると、天宇受売命による日本最初のストリップショーの始まり。
 
 ここが面白い。(ここは分かりやすい。残り10分。)

 正直、早坂文雄の映画「羅生門」に出てくる有名なボレロを想起させるが、もちろん、こっちが先輩。まず木管により主テーマが示されて、それが各楽器に受け継がれて行く。意外や、大栗のようなボンバボンのリズムかと思いきや、同じオスティナートでも土俗的ではなく、最初はテンポもゆったりと、どこか清楚で上品な貴志らしい、まるでシュトラウスのサロメかドビュッシーの牧神のような妖気も漂わせつつ、あくまで気品がある。

 テンポが上がってもあくまでコミカルに、愛らしい。ここのアメノウズメはずいぶんと少女チックだ。
 
 そしてどんどん、打楽器やトロンボーンも加わって、チンドン屋みたいになってゆくのがウケる。
 
 それから、天照が気になってチラリと顔を出し、自分の姿を鏡で観ると、天手力男神が岩戸を一気に開けてしまう。そこで再び、天照のテーマがゆっくりと奏されて、大団円。
 
 うーん、2部の中間部が、やや、解説が無くば分かりづらいのを我慢すれば、なかなか聴かせる。ラストはストラヴィンスキーの火の鳥のようなハデなものかと想像していたが、これも意外とあっさりだった。

 しかし………発売が2005年2月で、再版の期限が8月ってどういうことだ。むかしは2年くらいは幅があったのに………。ふざけてんのかビクター。


3/12

 ナクソスからでている、シュワントナーの室内楽作品集を聴きました。中でも、「琥珀の音楽」という曲と、「暗黒の千年紀より」との共通性を楽しんだ。

 この2曲は同じ1981年の作曲で、片や室内楽曲、片や吹奏楽曲であるが、呈示部の主要テーマと、中間部のその派生と執拗な打楽器アンサンブルが、まるで同じ。つまり、これは姉妹曲もしくは同時作曲という形に近いと思われた。

 こういう例は、我々はマーラーの第1交響曲と「さすらう若人の歌」で既に見知っている。
 
 先般の伊福部ではないが、これを手抜きと観るかどうかは、聴き手の問題であるが、わしはこういうのはキライではないし、作曲法としても、同じ材料の表現の方向性の追求の現れであるし、なにか問題でもあるの? というかんじ。

 けっきょくは、オーケストレーションのちがいを楽しむものであるが。

 しかしシュワントナー、ますます、良いな。ナクソスで、管弦楽作品集か、吹奏楽作品集が出るのを待ちたい。


3/10

 伊福部昭/未発表映画音楽全集

 という6枚もののシリーズを、チマチマと聴き続けました。
 
 ここに納められていたのは、昭和でいうと20〜30年代のもので、40年代以降の怪獣シリーズでお目見えする旋律のひな型が、既に、しかもこういうどちらかというと純粋映画に出現していることと、また、戦前の初期管弦楽諸作品、例えば「日本狂詩曲」「協奏風交響曲」「フィリピン国民に贈る祝典序曲」などが、映画音楽のなかに断片としてかいま見えることが、特徴的だった。
 
 というのも、それら初期作品というのは、当時は譜面が失われていたり、再演のメドも立たぬといったものばかりであって、伊福部としてはせめて映画に流用するのは、あたりまえの行為だったと思われる。それらが再演されたのは実に数十年ぶりというものばかりで、平成に到るころであるのだ。

 また、後の久石譲にも似た雰囲気の曲もあって、アッと驚いた。

 マーラーもそうかもしれないが、伊福部ほど自作の引用が好きな作曲家も珍しい。しかも、ストレートにそのまま出てくる。人によってはこんなものは、手抜き仕事だというかもしれないし、それもある意味当たっているかもしれない。
 
 とはいえ、360本もの映画に音楽をつけた人間など、古今東西、いったい何人いるというのだろうか。その事実だけを見ても、伊福部の影響、偉大さが、窺い知れるというもの。映画音楽(あるいはもっと広義にいまではアニメ等も含め劇伴という意味においても。)というジャンルが音楽家にとって非常に重要な表現手段であるというのを身をもって実践した1人であり、初期の巨人として盟友の早坂文雄と双璧を成す。早坂と伊福部がいなかったら、極端な話、映画音楽界には芥川も黛も団も武満も松村も佐藤もいなかったでしょう。あとは、流行りのフレーズや耳障りの良い和音をただ画面に重ねてこれが表現、これが効果とうそぶく単なる「音楽屋」だけが、存在したことだろう。(もちろん、そんな音楽屋とて、時にはいないと困るのだけれど。)
 
 伊福部先生のすごさというものを、そんなところからも感じ取ってしまうわしでした。
 
 我輩は、微力ながらも、一生伊福部先生を聴き続けて、後世にその凄さを伝えて行くことを誓うのであった。

 個人的には、影絵劇「せむしの子馬」のための音楽がもう、文句無しに最高。「わんぱく王子の大蛇退治」もそうだが、子ども向きに本物の音楽を提供することの難しさたるや、想像を絶するが、ここに一切の妥協も手抜きも無い。すごい。子どもだましでは子どもには通用しないのです。

 ほんとうにすばらしい。感動する。これが劇伴の神髄じゃよ!(和田先生、頑張ってね!)
 
 贅沢な話だが、これからも交響組曲できないかなあ。。。
 
 CDの詳細はコラム&ディスコグラフィーにありますのでご参照を。


3/6

 バーンスタイン/VPO マーラー:第6交響曲
 フルトヴェングラー/VPO ベートーヴェン:第3交響曲

 まだ6番を聴いていますがな(笑) 7番以降も20種類くらいCDが山積みなのですが………。(というか新譜で増える一方。)

 ストラヴィンスキーの数枚組作品集も3種類、シベリウスとラッブラも交響曲全集がとどきました。おおう。

 先日、海賊盤で感動したばかりのアバドの6番も、もうはや正規で出るということで、やはり、演奏の自信を現れでしょうか。あのアバドの6番は、正規ででたら間ちがいなく、我輩のマーラーベストは変わります。

 さて本日はまたその海賊なのであるが、バーンスタインのもの。DGの正規盤が例によって(ライヴなのに。)数日間の演奏の「いいトコ録り」なのに対し、こちらは1988年9月25日の演奏会の模様の「一発録り」ということです。意外だったのは、正規で感じた、あの妙なヒステリックさや閉塞感が無く、不快指数が低いこと。だからといってサラサラ系かというとそうではなく、いつものバーンスタイン節は全開で、これがまたそうなると、名演なわけですな!

 当時はまだ、さしものウィーンフィルも滅多にやらないプロだったのかどうか、金管がたまに音ミスなどして、玉に瑕だが、全体としての表現力のすごさは、さすが。

 特にアンダンテは、典型的な「アダージョ」アンダンテ。17分もあります。しかし伸びやかな旋律、膨れ上がる迫力、こぼれんばかりの感情、マーラーの想い、ううん、こういう演奏も確かに良いよなあ。

 1、2、そして4楽章なども、余裕のテンポと幅の広い旋律群の鳴らし方で、実に伸びやかで、それが良い意味で解放感を産んで、バーンスタインの中では健康系か。あるいはDGのせいで、不健康系マーラーのレッテルを貼られただけか。ボストン響との9番もそうだったのだが、ユダヤドロドロ情念マーラーの代名詞のようなバーンスタインの演奏は、こういう隠された真実の演奏で、すべて吹き飛んでしまうかもしれない。★文句無し5つ。

 たまの音ミスはあろうとも、緊張感が切れず演奏の集中力が持続しているというのは、むしろ、長い曲には良いことだと思います。

 打楽器に関しては、ハンマー(ちなみに3回。)やカウベルはふつう、スネアが打ち込み強めで、ドラは半径巨大で余韻長い、なにより「ヴィンナーパウケン」の響きの少ない古風な音が、VPOを聴く醍醐味か。 マーラーベストの海賊盤特集に加えておきました。

 6番、あと6種類もあるんで、6を聴きながら、次(7番以降)に進みます。遡って、1、2、3番もまた増えたし。

 VPOつながりで、オタケンレコードの続きを。いわゆる「ウラニアのエロイカ」とか呼ばれているものらしいです。詳しくは知りませんが。今回も、初回プレス盤(しかも、ほとんど聴いてないもの。)より直接、直焼き状態で、この音の伸びやかなことといったらあなた!! とても1944年録音の、歴史的音源とは思えねー。
 
 しかも演奏のこの濃さよ!! うーん、これが真のベートーヴェンだったのか! などと勘違いしてしまっても誰が非難できようか!? こんなベートーヴェンを初めに聴いてしまった人は、ほんとうに古楽器演奏やベーレンライター版で満足できるのだろうか??
 
 何回もいうけれど、往年のSPレコードファンは、こんなすばらしい音楽をずっと聴いていたのですか。これなら種種のフルトヴェングラーの復刻CDにイチャモンつけるわけだわ。
 
 ベト3、演奏してみたいなあ。こんなふうに。(いろんな意味で無理だけど。)

 我輩の部屋の片隅に100枚近く山と積まれた未聴CDを見て友人、「ふつうの家で、ちょっと多めぐらいに所持してる量でこれだよね!」 ごもっとも。


3/5

 ムラヴィンスキー/レニングラードフィル ショスタコ:第10交響曲
 コンドラシン/モスクワフィル ショスタコ:第13交響曲

 ショスタコの15曲の交響曲の内、正直、1.2.3は滅多に聴かないとして、残りの12曲のうち、苦手な3曲を挙げよと問われれば、個人的に、7.10.13となる。
 
 これはもう好き好きなので、なんとも云えないのであるが、10番は特に苦手だなあ。
 
 中では、ムラヴィンスキーとコンドラシンなどがなんとか聴けるのものであるが、ショスタコが何を云いたいのかよく分からない曲だ。特に終楽章のやっつけ仕事ときたら、うへーってかんじーッ。(さらに特にこれまでの流れを台無しにするバカみたいなラスト。わざとやっているとは思うのだが………。) しかしさすがはムラヴィンスキー、ショスタコ特有の錯綜した狂気や集中を、よく表現しています。★5つ。

 バビ・ヤールも、この後の14番の優れた表現性や前衛性に比べたら、14番のプロトタイプの印象を免れない。個人的には1楽章がもっとも聴けるが、以降は、どうも流れがちになる。ううむ、なんでだろう? ★4つ。


3/1

 オイストラフ/ソビエト国立響 1969ライヴ ショスタコーヴィチ:第9交響曲
 バルシャイ/モスクワ室内管弦楽団 1969ライヴ(初演) ショスタコーヴィチ:第14交響曲 ヴィシネフスカヤ(Sp) レシェティン(Br)

 昨日の続き。ちまちま聴いてまっせ。

 オイストラフの指揮は、正直、趣味みたいなもので、まあまあ、上手いかな、といった程度。バイオリンの方がずっと良いのは案の定。しかし、アシュケナージやロストロポーヴィチよりゃ、聴ける。★4つ。

 それよりぶっ飛んだのが、バルシャイの14番。1969年の初演時ということで、モノラルなのですが、音質は上々。なにより、音楽の内容が、ありえねーほどの衝撃。

 狂気。

 この曲をひとことでいうなら、それなのだが、しかしそこは、音楽的な表現もそりゃ加わってくる。音楽だから。

 だが、この初演は、狂気を狂気として狂気のまま、演奏してしまった。ぶっとび。どびびーん、どびびーん、シビビンビーン。

 弦楽は金切り声や唸り声そのもの。人間の声にもっとも近い弦楽が、この曲においては合唱の代わりだということを伝えてくれる。

 打楽器はショッキングな音を出すためだけにある。トムトムは阿修羅のごとし。木琴もカスタネットも、ガイコツを通り越して、中毒者の震えのよう。鐘は死の宣告そのまんま。とにかくヒステリック。それらが時に歌まで打ち消すほどの激しさ。どういうわけなのでしょう?

 そして2人の声楽。

 なにより、ガリーナ ヴィシネフスカヤのお姉ちゃん(といっても、69年当時43歳。)の歌い方が、イッちゃってるよお!

 最初からブツブツ飛ばしているし、ヒッチコックの映画みたいな絶叫から、喘ぎ声まで。あひーッ!!

 かんぜん、
。あたりまえだがショスタコーヴィチベスト1位入れ代わり。

 もともとバルシャは14番の極人だったが、こんいな初演者がいるんじゃ、他の人はどうにも困る。ムラヴィンスキーの8番や5番のようだ。

 バリトンのマーク レシェティンも、負けじと激しいヴェルディあたりの歌劇みたいな歌いっぷりなのを付け加えておきます。
 
 あと、マイクがちかいのか、聴衆のザワザワはまあよくあるとして、歌手の「ン、ンッ」という音や、椅子の立ったり座ったりのギシギシがなんとも臨場感たっぷりで、個人的にはそれも良い。特に我輩は、ヴィシネフスカヤの「ン、ンッ」が、どうにもたまらん。(爆)


 ちなみにこんな人。ロストロの奥さんで、スラヴ系とロマ系(ジプシー)の混血、うーん、ムッチムラムラ………(死)

 マダーム!
 
 やるな、ロストロめ………。


2/28

 一部で評判の、ショスタコーヴィチ4枚組のCDを廉価で(もともと廉価なのだが。)入手できた。時間がないから、1枚ずつ聴いていきます。

 ロジェストヴェンスキー/ソビエト国立文化省響 1984ライヴ ショスタコーヴィチ:第7交響曲

 この「レニングラード」交響曲は、ショスタコの中でも、苦手なシンフォニーであるが、演奏によっては、かなり聴ける。

 傾向としては、最近の、近代音楽としての機能美を追求した軽いもの。

 あくまでソ連音楽としての重厚なもの。

 表質上の効果を演出しつつも、音楽の本質の暗黒面を突いた、深いもの。
 
 なとがあるが、ロジェストヴェンスキーは3番目の代表。このある意味「英雄」交響曲のバカバカしさや、暴力的な部分を、表面上の英雄機質をちゃんと鳴らしながらも、底辺や裏側のショスタコーヴィチ特有の狂気やブラックさを際立たせている。さすが、ロジェヴェン、ただ者ではない。1楽章の、例の行進部分。革のスネアも古風でしかも不気味に響く。
 
 個人的に、7番は、コンドラシン、ロジェヴェン、ムラヴィンスキー、スヴェトラーノフ、ゲルギエフ、等の、ロシア(ソビエト)指揮者に、他の指揮者はやはり一歩ゆずる。

 ★5つ。ショスタコーヴィチベストに入りました。


2/17

 ロシアの廉価CDで、ショスタコーヴィチの、シンフォニーとは異なるもうひとつの魅力、映画や劇音楽の組曲、バレー&ジャズ組曲(それと初期作品。)の演奏を聴きました。

 見て驚くなかれ、このマニアック度。

 エミン・ハチャトゥリアンでバレー組曲1番2番
 ロジェストヴェンスキー先生で、劇音楽「ハムレット」組曲、学生時代の諸作品、劇音楽「南京虫」組曲、映画音楽「1人」「司祭と下男バルダの物語」組曲ときた。(オケはディスコグラフィーをご参照。)
 
 エミン・ハチャトゥリアンは、たぶんですが、作曲家のアラム・ハチャトゥリアンの甥のカレン・ハチャトゥリアン(作曲家)の息子か何かです。未確認ですが。(苗字が同じ別人かも。)

 バレー組曲1番のワルツは、ジャズ組曲1番のワルツと同じなのね。

 演奏は、特にノリがすばらしいです。ハチャトゥリアン一族、デキル!

 私は両方とも初めて聴きましたが、1番よりは2番のほうが、荒々しくも、ノリノリで良い。2番のワルツでは、秘密のアッコちゃんと同じテーマが聴けるですよ!(笑)

 ちなみにバレー組曲は、4番まであります。

 しかし、ロジェヴェン先生の、特にこういう、ショスタコのもう1つの、ふざけたような、ブラックで狂気的なユーモアの表現ときたら、どうだ。バカバカしいというのと、下品の境界線のギリギリを絶妙のバランスで綱渡り。正直、シャイーの演奏などと比べて、だんぜん面白い。シャイーのほうが、オケも上手いし、指揮も上手かもしれないけれど、つまんない。お上品すぎて!
 
 ショスタコ ブラボー〜。


2/13

 メンゲルベルク/コンセルトヘボウ マーラー:第4交響曲 シューベルト:第9(8)交響曲
 スヴェトラーノフ/ロシア国立響 マーラー:第6交響曲(全集より)

 オタケンレコードの続きを聴く。
 
 メンゲルベルクによる、1939年のマーラーのライヴ録音。これまで聴いていたものは、フィリップスの正規復刻CDで、それも個人的にはまあ、古いのだからこんなもんかな、という音質だったが、今回、ちょっと1楽章の冒頭だけでも、聴き比べてみた。このオタケン盤は、米フィリップスのSP原盤よりの直復刻ということで、蘭フィリップスの復刻CDに比べると、プチプチやシャーシャーはカットされていないゆえに、音そのものの(特に高音域の。)伸びや、広がりがずいぶんとあることに驚いた。やはりこれまでの輸入盤の蘭フィリップスによる復刻CDは、ずいぶんと音が籠もっている。いわゆる、モヤモヤ、モコモコ音だった。オタケンレコード、すごいですね。
 
 うーん、ちょっと感動。
 
 演奏内容は、さすがマーラーのスコアをエンピツで音符が見えなくなるくらいカキコミをしていたほどの演出の大家・メンゲルベルク大先生。あそこはこうして、ここはこうして。現代の録音だったらさぞや、だが、無い物ねだりは仕方がない。微に入り細を穿つ絶妙の音楽のいじり方が、いまの楽譜原典主義の芸術ではないです。それって聞こえはいいけど、単なる総譜の勉強をサボる口述ではないのか??? VOX盤のクレンペラーと同じく、音質の向上で★5つ。

 シューベルトのグレートも、すごいベートーヴェンみたいなメリハリで、すごかった。(笑) しかし、それでも、グレートは飽きる音楽だなあ。苦手。

 スヴェちゃんの6番もバラで既に有していたものだが、相変わらずの暴れん坊将軍で。(笑)

 音(アンサンブルも。)が汚いという人もいるし(じっさい、かなり荒々しい。金管もつぶれるのを恐れていない。)、それが良いという人もいる、いろいろな意味で伝説の演奏だが、個人的には2楽章の目の色がちがった暴れ牛みたいな勢いには、共感を持たざるをえない。また、一転して安らかなトリオ部との対比も、上手い演出だと思う。 

 3楽章が意外にも(?)たおやかなのだが、4楽章の鋭い突き刺すような金管(特にラッパ。)は、何か意図があるのか、考えてしまう。テンポも速いし、叩きつけるような吹き方は、乱暴だとか、汚いとか云われても仕方がない。

 一番の聴きどころはハンマー〜ではなく、2番ティンパニの、1812年の大砲みたいな音かも。(笑)

 アンサンブルは荒く、音は汚いかもしれないが、その表現するところの大きさと度胸を推して、★5つ。


2/12

 いやー、たまにはマーラーを聴かないと、どうにかなっちまうよ。
 
 この場合、わしの「たまに」は5日以上空くことを意味しているのですが………。。

 小林研一郎/チェコフィル マーラー:第2交響曲「復活」
 クレンペラー/ヴィーン響 マーラー:第2交響曲「復活」
 
 コバケンは得意な曲は燃え燃えで、炭火みたいに灼熱するのですが、チャイコの5番やハルサイなんかと同じで、マーラーの2番は得意な曲なんだろうなあ。ノリと楽曲の把握が、同じマーラーでも他の曲と、ぜんぜんちがうんですよ。こういう感覚系の指揮者は、本人の好きな曲と得意な曲とが必ずしも一致していないのが不幸でもありますが。

 しかも、日フィルや名古フィルとはちがって、チェコフィルなものだから、オケの技量も数段上! こりゃいい。1楽章はインテンポで進むが、音の厚みが断然ちがう。オーケストレーションは、2番は1番の延長上でまだまだ薄いのだが、各セクションの鳴らし方の工夫次第で、ここまでちがってくるのかもしれない。弦や木管は言わずもがな、金管、いいなあ。

 2楽章の歌心も、さすがの歌い方。こういうの、コバケンに単純に合っているのだろう。

 圧巻は3楽章からで、冒頭のティンパニの強打は、うるさくなくも、ここまでの迫力を新録で出ているのも、いまとなっては、なかなかない。テンシュテット級か。

 そこからの澱みない勢いは、まさに、マーラーが歌曲には無いこのティンパニによる導入を付けた意味合いを十全に表している。

 意外に濃い4楽章をへて、最大の楽章である5楽章へ。この音の大伽藍ともいうべき音響は、やはりコンサートホールか、上質のオーディオで無くてはその醍醐味は味わえないか。

 地獄の狂乱絵巻みたいなマエストーゾの部分も、大満足の乱痴気騒ぎ。ラストも、大感動!!

 最後まで、迫力と緊張感のある、良い「復活」でした。

 ちなみに、お金がなくって、録音済みなのにキャニオンから出せないでいた物の、待ちに待っていた2年越しの発売です。これでコバケンのチェコフィルでのマーラーの録音は全て発売済み。(1番、2番、3番、5番、7番。) 参照CD雑記2002下期9月10日分(マエストロコバケンとの対話。) 選集の中では、最高に良いのがこの2番でした。★文句無し5つ。

 他のは、録音しないのかなあ? ガンバレ、オクタヴィアレコード。
 
 話はかわって、そのオクタヴィア(エクストン)のCDが、いまハイブリッドSACDなわけで、高い。SACDだけになったら、まだちっとは安くなるそうで。ふつうのCDでも、音質は充分なのだが、もっと良くなるというのなら、良くなるにこした事は無い。

 問題は我輩の部屋のスピーカーの位置であって………。部屋の隅っこにPCを置いてそこで物書きをしながら(このように。)CDを聴くのが無上の楽しみなわけですが、わしの後ろにスピーカーを置く場所が無い。とはいえ、そもそも、コンサートホールでも、後ろから音はしないような気もする。反響音をとらえているのだろうか? もう買ってある人、ご感想はいかがですか?

 しかし………。高いですな(笑) プレーヤーとアンプとスピーカーか。ほんとオーディオ器機は上をむいたらキリが無いですからね。特にスピーカーが、100万単位からあるからして………。ソニーの完全受注生産のCDプレイヤーも、まだ売ってるんだなあ。120万円のやつ(笑) クルマをもう一台買うようなもので………。安いの買えば、別にそれで良いのだけれども(笑)

 さて、もう1つ、復活をば。来月、テスタメントより、正規盤未発表の1963年のライヴが出ることがきまった、クレンペラー大先生! もう、復活といえばですよ、この御方をおいてまず他に無いです。なにせ、1人で8種類も録音が残っている………! 回顧録によるところを信じるならば、復活の舞台裏バンド(5楽章)の指揮でマーラーに褒めてもらったことがあるようなので、その思い入れは、他の指揮者にはありえないほど熱いものがあるのだろう。そういう思い入れ、大切ですよね。

 今回のは、すわ、9種類めか!? と思って興奮したが、自分のディスコグラフィーももうよく分からなくなってきているのか、すでに海賊盤(Lacky Ball)で有していたものなので、音源としては、8種類のままです。それも楽しみだが、今回は、例のオタケンレコードが独自に個人所有のSP音源より「復活」させたもの。かつてVOXより発売されていて、CDにも復刻されている、1951年の、脳梗塞で倒れたりなんかして、引退説まで云われたクレンペラーのまさに不死鳥のごとく復活した復活演奏です。
 演奏自体はけしてそんなことはないのだが、もう、枯れきった、ジャケットのやせ細ったクレンペラーそのもののような渇ききった音質が印象的でしたが、さて、オタケンレコードでは………? 
 
 プチプチはしょうがないとして、かなり太りましたなあ(笑) クレンペラー大先生。鋭いアタックの第1主題と、柔和な第2主題との対比が持ち味の昔のクレンペラーといいますか、表現として、やはり、とても厳しいものです。2楽章の優雅さも、流れに身を任せないで、各部の浮き彫りを際立たせる、とってもモダンな響き。コバケンとは表現方法が根本から異なる。むしろ、ギーレンとかに近い。のだが、そこはクレンペラー独特の、テンポの揺らし方とか、旋律の鳴らし方とかが、ものすごい。ディフォルメというわけではないのでしょうが、完全にクレンペラーの音楽と化している。マーラーの楽譜でそれが凄いのですよ。昔の指揮者は。

 3楽章の凄まじいまでの迫力が、やはり凄い、すばらしい! 鬼気せまるような迫力です。

 現代に比べると、かなりドラマティックな4楽章の独唱を聴いて、さらなる大音響の世界へ!  いやー、この音楽のドラマツルギーはどうだい! 迫力充分、舞台裏のバンドもよく鳴っているし、遠くから響いている様子も分かる。さすが、クレンペラーというところでしょうか。
 
 全体としては、やや高音がヒステリックに響く。それをあえてカットしたような、VOX盤に比べたら、ぜんぜんマシですが。

 ちなみにこの年はコンセルトヘボウでメンゲルベルクの追討演奏会でも復活を取り上げてます。それも良い演奏です。

 PLATZのVOX復刻盤が音質の関係で★4つだったのを、それをクリアして(それにしても古いモノラルなので、完璧というわけではもちろん無いが、古い録音を聴くのに最新のステレオ並の音質を期待したところで、意味がないので、考慮はしてません。)★5つです。


2/9

 黛敏郎/東京交響楽団 交響詩「立山」

 まさかこの曲を聴けるとは思わなかった。こういう、かつてLPで出た邦人ものが、80年代後半から90年代にはけっこうCDで復刻されたが、さいきんはサッパリ。タワーレコードの独自企画ということで、タワレコ様様だ。

 これは交響詩とはいえ、記録映画音楽なので、内容はかなり平明。しかし手を抜かないばかりか、伊福部の弟子の黛は、武満や芥川らと並んで、映画サントラでも超大一人者。これがイカス。映画もそうかもしれないが、映画音楽が凄い質が良かった時代のもの。
 
 冒頭より立山のテーマが燦然としめされ、あとは、プログラムにそって、景観を描写したり、嵐を描写したり、立山地方の人々の暮らしや、想い、未来と過去とのつながりなどが、音楽化されて行く。本来ならば映像と共に鑑賞するが、サントラとしても充分すぎるほどに出来が良い。まさに交響詩としても、かなり楽しく聴ける。さすが黛、仕事にぬかりがない。
 
 3楽章制で30分ほど。内容的に、リヒャルト シュトラウスの「アルプス交響曲」にも匹敵とあって、さすがにそれは言い過ぎだろう、と思っていたが、聴いてみてびっくり。匹敵かどうかはさておき、負けてはいない。匹敵か、そりゃ(笑)
 
 1楽章「大地」が主に自然描写。立山のテーマはかなりカッコいい。芥川にも似た旋律進行も出てくる。
 2楽章「祈り」は立山の山岳信仰や、人々の山への想いの歴史。ここの後半で、黛の現代音楽技法が炸裂し、そこだけ曼陀羅交響曲のようになる。
 3楽章「道」の主テーマは、1楽章後半にも少し出てきたものだが、後年作曲の行進曲「黎明」のテーマとほぼ同じもの。燃えます。ラストは大団円で自然讃歌を閉める。
 
 感動して2回続けて聴いてしまった。ナクソスの黛の新譜の前に、嬉しい誤算だった。しかも安いし。
 
 こういう企画が、今後どんどん増えますように。新録も、大歓迎です!


2/6

 フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団他 ベートーヴェン:第9交響曲
 シノーポリ/フィルハーモニア管 マーラー:第6交響曲 亡き子をしのぶ歌

 かの、バイロイト祝祭管弦楽団による、フルトヴェングラー大先生の第九。

 これが、オタケンレコードという、個人レーベルより、個人所有のSP音源からデジタル処理無しで直接に復刻されまして。

 私も、この第九で第九に目覚めた人間として、東芝EMIの疑似ステレオのやつを 「おおー、すげえ!!」 と聴いていたのですが、オタケンレコードのマスター:太田憲志氏によるとその東芝のやつは 「音がもやもやしており最強音もつぶれるといった音質的には最悪のもの」 ということで、我輩は 「な、な、なんじゃってええーッッ!!」 であります。

 というわけで買ってみました。

 この瑞々しさ!! とても戦後すぐのモノラルとは思えねえ!! 古いレコード特有のプチプチがたまに入るのを我慢すれば、あとは、まったく、振ると面食らう最高の第九の世界を堪能できます。いやあー、第九っていいなあ!! というか往年のファンはこんな上質な音楽をSPで聴いていたのか。昨今の復刻CDが、音が貧弱だ貧弱だと云われるのが理解できました。

 感動した。

 というわけで、あと、フルト先生のベト3とか4とか、VOXのクレンペラーのマーラーの2番、フィリップスのメンゲルベルクのマーラーの4番なんかも買ってしまいました。正規盤のCDはどういうわけかわざと古くさく歴史録音っぽく音質を悪くしているのではないかというぐらいの代物だったので、それらがどれほどの音質か、とても楽しみです。

 第九は、フルトヴェングラーとクレンペラーとテンシュテットと、私にとって、これが三種の神器だなあ。

 シノーポリの6番も、バラ売りですでに入手してあるものでしたが、改めて久しぶりに聴いてみたら、良かった(笑)

 前は、あの、テンポを遅めで、対旋律をゴーゴーと鳴らす手法がどうにも鼻についたのですが、慣れたのか、特にポリフォニックな交響曲で特にポリフォニックな面を強調して何が悪いのか? というような感覚になって、そうなると、良かったです(笑)

 人の耳はあてにならんのう。★は5つに格上げ。
 
 亡き子をしのぶ歌は、どうにも苦手な音楽だ。湿っぽくて。やはり。

 関係ないけど、SACD再生装置、いよいよ買わないとダメかなあ………。


1/30

 ルイジ/PMFオーケストラ マーラー:第6交響曲
 チェン/PMFオーケストラ Rシュトラウス:ツァラトゥストラはかく語りき
 ゲルギエフ/PMFオーケストラ ショスタコーヴィチ:第11交響曲「1905年」

 15周年記念として去年のPMFの演奏会の模様を記録したCDが、新規会員の特典としてもらえるというのでさっそくミーハーにも会員となってもらったもの。

 マーラーは、実演よりもずっと上手に聴こえる。実演ですごいものは意外やCDで聴くとヘボイのと逆の効果か!?(笑)

 去年のPMFはすごい学生のレベルが高いとは聴いていたが、こりゃヘタな国内オケよりかなり上手だわ。

 まあ、各パートのトップはVPOの教授だしね。6番の、1楽章のバイオリンのソロの艶やかなこと! あれがヴィーンの音色か〜〜。どうかは知りませんが。

 1楽章、意外とよく鳴っている。2楽章も澱みない。

 いやあー、3楽章なども歌っていますあ。

 圧巻は4楽章で、全てのベクトルがここに向かってきているというマーラーの方法論をしっかりと立証している手腕。ルイジ、やはりただ者ではない!

 MDR響ではイマイチだったけど、これはやはり良いなあ。★5つ。

 これからが楽しみなマーラー振り。シュターツカペレ・ドレスデンでマーラーやって。
 
 ツァラはじっさいには聴かなかったものです。

 口語体の「こう語った」よりやっぱり文語体の「かく語りき」がよいなあ。などと。

 冒頭、こんなドレットノート級の迫力の曲だったか?(笑)

 チェンの若々しい指揮ぶりが、意外と大家がやると古風な演奏になってしまうツァラを生き生きと現代音楽として描いている。

 地味にこの曲、好きなんです。冒頭も含めて。全体的に。シュトラウス1流の弦楽合奏や、音域の広い旋律なども、別に全交響詩に共通する特徴で、この曲だけ難解というような雰囲気があるけれど、よく分からない。冒頭もいいけど、それ以降がいいんじゃないか、などと主張するならばたちまちマニア扱いであり、うーん、なんだかなー。

 しかし、シュトラウスはある意味マーラーより合わせづらいような気がするよ。

 そしてヴィーンの教授陣もおらず、だいじょうぶかいな? という思いを完璧に吹き飛ばしてくれた感動のショスタコ!

 こっちが本命であったくわあ〜〜(ToT)

 チビタエンピツみたいな何か(指揮棒ではない。)をもってブルブルとアル中のように指揮するゲルギー氏。

 1905年とはまたマニアックな〜と思ったが、実演で聴くとCDで聴くとは大ちがい。個人的には12番「1917年」のほうがまとまっていて、好きだったのだけれども、11番もこうして聴くとかなり良い曲だ。

 なによりショスタコ好みの偏執狂的なソロイズムがこんなにも全開した曲だったとは恐れ入りやの門左衛門。

 それを吹きこなし叩きこなす管打奏者の学生!! お見事でした。

 陰鬱な宮廷前広場の冬の情景。ちらつく雪と昼なお暗い曇り空が、眼前へと浮かぶようだ。

 ティンパニの日本人の兄ちゃんが、細く小さい身体で阿修羅のように獅子奮迅のマレットさばきだったのを、思いだす。ガタイのデカイスネアの外人の兄ちゃんも、銃撃スネア炸裂だ。

 そしていよいよ、人々が集結を終了すると、行進がはじまる。皇帝の肖像を掲げ、神官を先頭に、人々は聖歌を歌いながら窮状を訴えるため平和行進する。

 しかし高まる緊張感! 意外に対位法的な書き方がされていて、大家の筆の確かさを確認できる。

 しかし、長い曲だ。が、その後に来る悲劇のテーマは重いぞ!

 ゲルギーの指揮も冴える! ついでにすでにこの時点で後頭部は汗に光り、数少ない髪の毛はまるで河童の川流れのように濡れて振り乱されていた!

 そして最後に挿入される豊平川の花火の音(笑) は聴こえねえな。CDでは拾いきれなかったか。

 個人的なアレですが、
で………。


1/29
 
 カラヤン/BPO マーラー:第4交響曲 リュルッケルトの詩による5つの歌曲
 ギーレン/SWR交響楽団 マーラー:第6交響曲(全集より)

 カラヤンのマーラーはこれでぜんぶいちおうそろったはずだ。交響曲では、4番5番6番大地9番と、選集になっている。

 しかしなかなかしぶい選曲だと思う。

 9番が海賊も含めて何種類かあるようで、機会があったら順次そろえたいと思っているが、なにせ高いので、今のところその機会は訪れないことになっている。

 カラヤンのマーラーといえば、正規盤では、少なくとも、上手いけどつまらないというのが定番で、たしかに5番や6番などは、クリスタル的な美しさはあれども、しょせんは水晶であってダイヤモンドでは無い。きれいに楽譜を鳴らしているだけで、音楽にはなっていない雰囲気。しかしクリスタルにはクリスタルの良さもある。

 その中で、9番はやはり例のバーンスタインとの確執もあってか、望外的に良い。わたしはカラヤンの9番は好きだ。

 そして意外にも、4番も良かった!

 テンポは遅めで、1楽章の鈴がかなり小さく、ささかにひっそりと鳴るのが良い趣味をしている。(鈴はPPだから、ある意味、楽譜の通りなんですけどもね。)

 3楽章の美しさといったら、カラヤンのためにあるような音楽にすら聴こえる。2楽章は、この方法ではややおとなしい。

 4楽章の、マジメな歌い方は、ある意味、マーラーの指定や、目的に添う。管弦楽は独唱を邪魔しないことになっているが、なかなか雄弁。ベルリンフィルの音力じゃ、仕方ないか?

 そして、注目は、ここで、鈴が全開になる。つまり、こっちの鈴が、パロディとして、本物というか本命で、カラヤン先生! 分かってらっしゃる!?

 遅めのテンポがなにより美しくも気持ちが悪い。★5つ。 マーラーの4番について

 カラヤンのマーラーの歌曲は、リュッケルトと亡き子があるようですが、どちらもお耽美旋律の極致で、いやまあ、特にリュッケルトは愛の歌が多いので、なんか、ヤバイですよ。

 ギーレンの6番は分売ですでに有しているものだが、久しぶりに聴いてみると、テンポ設定の余裕にちょっと驚いた。遅いというわけではないが。

 いまにして思えば、ギーレンの家内制手工業的な手法と6番はけっこう相性が悪いのではないか。これなら4番や7番のほうがずっと良い………。

 スコアをよく読み込んではいるが、迫力がないのだ。

 中では、4楽章がもっともすばらしい。

 特に花火の音もしくは銃声みたいなズドン、ズドンという2番ティンパニ(笑) これでまさか英雄を倒しているのか!?(4楽章622小節よりの下のE音によるソロ。その後、私が6番でもっとも好きな箇所、練習番号153 テンポプリモ アレグロエネルジーコ4/4が来る。) やはり個人的にどうも★は4つにならざるをえない。


1/27

 小澤征爾・若杉弘/日フィル 他
 
 武満徹:クロッシング
 高橋悠治:エゲン
 クセナキス:ヒビキ ハマ ナ
 
 EXPO'70の鋼鉄館のためのシアター音楽を集めたもの。当時も、そしていまも、最新前衛の作曲の手による音響空間音楽3種類。
 
 武満のクロッシングは、2群オーケストラ、独奏楽器、合唱のためのもの。独奏は、ピアノ・チェレスタ、ヴィブラフォーン、ギター、そしてハープ。武満のいつもの楽器群といったところか。武満曲で聴いたような音形が多発するので、実験なのだったと思われる。

 クロッシングといえば、ピアノと管弦楽のための弧 第1部の3楽章に YOUR LOVE AND THE CROSSING という曲があって、アークのほうの中間部に鋼鉄館のクロッシングが関連しているらしい。作曲年代は逆ですが。「クロッシング」と「アーク」は、そういう名の図形楽譜のようです。

 聴き比べたけど、どの辺に関連性があるのか、よう分かりませんでした。

 60〜70年代の武満曲は、とても良いものです。

 なんでこの時代の再録音が進まないのか真に謎。

 高橋は同じ前衛でも湯浅などに比べてまったく苦手な音楽家なのだが、やはりこれも、よく(いや、ごめん、サッパリ。)分からなかった。

 クセナキスも、どちらかというと???な作曲家だが、まだわたしの感性に合っている部分がある。ヒビキハマナは初めて聴いたもので、音響というより空間音楽で、本来は12チャンネルのもの。CDに落とすために2チャンネルにしたから、ただの騒音にしか聞こえないが(笑)これが全身で感じられる空間を埋めつくすものだとしたら、やはりよく考えられている。きっと空気をビリビリさせて、聴くのではなく「体感」できるものなのだろう。

 背筋に悪寒の走る金切音だ。

 それへ混じる、とちゅうのガムランみたいな木質の音が印象的。

 しかし、これらに比べると同じEXPO'70三菱未来館の伊福部の音楽などは、まるで古典芸能。

 伊福部が前時代的なのか、武満やクセナキスが非音楽的なのか。

 それは聴く人が決めることだが、わたしはどっちも好きだ。


1/22

 ヤルヴィ/日フィル マーラー:第6交響曲
 テンシュテット/フィラデルフィア管弦楽団 ドヴォジャーク:第8交響曲

 ヤルヴィはまあまあ好きな指揮者ですが(こんどストラヴィンスキーのシリーズ買わなきゃ)、まあそんなにCDを持っているというふうでもない。マーラー第6はシャンドスのロイヤルスコティッシュナショナル管弦楽団のものがあります。それは表現としては悪くなかったですが、インテンポなわりにリズム処理がもたついていた印象があります。それで日フィルですが、日本のオケらしく(?)サッパリとした表現で、けっこうサクサク進む。指揮もうまいけど、日フィル上手ですねえ。しかし、やはり金管とかが限界がある。マーラーとか、ブルックナーとか、ワーグナーとか、やっぱり難しいのだなあ、と強く感じた。ハッキリ云ってパワー不足です。必死になって吹かなくたって。余裕で吹け。無理か。

 3楽章がインテンポらしくアンダンテで13分。そうすると、1枚ものとなる。この6番を1枚ものかどうかで聴く人がいる。それは、あながち間ちがってはいない基準だと思う。テンポ設定が正しいかどうかの問題で、2枚組の演奏は、たいてい3楽章がアダージョになってしまっているから。

 ここはアンダンテですのでねえ。まあ、アダージョっぽくやっても悪くないですが。気分の問題なので、我輩は、特に気にしていません。

 ハンマーはなかなかよく響いてました。鋭く重い、斧を打ち込んだような音。じっさいは斧ではなくハンマーなのだから、やはりちょっとは鈍いのですが。本当に切り株にでかい斧でも打ち込んだら、コンサートホールではどのような音がするのでしょうね?★4つ。

 テンシュテットは、録音が中の下。テンシュテットは8番が凄い好きだったのですかねえ。ずいぶんと残っていますが………。

 わたしはこれで4種類めですが、正規盤以外ぜんぶ録音状態がよろしくない。

 内容的には、このフィラデルフィアやBPOとかのほうが濃い。いや、やっぱり、ひとこと、良くも悪くも「凄い」。凄さはいろいろとありますが、フィラデルフィアでは、弦楽器が凄かった! 打楽器はよく聴こえませんでしたが、金管はまずまず出ていました。しかし弦楽が、どういうマイク配置なのか、ギンギンのゲンゲン! ギシギシのギリギリです。

 ドボ8でそれだと、だから、けっこう新鮮でした。音質悪いので★4つ。  


1/18

 ボンガルツ/ライプチィヒ放送響(現MDR交響楽団) マーラー:第6交響曲
 テンシュテット/北ドイツ放送響(現NDR交響楽団) ベートーヴェン:第7交響曲 モーツァルト:第41交響曲「ジュピター」

 ハインツ ボンガルツって、はじめて聞いた名前の指揮者だったけれども、期待はぜんぜんしていなかったのですが、これがまた意外に良い。1楽章はテンポがやたらと遅く、なんか意味があるのか? と思った。かなり対位法の裏旋律を、しかも上手に、際立たせて、6番の特徴をつかんでいる。69年の録音にしては音も良い。

 しかし1楽章遅いなあ。不気味なほどに遅い。金管の鳴りが、その分、凄いことになっているし。このテンポでヘタってないってどういうことだ(笑)

 といって、アンダンテやスケルツォはふつうなんですよねー。(テンポがね。) クレンペラーみたいな解釈をしている。

 2楽章アンダンテ、このテンポ、好きですね。しかも、急ぎすぎず遅すぎず。カウベルも美しく、ハープがまた良い。木管やホルンの響きもよく弦とポリフォニっていますよ。狙ってるんですね。スケルツォの冒頭のティンパニなんかも、けっこう古風。ティンパニ自体も、くすんだ、古そうな音だしね。このスケルツォは、エキセントリックなものではなく、旋律重視の、きれいな部類のもの。うーん、まあ上手だからいいけど。マーラーの意図としてはどうかな。逆に、うらぶれた不気味さというのが、あるかもしれない。対位法を活かした響きは変わらず。

 4楽章はかなり雄弁。さいしょ、おののくように、暗闇をそろそろと進むように、はじまって、それからじわりじわりと盛り上がって、でも、発狂はしない。

 というか遅ッ!(笑)

 狙ってますね〜。

 そして出ましたハンマー〜〜金音!

 カッキーンッ! 

 ノイマン/チェコフィル(チェコスプラフォンの1回めの録音)の他では、初めてかも。あんまり覚えてませんが、たしか、そうかと。(いや、あと1種類くらいあったかもしれません。)

 やっぱりアレなんですかね、木のハンマーが、入手できなかったとか。

 話はつきませんが。

 まあ、しかし、手さぐりで演奏しているといった感はありあり。それがいまや逆に新鮮か。

 こりゃ、けっこう掘り出し物だったか。いまとなっては貴重な解釈で★4つ。(6番はやっぱり辛くならざるをえません。)
 
 テンシュテットも、こんど正規盤初出で、一気に3枚もブルックナーやらプロコフィエフやらが出るそうで、楽しみなんですが、たいていCD−R盤で持ってるのがちょっと痛い。劇的な音質向上を望む。モーツァルトの1番と32番は初めてだけど。

 そんなテンシュテットもCDを買うのは良いがぜんぜん聴く暇が無くって、CD−R盤とか10枚以上も山積みのまま。EMIのやつも、発売と同時に買って、ようやく聴いた。

 いやあもう、安心してテンシュテット節にひたれるというか。ベートーヴェンの4楽章なんかは、阿波踊り状態で最高ですね。2楽章も胸がしめつけられるし、1楽章もとても上手。リズム処理が。

 それよりモーツァルトが、凄かった。暑苦しくって(笑) テンシュテットのモーツァルトやハイドンって、やたらと濃いというか、ドラマティックというか、まあ良くも悪くもロマン派ということなのでしょうが、それにしても、熱いんですよね、やっぱり。人間ベートーヴェンの音楽は理解できるが、人間モーツァルトって、なんかピンとこない。私はね。人間・聖徳太子がピントこないのと同じように。だって9声部を1回で聴き分ける人でっせーッ。

 そんなモーツァルトとて、テンシュテットにかかれば、熱く必死に生きる人間としての弱さをさらけだしている。
 
 そしていま地震がありました。釧路で震度5弱。わしのところは、2〜3。つ、つ、津波に………。

 さいきん、列島中で地震がおきてませんか。こ、こりゃやはり、関東・東海沖・中南海地震がついに………!!


1/12

 フエドセーエフ/モスクワ放送響 マーラー:第6交響曲

 唐突だが、マーラー6番のスケルツォ楽章について少し、考察してみた。

 ここのスケルツォ部分は3拍子で、ふつう、3拍子というと、
23 23…… と、冒頭にアクセントがついて続く。ワルツとかが代表的なものだが、元は西洋音楽の民俗舞踊で、踊りの拍子となる。日本人が、基本的にこの3拍子に馴染みがないというのは、日本の舞踊に3拍子が無いから、難しいのだと思われる。日本人でとくにアマチュアが3拍子を演奏するときは、たいてい 123 123…… と無窮動的になるか、変なところにアクセントがついて 123 13…… とバラバラになるか、もしくは全部に力が入って 123! 123! と凄いことになる。マーチじゃないんだから。
 
 それらは、残念ながら3拍子としてはもはや死んでしまっている。
 
 どうも演奏のコツとしては、弾み車が回るように、手回しオルガンのハンドルがドンドン回って行くように、ブーン ブーン と、アタマの
でエイと勢いをつけると、23は弾みで勝手に進んで行くといったイメージで、23 23…… イー、イー、と、軽く軽く、もうどんどん先に先に進んで行く推進力が大切なようだ。重い時点でもう3拍子ではないということになる。

 さて、マーラーのスケルツォは、ポケットスコアをお持ちの方はご存じだろうが、3拍子の3からはじまっている。つまり、
 12 12……だ。

 これは、どう考えてもまっとうな踊りのための音楽ではないが、わざとマーラーはこれを踊りの音楽として、西洋人には慣れた3拍子をわざわざ不気味な、妙な、チグハグな効果を出しすように変形し、死神を表すシロフォンのガイコツ音も手伝って、なんとも気味の悪いものに仕上がっている。こんなもので、ふつうは、軽くはならない。わざわさわ軽くならないように書いてあるとしか考えられない。それをマーラーは狙った。
 
 が、その他にも、わたしは指揮法にもマーラーはこだわっているのではないかと思った。なぜなら、マーラーは超1流の指揮者でもあるから。 
 
 3拍子はふつう△で指揮をする。てっぺんから、向かって左下へ向かって1、底辺を左から右へ振って2、右の辺を下から駆け上がって3。
 
 その、3で、もっとも力を入れるということは、もう、指揮棒を突き上げるように、抉るように、こう、グイッと、突き刺すように、うぬうッと、ティンパニの叩き方も凶暴に、そのように指揮すれば、そのような音楽が鳴る。マーラー6番のスケルツォ楽章は、そういう意味もあって、3拍子の3からスタートしているのではなかろうか?

 などと考えつつ、フェドセーエフの演奏とはぜんぜん関係ありません。フェドセーエフのマーラーはまずまず良いのですが、6番は4楽章がイマイチ。とくに、ハンマー〜〜! なにを考えてあんなにショボイのかちょっと分からない。他の部分がまあまあなので、★は4つ。

 朝比奈とアバドの気合を聴いたあとじゃあなあ、たいていの演奏は、ヘボイです。

 飯盛範規他 湯浅譲二作品集(フォンテック)

 待ちに待った湯浅の管弦楽新譜。まったく、業界は観る眼も聴く耳も持ってねえ。
 
 クロノプラスティックIII−ヤニス クセナキスの追憶に− 交響組曲「奥の細道」 芭蕉の情景I,III&V レスポンソリウム  

 まだまだ音源となってほしいものは山ほどあるが、まずは歓迎したい。

 クロノプラスティックは、なかなか難しい音楽で、IIIってことはIとIIもあるんですが、Iは初期の有名曲ですが、IIって聴いたことない。管弦楽か、室内楽か? というわけで、IとIIIを聴き比べてみました。
 
 クロノプラスティックIは1972年の作曲で、可塑的時間、という意味です。つまり圧力をかけて時間を創造するということでしょうか? ようわからんけども。ここで圧をかけられているのは、音響そのもの。押しつぶされんばかりの時間的、ヴェーベルン的な圧縮様式が織りなす空間的な響き。もっともCDでは限界があるが。それが楽しい。
 
 IIIは2001年の最新作。ふつう、それだけ時間がたてば、作曲家として「円熟」して、調性に戻ったりして聴きやすくなるのが世の常だが、湯浅は相変わらずバリバリ。スティールドラムの効果的な使い方が、打楽器聴きとして推奨。武満や伊福部もそうだが、概して日本人の作曲家は打楽器の扱いが非常にうまい。音楽自体は、まだ聴きこまなくては、難しい。
 
 湯浅は芭蕉大好きなのですが、奥の細道と芭蕉の情景は、俳句の精神の音楽化であって、俳句を使った歌曲とかではない。だから、なかなか………深遠な音楽です。

 暗黒の淵を覗くような切り詰められた表現がイカス。

 時間の経過と、俳句の永遠性。この矛盾が、情景的というよりもむしろ、その俳句を詠んだ(あるいは後世の人が読んだ。)際の精神の動きを、荒涼とした中に観る。
 
 芭蕉の情景は、はじめ3曲しかなかったのですが、後に2曲加えられて、いまは5曲構成なのだそうです。今CDの録音では、加筆前なので、I,III&Vなのだそうです。だから、IIとIVもあるとのことですよ。全曲録音して〜。

 レスポンソリウムは、湯浅の中でもとくにドラマティックな音楽で、合唱がリベラメや怒りの日を歌う。この奥深さと真摯さは、ちょっと他の現代作家に見られない。ちなみに今CDの演奏は、下手です。なにが悪いのか? たぶん東響のアンサンブルなんだけど。甘すぎるような………。湯浅曲なのになんだこの緊張感の無さは。合唱も2時間曲の最後楽章だから疲れてるのか?
 
 湯浅のページそのうち改稿します。そこでもっと詳しくご紹介できるでしょう。どうぞ、興味を持たれた方は、湯浅譲二、聴いてみてください。いつまでも現役前衛作家なので、ちょっとさいしょは馴染みにくいかと思いますが、その独特の魅力にハマったら、抜けられません。
 
 しかしこれほどの人へ、文化勲章すら与えれないとは、日本という国は、どこまで文化レベルが低いのかねえ。というより、賞と勲章はちがうから………推薦するほうも、凄い量の書類が必要だし………組織力が無いともらえないという説もある。思想良心出自まで、ぜんぶ審査に入ってるんですよ、アレ。そんな勲章、やめちまえ。(よく大江健三郎にやろうとしたな。)


1/9

 アバド/BPOによる、2004年6月の最新ライヴ。
 マルタン:イェーダーマンより6つのモノローグ
 マーラー:第6交響曲
 
 アバドも病気してから何を悟ったのか、奇跡のような完璧な造形美を誇る演奏を続けている。マーラーに限れば、メジャー発売の3、7、9などはこれまでとは次元のちがうおそるべき演奏で、マイナー発売の2番も、参りましたとしか云いようの無い完成度。特にハデだとか、唸っているとか、そういう演奏ではなく、とにかく、ベルリンフィルの技術力とアバドの余裕の解釈が、なんか凄い音楽世界を造り上げている。ここのマーラーに絶叫も燃焼も無く、あるのは、すばらしい純粋な音楽美のみ。
 
 そうはいっても、6番だ。少しは盛り上がってくれなくては困るのだが、そこはベルリンフィル。変なオケだったら
 ラッパ奏者、切腹ッッ! もののF管ソロ主題。高らかに余裕のよっちゃん。1楽章だって、下手をすると気の抜けたような表現だが、彼岸へ通じるような、変な意味、後期交響曲に通じるような、あくまで美しい6番。

 こんな6番をきいちゃったら、他のほとんどの6番が汚くて聴けないじゃないですか!

 とはいえ軟派というわけでもないのだから、これがまた不思議。迫力は充分。確かな技術から来る、アンサンブルの迫力というべきか、マーラーの音楽の底力というべきか。
 
 そしてここにビックリが! 表記では2楽章はスケルツォだが、CDではアンダンテ! ううん? どっちが合ってるの?

 まあしかしそのアンダンテ、アバドの独壇場というか、お客を本当に天国への階段を登らせてどうするの! 

 くそ〜、アバド、ベルリンフィル、最高だ。もう。

 スケルツォの迫力は、ここにきて勢いが増したよう。特に低弦が、凄い。
 
 4楽章もパワー全開モード。テンポもやや速く感じる。とくに金管群の活躍が凄まじくて、さすがベルリンフィルだとここでも唸る。一糸乱れぬ管弦楽の戦い。夜の静寂のような冒頭から、轟々と鳴り響くテーマから、マーラー死のマーチから、この迫真の迫力こそ、マーラーの6番を聴く醍醐味であり、やはり、超1流のオケであればあるほど、聴き甲斐がある。ハンマーも何か凄い。ガオン! というような、破壊音のような音がしている。マーラーはけっこうムチャな音を当時の管弦楽へ要求しているので、その苦しみという表現もあるのだろうが、それを余裕でやってしまったときの、イッちゃった度というのは、やはり凄い。

 これは、ぜひメジャー盤でも出すべきだ。
にします。特に4楽章が凄まじい。これは凄い。参った。ボエー。

 フランク マルタンはスイスの作曲家で、初めて聴いたが、かなりシブイ音楽を作る。1974年没であるので、20世紀現代作家となる。アバドの趣味の良さを伺わせるではないか。交響曲の録音があるということで、とにかく聴きたくなった。

 次は大好きなわが祖国。

 わが祖国はどうにも好きな音楽だが、かなりメジャーな音楽でもあるので録音もたくさんある。

 それで、やはりわが祖国は本場に限る! などと勝手に思い込み、チェコフィルのCDをとにかく集めた時期があった。

 じっさい、チェコフィルが良いんですよ! 弦の艶というか、木管の朗々とした響きとか、金管のくすんだアンサンブルとか、素朴な打楽器とか………抽象的ですいません。

 わたしが前に買い集めたチェコフィルのわが祖国は、録音の古い順に、ターリッヒ、ノイマン、スメターチェク、ビエロフラーヴェク、コバケンです。あっ、こんなもんか。ノイマンはたぶん、複数録音があるでしょうが、わたしのは、1975年のものです。

 チェコフィル以外で、初めて買ったわが祖国。それは指揮者がマタチッチだから。
 
 マタチッチ/N響 スメタナ:わが祖国

 Altusのすばらしい音質のライヴ録音の数々。ムラヴィンスキーやコンドラシンの演奏では仰天させてくれましたが、こんども驚いた。

 マタチッチのわが祖国ですがな。

 しかも、N響も実力発揮、仮面をかなぐり捨てたような名演、日本一のオーケストラの名に恥じぬ演奏で、グッドグッド。1968年のライヴです。

 だけれども………なんともすごいワーグナーチックなわが祖国!

 いわゆる、スケールが大きいといえば良いのか? どうか、分からないけれど、金管の鳴らし方とか、交響詩としての物語性の掘り下げ方というか、いやあ、さすがマタチッチ。

 堂々としている。
 
 しかしマーラー6番1楽章のソロと、今日、デュトワの指揮でN響アワーでもやってたストラヴィンスキーのペトリューシカの第3幕のソロ、トランペットは地獄の緊張感だよなあ。給料査定どころではない。しくじったら切腹だ。ホントに。(日本のオケだと、たいてい切腹するんだけれど。)


1/7

 こんどもストラヴィンスキー2種類聴きました。
 
 デッカ、ドイツグラモフォンとメジャー盤です。
 
 プレストン/フィリップジョーンズアンサンブル 及び オックスフォードクライストチャーチ聖歌隊
 ストラヴィンスキー 詩篇交響曲 カンティクムサクルム ミサ曲
 プーランク 悔悟の時のための4つのモテット
 
 ストラヴィンスキーは、ハイペリオンと同じような曲目ですね。こっちのほうが、さすがにデッカらしい硬質な録音で、デッドな響きが、なんともイカす。

 詩篇よりもむしろ、カンティクムサクルムやミサのほうが、ビビッドな持ち味トが発揮されているかな? ストラヴィンスキーは人間の精神へ直に左様を及ぼすため、絶対に冷徹な音楽を書いた、とかぬかしているほどだから、機械みたいに精密に音符を並べて作られている。凍りつくような美しさがある。ラヴェルとストラヴィンスキーは音楽界の精密機械職人の2大巨頭ですね。

 プーランクは、イマイチ馴染めない作家ですが、この曲も馴染めませんでした。
 
 お次は 

 ガーディナー/ロンドン響 及び モンテヴェルディ合唱団

 ブーランジェ 詩篇24 129 130番 古い仏教の祈り

 ストラヴィンスキー 詩篇交響曲

 リリー ブーランジェは話には聴いてましたが、音楽を聴いたのは、初めてです。24歳で死んじゃったですが、音楽は本当に天才の妙ですね。和声、オーケストレーション、音楽進行そのもの、女性とは思えないダイナミックさと大胆さ。惜しい話です。大物です。写真が残っていますが、かなり美人。でも毛深そう(笑)

 ストラヴィンスキーの詩篇を3曲も聴いてしまったが、さすがガーディナー、金管バリバリのロンドン響をもって、実におさえられた表現が、なかなか曲にマッチ。ストラヴィンスキーの厳格な構築性に注目した演奏なようで、初めてのタイプだった。宗教曲というより、むしろ交響曲としてとらえているということか。

 詩篇交響曲ベストへ加えました。


1/6

 ハイペリオンレーベルの、ストラヴィンスキー作品集を聴きました。

 しかし、ストラヴィンスキーは、ちょっとマニアックなCDを買うと、とたんになんの曲なのか分からない。解説ライヴラリーの作品目録を片手に聴くこととなる。

 ウッド/ニューロンドン室内アンサンブル&合唱団
 バレー音楽「結婚」 4つのロシア農民の歌(原典版と改訂版) 主の祈り 使徒信徒 天使祝詞(以上、ペーターノスター アヴェマリア クレドの原典版) ジェズアルド・3つの聖歌の第6声部とBsの補充(ストラヴィンスキー編曲) アンセム「舞い降りる鳩が風を起こす」 イントロイトゥス
 
 どうよ、このマニアぶり!!! 

 結婚はようやく5種類めです。テンポがゆっくりで、歌謡旋律、民謡旋律を重視した演奏に思えました。トリッキーな表現は控えめで、なかなか良かったです。バレー音楽というより、声楽メインというコンセプトか。

 4つのロシア農民の歌は、原典が無伴奏合唱、改訂が、ホルン4本の伴奏付。改訂版のほうが長いし面白いです。響きが。

 次の3つは、無伴奏合唱用の短い聖歌なんですが、原典版は教会スラヴ語、改訂版がラテン語だそうです。何語だろうがまず演奏がない。作曲者指揮以外では、わたしは初めて。

 アンセムとイントロイトゥスは12音技法の合唱曲。でも、ヴェーベルンみたいな電子音楽みたいな合唱とは、ちがって、どこか生々しい宗教色に彩られているのがストラヴィンスキーの特徴。

 演奏どうのこうのより、曲の紹介と啓蒙にならざるをえない。合唱、よく分からないですし。ハーモニーはきれいですよ。

 オドネル/ロンドンシンフォニア ウェストミンスター教会合唱団
 詩篇交響曲 ペーターノスター アヴェマリア クレド ミサ カンティクムサクルム

 こっちはまだ、まあメジャーか。と、いっても、3大バレーしか知らない人にとっては、大してちがわないだろうけど。

 詩篇は良かったなあ。なんか、こういう宗教色でビビッドな詩篇は、良いですね。作曲者指揮に似ているかな?

 ええと、例の3曲の、ラテン語改訂版です(笑)

 しかし何度聴いてもよく分からん曲だ。

 ミサ曲は、管楽合奏の伴奏がついてる。古典的で、良い。まあ、いわゆる新古典主義というやつです。指輪物語の世界のように朴訥としていつつ、表現する手法は現代という、昨今のファンタジー映画のような曲。ハデという意味ではないです。音楽は素朴だが、和音とか、オーケストレーションとかが現代という意味です。

 レクィレム・カンティクルスはまだ知られているが、カンティクム・サクルムは、似たようで、ちがう曲。自分もどっちがどっちだか分からなくなってきた。

 12音技法で、かなり殺伐していて、うーんステキ。


1/1

 恒例の正月マーラー。今年は、なななんと朝比奈隆/大フィルの、マーラーの6番です。

 朝比奈は、このサイトのあちこちで書いてますが、世間一般的には、ブルックナーやベートーヴェンのスペシャリストのようになっているが、個人的には、マーラーと大栗裕の超一人者。大栗は朝比奈の盟友であったので分かるような気もするが、マーラーというのは正直意外。

 キャニオンの2番、3番、大地の歌は、1995年の録音で、良いのだけれど、いまいちヌルイ部分もあった。

 しかしこの1979年の東京定期の模様。
 
 この引き締まった造形!!
 
 テンポの良さ!

 日本人でここまで6番を指揮した人、私、他に知りません!(井上さんに近いか。)

 そして大フィルがまた、鳴ってるのよ!

 こんなに良いとは思いませんでした。
 
 1楽章は、速いというわけではないけど、それでも凄く勢いが合って、推進力とアンサンブルの良さが渾然一体。F管のTpの例のソロ、危なかっしいそれが実は演出! 打楽器も、スネアとか飛ばしている。冒頭の弦バスは、ドライヴ感を重視し、大きさ控えめ。
 
 2楽章は通常の速さで、特に遮二無二になっている様子は無く、安心して聴けるタイプのもの。シロフォンの響きが、ガイコツ踊りをよく象徴して、朝比奈の趣味の良さを伺わせる。

 特徴的なのは3楽章で、何かの本に書いてあったが、もっとも速い6番の3楽章の演奏が11分か13分だったような気がしたが、なんとそれらへ匹敵する12分08秒。後の朝比奈の、ブルックナーやベートーヴェンでのあのおそおそぶりがいったいどこからやってきたのか、よく分からない。大栗に通じる新古典的な解釈による、70年代に流行ったような解釈であるが、クレンペラーにも通じていて、最高に良い。速いからって、情緒や情感を忘れていないし、ぜんぜん不自然じゃない。速度記号に関して云えば、ここはアンダンテ(しかもモデラート。アンダンテとアレグロの中間の速さぐらい。むしろ、速い。)であって、アダージョじゃありませんからねえ。

 圧巻は4楽章で、冒頭より緊張感あふれ、熱すぎず、狂わず。しかし熱気は本物。東京文化会館のドライな音響も手伝ってか、かなり各楽器が独立して聴こえて、マーラーの対位法が分かってきて面白い。マーラーの5−7番はポリフォニー(多声音楽。)の究極のひとつですので。

 そしてやはり打楽器好きはこだわるハンマー。あまり響かないのが逆にリアルで、眼の前で叩かれているみたいです〜! 床が揺れるような気がした。すげええ〜〜!

 興奮して汗をかいた6番は久しぶりかも。バスドラの地鳴りも凄まじい。
 
 まあ、良くも悪くも、カラヤンに通じる指揮だと云えるかもしれない。歳もいっしょだし。関係ないか。でも、カラヤンも朝比奈も、もっとも良いのが70年代というのは偶然ではあるまいて。

 ★は文句ナシで5つ。マーラー3〜5、変わってます。感動して、続けて2回聴いてしまった。

 しかし、写真で見るに、シンバルを3人で叩いているのは凄い。たいていは、「複数で」という指定を2人でやるようなので。

 正月から熱くなってしまった。6番はまとめて書こうと思ったけど、時間がかかりそうなので、聴いた順番に、感想があれば、載せていきたいと思います。

 次はしばらくストラヴィンスキーや武満を聴きます。




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