バントック(1868−1946)
吉松隆がドイツ3大B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)になぞらえて、「イギリス近代音楽のウラ3大B」などと呼んだ中の1人。ちなみにそれらは、バックス、バントック、バターワース、だそうです。裏だからか、ブリテンが入っていないのがミソですね。
グランヴィル・バントックは生粋のロンドンっ子で、しかも医者の家に生まれたという教養派。その彼が、指揮者や教育者としてはじめ世に出たが、後にケルト民謡に傾倒して作曲も開始。だから彼は、この項で云うべきところの、イングランド的な資質を持っているがゆえの、完璧な「異国情緒」としての同じ連合王国内の、スコットランド的・ケルト(アイリッシュ)的な、特質を有した音楽をたくさん書いた。
だから、作品目録などを見ると、ケルト的な諸曲にまじり、「ロシアの情景」「中国の4つの風景」「日本の歌」「火を崇拝する民」などを見い出すことができる。彼にとっては、ケルトとは極端な話、中国や日本と同意義だったのかもしれない。同じ連合王国内としてのアイデンティティーとして、ケルトにハマったということか。日本の中の、北方的(アイヌ的)または南方的(琉球的)な特質へ注目したのと同じことと云えるかもしれない。日本も明治前までは民族上も文化上も実質は「連合諸藩王国」だったので、似たような特質を有していると思います。単一民族などという無責任で能天気な世迷い言は、この事実の前にあえなく崩れさる。
マーラーやシュトラウスと同時代の近代作家とはいえ、バントックの作風は古典的で、しかも、シベリウスやチャイコフスキーに影響を受けているという。その通り、ある種の冷たい北の響きの中に、たしかに、ドビュッシーふうの雰囲気もある。が、バックスほど、徹底しておらず、技術的なものとして、ドイツ的というかエルガー的なものを有している。しかしラヴェルほどの彫刻的なものを有していないのも確かで、中途半端といえば中途半端。指揮者としては、イギリスでシベリウスを初演し、感謝をこめて、シベリウスの第3交響曲は、バントックへ献呈されている。
交響曲は4曲残っており、いずれも、標題交響曲となっている。
ヘブリディーン交響曲(1913)
実質「交響詩」ともいえる「音詩」のシリーズを5曲も(1〜3、5、6番。4番は分からない)出版した後、いよいよ交響曲=シンフォニーを世に放ったバントック。その交響曲が、1楽章もので、規模の大きな交響詩とまるで同じなのは、致し方の無いところか。
スコットランドの西側に浮かぶ荒涼としたヘブリディーズ諸島は、メンデルスゾーンが「フィンガルの洞窟」や交響曲第3番「スコットランド」を書いたそのものの情景。かのハリー・ポッターではここはヘブリディーン・ブラック種のドラゴンが住む場所とされているほど、古来より神秘的な「何か」を思い起こさせる場所のようだ。
冒頭より、濃霧がよぎり、ハープの分散和音が、ドビュッシー的な神秘さを演出するが、官能というより、やはり独自の呪術的な雰囲気があって、面白い。そこは、バントックがドビュッシーのただの分家ではない証拠だろう。また、同じ神話でもドビュッシー的な神話世界を正面から打ち砕いた、かの「春の祭典」と同じ年の生まれというのも、ミューズ神の導きか。また同年作曲の合唱曲に「異教の神々」というのもある。
やがて生まれてくる長い民謡的な主旋律が、映画の「指輪物語」でも彷彿とさせるもので、まったくあの画面が眼に浮かんでくる。映画の撮影現場はニュージーランドだったけども。かつてヨーロッパの大地は、あのような草原と森におおわれていた。
たまに波が盛り上がったり、風が吹いたり、馬で駆けたりするが、基本的に30分ほどが、ずっとそのような情景なもので、途中で飽きる人もけっこういると思います。静かで、大自然の中にたった1人、我なにを想うといった風情の音楽です。
孤独な音楽、あるいは騎士や魔法使いが似合う音楽、といったところでしょうか。
異教徒の交響曲(1928)
まったく題名の通りの異国趣味。春の祭典の、音楽的もさることながら思想的な影響をも、見い出すことができるだろうか。
しかしここでいう異教徒とは、やはりケルトの北方的な平和な神話世界のもののようで、舞踊曲は内在しているが、けして「生贄の踊り」や「戦いの踊り」が踊られることはない。題名からそういう音楽を期待してしまうと、バントックはぜんぶ「つまらない作曲家」になってしまう。
暗い空模様と、その下の田園的な様子。あきらかに、それはイギリスの風景だ。その中にストーンサークルがあってしまうのもイギリス。ついでにミステリーサークルも。
これも30分を超える1楽章もので、CDによってはトラックが6つぐらいに分けられているが、それは便宜上で、続けて演奏される。従って、これも、実質はシュトラウス級の巨大な交響詩といえる。
始まってからはしばらく、お馴染みの風景描写があるが、突如として打楽器(長胴の民族ふう太鼓)を含むアンサンブルがあって、すわ、原始の踊りか? と思わせるが、すぐに終わるのもバントックらしいか。
その後は、ファンファーレとなり、タンバリンのリズムで、春の踊りか結婚式の模様のような、のどかでほんわかした気分がしばらく続く。まさに、ここは、ホグワーツ校の休み時間といったところ。それからまた、日常の風景などを描写したような音楽となる。従って大きな3部形式のようになっている。
集結部は、金管が長く吹き鳴らされて、明るい曲調になって、ティンパニも炸裂し、良い感じで一気に輝かしく終わる。
全体的に、ヘブリディーンよりもドビュッシー的な音使いが無くなって、そのぶん、イギリス音楽の底へ潜むドイツ流の構築性が目立つ趣になっている。しかしバントックの流儀で明確なドラマティックさ(ストーリー性)に欠けるので、そういうのがお好きな人はご注意を。
キプロスの女神(第3交響曲)(1939)
キプロス共和国は地中海のいちばん東端っこにある風光明媚な島国で、大きさは四国の半分ほど。紀元前からローマ、エジプト、アッシリア、フェニキアなどに支配されていたが、現代では1960年にイギリスより独立した後、1974年にギリシャ軍部の指導による軍事クーデターが起きて、それへトルコが介入。ギリシャ系政府(ギリシャ人・ギリシャ正教)とトルコ系政府(トルコ人・イスラム教)が両立し、島は分断されているが、日本においてはギリシャ系政府しか同共和国の政府として認めていない。トルコの影響下にある島北部の「キプロス・トルコ共和国」は、国家ではなく地域というわけだ。
さて、キプロスの女神とは誰の事かというと、かのギリシャ神話のアフロディーテ、ローマ神話においてはヴィーナスが、このキプロスの海で天の神ウラヌスが落ちた泡の中より生まれているので、そのことかと思われる。
個人の観光サイトなどで写真を見ても、その美しさは充分に伝わってくる。なんといっても地中海の青い空と青い海。いつも北の空ばかり見ているようなバントックが、何を思ってそんな南国趣味に走ったのかは不勉強で分からない。が、続けざまに「キプロスのアフロディーテ」という、そのまんまの姉妹作のような音楽を書いているので、何か、きっかけがあったのだろう。また、CDの解説が読めないので何ともいえないが、何らかのテキストもあるようだ。前作交響曲より約10年後に完成。これも例に洩れず、25分ほどで1楽章制の、事実上の交響詩。しかし作者が交響曲としているのだから、これは交響曲なのだ。やはり。
燦然とファンファーレより始まるこの曲は、やはりバントックのこれまでのシンフォニーとはちょっと印象が異なる。それはアフロディーテ誕生の瞬間だろうか?
次からの部分も、テンポは落ちて、バントックらしい進行となるが、響きそのものが、あまり暗くなく、展開も開放的で、技法は同じでも精神は地中海という事だろう。フィジーで、完成したようなので、環境が人を変えるのか。
テンポを変えて、いろいろな情景を描写しつつ、アフロディーテを描いていると思われるが、なかなかそのテキストが無いとよく分からない音楽だった。
最後は、とりあえずジャーンとハデに終わる。ハイペリオンレーベルのCDでは、併録の音詩第2番「ダンテとベアトリス」のほうが面白い。
ケルト風交響曲(1940)
最後の「交響曲」はキプロスの女神の翌年に完成している。管弦楽ではなく、6台ものハープと弦楽合奏によるもので、珍しく明確に5楽章に別れている。もっとも、各楽章はアタッカで続けられるため、表記の仕方の問題であり、そう、こだわるほどのものではないようにも感じる。
弦楽合奏とハープというと、マーラーの第5番第4楽章が高名であろうが、響きとしては、飽きが来やすい欠点も持つ。ハープが6台というのがミソで、アイリッシュハープを見ても分かる通り、スコットランド=ケルトとハープは切っても切れぬ。約20分のもの。
レントの茫洋とした響きより、続くアレグロではすばらしい対位法も聴くことができる。
アンダンテにおいての、北欧的な、旋律は、バントックの静謐な書法と相まって、非常に良いですね。本当、エンヤみたい。
またバグパイプの響きも模されたスコットランド舞踊的なアレグロとなり、最後はハープ大活躍のラルガメントというシンメトリー構成が、特徴だ。
弦楽好きには、良い音楽に思えます。
ところで、6台もあるわりには、ハープはけっこう脇役。最後まで目立たない。
さて、個人的には、ヘブリディーン、ケルト風、異教徒、キプロスの順で、面白いと思いました。バントックは、異国情緒とはいえ、そこに住む人々よりもむしろ風景や雰囲気に、強く惹かれたのだと思います。
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