ウィリアム・シューマン(1910−1992)


 バーバーと同年生まれのウィリアム・シューマン。ドイツ系アメリカ人。大作曲家のロベルト・シューマンとは単なる同姓である。

 最初は商業学校へ通い、少年時代は野球にのめりこみ、音楽は趣味だったが20歳のときにカーネギーホールでトスカニーニ指揮のニューヨークフィルハーモニックを聴いて大感動。プロの作曲家になろうと決心して商学部を中退。さまざまな教師へ個人的に師事した。その中で、クーセヴィツキーの知遇を得て、色々と面倒を見てもらった。

 したがって、作曲家としては遅咲きというか、スタートが遅かった。しかし、やはり元から実力があったのか、1943年にはピューリッツァー音楽賞の受賞者第1号となる。

 長くニューヨーク楽派の重鎮として、アメリカ音楽界で重きを成した。アイヴズのオルガン曲である「アメリカ変奏曲」をオーケストレーションしたことでも高名。

 交響曲が8曲もある。番号は10番までだが、1番と2番は作者自身により破棄されており、3番から始まっている。みな30分ほどで、現代音楽調のシリアスで激しいものだが、形式感を残しておりセリエリ手法ではない。


第3交響曲(1941)

 2楽章制で30分ほど。第1楽章はパッサカリアとフーガ、第2楽章はコラールとトッカータ、となっており、古典的形式と現代調の融合が試みられていると考えられる。また、それぞれ4つの楽章に相当するとも考えられる。楽章は2つだが、明確にそれらがさらに2つにわかれて4楽章に相当するのは、サン=サーンスの3番にも現れる様式。

 無調主題がそろりそろりと奏でられて、パッサカリアはスタートする。無調とはいえ、中心音があって調性感が残る。弦楽から各種の管楽器へ主題が進行して、変奏されてゆき、古典的なパッサカリアを形成する。主題は頂点で激しい響きを作り出すが、突破するほどではなく、また冒頭の調子へ戻る。だがそれも変奏の一部で、音響が交錯して行って、英雄的な主題の金管との錯綜が面白い。

 そこから一転してフーガとなる。ホルンによって無調主題が提示され、弦楽などが次々にそれを引き継ぐ。出ました無調フーガ。なんたる抽象的造形。金管などがかっこよく主題を奏でた後、音量が下がってひっそりとした展開となってフーガは続く。ティンパニの乱れ打ちソロでフーガは佳境を迎え、曲は終盤戦へ。調子よく盛り上がって、終結は短い。

 第2楽章は美しいコラールより始まる。こちらは、調性感満載。しかし、これも無調だと思う。トランペットが半音進行のテーマを奏で、フルートがそれへ答える。静謐な世界だ。オーケストラ全体でその世界を引き継ぎ、弦楽合奏(と、低音金管)で静謐ながら頂点を築いた後、室内楽的な経過部を経由して、緊張感あるトッカータへ突入する。

 スネアドラムが導入となり、木管が目まぐるしい主題を奏で始める。木琴の合いの手から弦楽の展開へ移って、それが発展してオーケストラが咆哮を上げる。様々な楽器により色々な音調が入り乱れて展開し、目まぐるしく進む。打楽器も突発的なリズムを叩き、いかにも現代的なトッカータと云える。そこから盛り上がって、こちらも一気に終結する。


第4交響曲(1942)

 3楽章というか、3つの部分に別れ、演奏時間はトータルで25分ほど。

 最初は 四分音符=72 の表記。緩徐楽章に相当。木管を主体として、低音の金管を伴い、調性感の残る半音階進行。それがオーケストラ全体へ広がってゆく。テンポが上がるが、フガートめいた地味な展開に終始。ティンパニの勇壮な連打より金管、そして弦楽による激しい音調から終盤へ向かい、ホルンの無調素材も印象的に盛り上がって、シンバルの一打より調性感のある終結部を迎える。

 2楽章、あるいは第2部分は「柔らかく、簡素に」という表記。弦楽のひっそりとしたコラール、そしてフルート、木管群のゆったりとしつつ、動きの忙しい旋律群。それから動きは再びゆっくりとなって、静謐なで冷涼な音調のまま楽章を終える。

 3楽章はまた 四分音符=144 のみの表記。まず弦楽合奏でアレグロ。それから金管などが入ってくる。旋律はやはり無調ながら調整感を残す。第2主題は同じような音調ながらより鋭さを増した旋律。展開部というか中間部というか……テンポは変えずに室内楽的な薄さで、各楽器がソロめいて主題を展開し、それからまたフガートっぽい展開に。フガート好きなんだな。ティンパニやシンバルが現れると終盤というパターンは変わらず。ファンファーレ調の金管も登場した瞬間、4番はあっさりと終結してしまう。


弦楽のための交響曲(第5交響曲)(1943)

 弦楽合奏による交響曲は、標題付きではない模様だが、順番から行っても事実上の5番。また、第5番〜弦楽合奏のための〜となっている場合もあり、よくわからない。とにかく、弦楽合奏曲。3楽章制で、演奏時間は20分ほど。

 私は、弦楽合奏曲はチャイコフスキードヴォルザークの弦セレは別格として、現代音楽の中でもベスト5としてヴェーベルンの弦楽のための5章、ペッテションの弦楽のための協奏曲第3番、芥川也寸志の弦楽のためのトリプティーク、ミャスコフスキーのシンフォニエッタ(第3番)、ジョリヴェの弦楽のための交響曲、を「20世紀絃楽合奏曲名曲勝手5選」挙げている。

 さて、このアメリカの現代弦楽合奏曲は、いかがなものだろうか。

 1楽章はモルト・アジタート・エド・エネルジーコとある。極めて激情的に、そして精力的に、程度の意味である。序奏もなく、いきなり半音進行のガリッとした硬派な主題より始まる。3番や4番より調性感が強く、外観も新古典的。オスティナートじみて執拗に主題が繰り返され、発想記号のわりに典雅な趣もある。

 2楽章は Larghissimo という、ちょっと見慣れない発想記号がある。ラルゴよりもっと遅く広く、という、ラルゴの最上級のような意味らしい。とうぜん、緩徐楽章。ここでも古典的性格が顕著で、どちらかというともう調性といってよいのではないか。主題自体は現代的に渇ききっており、激しい半音進行だが、完全な無調ではないように聴こえる。ラルギッシモというわりには、中間部は動きが激しいし、若干のアレグロも出てくる。後半は息も途切れ度切れに旋律が断片化する。

 3楽章はプレストである。ここでも、どちらかというと典雅かつ素朴な響きがして、新古典的と言って良い。反面、この時代の曲としては肩すかしな印象も。主要主題はアメリカ民謡的な響きも出す。アグレッシヴに進むが、けしてトリッキーな動きや狂気的な音調にはならない。全体的に地味な展開に終始する。

 意外と新古典的な面があって、ガリガリ、ギャーギャーという現代弦楽が苦手な人でも聴けると思う。


第6交響曲(1948)

 6番はCDの表記を見るに、1楽章制で、演奏時間は30分ほど。

 トランペットによるコラール的な主題から始まり、続いて弦楽がコラールをバックにコラールとは異なる主題を提示。次に、木管がピコピコとした不思議な主題を奏でる。これは第2主題ではなさそう。装飾か。テンポが少しアップすると、アレグロとなってホルンと低音金管による激しいパッセージが現れ、無調で自由に展開する。シリアスな音調のまま経過して、弦楽も激しい不協和音で主題を提示し続ける。

 木管の導入より、弦楽や金管がその動機を受け継ぎ、打楽器も入って次第に紅潮する。やがてティンパニの長いソロでいったん進行が途切れ、新しい展開となる。ちょっと明るい、軽い音調となって緊張感が緩まる。

 ところがそのうちにまた悲痛な響きが戻ってきて、弦楽合奏の部分ではまるでホラーのような無調の世界に。そこからしばらくその音調のまま、たまに木管なども交えて、墓場のラルゴが続く。

 残り10分くらいになると、プレストでやおら激しい調子が戻る。自由展開で、目まぐるしく音楽は変わってゆく。打楽器が加わって爆発したと思ったら、木管アンサンブルの静聴な箇所となり、それが発展してサスペンス調になったり戦闘シーンになったり忙しい。

 それからラルゴへ戻って、ひっそりとした中へ消えてゆき、6番は閉じられる。
 
 1楽章制だが、内容は3つの部分に別れ、3楽章制相当といえる。


第7交響曲(1960)

 7番はボストン交響楽団創立75周年(1956年)のために作曲。初演が1960年なので、完成が遅れたのかどうか。

 珍しく4楽章制で、演奏時間は30分ほど。冒頭より強奏で不協和音の激しいオルガントーン。その後、ラルゴ・アッサイで弱奏のまま祈りは続く。ほぼ弦楽合奏で粛々と哀調が展開し、ときおり金管や木管が不協和音でそれを補佐する。中間部を越えたあたりに、クラリネットの特徴的な無調ソロが現れる。それが次第に消えてゆき、おそらくアタッカで次へ。

 続くヴィゴローソ(活気ある、エネルギッシュな)では、3分ほどの短いスケルツォ相当楽章で、金管の激しい掛け合いに打楽器が楔を討つ。それが続いた後、突然、バスクラリネットなどの短い弱音の動機で終わる。

 3楽章はカンタービレ・インテンサメンテとある。インテンサメンテはスペイン語で、イタリア語とごちゃまぜの不思議な発想表記だ。意味は、深く歌って、というような程度である。歌うといっても、これまでのW.シューマンの交響曲と同じく、かなりシリアスな無調の旋律。1楽章に近い、延々と続く不安の時代的な暗い……というか、やはり恐怖感すら感じさせる無限旋律展開。ほぼ弦楽合奏で進められる。やがて音量が小さくなって、やはりおそらくアタッカで次へ。

 4楽章はスケルッツァンド・ブリオーソ。陽気なスケルッツァンドというほどの意味。陽気なわりに相変わらずシリアスな無調だが、木管や金管が確かに前楽章に比べると「陽気に」騒ぎ立てる。短い主題が楽器を移りながら展開されてゆく。しかし、どこか辛辣な音調は相変わらず。テンポは変わらないが中間部が認められ、流れるような緊張感ある主題が弦楽に出る。これまでの忙しい動機は背後で鳴る。それらを繰り返しながら盛り上がり、これまでよりかなり調性感の残る調子で、それらが一体となって楽章後半部に突進してゆく。コーダと終結では完全に調性が戻る。一瞬のファンファーレと打楽器乱舞で〆られる。

 ぜんぶアタッカだとしたら、6番と同じく単一楽章制と云ってもよいだろう。


第8交響曲(1962)

 自作の引用が活躍する8番。3楽章制で、演奏時間はやはり30分ほど。だいたい、みんなこんな時間配分で曲が仕上がっているのがわかる。また、全て古典的な発想記号があるが、内容はシリアスな無調が多い。

 1楽章は レント・スソテヌート〜プレッサンテ・ヴィゴローソ(エネルギッシュに、だんだん速く)〜レント という三部形式。鐘と共に分散和音が鳴り渡る冒頭から、和音は次第に不協和音となって、不気味な音調へ。その中からホルンによる主題が立ち上る。和音の柱が主題を突き刺してゆき、ホルンの響きはミュート付トランペットへ引き継がれる。ちなみに、しばらくそのままの音調あるが、後半になってやおらテンポがアップして激しくなる。ものの2分ほどその音調で突き進むが、ティンパニの連打からまたゆっくりとなって……しかしすぐさま打楽器と共に終結してしまう。

 2楽章、ラルゴ〜テンピ・ピゥモッソ〜ラルゴ Tempi は Tempo の複数形だそうだが、日本語でなんというのかは寡聞ながら知らない。だんだん速いテンポ群となる とでもいうべきか。1楽章の終結のまさに続きという調子で始まり、弦楽を主体とした悲劇的な響きを延々と続ける。ピアノなども交じり、ここは調性に近い。主題が変わって、中低音が動機を切々と奏で始める。その主題へ木管と金管も殴りこみ、激しさを増して行ってやがて打楽器も入り、オーケストラ全体の咆哮となる。続いて短い動機を細かく展開させて行く段となり、最後はまたラルゴへ戻る。最後は明るい調子が少しだけ現れる。
 
 3楽章は プレスト〜プレスティッシモ 超速い楽章である。短い無調動機をゴチャゴチャと発展させて行く。ひっそりとした、囁くような弦楽と警鐘の金管が交互に掛け合い、打楽器も合いの手を入れる。音調がフォルテからピアノまで自在に変わってゆくが、速度は速いまま一定を保つ。中間部あたりでフガートっぽくなり、より複雑な進行をする。確かにテンポがどんどん速くなって、無調アレグロは変幻自在に音調を変化させつつ、長い和音で終結する。


第9交響曲「アルデアティーネの洞窟」(1968)

 1944年、ムッソリーニは一時的に失脚し、パドリオ政権が誕生したがすぐさま瓦解。イタリアは反ファシストレジスタンスや共産系パルチザン、ドイツ軍、ムッソリーニ率いる共和ファシスト党軍による内戦状態に入っていた。そのような状況の中、1944年3月23日、ローマパルチザンが爆弾テロを敢行、ローマを占領するドイツ軍将校や警察官33名を移動中に殺害する事件が起きた。ヒトラーはすぐさま報復を命令。24時間以内にドイツ軍犠牲者1人に対しローマの共産主義者50人を殺害せよと命じた。さすがに50人は無理ということで、殺害されたドイツ軍犠牲者1人に対し10人の処刑リストが作製された。ドイツ親衛隊は、その日のうちに、既に逮捕拘留されていたユダヤ人を含む共産主義者、カトリック教徒等、335人を処刑した。どういうわけかリストの330人より5人多かったが、よく分からないのでそのまま殺された。その場所が、ローマ近郊の採石場、アルデアティーネ洞窟であった。処刑は5人ずつ銃殺刑で行われ、翌日24日まで続いたという。その後、ドイツ軍は隠蔽のために適当に埋めて洞窟の入り口を爆破したが、40日後に進駐した連合国軍によって遺体が発見された。

 そんなわけで、ウィリアム・シューマンの第九は、一種の戦争交響曲といってもよいだろう。やはり3楽章制で、演奏時間は約30分である。

 1楽章、Anteludium はラテン語で前奏曲の意味。ひたひたとレントで迫る無調の主題。しかも、これまでのどこか調性感の残る無調と異なり、セリエリではないが、かなり深刻でドライなもの。やはせり題材が題材なだけに深刻にならざるを得ないか。少しずつテンポと音量を上げてゆき、ゆったりとした主題と激しく細かな主題が同時に進行する。とにかく悲劇的というよりもはやホラーで、恐怖と不安を煽ってゆく。ホルンの主題も重なって、やがて打楽器もらんだされる。そして響きはカオスとなり、これは協和音めいた2つの音で冒頭へ戻り、すぐさまコーダ〜そしてアタッカで2楽章へ。

 2楽章は Offertorium であり、これはレクイエムの中に登場し、奉献唱という訳がある。また協和音ぽい連打からアレグロで、細かな音形の無調主題で進められる。音量やテンポが微細に変化して、狭窄する犠牲者の複雑な感情が読み取られる。音調はどんどんテンポを増して高速化し、それへ伴って人々の恐怖や恐慌も増す。とはいえ、イマイチ優等生的な感じはぬぐえず、狂気分が足りないが、それはアメリカ人だからかもしれない。

 3楽章、Postludium は後奏曲の意味。これもアタッカで第3楽章へ。打楽器ソリの中、ひっそりと暗闇に横たわる死者の影。これは完全にレクイエムで、祈りの音楽。少し調性感が戻るが、冷え冷えとした情感と無常観は残る。弦楽、木管、金管入れ代わり立ち代わりで様々な無調主題を奏でた後、最後に衝撃的な鐘と打楽器、そしてテュッティ、短いクレッシェンドで悲劇を表す。


第10交響曲「アメリカのミューズ」(1976)

 ちょっと調べても副題の由来が分からなかったが、ウィリアム・シューマン最後の交響曲も3楽章制で、演奏時間は約30分。ひとつの、シューマンの黄金のパターンだったのだろう。

 1楽章はコンフォーコ(火のように)で、短く激しい楽章。冒頭から激しい。金管主体によりブラスバンドめいて無調旋律がウネウネと絡み合ってゆく。打楽器もからむが、分厚い管楽器群による無限旋律は面白い。やがて弦楽も入るものの、メインは管楽器である。その音調のまま楽器が増え、音量も大きくなってゆく。不協和音も荒々しく鳴るが、終結は調性が戻る。

 2楽章はラルギッシモ。ラルゴよりもっとゆったりした、幅広い感じで。荒涼とした乾いて侘しい情感が広がる。こちらは弦楽が主体となる。音量も少なく、死の地平線といった雰囲気を聴く者へもたらす。管楽器がそれへ乱入してくるが、弦楽の動機も消えずに残る。フルートとトランペットの不気味な二重奏を経て、管楽器が主体となって激しい警鐘を鳴らす場面へ。そこから弦楽のレクイエムめいた調子へ戻って、途切れ途切れとなりそのまま消えるかと思いきや、終結和音のみが調性となって終わる。

 3楽章は、移り変わりが激しい形式。プレスト〜アンダンティーノ〜レッジェーロ〜ペザンテ〜プレスト・ポッシブル と流れが続く。ピッチカートで主題あるいは主題の断片が提示され、非常に短い動機を展開してゆくプレストとなる。無調だがやはり調性感がかなり残るもの。やがてゆったりとした弦楽の部分(アンダンティーノ〜レッジェーロ)を経過し、再び速度が上がってひそひそと音楽は進行する。激しいし乱打戦のような音のぶつかり合いから、一転して最後のプレストへ突入。一気呵成に終結を迎える。

 最後の最後まで、新古典的形式の中に無調を詰めこんだ手法によったものである。







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