フェルステル(1859−1951)
 

 チェコ出身で長くウィーンで活躍し、晩年はチェコへ戻りそこで過ごした。専業作曲家ではなく、評論や音楽院の教師、院長を勤めている。生年の近いマーラーと親しく、詳しいマーラーの伝記に出てくる。マーラーはもちろん、5つ年下のR.シュトラウスより長生きした。

 チェコ語ではフォエルステルという発音が近いそうだが、ハンブルクやヴィーンでの活躍により当のチェコでも当時のウィーン風にフェルステルと呼ばれた(現在も呼ばれている?)というので、ここではフェルステルとする。

 歌劇、室内楽、声楽、オーケストラと順当に万遍無いジャンルの作品を残し、交響曲は5番まである。全体的に後期ロマン派風に進化した国民楽派で、華美で上品に作り変えられた田舎交響曲というか、無理にドイツ風の古典主義・ロマン主義に自分を嵌めておらず、伸びやかで楽しい。また、かといって過度に民族的な作風ではない。ドヴォルジャークが都会で垢抜けたといった雰囲気が心地よく、古風で堅実、冒険を避けているような作風ながらデザインの良い洒落た響きをしている。

 マーラーやシュトラウス等の、同時代の高名作曲家に比べると遙かに新古典的な外観であり、フォルトナー等に近い。伊福部風に云うと、「チェコを背負った新古典主義」 と云ったところか。


第1交響曲(1888)

 なんとマーラーの1番と同じ時期に作曲、そして完成している。フェルステルはもともと評論のほうでマーラーの交響曲を認め、シンパとなった経緯がある。マーラーの1番が嘆きの歌を反省して 「わざと平易に作曲されている」 というのを加味しても、純粋な作曲技術という意味では、フェルステルの方がずっとずっと優等生で、教科書通りの手練を示している。若者向けの交響曲の作曲賞があれば、きっと受賞するのはこちらだろう、と思う。マーラーは最初からぶっ飛びすぎている。後世に名曲として残っているのはマーラーだが、フェルステルの交響曲は、おそらくマーラーとは狙っているところが違うので、技術という観点からは正確な比較はできないのだろうが、こちらも手堅い書法がたいへんに魅力的な1曲である。

 フェルステルの交響曲は全て古典的な4楽章性で、マーラーと仲が良かったというわりに、完全にブラームスに範をとっている。あるいはシューマンメンデルスゾーン。完全にそういった風情だ。4楽章で30分ほどの曲。

 アダージョの序奏付の1楽章は、云われるまでもなくソナタ形式。ブラームス流といっても、この第1主題の劇的な進行はいかにもワーグナー、リスト的。ここらへんはおそらく、当時の「流行り」なのだろう。しかし、響きそものは、やはりブラームスっぽい。第2主題で、ちょっと田舎風の旋律が出てくる。コデッタから展開部へ到る。展開部はこの規模にしてはやや長い。大胆に主題を扱っているが書法が手堅いので、若書きなのにけっこう渋い音がする(笑) 聴いただけでは自分も詳しくは分からないが、再現部もかなり展開している。コーダは短く、静かに集結。

 第2楽章はアンダンテだが、マーラーのように10分も15分もあるものではない。約5〜6分。ここらへんが実に古典的な書き方だ。しかし、内容はけっこうロマン的。絃楽の清らかな主題と木管の牧歌的な主題のカラミがいい。短いが後半は盛り上がってこれも夢現といったふうで静かに終わる。

 3楽章はアレグレット・スケルツァンドとあり、舞曲風。ここも5分ほどで、そもそもシューマンあたりまで交響曲は緩徐楽章とスケルツォは同じほどの規模だった。メインは、第1楽章と終楽章なのである。ここではチェコの田舎風の舞曲を期待したいところだが、意外にしっかりとしたオリジナル主題。しかも、順当なスケルツォ形式ではなく、フーガっぽくなったり、トリオを欠いていたりと藝が細かい。第2主題が、ちょっと民族風。しかし、本当にちょっと、である。主題が2つ出たところで、長々と展開すると思いきやw 終わる。

 4楽章はアレグロ・エネルジーコ。雄々しい第1主題がじわじわと展開されつつ進行し、変奏曲っぽく感じる。正直ありま盛り上がらないが、コーダだけ盛り上がる。

 魅力的ではあるものの、メジャーにはならないかな、というのが本音か。


第2交響曲(1893)

 ソース不明ながら、これはマーラーが褒めたのだという。折しも、これもマーラーの2番と時を同じくして完成している。1番と比べて規模も大きくなり、4つの楽章で約45分を有する。

 マーラーが褒めたというのは、もちろん指揮者として、だろう。作曲者として彼が他人を褒めるという逸話は、晩年にコルンゴルト少年の作品や、アメリカへ渡ってアイヴズの交響曲くらいしかエピソードが思いつかない。指揮者としては、彼はけっこう新古典的な同時代の作品を取り上げている。たぶんこの曲の民族性と新古典主義の高度な合致が、マーラーの価値観と合ったのだろうか。

 アレグロ・モデラートの1楽章は15分ほどにも規模が拡大されている。1番と異なり、民族色がやや濃い。たおやかな第1主題が序奏無しで登場し、牧歌的な調子を醸す。第2主題は同じような感じだが暗く物憂げで深刻。そのまま、展開譜へ突入し両主題があまり大胆ではなく、しっとりとした上品な技法で処理されて行く。マーラーの影響なのか、彼なりに展開部は充実し、この形式のソナタ形式ではたっぷりと時間をとっているように感じる。展開部の最後には特徴的なフルートのソロ。再現部になり、コーダも一貫してテンポを護り、牧歌的な雰囲気を崩さない。

 2楽章緩徐楽章はアンダンテ・ソステヌート。一転して低音の金管が主題。それが木管をメインに引き継がれ、くら〜い調子でこちらもしっとりとしたテンポで進む。しかし暗い(笑) なんでこんなに暗いのか。暗くとも、ブラームスの3番のような感傷があるわけでもなく、ベートーヴェンの3番のそれのようなある種の雄々しさすら感じられる。

 3楽章はアレグロだが、明らかに3拍子のスケルツォ。主題が田舎っぽく聴こえるので、メヌエットでもいいかもしれない。もっともメヌエットは宮廷舞曲だが。トリオも面白いティンパニの小さな連打や木管ホルンの響き。

 アレグロ・コンブリオ、4楽章。テンポは地味に変わらないが、指揮者にもよるかもしれない。荒々しい第1主題を繰り返しながら、第2主題では一転して柔らかな旋律になるものの、曇り空は変わらない。展開部冒頭でいきなり誰かさんのようなバスドラソロ(笑) まず絃楽や木管による室内楽的な響きで主題が展開する。盛り上がってオーケストラが復活し、主題を執拗に繰り返しながらじわじわと展開して行くのは、ここまで来るとこの交響曲の全体の手法(特徴)なのだろう。コーダではしっかりティンパニも加わって盛り上がり、余り羽目を外さずに優等生的な終わり方がなんとも良い。


第3交響曲「人生」(1895)

 資料不足で、この曲のなにがどう「人生」なのかは良く分からない。おそらく、そんな大層な意味はないと思われる。

 もちろんこれもまた4楽章制。しかし演奏時間は約40分と規模が大きい。

 1楽章はモデラート。第1主題がゆったりと、そして厳かに現れる。リズムが際立ち、雰囲気が変わって、第2主題だろうか。展開部は、第2主題がじわじわと冒険譚よろしく盛り上がってゆく。再現部では第1主題が戻ってきて、そのまま輝かしくも落ち着いたコーダへ。全体としてその発想記号通りの、ゆったりとしたテンポの中で盛り上がる音楽。

 2楽章アンダンテソステヌート。こちらは一転して暗い。ホルンのソロが光を浮かび上げる。続いてヴァイオリンのソロが鄙びた歌。それが木管に続く。一瞬の静寂から、怒濤の荒波。そして冒頭のテーマがオーケストラ全体で奏される。大きく盛り上がって最後は光の中へ消える。

 アレグロ・モルトの3楽章は、こちらも2番と同様にアレグロ指定ながらスケルツォ楽章。洗練された舞曲が心地よく響く。ティンパニも粋だ。トリオは民謡風だが、本当に民謡を引用しているのかどうかは分からない。古典的、ロマン派といいつつ、和声がなんか斬新なのがいかにも当世風w スケルツォに戻り、順当な三部形式。

 4楽章、フィナーレ、アレグロ・モデラート。激しく主題が入れ代わる形式。その中でも、はっちゃけないで、しっかりと形式感を死守するあたり、このフェルステルという人の趣味の良さが伺える。後半、金管のコラールから、唐突に荘厳なコーダ。そのコーダが展開し、輝かしくこの交響曲を終結する。

 1番や2番よりむしろ保守的に聴こえる。


第4交響曲「復活祭の夜」(1905)

 この4番が、フェルステルの交響曲では最も市民権を得ているように感じる。ディスクの数も、少ない中でも多い。じっさい、民族的な作風としっかりとした古典的な形式がロマン派として結実した最良の合体の模範だろう。

 また、スメターチェク/プラハ交響楽団のCDのライナーによると、各楽章には副題がついているが、特に標題交響曲では無い。ディスクは2014年現在の現役盤でおそらくナクソス、チェコスプラフォン、MDGの3種類だが、40分から50分と盤によって演奏時間が違う。ロマン派ふうに大仰に演奏するか、新古典的な側面を打ち出してきっちりやるか、の違いかと思われる。

 第1楽章「磔刑」(Calvary

 苦悩を表すコラールから始まるモルト・ソステヌート。大きく盛り上がってティンパニの連打から派生した第1主題。これはまだ苦悩を表す。参考までに副題は磔にされたキリストそのものか、その像を表しているので、あながち関連が無いわけではない。一転して第2主題は関連するテーマながらも安息。展開部では苦悩が復活w 第2主題も分かりやすく展開して登場し、讃歌のように豪快に盛り上がる。そのままコーダで終了するかと思いきや、コーダがまた少し展開して盛り上がるあたり藝が細かい。これはベートーヴェンからのウィーンの交響曲の伝統だ。ここらへんが、単なる後期ロマン派に終わらない新古典的な外観を有する部分。最後は、静かに消える。

 第2楽章「子供たちの聖金曜日」(A Child's Good Friday

 聖金曜日は復活祭の前の金曜日のこと。子供たちの復活祭を待ちわびる様子というべきだが、繰り返すが標題描写ではない。アレグロ・デチーゾのスケルツォ相当楽章。順当に重厚な舞曲の後、案外早くトリオが来る。最初に戻り、アレグロを繰り返し。そこからどうも第2トリオに飛んでいる。ここがかなり展開して面白い。後半はスケルツォのテーマが再び戻り、また冒頭に戻って、また第1トリオ。スケルツォに戻り、軽くコーダ〜ジャン!で終結。

 第3楽章「孤独の魅力」(The Charm of Solitude

 これは、タイトルの意味が良く分からないが、アンダンテ・ソステヌートの緩徐楽章である。演奏時間的には、4つの楽章で最も短い。木管主体のコラール風主題がピチカートやティンパニのトレモロに支えられてしばし続く。絃楽が加わって発展し、やがて絃楽合奏でテーマが変奏される。ここから濃厚に変奏が延々と続けば後期ロマン派だろうが、そのままオーケストラ全体に広がりつつ盛り上がって平和な音色ですんなり終わるのが古典的なところ。

 第4楽章「聖土曜日の勝利」(The Victory of Holy Saturday

 聖土曜日は、復活祭の前の土曜日で、当然聖金曜日の次の日だが、これもタイトルの意味は分からない。レント・ルグーブレ(悲しい)の序奏から、アレグロ・モデラートの主部へ至る。

 重々しい序奏。絃楽の悲歌。ホルン等が加わってテーマが繰り返されながら変奏され、やや長く続きその頂点からヴァイオリンソロ〜ヴィオラソロになって、次第に音調が明るくなってくる。トランペットソロが登場するころには完全に夜が明けた感じだ。金管の吹奏からティンパニソロ一転! 主部はいきおい緊張感を増し、怒濤のアレグロとなる。

 金管のテーマが雄々しい。どちらかというと温厚なフェルステルにしては珍しいタッチ。しかし第2主題は絃楽で泣き節と女々しいw そこから第1テーマが少し戻って、なんと一瞬だけマーラーの6番のような音色が!

 ちなみにマーラーの6番は1903年から04年にかけて作曲され、05年つまりこのフェルステルの4番と同年に完成している。初演は翌年06年である。フェルステルはスケッチか草稿を見せてもらったのか……どうか? 想像の楽しみはつきない。

 そこからフーガ調となり、アレグロは続く。その中でヴァイオリンソロが管楽器に支えられて戻り、アレグロの主題も帰ってくる。さらに、執拗に展開は続く。すっきりせずに盛り上がりつつ、最後にはオルガンが登場。宗教的で荘厳な雰囲気を演出。そのオルガンにアレグロ主題がオーケストラで差し込まれ、さらに同じテーマを延々と続ける。こうなると見事というか、しつこいというか、他に主題は無いのかよというか。

 最後は、オーケストラ全体レント主題がテンポアップで再現され、コーダでは燦然とキリストの復活を祝祭し、光り輝き、勝利の内に終結する。

 フェルステルの交響曲の中では確かに最も聴かれるべき曲だと感じるが、同時に最もフェルステルらしくない躁的な気分に支配されている。


第5交響曲(1929)

 4番完成から、かなり時間があいている。24年から作曲し、29年に完成したようである。この間、マーラーは死に、第一次世界大戦を経てハプスブルク帝国は瓦解して、チェコはスロヴァキアと合邦して独立し、かれはウィーンを離れ、22年からチェコ(チェコスロヴァキア共和国)へ戻って音楽院で教鞭をとっていた。

 しかし、フェルステルのスタイルは変わらない。40分以上の演奏時間をかけ、4つの楽章から作られている新古典主義的な交響曲で、この後も長命を保ったが、最後の交響曲となった。

 モデラート・ソレンネ(荘厳な)とある序奏付アレグロの第1楽章。冒頭の和声はやや不協和音っぽいが、その後の主部は清浄な導入より一気にアレグロへ。半音進行が時折混じるのが、時代の流れを感じさせる部分。第2主題と思わしき物は一転、暗くシリアスで、展開部もそれに従う。第1主題も展開され、展開は続くが、けっこう複雑な細かい響きを生み出している。展開部はゆったりと歩み続け、シリアスさはこれまでに無いほどである。チェロの渋いソロから密やかなコーダにいたり、静かに終わる。

 アンダンテ・モデラート〜アダージョ・レリジオーソ(敬虔な)の緩徐楽章もしめやかな雰囲気。5番にいたり、まるで葬式のような心象風景。木管や絃楽器が次々と重々しく切なく侘しい旋律を紡いで行く。かつて華やかなりしウィーンは今はなく、戦争で人心は荒廃し、ドイツにはあのナチスが登場しつつあった。中間部で盛り上がってから、後半のアダージョへ。ここでも祈りは続き、大きくティンパニが加わって高潮してから短くチェロのソロ、そして終結。

 3楽章ヴィバーチェはここにきてこれまでの真面目な宮廷舞曲ふうなものから諧謔が現れる。妙なギクシャクしたスケルツォ部から、トリオではしっとりとした独白といった風情で、なかなかよい老成を示している。通りとスケルツォを細かく繰り返して、ベルリオーズじみた不気味なコーダへ一気に突っ走る。

 4楽章はモデラート・モルトであり、全体にテンポが中庸なのが5番の特徴。しめやかなアダージョがまずしばらく続き、5番全体の雰囲気を壊さない。しかしその深刻なまでに静謐な音調がいつまでも終わらない。なんと、終楽章も緩徐楽章だった! オルガンも鳴って、祈りは終わらない。コーダでは懐古的な雰囲気もある。彼はここに来て何を思ってこの5番を書いたのだろうか。コラールが静かに流れて、コーラングレの独白で終わる。

 友人マーラーではないが、まるでこの世への惜別の交響曲となっている。フェルステルはこの後、約20年を生きたが、チェコは第二次世界大戦と共産化を経ており、けして安寧な晩年ではなかったと推察される。



 まとめると、なんだかんだと、やっぱり4番が一番ウケるのかなあ。





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