日本人のチェロ協奏曲


 私は協奏曲(コンチェルト)が苦手で、理由はよく自分でも分からないのですが、どうも独奏楽器が独善的に獅子奮迅するのが癇や癪に触るようなところがあるようです。

 その中でも、苦手ながらも楽しんで聴けるのが、チェロ協奏曲と、(ティンパニよりもむしろ)鍵盤打楽器の協奏曲なのですが、好んで集めるというわけでもありません。

 鍵盤打楽器(マリンバやシロフォン)の協奏曲は、数が少ないのは分かりますが、地味にチェロ協奏曲も少ないです。世界的には、エルガーとドヴォルザーク、それにシューマンとかが高名なところですが、それ以外……みなさん、何曲ご存じです? チェロを嗜んでいる方とかは別ですよ(笑)

 ショスタコーヴィチの2曲は、録音があるほうですね。ハイドン? ヴィバルディ? ボッケリーニ? シブイ、古典派ですね。ブリテン? そりゃチェロ交響曲ですよ。バーバー? ハチャトゥリアン? おおう、通ですな。ブロッホやチャイコフスキーのように協奏曲にはなってなくとも、実質協奏曲もありますね。えっ、ディーリアスにもあるの。ふーん。シュニトケ? カバレフスキー? まあ、そこまでなるとねえ。(え、バッハ息子? それもマニアックね) オネゲルもあるそうですよ(笑)
 
 プロコフィエフ、サン=サーンスに、ラロに……けっこうありますね。でも、ピアノやヴァイオリンに比べたら少ない。ヴィオラや管楽器よりは多い?
 
 個人的に、弦楽器の中でもチェロの音色は好きです。だから、苦手ながらも、けっこう飽きずに聴けるのではないかと思います。

 そしてやっと本題。私は日本人作家のファンで、交響曲を中心にディスクを集めてますが、中で、チェロ協奏曲の録音がたびたびある事に気づきました。もちろん率先して集めているわけではなく、他の曲を目当てに買ったり、作曲家を目当てに買ったりしていた中で、たまたま、ディスクに入っていただけでも、2005/8 月初稿執筆現在、私の持っている中で、なんと9種類(9人の作曲家)もありました。これって多いです。ヴァイオリンやピアノの、日本人の他の協奏曲よりも録音が多いかもしれません。また、録音が多いということは、それだけ質も良いということかもしれません。
 
 もちろん、堤剛という名人がいて、たいていが堤のソロを前提に書いたり、委嘱されたりしているからだろうと思います。というわけで初演とかあまり興味ないんですが、いかに堤剛の初演が多いかを知ってもらうために、参考として載せました。
 
 他にも、日本人の作曲家がなぜチェロ協奏曲に惹かれるのかは専門家の研究にでもまかせておき、ここでは、曲紹介という趣旨で、なかなか外国人のマイナーどころと比べてもけして引けをとっていない、日本人のチェロ協奏曲の世界を垣間見たいと思いました。
 
 交響曲ばかりではなく、協奏曲でも、楽しい日本人作曲家の世界。

 その中でもチェロ協奏曲に的を絞ってみたところに、面白さがあると思います。ではどうぞ。

年代順

1944 尾高尚忠 チェロ協奏曲
1960 矢代秋雄 チェロ協奏曲
1966 外山雄三 チェロ協奏曲
1967 堀悦子 ティンパニとチェロの為の協奏曲
1969 芥川也寸志 チェロとオーケストラの為のコンチェルト・オスティナータ
1971 廣瀬量平 チェロ協奏曲「トリステ」
1984 武満徹 オリオンとプレアデス〜チェロとオーケストラのための
1984 松村禎三 チェロ協奏曲
1990 西村朗 チェロ協奏曲
1993 平井丈一郎 祝典序曲−皇太子殿下のご成婚を祝して
1993 三枝成彰 チェロ協奏曲「王の挽歌」
1996 池辺晋一郎 チェロとオーケストラのための協奏曲「木に同じく」
1996 三善晃 チェロ協奏曲第2番「谺つり星」
1997 細川俊夫 チェロ協奏曲−武満徹の追憶に−
1997 別宮貞雄 チェロ協奏曲「秋」
2003 吉松隆 チェロ協奏曲「ケンタウルス・ユニット」
2009 和田薫 チェロとオーケストラのための「祷歌」

 60〜70年代に集中しているかと思いきや、意外と90年代が多い。未音源(CD)化のものもたくさんありますので、CDになっているもの、という前提です。


尾高尚忠:チェロ協奏曲(1944)

 初演は戦争末期のため一部のみ。

 古典的で大規模な3楽章制の40分の曲だが、内容はウィーンで学んだ尾高らしい後期ロマン派に和風エッセンスというもの。しかし、それにしても手堅い仕事だ。戦前日本にこんな大協奏曲があったとは、恐れ入った。諸井三郎といい、もっとCDの時代にも戦前の作曲家を見直して取り上げても良いと思う。(諸井三郎にもチェロ協奏曲があったような。)

 1楽章はアレグロで伝統的ソナタ形式。第1・第2主題ともチェロが提示。衝撃的な一音より朗々とチェロが主題を歌い上げる。もう最高にカッコイイわ(笑) 展開部がまた濃厚で飽きさせない。こういうちゃんとした本物のフレーズをもつ音楽というのは、やはり表現するのが難しい。現代的な曲も技術的にはそりゃあ難しいのだが、けっこうごまかしがきいてしまう。だが、こういうド調性はごまかしようが無い。バレバレだ。恐ろしい音楽となる。しかし……何かの映画音楽のような……恰好よくも、美しく、楽しい音楽である。終結部も堂々として良い。

 2楽章もまた良い。レント・カンタービレ。きれいでドラマティックな伴奏に、切々とチェロがからむ。変奏曲形式。提示主題は長いチェロ独奏。テンポが上がってアレグロの第1・2変奏。また戻って牧歌的な第3変奏。(ハイジみたいな雰囲気) またアレグロでカッコイイ第4変奏。渋いカデンツァを経て、平和的な第5変奏でおしまい。

 3楽章は短いアダージョの序奏から一気にアレグロへ。これもまたカッコイイ!(笑) ABACAのロンド形式ということである。和風の趣が強くなる。Bはアレグレットっぽく、明るく軽い。Cはアダージョだが楽章の性格に合わせてやはり明るい。Aが再現されて、堂々の(感動的)終結となる。うーむ……良いぞ。

 ま、ドヴォジャークのそれに近いかも……向こうの方が(かなり)クドイけども。それもまたあっさり風味の和風総本舗でよろしいです。

 若杉弘/読売日本交響楽団/岩崎洸Vc EMI/TOWER RECORDS QIAG-50031・32 現代日本チェロ大全−1

 参考:尾高尚忠の交響曲のページ 


矢代秋雄:チェロ協奏曲(1960)
 
 1960年公開録音という形で初演。岩城宏之/NHK交響楽団/堤剛Vc
 
 心臓発作で急逝した矢代は元より寡作家というだけあり、特にオーケストラ作品は私の知る限り、交響的作品、交響曲、チェロ協奏曲、ピアノ協奏曲、の4曲しかない。どれも内容の濃い、素晴らしい作品ばかり。
 
 チェロ協奏曲は1楽章形式で20分ほど。第9回尾高賞受賞。矢代流の循環主題に貫かれたもので、なかなか近代フランス流のシリアスでシビアを音楽だが、外国の書評では、日本的な書法や響きが、チェロ独奏に特に顕著に見られるとのこと。批評家の解説によると、全体は4部に別れているそうです。
 
 長い無窮動的な独奏チェロのモノローグより始まって、切々と循環主題を奏でる。途中で印象的なドラとティンパニのソロを挟み、管弦楽が、ひそひそと忍び込んで来る。
 
 テンポが次第に上がって来ると、チェロのソロも激しさを増す。フルートとの二重奏的な部分が、日本的な旋律かもしれない。またこの部分のチェロの扱い方に、後の武満や黛に通じる物があるかもしれない。つまり、三味線や琵琶の技法を模している。
 
 ティンパニを従えて盛り上がった後、再びモノローグを奏でつつ、冒頭に回帰し、静寂の中へと消えて行きます。

 一貫して、独奏チェロのパートはモノローグを扱っており、時に日本的な技術を使う。それが循環形式として、全曲を統一しているという趣向です。

 CDは3種類所持してます。
 岩城宏之/NHK交響楽団/堤剛Vc デンオン COCO-78444 日本の現代音楽−4
 大友直人/東京交響楽団/堤剛Vc フォンテック FOCD3303
 若杉弘/読売日本交響楽団/岩崎洸Vc EMI/TOWER RECORDS QIAG-50031・32 現代日本チェロ大全−1
 
 参考:矢代秋雄の交響曲のページ


外山雄三:チェロ協奏曲(1966)

 1967年 モスクワで初演。外山雄三/ソビエト国立放送交響楽団/ロストロポーヴィチVc

 ロストロポーヴィチの委嘱によるが、20分程度の、1楽章制か多楽章制との注文がついたようで、外山は多楽章を選んだ。なんと6楽章制(というかほとんど切れ目なく演奏される6部に別れた組曲風のもの。)であり、短い多楽章の組曲風協奏曲といえる。
 
 外山といえば、優れた指揮者であるばかりではなく、管弦楽のための「ラプソディー」にあるように民謡の力を昇華する手法で知られる優れた作曲家でもある。
 
 チェロ協奏曲は、もちろん独奏も伴奏も民謡調であるが、構成としても一風変わっていて、6楽章がそれぞれ独立して、上記したが内容的にも組曲風であり、ひとつの主題・旋律を奏でると、なんの発展も展開も無く、呆気なく終わって、次の楽想が始まる。
 
 それはつまるところ、日本伝統音楽の単旋律(モノフォニー)を意識しているのだと思われる。
 
 1:アンダンテ チェロ独奏より、やや無調っぽい強度の半音進行で主題が呈示されるが、それはもちろんつきつめれば民謡調のものだったりする。伴奏の管弦楽も、民謡節ではあるが、洗練された、バルトークよりもむしろコダーイのようなエスプリを持つ。

 2:アレグロ おけさみたいなリズミックな部分で、チェロもよく踊る。
 
 3:アンダンテ この部分は弦楽により、強いドラマテッィクな伴奏よりスタートし、やがてチェロが子守歌のようなきれいなソロを弾く。伴奏も、いろいろと民謡調の旋律を奏でる。ここは技法的にも日本情緒あふるる。

 4:アレグレット ポコ インプロヴィザート ここではチェロがまた趣向を変え、ピチカートで楽章を通す。つまりここでチェロは箏や三味線を模しているのではないかと思われる。黛のチェロ独奏のための文楽も思わせる響きがある。

 5:レント ここでは「南部牛追い歌」を素材とする。初めてじっさいにある民謡が使われている。雄弁なチェロ独奏を、儚げに管弦楽が彩る。
 
 6:アレグロ フィナーレ。陽気なリズムと響きで、チェロが縦横無尽に活躍する。最後は冒頭のテーマが回帰して終わり。
 
 協奏曲とはいえ、チェロと管弦楽は、やはりここでもドラマテッィクな組んずほぐれつの西洋風の展開法を見せることなく、同時並行存在ともいえる、同列に扱われているのが面白い。
 
 外山雄三/東京都交響楽団/堀了介Vc 外山雄三オーケストラ作品集2 フォンテック FOCD3480

 参考:外山雄三の交響曲のページ


堀悦子:ティンパニ、チェロとオーケストラの為の協奏曲(1967)

 森正/東京交響楽団/岩本忠生Vc/有賀誠門Timp(1967放送初演)
 森正/桐朋学園オーケストラ/藤原真理Vc/高橋明邦Timp(1968ステージ初演)

 作曲者20代はじめの大作で、現代ものにしては古典的で40分近い大規模な3楽章制だが中身はけっこう辛辣。ただし、まったく自由な現代ものというわけでも無く、バルトークあたりの雰囲気。なにより、チェロとティンパニの二重協奏曲という発想が面白い。

 1楽章はティンパニ協奏曲。ティンパニの乾いた響きとチェロの叙情的な響きというものの対比を出しているという。無表情のティンパニにアルトフルートなどがひたひたと絡んでくるのは不気味で面白い。オーケストラの旋律は無調だが12音ではない感じ。後半はテンポが上がり、ティンパニの怒濤の連打が楽しい。ティンパニは4本マレットで叩くそうである。

 2楽章は叙情的ではあるが、無調っぽいのでかなり際どく殺伐とし茫洋としたチェロの協奏曲。アダージョ。

 3楽章はチェロとティンパニのドッペルコンチェルト。激しいオーケストラによる動機からその動機によるティンパニとチェロの激しい掛け合いが始まる。確かにチェロとティンパニの組み合わせはいま聴いても斬新で面白い。ただし全体的に内容の割りにはちょっと長いか。

 しかし、23歳の若さでこれほどの「響き」を生み出すその事実が素晴らしい。聴けば聴くほど、味が染み出てくる音楽である。

 若杉弘/読売日本交響楽団/岩崎洸Vc EMI/TOWER RECORDS QIAG-50031・32 現代日本チェロ大全−1


芥川也寸志:チェロとオーケストラの為のコンチェルト・オスティナータ(1969)
 
 1969年東京文化会館で初演。秋山和慶/東京交響楽団/岩崎洸Vc 

 芥川は協奏曲をほとんど書いていない。オルガンとオーケストラのための響(ひびき)や、未録音でしかも4分ほどの小品であるヴァイオリンとオーケストラのための「秋田地方の子守歌」あるいは5分ほどのオーケストラとティンパニのための「誠城寺の腹つづみ」をコンチェルトに含めるかどうかは難しいところだが、それ以外では当曲くらいしか無いと思う。
 
 なお、GXコンチェルトという曲は、ヤマハの電子オルガンGX1の協奏曲ですが、現在では稼働する当機はヤマハにも無いそうです。
 
 つまり、いわゆる通常の概念でいうところの協奏曲は、当曲だけだと思う。
 
 矢代と同じく1楽章形式、約17分です。
 
 また、全休符で別れる前半と後半の二部形式と見てもよいようです。

 コントラバスとハープシコードによる弱音のオスティナート動機によって不気味に開始されるや、チェロがその動機によるなかなかうらぶれた主題をソロで奏でだす。

 テンポが次第にアップし、アレグロとなるも、その主題も、オスティナート動機による。全体として、めぐるましく楽想が変化するが、すべてがひとつの動機より派生しており、それらを繰り返しながら変化を求める技法による。
 
 後半部も前半と同じく、ゆっくりしたテンポからカデンツァを経て次第にアップして、再びハープシコードが今度はアレグロで動機を呈示するとそれをオケが受け、チェロが受けて、最強音で盛り上がって一気に幕を閉じる。

 なお、後半の終結部前のチェロソロの前の一瞬の全休符は、「途中でなかなか曲の展開が上手くつながらない」という芥川の相談に乗った師・伊福部のアイデアであるらしい。

 「(略)終結部の最後にチェロのソロがアレグロで出るのだが、どうしても狙っている効果とは異なるのだと言う。彼はピアノでその部分を弾いたが、それはオーケストラからチェロに移る前に一拍の休止が必要なのではないかと意見を述べると、その様に奏し疑義が解けたと言い、どうしてそのことに思い到らなかったのだろうかと頻りに自らを怪しんでいたのが印象的であった。」(芥川也寸志君を偲ぶ 伊福部昭/芥川也寸志 その芸術と行動 東京新聞出版局 より)

 また伊福部によると、総譜を見ながら作曲の相談に乗った最後の曲という事で、想い出深いものがあるという意味の事を述懐している。
 
 CDは3種類所持してます。
 外山雄三/NHK交響楽団/堤剛Vc 日本の現代音楽作品集 ソニー CSCR8375/7
 芥川也寸志/新交響楽団/安田謙一郎Vc フォンテック FOCD3243
 若杉弘/読売日本交響楽団/岩崎洸Vc EMI/TOWER RECORDS QIAG-50031・32 現代日本チェロ大全−1
 
 参考:芥川也寸志の交響曲のページ


廣瀬量平:チェロ協奏曲「悲(トリステ)」(1971)

 レコードのため作曲

 1971年、廣瀬の初めての本各的なオーケストラ作品として生まれたこのチェロ協奏曲は、室内楽としても演奏可能な、現代的な音楽で、内容も70年代のゲンダイオンガクに相応しい難解なもの。1楽章制だが、20分に到る大曲でもある。打楽器が多用されるが、管楽器は限定され、弦楽の人数が大きいか小さいかで、室内楽バージョンかオーケストラバージョンか分かれるのだと思われる。

 序奏もなくチェロがリズム概念の無いような無窮的旋律によるカデンツァ(ここは尺八っぽい雰囲気)をしばし奏で、その後打楽器の始動が曲全体の息吹を感じさせる。大きく分けると3部形式だが、A B C の並列存在とのこと。

 各種打楽器の偶発的サウンドが嫌でも現代音楽的な雰囲気を醸し出す中、管楽器は長短はあるが意外としっとりとした旋律を奏でる。その中をチェロが自在に、泳いで行く。廣瀬らしい邦楽っぽい響きがチェロで模されて行くが、雰囲気はそういうものではなく、かなり乾いている。ティンパニの打撃よりソロヴァイリオンとの対話が始まると、雰囲気が急に緊迫する。ここからしばらくは、カオス的な要素が聴かれる。

 最後は、再びチェロの独白が、ブラームスの世界のように淡々と示されてやがて静寂の中に消え行く。

 トリステというラテン語は、ただ悲しいという意味だけではなく、もの悲しいとか、もの淋しいというニュアンスもあるらしい。

 その名の通り、くらーい趣に支配された、陰鬱な出来ばえだが、現代人による人間精神の暗をうまくさらけ出していると思う。

 森正/東京フィルハーモニー管弦楽団/堀了介Vc VDC-5511
 若杉弘/読売日本交響楽団/岩崎洸Vc EMI/TOWER RECORDS QIAG-50031・32 現代日本チェロ大全−1


武満徹:オリオンとプレアデス〜チェロとオーケストラのための(1984)
 
 1984年パリにて初演。尾高忠明/東京フィルハーモニー交響楽団/堤剛Vc
 
 武満はたとえコンチェルトでもナントカ協奏曲とは名付けなかったし、たとえ協奏曲でも、オーケストラの一部あるいはオーケストラと解け合う響き、あるいは同時存在としての対極としての独奏楽器という位置づけから離れなかった。

 オリオンとプレアデスは、堤剛のソロを前提とし、はじめ、チェロとピアノのためのオリオンという室内楽曲からスタートし、その構想を膨らませ、チェロ協奏曲となった。楽章制ではないが、3部に別れ、それぞれ「オリオン」「と」「プレアデス」となっている。
 
 25分もの大曲で、後期の武満としては珍しい長さ。気合の証明か。
 
 オリオンはさらに3部形式、チェロが動機に従ってオーケストラの中を自由に泳ぐ。武満の後期の曲は美しい織物のようで、時に縦糸となり、時に金糸銀糸となって地に彩りを与える独奏。なにより協奏という概念よりもむしろ、独奏なのにオーケストラと一体化している同奏というべき響き。
 
 と(and )はチェロのカデンツァ風間奏曲で、5分ほど。フルートによる半音進行の神秘的な動機をチェロが受け取って、川の流れのように滔々と奏でる。無常観溢れる楽章。
 
 プレアデスは動きをやや激しくして、チェロも全面に出てくる。レントのオリオンに比較されて、武満にしては珍しくアレグレット。武満独特の数字にこだわった旋律進行による動きが楽しい。またなにより、和音も厚く、打楽器も厳粛ではなくきらびやかで、後期武満の特徴を遺憾なく発揮している。
 
 CDは3種類所持してます。
 岩城宏之/NHK交響楽団/堤剛Vc ソニー 58DC 282-3(日本初演)
 尾高忠明/BBC ウェールズナショナル交響楽団/ウォトキンスVc BIS BIS-CD-760
 小泉和裕/東京都交響楽団/上村昇Vc フォンテック FOCD9273

 ※初演者である尾高の回想によると、東京フィルの練習会場には当時なぜかジュウタンが敷きつめられていて、まったく響かない場所だったが、武満が何を勘違いしたか響かないのは曲のせいだと思って、「どうしよう! ヒドイ曲書いちゃった!」 とパニックになり、「パリでの初演をやめたほうが良くないか?」 とまで云い出した。「まあまあ、大丈夫ですよ」 と関係者でどうにかなだめ、パリで合流したときも、 「武満さん、明日のシャンゼリゼ劇場はすごい良い音響ですから」 と云ってまだ不安顔の武満を安心させた。いざステリハが始まると、1楽章が終わったときには、ニコニコ顔に戻っていたそうです。打ち上げでは一転して、「なかなか良い曲でしょ!」 ですってw
 
 参考:武満徹のページ


松村禎三:チェロ協奏曲(1984)
 
 1984年、日本フィルシリーズにて、初演。渡邉暁雄/日本フィルハーモニー交響楽団/安田謙一郎Vc 

 作曲当時、松村は芸大の先生だったが、いろいろと旧奏楽堂移転、学外活動の可否等の問題があって、なかなかたいへんだったようだ。従って1979年に委嘱されたが、84年まで作曲がかかったらしい。
 
 1楽章制で、なんと30分にもおよぶ大曲。しかも3管編制に、6人の打楽器、ハープ、ピアノ、チェレスタ入りの、大編制を駆使し、相変わらずの緻密な音色を醸し出している。
 
 突き刺す様な管弦楽の音響より、点描的な、計算されたカオスが混沌を表現する。ミクロではひとつひとつの音の粒が際立っているが、マクロでは、それは全体として群体のような造形を成す。
 
 一瞬の静寂の後入って来るチェロのソロだが、丁々発止にオーケストラを従者にしてしゃべりまくるという古典的な協奏曲の構図は松村にとってあり得ないらしく、あくまで瞑想的に独白して、しかも管弦楽との一体化をも図り、渾然たる音の世界を造形してゆく様子は、松村を聴く喜びだろう。
 
 ソロの後、管弦楽のカオスがやおら復活するが、どこか神秘的な響きであり、再び現れるソロも渋い跳躍の広い音形を切々と続ける。それは、彼のピアノ協奏曲の様なある種の古典的なソロイスティックなアレグロの楽想でも無い。不思議な、幽霊のうめき声の様な独特のソロだ。
 
 中間部を過ぎてより、無拍子的なワンバイワンのリズムより、ギコギコした妙にアレグレットなリズムに変化したソロより受けて、彼の映画音楽にも出てきそうな、平和的なアジアンチックな旋律が管弦楽によって登場。それから、初めて早いテンポとなるが、辛辣さよりは、むしろ調性のような雰囲気。コーダでは、安らかな和音で、チェロが静かに、眠りにつく。最後に管弦楽がひと吼えするのが一興。

 終始一貫して、コンチェルトではあるが、チェロと管弦楽の協奏は競演というよりかはまさに協力しあう響きとなっているのは、作者の想い通りの音楽になっていると思う。1楽章制だが明らかに幾つかの部分に別れていて、チェロと管弦楽が同時並行的な存在感を示しているところに、日本人の作曲によるのだなあとつくづく思った。
    
 松村にしては、前衛的な響きは後退し、ずいぶんと大人しいがその分渋い印象を与える。また交響曲や前奏曲、ピアノ協奏曲の様な前期作品の濃密さが失せている変わりに、殻をひとつ脱いだ印象もある。人によっては物足りなく感じるかもしれないが、なんとも枯れていて侘び味が面白く、私は好きだ。
 
 外山雄三/NHK交響楽団/上村昇Vc 民音現代音楽祭'87 カメラータ・トウキョウ 30CM-87(CMCD-25036)

 参考:松村禎三の交響曲のページ


西村朗:チェロ協奏曲(1990)

 初演情報不明。情報求。
 
 西村といえばヘテロフォニー。

 ナントカのためのヘテロフォニーという音楽を、量産している。しかし、ヘテロフォニーってなんじゃらほい?

 音楽辞典を読んでもよく分からなかったが、友人の池辺晋一郎がN響アワーで解説をしていた。
 
 曰く。同じ旋律(フレーズ)を、たくさんの楽器が同時に演奏する。すると、次第にずれて来る。あるいは、わざと少しずつずらして作曲する。そのズレがだんだんだんだん大きくなって来ると、しまいにはウワーンという音響となる。その効果、またはそうする事がヘテロフォニー。オーケストラでするとウワーンとなるが、例えばふたつぐらいの楽器で、または歌と伴奏なんかですると、微妙なズレが独特の味わいを産む。それはつまり、邦楽の効果でもある。歌と尺八、歌と三味線が、同じ旋律を同時に奏でるが、だんだんズレてくる。又はわざとずらしてある。あるいは、歌をすぐ追っかけながら、伴奏が同じフレーズを演奏する。つまり、ヘテロフォニー。
 
 こんな感じだったが、なるほどとうなずいた。
 
 なおヘテロフォニーは邦楽に限らずアジアの伝統音楽全般にある特徴らしい。
 
 弱音にして単音(D)の音より引き出されるチェロの長い旋律とその変容を中心にして、管弦楽がそれを補佐するという形式をとっている。1楽章制で、20分弱。
  
 チェロの旋律は長調短調に関係ない旋法的な独特のもので、不思議な東洋的神秘を強く感じさせる。伴奏と独奏の、そして和音やリズムの、微妙なズレがなんとも心地よい。

 チェロは長い時間をかけてゆっくりと高揚してゆき、管弦楽もそれへつきそう。
 
 誤解を生じるかもしれないが西村の音楽はたいへんに暑苦しい。いや、心地よいという意味で。東南アジアの灼熱の太陽の、光と熱の層の織りなす眩しさがある。それは独特の管弦楽法やリズム処理、和声処理にあるらしい。
 
 音楽はじわじわと汗をかきつつ盛り上がって、やがて、次第に鎮まり、冒頭に帰って、また弱音で閉じられる。ケバケバシイ、ヒンドゥーあたりの神をも思い起こさせる響きは、西村の大きな特徴だが、チェロ協奏曲も、まさにその効果を楽しむことができる。
 
 エッシャー/リンツ・ブルックナー管弦楽団/ノータスVc カメラータ・トウキョウ 30CM-199

参考:西村朗の交響曲のページ


平井丈一郎:祝典序曲−皇太子殿下のご成婚を祝して−(1993)

 1993年、日テレ系列の皇太子殿下ご成婚奉祝番組内にて、自身の指揮とチェロ独奏で初演。

 厳密にはチェロ協奏曲ではなく、チェロと弦楽合奏のための13分の小曲。

 平井は作曲家平井康三郎の長男で、かのカザルスの弟子というチェリストだが、作曲もやる。ということで、徳仁皇太子のために作曲した「VaとVcのための優雅なるアレグレット」(殿下はヴィオラを嗜まれる。)のテーマを元に作曲したもの。

 平井のチェロ独奏のための「北斎」という曲も併録されており、それはなかなか現代風であったので、このすさまじく強烈な、まるでハイドンのごとき平明さと高貴さは、わざとだろう。彼の演奏自体にそこはかとないノーブルな気品があり、各国の元首・王族にもウケがいいというのもうなずけるし、天皇皇后両陛下が皇太子時代に天覧演奏会も行っているらしい。

 やもすると古典派のアカデミックなエピゴーネンともとられかねないが、奉祝にかこつけて、良い事にしてしまおう。

 やおらトゥッティで雅びかつ古典的なテーマが示されるや、チェロ独奏が始まる。それも宮廷音楽を現代に甦らせたような趣で、アレグロが明るくアポロ的な響きを紡いで慶賀な気分を演出する。

 中間部でテンポが落ち、ここで「優雅なるアレグレット」が登場する。本当に優雅で、皇室アルバムにそのまま使えそうな雰囲気。移ろい行く皇居の四季を観るような気分になる。

 その後、アレグロへ戻った後、すぐにまたアレグレットとなって、ここは3拍子でワルツでもある。

 ラストは再びテンポアップし、荘厳なる響きになり、大団円。

 平井丈一郎/平井丈一郎チェンバーオーケストラ/平井丈一郎Vc ALM RECORDS ALCD3032


三枝成彰:チェロ協奏曲「王の挽歌」(1993)

 大友直人/東京シティフィルハーモニック管弦楽団/藤原真理Vc

 三枝も、いわゆるゲンダイオンガク的モダンから調性へ回帰し、来る21世紀にはそれこそ「モダン」なのだということを証明し続ける作曲家。劇伴も多く、私にはアニメ「機動戦士Zガンダム」や大河ドラマ「花の乱」のBGMが懐かしい作曲家。

 王の挽歌は遠藤周作の同名小説より着想されている。読んだことは無いが、大友宗麟を描いたキリスト教時代ものらしい。宮崎には宗麟が残した無鹿(ムジカ=音楽のこと)という地名があるとも。キリスト教による理想郷を夢見て散った戦国大名への挽歌を、チェロが切々と歌い上げる、かなりドラマティックな、大衆性のある面白い作品。

 2楽章制で、指定はないが1楽章はアレグロ、2楽章はアダージョ−アンダンテに聴こえる。

 冒頭、やおらシンセサイザー(?)かオーケストラによる効果音が雷鳴のように響き、序奏なしでチェロが鳴り響く。その苦悩は、この世の救済を求める使徒のごときである。楽園を夢見て散ったとあるキリスト大名の見果てぬ夢。そのテーマが示されて、大河ドラマの音楽のような雰囲気にも成り、ストーリー性をも感じさせる。戦国時代を戦い抜いた男の生きざまが聴こえる。

 2楽章はうって変わって深い内面性の発露となる。

 喜びや不安、悲しみをチェロが朗々と訴えるように弾くのは圧巻。
 
 最後は一瞬の休符の後、再びダゴーン!と効果音が鳴って、チェロが苦悩を示し、雷鳴がさらに轟く。それからチェロが昇天するかのように歌い続け、最後は天に消える。

 大友直人/東京交響楽団/藤原真理Vc EPIC/SONY RECORS ESCK8032〜3


池辺晋一郎:チェロとオーケストラのための協奏曲「木に同じく」(1996)

 1996年、大阪で初演。山下一史/大阪センチュリー交響楽団/向山佳絵子VC
 
 別に悪口ではないが、池辺の音楽は才能にまかせた「書き散らし型」であって、良くも悪くも形式や内容の差が激しすぎる。だいたい、自分の曲をN響アワーで放映して、「こんな曲だったかなあ、もう忘れた」 などと平気でのたまうのがその証拠だ。なんぼ作曲しとるのか。彼のアタマにはシューベルトやモーツァルトのように、音符がこぼれて来るのではないか。出来の如何は別にして。それを書き留めてしまえばあとは忘却してゆくだけなのかもしれない。

 そんなわけで既に1000曲は作曲しているらしい池辺にも、当然のようにチェロ協奏曲がある。
 
 外山と同じく短い多楽章制。7楽章制で、18分ほど。

 7つの楽章はそれぞれ編制もバラバラで、さらに組曲風であるが、タイトルが暗喩するように、チェロを幹としてそれを中心にいろいろな音楽が発展するというもの。

 以下、楽章ごとに俯瞰していきたい。

 1:根へ(ソロ+弦楽) 浮遊感のある無調的なレント楽章。テンポの変化はあるが、一貫して瞑想的な曲調。

 2:枝で(ソロ+金管+打楽器) 打楽器、金管とチェロとの対話。チェロの長い旋律と、金管打楽器の短い信号的なパッセージの比較の妙。

 3:芽から(ソロ+木管+ハープ) 木管に変わってもそれは変わらず。長い音の木管も、無表情で信号的であり、雄弁なチェロをサポートする。

 4:葉と(ソロ+管弦楽) フルオーケストラが、チェロと匹敵する音量で激しく訴える中、チェロが切々と祈りを捧げる。
 
 5:花も(ソロ) ややテンポを落とし、独奏、いや独白。

 6:梢の(ソロ+11人の独奏者) 一転したオスティナートのチェロへ、少しずつからむソリストたち。

 7:悲しみの種(ソロ+管弦楽) カオスとその中の人間の叫び。

 シリアスの中にも歌があり、なかなか聴きやすい。個人的には、チェロは幹というより川の流れのようだった。

 作曲の前年に阪神大震災やサリン事件が起き、おりしも戦後・被爆50年であった。したがってレクイレムの性格が強いということである。

 セガル/大阪センチュリー交響楽団/向山佳絵子VC カメラータ・トウキョウ CMCD-28033

 参考:池辺晋一郎の交響曲のページ


三善晃:チェロ協奏曲第2番「谺つり星」(1996)

 1番は1974年に書かれている。2番があるのは日本人では珍しいと思う。1番の録音もあるが、廃盤と思われる。2番は新譜であるので、入手しやすいだろう。3枚組で高いけど。

 1996年、サントリーホール10周年記念演奏会のときに若杉弘/NHK交響楽団(ソリスト不明)初演。その模様はCD化されるはずだったが、録音状態が望ましくなかったとして、三善自身が辞退した。同日に演奏された他の曲(武満の弦レク、湯浅のVn協奏曲、芥川の響)はCDになっている。

 1楽章制で10分ほどの小品。

 三善は武満といっしょで不思議なタイトルをつけるのだが、曲の内容とはあまり関係がない。(本当はあるのかもしれないが、分からん。)

 解説によると、インスピレーションの元だよ、というていどのものらしい。技術的な解説ではなく、そういう作曲者本人による発想や主題の解説が必要なのが、ゲンダイオンガクの特徴のひとつである。(つまり、音楽からは分からない。)

 ちなみに、「星つり藻」というなんともロマンティックな藻の名前からヒントを得て、音が交錯し合う谺というものとかけあわせて……よく分かりません。

 ギーコギーコという現代っぽいチェロに、静かに管弦楽がからむ。三善らしい混沌とした大音響はやや影をひそめ、チェロのソロに寄り添うように、またはつけ狙うように鳴る。チェロはほとんど休み無くソロを弾き続け、オーケストラはその伴奏というより谺のように音の掛け合いということなのだろう。最後は、ティンパニのトレモロと共に虚空へ消え入る。
 
 沼尻竜典/東京フィルハーモニー管弦楽団/向山佳絵子Vc  カメラータトウキョウ CDCM-99036-8 三善晃の音楽


細川俊夫:チェロ協奏曲−武満徹の追憶に−(1997)

 1997年、サントリー音楽財団委嘱 十束尚宏/東京都交響楽団/ベルガーVc

 1楽章制。湯浅のヴァイオリン協奏曲と同じく武満へのオマージュ作品。
 
 しかし、細川の曲は、タイトルや編成や解説を見ただけで、私には合わないと思って敬遠していたが、チェロコンを見つけたので買ってみたが、やっばり合わなかった(笑)
 
 良い意味での武満の正統な子孫というか系譜というか。しかし、私には抽象的すぎる。上品すぎる。

 それはさておき、当曲だが、わざとなのか分からないが、武満にインスパイアしすぎ(笑)

 特に金属打楽器と弦楽の響き、それに音楽の構成は武満そのもの。たぶんオマージュだから、そのように作曲したのだとは思うが、それにしてもなあ。武満流の、セクトの短い「うた」が各楽器によって受け継がれ、紡がれてゆく様子を、細川流に、武満へ敬意を評して、使用しているとのこと。

 特にチェロ協奏曲にする必要性は感じられないのだが。。。

 サントリー音楽財団委嘱 十束尚宏/東京都交響楽団/ベルガーVc フォンテック FOCD3441


別宮貞雄:チェロ協奏曲「秋」(1997)

 堤剛Vc 他、初演情報不明。情報求。

 別宮もなかなか渋いというか柔らかい保守的な音色の音楽を書くが、この協奏曲はもの淋しい音色に支配されている。まさに秋というか。細君が脳溢血で倒れ、その介護に明け暮れた人生の最晩の心境が反映されているとの事。音楽は観念を反映しない……が心情の別宮も、まさにその心情そのものは反映せざるをえなかったという事だろうか。

 この曲に先立ち、第3交響曲を「春」、第4交響曲を「夏」として作曲した。これはそれへ続くものだという。
 
 緩急の2楽章制で、20分弱。第1楽章の最後にカデンツァが置かれる。
 
 序奏無しで、何かのドラマの主題歌のような調子で、悲しげな伴奏とチェロ独奏の主題が登場。なんとも、いい感じだ。
 
  現代チェロ協奏曲のチェロはどちらかというと無窮動的な無限旋律系の長いメロディーを、休みやテンポ変化があるとはいえ、全曲を通して奏でていたが、これは、一節一節が旋律として独立してるタイプ。
 
 1楽章は前記の調子で、管弦楽とチェロが対話をするように、悲劇的というより、またに病床と人との対話のようだ。昔話をしているようでもあります。センチメンタルな音楽だが、骨があり、ムード音楽のようなお涙ちょうだいではない。
 
 チェロのカデンツァは、古典的な形式のものですが、旋律がちょいと変わっていて、調性ではあるが、長短調ではないそうです。何かの古い旋法かな?

 2楽章では、テンポと調子が変わり、明るい雰囲気となる。熟年夫婦の、夜のデートという様子がありありと聴きとれる。
 
 しかしそれも束の間、再び音楽は苦難に立ち向かうような重い雰囲気となるが、それでも、どこかに微かな希望や、乾いた寂しさがつきまとう。

 終結部において1楽章冒頭が回帰したようになり、静かに終わる。テンポの速い曲ではあるが、楽しいというより、なんと美しい音楽だと思う。

 介護をしていた細君が、初演を聴く事なくお亡くなりになられたという事で、特に想い出深い作品であるとの事。

 若杉弘/東京都交響楽団/堤剛Vc ソニー SICC48

 参考:別宮貞雄の交響曲のページ


吉松隆:チェロ協奏曲「ケンタウルス・ユニット」(2003)

 2003年、大阪で初演。藤岡幸夫/関西フィルハーモニー交響楽団/ディクソンVc

 吉松は、形式は正統な組曲だの、交響曲だの、協奏曲だのと、古典的だが、内容はてんで自分勝手な解釈でハチャメチャにやってる曲が非常に多い。というかそういうのばっかり。彼は疑似ソナタ形式を好み、ソナタ形式やロンド形式のような綺想曲や幻想曲を平気で書く。

 チェロ協奏曲でも、30分を超える壮大なもので、古典的な3楽章制、特に1楽章を重視し、複雑な展開でチェロが活躍する……などというと、まるでベートーヴェンやブラームスのヴァイオリン協奏曲ばりの音楽を想像するが、ぜんぜんちがう。ワルツからエレジーからマーチまでがちょっと斜に構えられて登場する、ショスタコーヴィチをもっとお気楽極楽センチメンタルにしたような多様性主義。
 
 また、チェロ奏者を、上半身が人間で下半身がチェロ(ウマ)という半馬神に見立てて、神話3部作の完結編としても作曲してある。(なんじゃそりゃ。)

 ちなみに、3部作の前の2作はギター協奏曲「ペガサスエフェクト」ファゴット協奏曲「ユニコーンサーキット」となっている。

 そういった、ファンタジックでロマンティックでマジカルクリリンパな、ある意味(魔法)少女趣味も、吉松の特徴だったりする。

 1楽章は最も規模が大きく、半分を占める。

 散音で始まり、不思議な空間の幕開けを彩る。すぐにチェロが独奏を開始。低弦のバルトークピチカートが薩摩琵琶を模す。

 打楽器が透明なビートを刻みだすとアレグロ。それからワルツやマーチが現れては消え、アレグロ、アダージョ、ありとあらゆる速度記号をもってひたすら突き進む。ここでは主題は呈示されるが明確には発展せず、多様性主義のまま、様々な音楽が現れては本当にただ夢のように消える。なんという幻想か。ただ、チェロと管弦楽の役割(立ち位置)だけが、はっきりとしている。好きなだけ走ったチェロは、唐突に歩みを止める。
 
 2楽章は緩徐楽章。形式だけは古典的だが、扱いはあくまで自由。モノローグだが、ピチカート主体の独奏チェロはモロ薩摩琵琶。しかし天から振って来る粉雪か光のシャワーのような管弦楽に乗ると、あとは翼を拡げて光の舞を舞う天使となる。日本的な奏法(雰囲気)ですら、どこか幻影なのだ。

 3楽章では、立ち止まったチェロが再び天を駆ける。天駆ける半馬神。しかも昼。春野の上。浮遊的、かつ疾走的、かつ、透明なアレグロは、吉松的終楽章の最大の特徴。
 
 全体、作者のイメージとおり、天を駆ける東洋的な半馬神という曲想が強い。しかしあくまで幻想の出来事であり、夢であり、明るく透明なのが、吉松なのだが。良くも悪くも現実逃避音楽。軽いので拒否するのはたやすいが、ハマると麻薬のように精神に浸透するアブない音楽。(中毒患者→わし)
 
 藤岡幸夫/BBC フィルハーモニック/ディクソンVc シャンドス CHAN10202

 参考:吉松隆のページ 吉松隆の交響曲のページ


和田薫:チェロとオーケストラのための「祷歌」(2009)

 2009年、ドイツで初演。ドイツでの自作演奏会のための書き下ろし。水間博明/WDRケルン放送管絃楽団/ヴェンホルトVc

 短曲が多い和田らしく9分の小品。協奏曲というより、協奏的作品である。ソリストに初演オーケストラの副首席奏者を迎え、敬意を表して和田にしては西洋的な発想を元にしている。1楽章制。

 チェロ独奏が朗々とシブイ歌を歌い、珍しく伊福部調のシリアスな伴奏が重なってくる。半分ころよりアレグロとなり、執拗なオスティナートが印象深い。

 祷歌という名前の通り、和田にしてはお祭騒ぎのない地味な作風だが、その分、味がある。

 水間博明/WDRケルン放送管絃楽団/ヴェンホルトVc キングレコード KICC819


参考 日本人の交響曲のページ
    20世紀の交響曲作家ベスト5&日本人の交響曲作家ベスト5
    これだけは残したい日本の交響曲10曲!
    邦人作家録音希望コーナー!!



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