小文

 これだけは残したい日本の交響曲10曲!


 いやはや〜これまた我輩(九鬼蛍)の「毒断と変見」によるのですが(笑)

 他のコーナーと比較して、ベスト10にするのが望ましかったのかもしれませんが、さすがに順列はつけられなかったので、10曲ひとからげで、考えてみました。5曲でも良かったですが、さすがに5曲という数字も厳しかったです。

 あと、私がCDで集めて聴いた曲に限られています。すみません。また、残念ながら既に廃盤になっているCDもたくさんありますが、そんな曲もあるんだ〜とご記憶の隅にでも留め置いていただけましたら、いつか再び世に出たとき、あるいは中古盤に出会ったとき、すかさずお求めいただきたく思います。その出会いはきっと 「必然」 です。

 素晴らしい音楽ばかりです。メジャーレーベルが出す西欧のヘンテコリンな現代交響曲など、足元にも及ばぬものばかりです。こんな素晴らしいホンモノの音楽が、 「日本人の交響曲だから」 とかいう、ありえないほどわけの分からない理由で、 「そんなもの聴くのマニアだけだ」 とか、「どうせ民謡とかつかってつまんねーよ」 とか、怒りすら覚える一方的で野蛮な決めつけで、聴かれないという悲しさ。空しさ。憤り。

 自分の国の作曲家を聴けない人が、どうして他の国の作曲家の曲を聴けるのでしょうか?

 無理に聴いて好きになれと強要しているのではありません。いろいろなタイプの作家がいるのです。その面白さ。中にはぜったい、聴ける人がいるはずです。その探求の楽しさ。結果として(残念ながら)日本人の音楽はヘンダというのも、それもまた一興。

 しかし、その探求を最初から放棄している姿勢が、己の国の音楽文化を否定していることへつながるのになんで気づかないかなー! ということなんですハイ。

 そもそも、近代、現代音楽なんて「どこの国の人」とかぜんぜん気にしてないくせに(笑) なんで日本人だけ「日本人の曲」とかこだわってんだろう?

 もっと聴かれて、録音されて、ゆくためには、どうしたらよいのでしょうか? ペイを無視して邦人だけの演奏会をバカスカやり、自費でCDを出せというのではありません。ロシア人の、フランス人の、東ヨーロッパの、北欧の作品群に、ちょいと1曲、日本人の作品を 「同列」 に置いて楽しめる状況。たまには、ふつうの定期で、日本人のシンフォニーがメインのプログラム。

 そんなのが、気軽に企画できて、ふつうにお客が入れるような現状。

 まあそれなりにCDがふつうに売れる状況。

 そんな日が来るのが、夢ですね。

 だって、こんなに素晴らしい、面白い音楽なのに。


 えーとですね。

 我輩は 20世紀の交響曲作家ベスト5&日本人の交響曲作家ベスト5  において日本人のシンフォニストベスト5を選んでみたわけですが、それは今回の企画とはかぶらない部分があることを申し添えます。交響曲を3曲以上作曲した人、という定義を設けましたので、単発作曲の人は省かれていること、またこちらは交響曲総体ではなく純粋に1曲として選曲したこと、によります。悪しからずご了承下さい。
 
 では、せめてこれだけは、後世に残して行きたい、まさに日本を代表する日本交響曲。※但しCD音源のあるもの。
 
 諸井三郎 第2交響曲(1938)
 伊福部昭 タプカーラ交響曲(1954)
 芥川也寸志 エローラ交響曲(1958)
 矢代秋雄 交響曲(1958)
 松村禎三 第1交響曲(1965) 
 黛敏郎 涅槃交響曲(1958)  
 一柳慧 交響曲「ベルリン連詩」(1988)
 原博 交響曲(1979)
 吉松隆 第5交響曲(2001)
 佐村河内守(新垣隆) 第1交響曲(2003)

 そして、けっきょく次点を選ばざるをえなかったですorz なにが10曲か。。。

 次点
 山田耕筰 長唄交響曲「鶴亀」(1934)
 大木正夫 第5交響曲「広島」(1953)
 大澤壽人 第2交響曲(1933)
 貴志康一 交響曲「仏陀」(1934)
 團伊玖磨 第2交響曲(1956)
 安部幸明 シンフォニエッタ(1965)
 別宮貞夫 第5交響曲(1999)    
 水野孝幸 第2交響曲「佐倉」(1991)

 その他にもイイ! ものがいっぱいありますが、キリがないので勘弁して下さい。また繰り返しますがあくまで我輩の毒断と変見ですのでご容赦ください。


 では小文なので極々カンタンな解説をば。

 詳しい解説は、リンク先の私の交響曲のページをご参照。
   
 諸井の2番は貴重な戦前の日本人交響曲というだけではなく、膨れ上がった大日本帝国の落日寸前の巨大な不安を膨大な構成で表している無類の傑作と思います。

 伊福部のタプカーラは、すばらしい独自性と構成、そして近代フランス流の手法が合体した面白さがすばらしいです。

 芥川のエローラは交響曲というジャンルの、まったく瓦解したそれではなくあくまで交響曲という枠内で創作する難しさと楽しさを味わえます。

 矢代の交響曲は戦前戦後を問わず日本を代表する古典交響曲として定着しつつあると思います。

 松村の1番はまったく独自性の塊でありすさまじい音楽の持つ生命力が他の追随を許さぬ点。

 黛の涅槃は、天才にしか書けない音楽という物を嫌でも味わえます。一生に一度は実演で聴いてみたい曲です。

 一柳のベルリン連詩は、いわゆる無調系、12音系の交響曲としては、質、規模共に、唯一と云って良いほど何度も聴ける代物です。というのも、無調や12音で「交響曲」を書く意味というものが、しっかりと根付いているからです。

 原の交響曲は、質、規模とも諸井に次ぐ重交響曲ですが、その中にも洒脱や軽妙があるのがすばらしいです。

 吉松の5番は、現在までの吉松流の集大成であるばかりでなく、21世紀産として同時代音楽の交響曲としても、集大成でしょう。てかジャジャジャジャーンで始まる5番を本当に書いてる時点で、もう私の中では良くも悪くもマーラーに匹敵。敬服。土下座。ありえねえ。

 そして21世紀に登場した驚天動地の超ロマン派交響曲が、佐村河内(新垣隆)の1番。いろいろありましたが(笑) それも含めて、「こんなもの」がこの現代日本から出てきた事が奇跡の中の奇跡。神級の出来事です。ネタとしてもw

 以下は次点です。

 山田の交響曲で唯一笑え……もとい聴けるものが鶴亀です。これは凄いよマジで。再演が難しいのが珠に疵か。

 大木の5番もその重要性で外せないと思いましたが、あまりに重く、暗過ぎて、聴く人が限られるかもしれません。

 大澤の2番は、ちょっと密度が濃過ぎてとっつきにくいかもしれません。しかし当時にこれだけの日本交響曲があったという事実に感動。

 貴志の仏陀は旋律はたいへん良いが構成に難あり。やや長い。

 團の交響曲群は重要ですが、意外と交響曲って團らしくないかも。中では、2番がやっぱりいちばん聴きやすいかなと。中身はあんまり無いですが。

 安倍のシンフォニエッタは日フィルシリーズで、確かな構成と豊かなメロディが楽しめる、日本産軽交響曲の代表曲だと思います。

 別宮の交響曲群もたいへん重要なのですが、1曲1曲を見ると、インパクトに欠ける。数学系作家の宿命か、理論に過ぎて何かこう「突破」するものが無い。まあ5番がこれも集大成か。

 水野は交響曲もユニークで面白いが、交響的変容があり得なさ過ぎて(笑) そのインパクトには負ける。変容を交響曲1番にしておけば、ブライアンも超える超々交響曲としてギネスに載ったのになあ。





参考 邦人作家録音希望コーナー!!
    日本人のチェロ協奏曲
    20世紀の交響曲作家ベスト5&日本人の交響曲作家ベスト5
    日本人交響曲のページ



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